令和元年 5月1日(水曜) 
梅雨のように雨の日が続いています。

昨日までは”平成”! 今日からは”令和”となり、今年は令和元年になる。
ところで、ここ一週間は雨が多く、2~3日前はすごい寒さ!
朝方には10cmくらいの霜柱ができていた。
写真は、小雨にかすむ建物前の林を写したものです。







【 今回は、 ”訳の分からない存在 ”についての”訳の分からない話”です。 】

〇 〇 〇  〇 〇 〇   〇 〇 〇

最近、日本の街中でピエロのような恰好をしたり、街頭で歌やダンスをしている若者が少なくなったような気がします。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は world_human_no28.jpg です


そして、街中がいやに綺麗に整い一様化し、お門違いなバカ騒ぎ(ハロインなど)はしているが、ペーソスやロジックがなくなっている。
さらに、権力者に歯向かう、ある意味では無駄な抵抗をする若者や民衆が少なくなったような気がするが私の錯覚だろうか

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は ind_gandhi.jpg です
権力と戦った人

街中では、ゴミ同様にそんな”訳の分からない存在”や無駄が排除され、きれいに、且つ ”おもてなし”などと表面的な言葉が氾濫している。
この国(世界中?)では、弱者切り捨て社会になっていく過程を、浮ついた言葉や種々のイベントでごまかしている。
その一因は政治家やマスコミにもあるが、この政治家がひどい!
マスコミもシッカリしてもらいたいが、役人・官僚はさらにひどい!
彼らは国民の方には目を向けず、政治家或いは権力者のご機嫌取りばかりをしている。・・・ 是非、”公僕”という言葉を思い出していただきたい。
そして、政治家や役人・官僚には、明治新政府に逆らい ” 訳の分からない存在”になってしまった《西郷隆盛》の遺訓を思い出してもらいたい!

【 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。
此の仕末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業は成し得られぬなり。 】
—————————————————————————————–
蔓延している、”ことなかれ主義、前例主義、隠蔽、権力乱用等々
・・・ > 暫くすれば忘れるさ!”
此の”仕末に困る人・訳の分からない存在”は、どこにいるのだろうか?

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は sadhu4.jpg です
India / Sadhu・・・どこにいるのだろうか?

これが保守の一党独裁の帰結社会なのだろうか?
寂しいことだが、いつの時代でもこの権力にシッポをふる民衆もいる!
戦前のような社会風土にならなければよいが。 ・・・ と、思っています!
—————————————————————————————–
そこで、今回はこの” 訳の分からない存在”について書いてみたいと思います。



■  シリーズ :旅の途中! ■ 
色々な景色やモノを見て、色々な考え・色々な人に出会う!


私は、この”訳の分からない存在 ”が社会から消えたら、殺伐とした冷たい社会になるように感じています。
そこで、友人からの一通の手紙を切っ掛けとして ”訳の分からない存在 ”について 考えてみました。
・・・ 友人は今では珍しいくらいに ”訳の分からない存在 ”で実態が掴めません。いつも、”カスミ”のような話をしていて掴みどころがありません。そもそも、実態などは分からないのが人間で、それが ”カスミ”のような 人間そのものの実態だとは思うのですが、社会がそれを許さないのではないでしょうか? だから人々は無理に似非実態を見せて社会に迎合しているような気がするのです。
————————————————————
本当は”訳の分からない存在 ”とは、素晴らしい存在なのではないでしょうか。

・・・・  フィンランドの森の妖精/ パッカネン(PAKKANEN)

このような訳で、私は”フィンランド・森の妖精/パッカネン(PAKKANEN)” のように”訳の分からない存在”になりたいと思っています。
パッカネン(PAKKANEN) は、氷点下にならないと出てこない冬の妖精です。
{(註)”バッカねん”ではありません!  ”パッカネン”です。 ・・・ この世では ”バッカねん”も ”パッカネン”も同じようなものですが ! }
そして、この世を俯瞰してみたいと思っています。

——————————————————————–

”パッカネン”つながり !

雑談になりますが、・・・ 
私は、四十数年前にフインランド(ヘルシンキ郊外のリッヒマキ)に住んでいたことがありますので、フインランドのマリメッコという生活用品のデザイン会社の”パッカネン”という商品のデザインが素晴らしいので紹介します。
北欧(フインランド)の冬は日中でも殆んど日が差しませんので、室内はカラフルなカーテン・食器類やデザインされた照明・木地仕上げの椅子などで纏めて室内生活を楽しんでいます。
そして、郊外の殆どの家庭には”サウナ”があり、週末には家族全員で酒を飲んだり・サウナ後に湖に飛び込んだりして、サウナ小屋(サウナは別棟になっていることが多い)で一日を過ごします。
・・・ そんな訳で、アルコール依存症の若者が多いのもフインランドの特徴です。




《 カーテン生地とマグカップにプレート 》






この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は popo-150x150.jpg です
・・・・・・ うちの妖精/ポッポネンです


”訳の分からない存在 ”を素晴らしいと思っている人間の”訳の分からない話”

————————————————————————-

私には ”訳の分からない存在”的になり、この世を俯瞰している友人が何人かいます。
一番の友は、南米のエクアドルに行って、現地で妻を娶とってしまった。
一度・エクアドルの老人労働者の木彫り人形を持って、妻君と共に日本に帰ってきたが、日本には自分の居場所がないと言い残しエクアドルに戻り、それっきり、居場所が分からなくなった。
・・・  ”存在自体”が分からなくなってしまった。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は take_5.jpg です


日本に居るときには、”訳の分からない”ものに”訳の分からない”抵抗をしていた友人でしたが、他者を傷つけるようなことは一切言わず、自分を傷つけるようなことばかり言っていた。
そんな”訳の分からない存在” でしたが、私には空気のような存在でした。

che – Guevara

彼は、チョットだけ風貌が似ていた”チェ・ゲバラ”に憧ていたが何をしているのやら?
エクアドルの山岳地帯で ”訳の分からない存在” になり ”訳の分からない話”をしながら生きていることを願っている。

—————————————————————-

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 0-1.jpg です

それから、 森の妖精/パッカネン(PAKKANEN)みたいな友人がいます。
その友人から、 久しぶりにメールと封書が届きました。

メールには、現在、縄文文化と縄文人の生活の研究をしているとのことが書かれていました。
近くの信濃境に「井戸尻遺跡や考古館」があり、この縄文文化の学びの場で、食事や生活、文化、踊りなど多岐にわたり研究しているようです。
・・・ その意を汲んで、八ヶ岳・富士見高原周辺の縄文遺跡を簡単に紹介させていただきます。


《 縄文遺跡について 》

八ヶ岳周辺には縄文時代の遺跡が多くあります。右の写真は、井戸尻遺跡です。


茅野の尖石遺跡では、国宝の「縄文のビーナス」といわれる土偶が発見されています。 ビーナスというよりは、日本人的な四頭身の愛嬌のある土偶です。
しかし、これはこれで色気があり、魅力的なプロポーションです。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は jyoumonn-b.jpg です
・・・・・・ 国宝「縄文のビーナス」

この富士見高原近くの信濃境にも、日本を代表する縄文時代の”井戸尻遺跡”があり、竪穴住居などが展示されています。
井戸尻考古館には、重要文化財に指定された縄文土器等も展示され、付近は井戸尻史跡公園として一般の人にも公開されています。
また、春の公園内は、睡蓮がきれいに咲き、牧歌的な里山風景を見せてくれます。
※ 2018年に八ヶ岳周辺の縄文遺跡群が日本遺産に指定されています。



それから、封書には、ルドルフ・シュタイナーの研究過程での”こころの拠り所”が書かれていました。
教師だった友人は、昔からシュタイナー教育を研究し、実践しています。
そして、青年のようにロマンがあり 且つ、エネルギッシュに、にじみ絵やシュタイナー勉強会を開催したりしています。
・・・ ここでも、その意を汲みながら”シュタイナー”のことを簡単に述べたいと思います。


《 ルドルフ・シュタイナーについて 》

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は fn_st118.jpg です
Steiner

ルドルフ・シュタイナーは、独特の考え方で造り上げた建築や人智学とその考え方をもとにしているシュタイナー教育などで有名で、私も長い間学んできたのですが、彼の造形や創作思想については、物質主義に凝り固まった私には訳が分からないことばかり です。 更に 、精神科学・人智学/シュタイナー思想(叙述)の機微になると理解困難というか訳が分からない!
そんな訳の分からない人の解説になりますが、 ”訳の分からない存在”の森の妖精/パッカネン(PAKKANEN)みたいになり、”訳の分からない話”の精神科学・人智学/シュタイナー思想(叙述) について”さわり”だけ記載してみたいと思います。

・・・・ 最初に、シュタイナー建築(ゲーテアヌム)の写真数枚を見て下さい。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は fn_st27-1.jpg です

▲ 第一ゲーテアヌム
▼ 第二ゲーテアヌム


シュタイナーの建築・造形はどう感じましたか?
この建築・造形に、ルドルフ・シュタイナーの心情が表現されているらしいのです!

次に、訳の分からない人が、シュタイナーの思想/人智学(精神科学)について概略説明しますが、何かを感じ取って下さったら幸いです。
尚、シュタイナー教育については、前回(4月17日)の”シリーズ :旅の途中!”で、概略を説明してありますので、今回は”精神科学”のほんの触り部分を説明してから”訳の分からない話”を進めていきたいと思います。・・・ どちらにしろ ”訳の分からない話”ですので、軽い気持ちでお読みください。


この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は fn_st4.jpg です
– Goetheanum –
Ruttiweg 45 CH-4143 Dornach1/Switzerland


訳の分からない話のついでに
訳の分からない人による、訳の分からない”精神科学” についての概略説明

Rudolf Steiner 

《 自称 ”訳の分からない人”の私見! ”精神科学” NO1 》

”自然科学” <・> ”精神科学”
☆ Geisteswissenschaft / Anthroposophie ☆ 

デカルトの方法論〈自然科学〉は、文明を驚く勢いで進化させ、物質的な豊かさを人々に与えてきた。 この点については誰もが認めるだろうが、 時代はその進化の過程で振り落としてきたモノに着目し始めています。 
”自然科学”は、人間の外面/表象を取り巻く、物質やエネルギーを対象にして、「生物」や「生活」等に視点を当てている学問で、 振り落としてきたモノを主軸にした ルドルフ・ シュタイナーが言うところの”※精神科学”は、人間の内面/根源的形成に迫り、「生命」や「人生」 等に視点を当てている”学問”です。
シュタイナーの論理は、唯物論に対しての唯心論或いは仏教的な唯識論に近い論理展開をしています。
近い論理ですが、・・・ シュタイナー論理の根源に置くものは、”心的なものや空・ 阿頼耶識” ではない”魂・霊的存在”ですので、異なっているんです。
又、この ”魂・霊的存在” というものが、俗に言われているアニミズムやシャーマニズム的にとられて誤解や間違った解釈をされがちなのも事実です。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は fn_st118.jpg です


科学の成立は、本質的には科学が捉える対象からではなく、科学的な努力の中に現れる人間の魂の活動のあり方から確認されるのである。 科学を学んで身につけるときに、魂がどのような状態であるのかに目を向けなければならない。 感覚に明らかであるものが考察されるときにしか、この魂の活動のありかたは存在しないという習慣が身についていると、感覚に明らかであるものだけが本質的なものであるという見解に容易に陥るのである。 – Rudolf Steiner


《  自称 ”訳の分からない人” の 私見! ”精神科学” NO2  》

1800年代中期~1900年代前期 ヨーロッパの中世及びルドルフ・シュタイナーの生きていた19世紀~20世紀初頭の頃は、欧米の多くの思想家・哲学者・心理学者などが、メガ宗教の古典主義や教条主義的な思考に物足りなさを感じ、 新たな思想・思考を模索し、既存宗教の先にある”もの”を探っていた時代背景があります。
この時代のドイツでは社会主義労働者党が結成されているが、直ぐに帝国主義が蔓延り、社会主義者鎮圧法が制定されています。 その後、シュタイナーの死後(1925年3月30日没)になりますが、1929年のニューヨークでの株の大暴落による世界恐慌から、かの悪名高い・アーリア民族主義者のヒトラーが、1933年に政権を取り、1939年にはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まっている。フランスではナポレオン3世 【ナポレオン一世=ナポレオン・ボナ・パルト:(1769年 – 1821年)】 が皇帝になり、 米国では南北戦争~リンカーンの奴隷解放・リンカーン暗殺、そして、ロシア革命が起こっています。この時代の欧米の思想的背景は、ロマン主義、実存主義、シュタイナー誕生の直前の1859年にチャールズ ダーウィンの「種の起源」が発表され、自然科学の基礎的な確立期を迎えます。
—— その後、民族主義的思想が台頭してきます。
このような時代背景やGeorg Wilhelm Friedrich Hegel(ヘーゲル)/1770年~1831年やJohann Wolfgang von Goethe (ゲーテ)/1749年~1832年などの大思想家の没後・すぐ後に生まれてきたのがシュタイナーの人生/思想に影響を与えたのではないでしょうか。 更に、カール・ユリウス・シュレーアー(ゲーテ研究者)との出会いによりシュタイナー最初の書籍「ゲーテ的世界観の認識論」を執筆し、ある意味では、後に自らの思考論理を、Geist(精神,霊)の Wissenschaft(科学)=Geisteswissenschaft (精神科学) > 心霊主義者的思考から「精神的諸現象の経験科学」へと導かれ 、40歳の頃を境に 「神智学」「アカシャ年代記」「神秘学概論」などを発表し、講演活動にも力を入れはじめ、 人智学 ・ アントロポゾフィー(Anthroposophie) / 精神科学=霊科学(Geisteswissenschaft)の礎が出来ていきます。

—————————————————————

そのルドルフ・シュタイナーの主張する精神科学=霊科学(Geisteswissenschaft) は、たんなる感覚や感性による経験科学ではなく、シュタイナーの言う ”Geist” は、人間の肉体に宿った「精神」や、 時代や民族が共有する「精神」ばかりでなく、真理としての「精神」に近づくために「霊・魂」にも思考や体験が及び、 その踏み込みにより、人間の内部に存在している健全な”予感”を導き出し、現代人の迷信や勘違いしている霊的・魂的思考を、正しく拡張し働く”魂の活動(思考)”に戻して、 精神・生命・肉体に潜む超感覚的認識力を、現代人の智恵により変化対応(時代に即した)させ、新たな(正しい)認識へと導く手法(修練)の ”科学/学問 ” ではないかと、私は考えています。 
物理主義でも宗教的思考でもない彼独特の思想に基づく学問なのです。

・・・ ”訳の分からない話”でしょう?

—————————————————————

”さわり”を説明してみましたが、”訳の分からない話”の”精神科学・人智学/シュタイナー思想” などを詳しく知りたい方は、下記のホームページを参照にしてみて下さい。

”  http://fromnow.180r.com/index.htm  ” 

・・・ お役に立てれば幸いです。



チョット、一息!

India/Sadhu

《 悟りへの苦行・修練・学び 》
インドのサドゥは、私には全く”訳の分からない存在”です
写真を見て下さい!
右手を一生降ろさないという修行中のサドゥです
右手首から先が壊死して黒くなっていました
他の サドゥは、一つの棒に寄り掛かりながらタダタダ立ち続けていましたが、寝る時も、食事・排便等一切合切立ったまま行うようで、やはり両足の先端が壊死して黒くなっていました
身を挺して来世への夢をみているサドゥ
神に分かってもらいたい・近づきたいとの思いなのだろうが、
これで悟れるのだろうか?
サドゥの方には申し訳ないが、
私には、”すごいね~” と言うだけのような気がしますが、
・・・ 何かが心に残ったのも事実です。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 20170522_10-1.jpg です


このように”訳の分からない存在”に会えて楽しいのがインドです
又、このような修行・苦行中のサドゥのところに、私は自分の足で探し・辿り着いたつもりですが、このようなサドゥのところに案内し、お金を要求するガイドがいるのもインドで、善悪・どろどろのカオス社会がインドです。 ・・・ 尚、私も、物見遊山的なところがありますので、ガイドなどと同じようなものですが! 全くもって、人間そのものの絵巻を見せられているような、このカオスに圧倒させられます!



《  訳の分からない人が薦める 訳の分からない話 の ”学び方” 》

私が思うには、
”学び” は、・・・ 考え方によっては”諸刃(両刃)の剣”だと思っています。 
どのような”学び”でも、中庸な心で・俯瞰的に物事見ながら”自問自答”しつつ、冷静に前へ進むことだと考えています。 ・・・ だから私は、すべての学びについて是々非々でとらえています。

思想や宗教・生き方に関する真実・真理とかモノの見方・考え方ですが、
其々の方が、其々の眼や心で見えてくる”景色”!
それが、その方にとっての真実・真理ではないかと思っています。
——- どんな景色であってもです! 
列車に例えるならば、右席(例えば海)からの景色があり、左席側(例えば山)の景色もある。 
どちらの景色が見たいか・好きか! 或いは、どちらの景色を”真実・真理”とするか! だけではないかと思っています 。そして、どちららの景色についても尊重しあえれば、小さなイザコザから宗教紛争・民族紛争等々もなくなるのではないでしょうか。
ま~、どちら側の席に座ろうと、行きつくところ(終着駅)は同じなんですがねぇ!



《  訳の分からない話 の 追記 》

せわしなく、一様化した社会!
建前だけの平等主義、そこに潜む優越意識と差別!
”ハァ~”と溜め息 が出ることはありませんか?

・・・・・・ 訳の分からない存在  ”バカねん”  ・ 大人は無視するが、子供は話しかける


古今東西・左右どちらを見ても、自分達の群れを守っていく為には、少しでも自分達と異なる動きをするものを弾き出そうとする、 人間の本能的な働きがあるようで、自分達と異なる考えや動きをするものを「別種/異物(ある意味では魑魅魍魎)」として見る。 
それが現在の国や”社会・集団” そして、集団に飲み込まれた個人なのかもしれません。 
更に、物質的な欲望が次から次えと湧き出る”我々・人間”、それを後押しする社会。  そんな社会のあり方に、”ハァ~”と溜め息をもらす多くの方達が、 「何かがおかしい、これで良いのか」 と、気が付き始めたようです。 
異なる価値観、ものの考え方、ものの見方・見え方や”個人/アイデンティティ”の見つめなおしから確立!等などを足踏みしながらでも、考え始めなくてはならない。 ・・・・・・・ 私には、そう思えるのです!


このような社会では、
” 訳の分からない存在 ” いいですね!


この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は world_human_no29.jpg です
・・・・・ そこからなら真実が見えますか?  いいね~、 ”バッカねん”登場!


上の写真は、スイス/ジュネーブとポルトガル/リスボンで撮ったものです。
日本の社会/街中からは、このようなユーモアのある”訳の分からない存在”が消えています。
国家権力による規制が厳しくなり、ユトリというものがなくなり、心を病んだ若者たちは、通り魔や大量殺人の方向にシフトしています。
アモクシンドロームという言葉がありますが、個人的な怒りが社会への復讐となり大量殺人を犯してしまう現象です。 このような現象を起こさないように、生産性のない無意味な行為も認め、そして、ユーモアがあり・至って人間的な若者たちを生み出し・応援していきたいものです。

————————————————————————-

時々、”ハァ~”と溜め息 が出ることがあります 。
建前だけの平等主義、そこに潜む優越意識と差別を感じた時 !
国家による ”訳の分からない存在” の排除らしきことを感じた時 !
その先には、
私が生まれる前に蔓延っていた”全体主義思想”からの戦争への突入!
・・・・・ 全体主義思想の復活が待っているのかも知れません。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は steiner_gogyan-1.jpg です
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか – Gauguin

【 参考 】

歴史社会学者 / 小熊英二 「単一民族神話の起源」より
『日本の集団観においては、まず個人があり、それが集まって集団ができるとはされない。 まず、<集団>があり、そこからの疎外現象として<個人>が析出されるのである。  そのため、集団の本流は常に中心のない<みんな>であり、<個人的意見>は、常に傍流とされる。』 

作家 / 村上龍  「 MEN ARE EXPENDABLE.VOL – 6 」  より
『個人の概念が未発達な国では、個人というのは集団から疎外されることによって際立つ。 たとえば、メディアの文脈などでは、個人が発達するのは、集団から疎外される場合に限られてる。 個人的嗜好も集団の影響下にあることが多い。
これまで何度も書いてきたように、そもそも個人と言う概念が希薄だった。
個人と言う言葉そのものが、集団から疎外され、集団と対立するものとして始めて浮かび上がってくるものなのだ。 それは、きっと異質な他者という存在を、歴史的に意識せずにすんできたということも大きいのだろう。』

【 参考 】

” Friedrich Wilhelm Nietzsche ”

何が善であり何が悪であるのか、人間としての倫理とはどういうものなのか、という定義は、その時代によって正反対になるほど異なっている。
古代にあっては、伝統のしきたりや慣習から外れた自由なふるまいをすることを非行とみなされた。 また、個人として行動すること、身分を越えた平等、予測がつかないこと、慣れていないこと、見通しの立たないことまでもが悪であった。 古代人から見れば、現代ではまったく普通とされている行動や考えの多くが悪なのだ。

” Carl Gustav Jung ”

疑いもなく、つねに人間の中に棲んでいる悪は、量りしれない巨魁なのだ。

————————————————————

” 芥川龍之介 ”

 人生は、地獄よりも地獄的である

▼ ▼ ▼  ▼ ▼ ▼  ▼ ▼ ▼  ▼

“ Thaddeus Golas ”

地獄さえも愛することができるようになれば、あなたはもう、天国に住んでいるのです。


※ 今回の ”訳の分からない存在・話” の まとめです。

社会や種々の教育機関では、自立・アイデンティティとか個人を大切にとか言われますが、 同じ方向を見て 、同じ考え方をし、同じようなふるまいをしなければ、集団から疎外され・はみでた個人になり、”訳の分からない存在”にされてしまうようです。
その”訳の分からない存在”が多くいたならば、あの戦争も起こらなかったのではないでしょうか。
・・・ と、思っています。
尚、ここで言う ”訳の分からない存在”と変人や俗に言われる社会不適合の方などとの違いは分からない。私には、何が善で何が悪かが分からないので、同じようなものだと思っていますが、・・・ ”訳の分からない存在” ≒  変人、社会性がない、集団及び社会生活不適合者! ・・・ 難しい!
コモンセンスをどのように捉えるかですが、自分勝手の論理からこのコモンセンスから大きく逸脱しての ”訳の分からない存在” では問題が別にあるような気がします。
————————————————————————
又、枕詞に”自由”をつけ”自由・自由”と姦しいが、一つの岸辺から見て、見てはいけないものとか、聞いてはいけないものを特定する。或いは、使ってはいけないものまでも特定する。
これは、”自由”とはかけ離れた規制/束縛やはめ込み型/檻の中での言葉遊びでしかない。
・・・ と、思っています。
自由の立脚点である善悪やモノの良し悪しなどは時代や国により異なります。そして、自由には間違いがつきものです。
間違わないように歩んだつもりでも、どんなことをしても間違いは起こります。
————————————————————————-
『 だから、間違わないように規制している。』
・・・  それは人間の驕りで、”自由”と連動しているのでしょうか?
————————————————————————-
《 規制/束縛やはめ込み型/檻の中での言葉遊び  》
昔・”ソ連や東ドイツ・チェコ・ポーランドなどの共産圏の国々を見てしまっただけに、一言付け加えさせてもらいます。
《 人生 》
分からないことだらけ! 間違いだらけ、迷ってばかり!・・・ それが人生だと思います。
《 教育 》
確実なことは、『 人を傷つけないこと ( これも人類の生存の観点からの正義かも知れませんが。 ) 』 以外は、何が正義で何が自由か等々分からないことだらけ!
ですから、教える側が、 自立・個性/自我や自由とは? 等をもう一度考えることから始めたらどうでしょうか。
・・・ 先達も喜ぶと思うのですが。



私にとってのこの世は、
その日その日で異なるので、行ったり来たり ・・・ 天国と地獄!


地獄にいる”その日”に差し込む天国からの光?/悔い改め、祈りたくなる!