2019年5月7日
 ・・・ 八ヶ岳・富士見高原の昨今

2019年の長いGW(10連休)が明けました。
富士見高原も昼間は夏のように暖かくなりましたが、まだまだ、朝晩は冷え込みます。 しかし、周囲の景色や空気の色が、灰色から緑色に変わりました。

富士見高原:鼻戸屋からの富士山と雲海



■ シリーズ :旅の途中! ■ 
色々な景色やモノを見て、色々な考え・色々な人に出会う!


今回は、富士見高原の山林で生活する人の話です。

私のいる富士見高原の標高が1,250Mです。
その人が生活するところは、1,100M位の山林で、道は獣道程度のものがあるだけです。 場所は、上の写真の”高森取付道”から北に500Mくらい入ったところにありました。冬には氷点下15度くらいに下がり、雪が降るれば身動きができないところです。 そこに自力で家を建てて住んでいます。
・・・ それだけなら、普通のことです。
しかし、そこには水道がなく、井戸を掘っても水は出ないところです。
・・・ これくらいでも何とかなります。
さらに、電気もガスもなく、そして、”車”もないのです。
水は、ポリタンクを背負子で担ぎ、水の湧き出ている所まで片道1時間の山道を歩いて補給しているそうです。 
買い物や食事は、JR信濃境周辺まで徒歩で行き賄います。
徒歩といっても、下り(行き)で 1,5~2時間で、上り(帰り)は倍の時間は掛かるでしょう。 このような生活を通年やっているそうです。

極寒の冬・寒くはないのだろうか、又、雪道を背負子を担ぎ水の補給をする。・・・ できるのだろうか?
本当に、冬も生活しているのだろうか? 驚きでしかありません。
年は、70代の中頃とのことです。

インドでサドゥー(修行僧)の生き方を目の当たりにしてきた、私でもびっくりな体力と気力の生き方です。
もし、私が同じようなことをするとしたら、温暖な沖縄あたりにすると思うが、・・・ なぜに、八ヶ岳・富士見高原なのか?
思想からなのか、経済的なのか、ただの行きがかりでそうなったのかは、分かりませんが驚かされました。

便利になりすぎたこの世の中!
・・・ 色々な生き方があり、色々な人が住んでいる、ことを実感しました。






《 参考 》
上の写真は、インド・ビハール州のハリジャン家族の住まいと母親・子供たちです。
牛糞で出来ている小屋の6畳ぐらいの土間スペースに、両親と9人の子供たちが生活しています。
便所、ガス、電気、車はありませんが、共同の井戸がありました。屋根には、光取りの穴があり、雨の時には藁をかぶせます。
ご馳走になった食事は、湯の中に穀類が浮いてるようなスープでした。お世辞にも美味しかったとは言えませんが、心温まる味でした。

・・・ 便利になりすぎたこの世の中!
難しい理屈は抜きにして、 ”富士見高原の山林で生活する人 ”・・・ 考えさせられました。

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不便の極みインド!
インドにはインドの生き方があります ・・・・
カースト(ヴアルナ・ジャーティ)という身分制度があり、職業まで自由にならない人々が暮らすのもこの国の特徴です。自由に生きているようで自由がないから、何から何まで不便です!
そんな矛盾の中でも不思議な雰囲気(カオスとエネルギー)を醸し出している国で、外野にいる私には魅力的な処です。
しかし、インドにいると便利が良いのか不便が良いのか分からなくなるのも事実です。

矛盾の極致インドの聖地(バラナシ)でお会いした”サドゥ”


インドの宗教的生き方/ヒンドゥーの四住期
学生期 : 真理を学ぶ時期
家住期 : 職業に専念する時期
林住期 : 社会的な義務を残しつつ隠遁生活を送る時期
遊行期(遁世期) : あらゆる社会的義務から解放された時期

一期/ニ期は、正しく学び・働き・遊び・失敗や成功を体験し、 そして、人生の悲哀も感じ、恋もし・楽しみ悲しむ。
時の経過と共に種々の喜怒哀楽を体験し、ニ期の終わり頃には”無常”などという言葉も浮かんでくる。 そして、三期に入り、社会的な行為や”物質主義”から少しずつ離れ、人里離れた山などに庵・居を移し、自己との対話を試みるようになる。 ・・・・・・・ その頃になると、死と死後などを考えるようになり、無常などの言葉が理解できてくる。
四期には、精神的思考に入り、”死”を待ちながら、人生を省みて、次の”生”のための精神の浄化を試みるて生きるようにしています。
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・・・ 実際に!このような宗教的決まりごとに副って生きている方々が多くいるのがインドの魅力であり不思議・カオスを生みだしているようです。



”旅”

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は steiner_ind2.jpg です


” インド人( サドゥー )もびっくりの生活 ”、繋がりになりますが、
私の50代の十年間は、インド三昧でした。

一年おきに、1~1,5か月の間・バックパッカーになってインドを彷徨っていました。 毎回、行きと帰りの航空チケット(FIXチケット)だけを持って旅経ちました。 インドの文化や風土・生活にハマってしまったのです。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は steiner_ind1.jpg です


この地に来る人には、それなりの人生の縮図があるようです。
その微かな一例を、ここに書いてみますが、この短文の中には長い人生の縮図があります。



インドでお会いした印象に残った人の一例


※ 二十数年前にインドの聖地バラナシでお会いした日本人は、
日本で問題を起こし自殺未遂を繰り返し、逃げるように日本から離れタイに行き、その後にインドに辿り着き出家したそうです。彼は、インド中部に小さなお寺(アシュラム)を独自で建て、インド人に仏教の教えを説いているそうです。

彼は、50歳の”おっちゃん”が小さなリックを背負いボロボロの服を着て旅をしている姿に興味を持ったのでしょう ・・・ 話しかけてきました。
そして、話が合い・意気投合した元気な60代の僧の寺(アシュラム)に、是非よってくれと懇願された。 しかし、寺はインド中部のナーグプルという所で、 バラナシからはかなり遠いので遠慮した。

翌朝、彼がガンガ (ガンジス河)のガートで、朝日に向かってインド人十数人とお経を唱えていたが、神々しくて声を掛けられなかった。
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その日本人は、滅亡しかけていたインドの仏教界を立て直した佐々井秀嶺氏(現84歳)であることを 最近、彼のことを日本のマスコミが取り上げ、写真を見て分かりました。 彼は、現在はインド仏教界の頂点 ( この言い方は彼は好まないと思うが! ) にたっているという。
インドの聖地・バラナシで数時間話しただけでしたが、彼のエネルギーに圧倒されたのを覚えています。また、あの時に ナーグプルのアシュラムに行っていたら今とは違う人生があったのかもしれない ・・・・・・ と、思ってしまいます。


※ バラナシからガヤ行きの列車(夜行)の中でトラブルに会った同士! ブッダガヤでも同室(ゲストハウス)で過ごすことになった、私と同年代の戦場カメラマンのフランス人は、奥さんがイラクで、娘さんはボスニアで戦争孤児の救済をしていて、年に一度家族が会うだけだという。
今回、彼はこのインドのガヤで 家族と 会うことになっていた。
彼は、親鸞と日蓮というフランス語の書籍を愛読していて、仏教に帰依すると言っていたが、
・・・・ どうしているのだろうか?

Bodhgaya/Mahabodhi

四日間同室で過ごした彼の家は、南仏のトゥールーズにあり、自分たち家族は一年中不在だが両親が住んでいるので、フランスに来た時には、いつでも利用してくれとのことでしたが、
・・・・ 今だ利用していない。


※ オルチャーで会った日本人のカップルは、
大手商社を辞め、一年を掛けての世界一周の旅の途中でお会いしました。この先・ギリシアの田舎の教会で二人だけの結婚式を挙げるという。
・・・ 心から、お二人に幸あれと、祈りました。


※ ダラムサラでは、日本人とチベット人難民が”ルンタ・ハウス”という食堂とゲストハウスを営み、チベット人難民の支援をしていた。 ヒマラヤの山々を超えての難民は、凍傷で足の指がない人も多かった。
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一人の日本人建築家が中心になって活動しているプロジェクトで、ルンタ・プロジェクトというものがあります。その一環にこのルンタハウスがあります。

Dharamsala / Lung-ta House

《 ルンタ・プロジェクトのホームページより引用 》
ルンタハウスは、教育や技能習得の機会のない、しかしチベット本土へ戻ることができない事情を抱えた難民を対象とした教育事業・自立支援事業を行っています。現在、約60人の難民がルンタハウスで生活しており、また病院通院や法要などのためにダラムサラに一時滞在する貧しい難民たちにも食事と宿泊を提供しています。ルンタハウスでは日本食レストラン(ルンタレストラン)、手工芸工房といった収益と技術研修をかねた事業を行い、売上をルンタハウス運営費にあてています。併せて、英語・コンピュータコースの開催、チベット人のライフヒストリーの出版、グチュスムの会のメンバーが投獄経験を証言するツアーやキャンペーン等も行っています。

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そのルンタ・ハウスには、ダライ・ラマ14世や米国俳優でチベット仏教信者のリチャード・ギアも支援に見える。


何回か訪れたブッダガヤでお会いした30歳そこそこの日本人女性!
コルカタのマザーハウス(マザーテレサ)でのボランティア後にインドを彷徨いブッダガヤに着いて定住していた。工事中の一階の3畳くらいのスペースで赤ん坊にオッパイを飲ませていた彼女でしたが、赤ちゃんの父親は分からないらしい。地元のインド人によると、父親らしいのが何人もいるとのこと。
小さくて暗い工事中の現場小屋のようなスペースでは、シュタイナー書籍が数冊目に入った。そのスペースで1時間くらい話したが、人生を達観しているような彼女から”自由”という言葉が何回も出ていたのを思い出す。
・・・ ”自由”って何だろうか?



※  Mother Teresa ( マザー・テレサ )

The Mother House of the Missionaries of Charity
54A, Acharya Jagadish Chandra Bose Rd, Ripon Street, Kolkata, West Bengal 700016  INDIA

※ コルカタのマザーハウス(死を待つ人々の家)で、黙々と汚物の洗濯をするオーストラリア人。
彼曰く、・・・・ 自分ができることはこれ位だから!

祈るインド人女性



※ 多くのサドゥー(修行僧)にも会いました。

ヒンズー教の四住期の林住期/遊行期を迎えた”Sadhu / サドゥー ”は、ガンガ (ガンジス河 )沿いの岩と岩の間か自力で小屋を建て住んでいます。
電気もガスも車もありませんが、ガンジス河の水を飲み、そこで用を足します。
食事は、住民の施しや 托鉢で賄い、一日の殆どは、瞑想や修行をしています。

哲学者のようなサドゥや見世物のようなサドゥ、種々のサドゥにお会いしました。


※ etc, 
上記の人は、そんな ” インド人( サドゥー )もびっくりの生活 ” !



”旅”は、日常生活での小さな冒険だと思います。
地球の人々には、色々な生き方があり、色々な人が住んでいる、そんな色々なことを垣間見れる旅をしたいとも思っています。