■  シリーズ :旅の途中! ■
色々な景色やモノを見て、色々な考え・色々な人に出会う! / 2020

ルドルフ シュタイナー Part 2
《 精神科学/人智学 》



新型コロナ禍での今回のテーマ!
人生での幸せとは?《後編》


Rudolf Steiner * Geisteswissenschaft / Anthroposophie *

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 Dornach / Switzerland
”似ている” 高尾山の中腹から八王子・多摩市を通し新宿方面を見ている景色に!


自然科学と精神科学の融合
” 視点を変えてモノゴトを考えてみる ”


前編では、どのような学びでも、最初に基礎的なことを頭に入れることが大切ではないかとの思いから、神秘主義・思想というか、神秘学と言うか、その種の基礎的な背景を述べてきました。

この後編では、 Rudolf Steiner * Geisteswissenschaft / Anthroposophie * を ”人生での幸せとは?”というテーマに絞り簡略化して話したいと思っています。
それでは 、まず最初にルドルフ・シュタイナーのことを簡単に説明いたします。


《註》 こちらの後編から入った方は、【  前編ルドルフ シュタイナー Part 1 <  クリック  】 をお読みになってから、こちらの後編に戻って下さることをお願い致します。



・・・ インドのサドゥは、なんでもお見通し!

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何も知らんくせに偉そうなことを言うな!

・・・ ということですが、チョットだけ知ったかぶりをさせて下さい。

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最初に!

その1 《 Geisteswissenschaft とは 》

精神”のことを英語では「Spirit」、ドイツ語では「Geist」と言います。
では、”霊”のことはどうか?
英語では「Spirit」、ドイツ語では「Geist」といい、”精神”と”霊”は同じ言葉でも表され、日本語のように明確には分かれていません。
ですから、”Geisteswissenschaft” を”精神科学”と訳す人もいれば、”霊科学”と訳す人もいますが、どちらも正しいのです。 
現在の日本(日本語)では、”精神”と”霊”を同じ言葉や意味合いで表現することはありませんが、欧米/キリスト教文化圏では、私たち日本人が考える”精神”と”霊”のようには考えていません。
この違いを認識して、シュタイナー叙述を読み進めないと途惑う事もありますので、注意が必要です。
因みに、肉体/死体についても、私たち日本人が考える、仏教的な思いとは異なっています。 
日航機/御巣鷹山事故の際、現場検証での被害者のご遺体に対するアメリカと日本の対応の違いには驚かされた思いがあります。 その違いについては、当時の新聞や山崎豊子氏の大作「沈まぬ太陽(三)御巣鷹山篇」にも詳しくでています。
どちらが正しい・間違っているとかいう判断ではなく、文化の違いからくる”色”の見え方や”ベクトル的”な違いはあると思います。
ですから、欧米人のキリスト教をベースにした文化や思考と日本の文化や思考の違いを理解して読み進めて下さい。
そうでないと、 日本人の場合には、” 霊! なんだそりゃ~ ” と、単なる批判的思考に陥ることにもなりえます。

Dornach / Switzerland

その2 《 宗教なのか或いは科学(学問)なのか 》

ルドルフ シュタイナーの思考・叙述(アントロポゾフィー/人智学)の”学び”の途中で、一つの疑問が湧き上がります。
それは、シュタイナーの思考・叙述は、信じるという括りの”宗教”とみなすべきなのか、それとも是々非々で捉える”学問”として学ぶべきなのか? ・・・・・ 或いは、「なんだかな~」 と、本を閉じてしまうのか?

◇ ◇ ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

シュタイナーは、湧き上がるこの種の疑問について、神秘学・アントロポゾフィーは”科学/学問”であるということを前提に”神秘学の性格”という文献で、下記のように述べています。

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Steiner

ルドルフ シュタイナー 曰く

■ 神秘学者は、自然科学の価値を誤って判断するつもりはなく、かえって自然科学者以上にその価値を認めようとする。
神秘学者は、自然科学にみられる思考方法なしには、どんな科学も基礎づけることができないことを知っている。 しかし、神秘学者は、この厳密さが、自然科学的思考の精神に真に通じることによって獲得されるならば、その厳密さを、魂の力を通して他の諸領域のために保持しておくことができることも知っているのです。
・・・後略 / Rudolf Steiner

■ 科学の成立は、本質的には科学が捉える対象からではなく、科学的な努力の中に現れる人間の魂の活動のあり方から確認されるのである。 科学を学んで身につけるときに、魂がどのような状態であるのかに目を向けなければならない。 感覚に明らかであるものが考察されるときにしか、この魂の活動のありかたは存在しないという習慣が身についていると、感覚に明らかであるものだけが本質的なものであるという見解に容易に陥るのである。 ・・・後略 /  Rudolf Steiner

■  日常や通常の学問においては、人間の認識活動は超感覚世界に立ち入る事の出来ない状態にある。 この(神秘学)証明は、人間の自然のままの眼は、その視力では生物の小さな細胞やはるかかなたの天体の状態にまで迫る事が出来ないことを示す為の証明と同じ価値しか持ちません。 通常の視力では細胞にまで達しないという主張が正しく、証明可能であるように、通常の認識では超感覚的世界に立ち入る事ができないという主張も正しく証明可能です。 しかし、通常の視力が細胞にまで及ばないという証明は、細胞の研究を止めさせる事にはならない。
だとすれば、通常の認識能力が超感覚世界にまで及ばないという証明が、なぜ超感覚世界の研究を止めさせる事になるのだろうか。
・・・後略 / Rudolf Steiner

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八ヶ岳・編笠山中腹の紅葉


このことについての私見を述べておきます。・・・

シュタイナーの叙述は、 解釈が難しく理解の仕方によっては、私とは異なる判断になるとは思うのですが、 私には宗教的思考(キリスト教)が規範になっているように思えてしまいます。
・・・ その規範が思考を左右しているのではないか?
ですから、是々非々の”科学・学問”と捉えようとしているのですが、個人的には宗教臭を感じてしまい、戸惑っているのが事実です。
・・・ 誤解のないようにして下さい。
私は、ここで宗教或いは宗教的なことを”善・悪”として述べている訳ではありません。
学びのスタンスの悩みについて書いています!
信じる或いは信じなさいという思想・思考ではなく、フラットで傾きのない物語! 誰もが学びにより その物語の中に入っていける”何か”を捜している”旅の途中!”の気持ちを書いています。
又、このような状況ですので、私なりの自然科学/物理的・物質的な観点からの思考では、シュタイナー叙述の一部に疑問が残るのも事実です。しかし、その疑問はどこから来ているのかを自問自答しながら、視点を変えて世の中を見てみる/考えることも必要ではないかと思いながら、”心の旅”を続けています。

※ 補足になりますが、欧米での宗教は日常的というか生活の一部で、欧米人の体臭そのものに組み込まれているんですね。ですから、上記の私が思うところの”宗教臭”云々の感じ方とは異質なんでしょう。


どのような”学びやその集まり”にも起きることですが、偏った情報や知識で突き進むときには、落とし穴がありますので注意が必要です。

・・・ この対応・接し方が実に難しい!

前編の ” ルドルフ シュタイナー Part 1 ” でも書きましたが、・・・
「 注意しなくてはいけないのは、この種の”学びや集まり”の先にあるものには、宗教的なマインドコントロールがつきものだとも思っています。
心をコントロールされていることを自分では気が付かなくなり、一歩間違えれば、”某・真理教”的な結果になりかねません。
それでも、他者に迷惑を掛けない”モノ”なら、”なんだかな~”で済みますが、この種の思考や思想は、人間の心の中で変異を繰り返し、気がつくと心も身体も”魔物”に乗っ取られていることがあります。
そして、思いもかけない言動や行動をしてしまいます。
・・・ ま~、それもそれで、その方々の人生なのですが! 」

”心の旅” に乗っている”馬”が”競争馬”みたいに一方向だけの視界しか与えられないのでは困ります。
例えば、死刑になった”某真理教の豊田氏・広瀬氏”も無期懲役刑の”林郁夫氏”も最初の動機は、純粋に今生(現状)を憂い、何とかしなくてはとの善なる気持ちで学びたいと思っていたのでしょう。しかし、”競争馬”みたいな状況の中で、気が付かないうちにマインドコントロールという状態に陥り、通常では考えられないような行動を起こしてしまったのではないか、 ・・・ と、思っています。
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【 さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし。- 歎異抄 】
あのようなことだけは絶対にしないとは、言い切れない。- 親鸞


・・・ 凡夫の個人的な意見です。

※ 因みに、筆者は宗教を否定している訳ではありませんが、今のところ宗教とは関わりなく生活しています。


完成直後の第一ゲーテアヌム


Rudolf Steiner / GeisteswissenschaftAnthroposophie 

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Rudolf Steiner

ルドルフシュタイナーは、20歳前後! カール・ユリウス・シュレーアー(ゲーテ研究者)との出会いの頃(1879年)から、自身の霊的な体験や霊的魂的見解を他者に話し始めます。
その後、ゲーテの自然科学論集の編纂という仕事や自由の可能性をダイナミックに追究していき、1886年 / 25歳 の時に最初の書籍「ゲーテ的世界観の認識論」を執筆し、ある意味では、自らの思考論理を、Geist(精神,霊)の Wissenschaft(科学)=Geisteswissenschaft (精神科学) > 心霊主義者的思考から「精神的諸現象の経験科学」へと導 いていますが、神秘学関連の活動を活発にしていくのは40歳を過ぎた頃からになります。
彼の心情は、自らの理念/思考を民衆に直に伝えることであり、そこに力を注ぎドイツの各都市~ヨーロッパの各都市でエネルギッシュに講演を行っています。
講演の回数は5965回( 講演のうち、記録に残っているのは約4,300回、活字になっているのは約3,800回分 )となり、30冊を越える著作をも残しています。
代表的なシュタイナー書籍には、1883~1897年頃に書かれた「自由の哲学 ( Die Philosophie der Freiheit ) 」 や1904年~1907年に「神智学(Theosophie)」、1904年に「いかにして高次世界の認識を獲得するか」、 1904~1905年に「アーカーシャ年代記(Aus der Akasha-Chronik)」、 その後1907年には初の教育関係の論文「精神科学から見た子供の教育(Die Erziehung des Kindes vom Gesichtspunkte der Geisteswissenschaft)」を雑誌ルツィファー・グノーシス誌(Luzifer-Gnosis)に発表し、 1910年には精神科学の結晶として主著の「神秘学概論 (Die Geheimwissenschaft im Umriss)」 があります。

又、彼の思考論理は、自然科学の世界や物質的な思考では認識できない”人間の本質”に迫ろうとする概論で、霊的魂的観点からの宇宙進化/人間進化、そして、”死”を どう捉えるか、 或いは”死後の世界”などの 一つの考え方を提示し、 物質とエネルギーに特化しているこの世の中で、” 自己の存在を確認し、自己が見聞きする世界 ” が、揺るぎのない ”真実 ”であるという根拠は?  という疑問を呈し、 霊的魂的洞察から導いた一つの理念/思考(精神科学)を、人々に広く伝えようとしました。
彼は、自らの思考方法は 精神世界(霊的世界)をただ崇めるだけの宗教や霊媒的なプロセスを介しての心霊主義者のヴィジョンとは異なり、精神世界のありのままを認識するという意味で、科学(Wissenschaft)なのだと述べ、 独特の哲学、生命の霊的進化や死後、宇宙の進化論に留まらずに、教育・医学・農業・芸術/建築・舞踏/Eurythmie(オイリュトミー) など幅広い分野に至っていますが、 種々の誤解や批判的な意見/解釈があるのも事実です。
シュタイナーは、その思考/理念をAnthroposophie (人智学) と名づけ、”宗教”ではなく”科学”であると述べています。 そして、現代では互いに離反してしまった 「科学」と「宗教」と「芸術」の再統合を目指そうとしています。

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そのルドルフ・シュタイナーは、1861年2月27日 に当時のオーストリアの国境近くの町クラリエヴェク(当時のオーストリア帝国 から ユーゴスラヴィア > 現在はクロアチア、ボスニアなどの国に分裂)にて、オーストリア帝国南部鉄道の公務員(薄給の鉄道職員)であるヨーゼフ・シュタイナー(敬虔なカソリック教徒の両親)の元に第一子として誕生し、 1925年3月30日に亡くなっています。享年 64才 でした。
彼は、シュタイナー教育やゲーテアヌムなどの建築、医学、農業、色彩学、オイリュトミー、そして、精神科学(霊学)/人智学という独自の学問を構築したことで有名です。

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”時代背景”

中世のドイツでは社会主義労働者党が結成されているが、直ぐに帝国主義が蔓延り、社会主義者鎮圧法が制定されています。
その後、1929年のニューヨークでの株の大暴落による世界恐慌から、かの悪名高い・アーリア民族主義者のヒトラーが、1933年に政権を取り、1939年にはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まっている。フランスではナポレオン3世 【ナポレオン一世=ナポレオン・ボナ・パルト:(1769年 – 1821年)】 が皇帝になり、 米国では南北戦争~リンカーンの奴隷解放・リンカーン暗殺、そして、ロシア革命が起こっています。この時代の欧米の思想的背景は、ロマン主義、実存主義、1859年にチャールズ ダーウィンの「種の起源」が発表され、自然科学の基礎的な確立期を迎えます。

—— その後、民族主義的思想が台頭してきます。

このような時代背景やGeorg Wilhelm Friedrich Hegel(ヘーゲル)/1770年~1831年やJohann Wolfgang von Goethe (ゲーテ)/1749年~1832年などの大思想家の没後・すぐ後に生まれてきたのがルドルフ・シュタイナーという 物質至上主義に疑問を投げかけた思想家です。
彼は、ウィーンの工科大学で カール・ユリウス・シュレーアー(ゲーテ研究者)との出会いにより、前述の書籍「ゲーテ的世界観の認識論」を執筆し、その後40歳の頃を境に、主著である「神智学」「アカシャ年代記」「神秘学概論」などを発表し、講演活動にも力を入れ、人智学 ・ アントロポゾフィー(Anthroposophie) / 精神科学=霊科学(Geisteswissenschaft)の礎を築き上げます。

Anthroposophie とは、オーストリアのヘルバルト学派ローベルト・ツィンマーマン(Robert Zimmermann 1824~1898年)が、著作「Anthroposophie (1882年)」で使用した、 ギリシャ語の anthropos (人間) と sophia (智恵) の合成造語で、神智学(Theosophie)とは、ギリシャ語のtheos(神)とsophia(智恵)の合成語です。
そしてオイリュトミー(Eurhythmie)は、ギリシャ語のeus (善い、美しい) と rhythmus ( リズム)の合成語で、 アカシャとは、インド・サンスクリット語の”A-ka-sa,Akasha”のことで、空・宙などを意味し、”宇宙の根本的な霊存在”の意味にも使われます。 又、シュタイナーの代表的な書籍の一つのアカシックリコード(アカシャ年代記)とは、宇宙の源(全体)の記録・生命根源の記録或いは神秘学的には霊・魂根源の記録と言うことになります。

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– Goetheanum –
Ruttiweg 45 CH-4143 Dornach1/Switzerland

次にシュタイナーの思想/人智学(精神科学)について、簡単に要点だけを説明しておきます。

”自然科学” <・> ”精神科学”
☆ Geisteswissenschaft / Anthroposophie ☆

デカルトの方法論〈自然科学〉は、文明を驚く勢いで進化させ、物質的な豊かさを人々に与えてきた。 この点については誰もが認めるだろうが、 時代はその進化の過程で振り落としてきたモノに着目し始めています。 
”自然科学”は、人間の外面/表象を取り巻く、物質やエネルギーを対象にして、「生物」や「生活」等に視点を当てている学問で、 振り落としてきたモノを主軸にした ルドルフ・ シュタイナーが言うところの”※精神科学”は、人間の内面/根源的形成に迫り、「生命」や「人生」 等に視点を当てている”学問”です。
シュタイナーの論理は、唯物論に対しての唯心論或いは仏教的な唯識論に近い論理展開をしています。
近い論理ですが、・・・ シュタイナー論理の根源に置くものは、”心的なものや空・ 阿頼耶識” ではない”魂・霊的存在”ですので、異なっているんです。

又、この ”魂・霊的存在” というものが、俗に言われているアニミズムやシャーマニズム的にとられて誤解や間違った解釈をされがちなのも事実ですが、ルドルフ・シュタイナーの主張する精神科学=霊科学(Geisteswissenschaft) は、たんなる感覚や感性による経験科学ではなく、シュタイナーの言う ”Geist” は、人間の肉体に宿った「精神」や、 時代や民族が共有する「精神」ばかりでなく、真理としての「精神」に近づくために「霊・魂」にも思考や体験が及び、 その踏み込みにより、人間の内部に存在している健全な”予感”を導き出し、現代人の迷信や勘違いしている霊的・魂的思考を、正しく拡張し働く”魂の活動(思考)”に戻して、 精神・生命・肉体に潜む超感覚的認識力を、現代人の智恵により変化対応(時代に即した)させ、新たな(正しい)認識へと導く手法(修練)の ”科学/学問 ” ではないかと、私は考えています。 物理主義でも宗教的思考でもない彼独特の思想に基づく学問なのですが、シュタイナー教育などでは賛否両論あるのも事実です。

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より良き人間社会を創るために! その1

シュタイナーは、人間には心身を惑わす力が働いていて、この人間の醸しだす力を読み取り・乗り越えなくてはならないと述べています。
その人間を惑わす力とは、・・・ 二つの力を想定しています。
一ッの力は、人の心から潤いをなくし、血の通わない冷淡な考え方や、生命が感じられない生活環境を作り出すものとし、 もう一ッの力は、人を陶酔させ、血を沸き立たせるものとなると考えました。
シュタイナーは、一方の力を、心の暖かみを奪い、気持のふくらみを押しつぶしていく、機械的な働きや考え方の背後にある力をアーリマン(Ahriman: ゾロアスター教の悪神 ・サタン)と名づけました。 更に、人は夢中になるあまり我を忘れて、ふだんなら見えていることが目に入らなくなることがある。 このような陶酔や熱中の背後にもシュタイナーには、もう一ッの力が見え、それをルツィフェル/ルツィファー( Luzi-fer :堕天使 ・デーモン )と名づけました。
アーリマンは、人間を味気なく、散文的かつ通俗的な者にし、血肉を失わしめ、唯物主義の迷信に導く力のことだと考え、 これに対しルツィフェル/ルツィファーは、人間の内にあらゆる熱狂的な興奮や誤った神秘主義的傾向を呼び起こし、 人間を舞い上らせようとしたり、人間の血を生理学的に沸き立たせ、無我夢中にさせようとしたりするものすべてに働いている力のことだと考えました。
ルツィフェル/ルツィファーが、人間の感情に働きかける力であるとすると、アーリマンは、人間の思考に働きかけて、そこから生命を奪いとり、物質的な効率や分類だけにたずさわるようにさせる力のことのようです。

・・・ 現状社会を眺めると理解できます。

シュタイナーが言うには、このような人間の心身を惑わす力で社会は動いているという訳です。

・・・ さてどうするかですが、それが各自のこの学びの結論になります。



より良き人間社会を創るために! その2

《 シュタイナーの教育概論 》

1919年4月にヴァルドルフ・アストリア(Waldorf-Astoria)タバコ工場の労働者に向けて行った講演の中で、学校の構想に触れ、聴衆の支持を得て実現化へと動き出します。
同年8月21日~9月6日、最初のシュタイナー学校(Waldorf・schule)の教師となるべき人達(12人)を前に連続講演をて行い、講演が終った翌日の9月7日に、タバコ会社を経営するエミール・モルト(Emil Molt)の援助を受け、最初のシュタイナー学校が開校されます。
これがシュタイナー学校の始まりになります。

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・・・・・・・・・  エミール・モルト ( Emil Molt / 1876 – 1936 )

12人の教師となるべき人たちに行った連続講演では、シュタイナー教育の基本知識である・・・
1 ) 教育の基礎としての一般人間学
(Al1gemeine Menschenkunde a1s Grundlage der Paedagogik)
2 ) 教育芸術-方法論と教授法
(Erziehungskunst,Methodisch-Didaktisches)
3 ) 教育芸術-演習とカリキュラム
(Erziehungskunst,Seminarbesprechungen und Lehrplanvortraege)
の三つを中心とし、 オイリュトミーについても、語られています。
シュタイナーは、これらの講演を、午前中は人間理解のための「一般人間学」、午後は教育の実際面を説いた「教育芸術-方法論と教授法」、夜は参加者の発表も交えた「教育芸術-演習とカリキュラム」として一日のうちに行い、日曜日だけ休んで、二週間ぶっ通しで続けるという超人的なスケジュールで行ったようです。

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又、シュタイナーは、子供の成長を下記の三期に分け、そして気質を四つに分け、その状況に応じた教育をすることを提唱しています。
第一期 / 牙交替開始までの7年期 ( 就学前のおよそ6、7歳 )
第二期 / 歯牙交替開始から第2次性徴が現われる7年期 ( 約7歳~14歳 )
第三期 / 思春期の始まりから自我が確立する7年期 ( 約14歳~21歳 )
さらに、子供の気質を ・・・
胆汁質(das cholerische Temperament)
多血質(das sanguinische Temperament)
粘液質(das phlegmatische Temperament)
憂欝質(das melancholische Temperament) の4つに分け、
そこに重点をおいた教育法を主柱の一つにしています。
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そのシュタイナー教育は、成長過程にある子供の、精神的、感情的、生命的、肉体的な発達を超感覚的に観察しながら、精神科学的洞察を背景にしての「教育法の実践」のようです。
しかし、『 教師は気質による区分を,類型化と取り違えてはならない。 一人一人の子供の個性と,細かな違いを見抜く直観力が必要なのは言うまでもないだろう。 また年代別に言うなら,一般に子供はいつも上機嫌で多血質的,青年は情動が激しく胆汁質的,大人は思い悩んで憂欝質的,老人は外界への反応が乏しく粘液質的であるとも言える。』 と、シュタイナーは、述べています。

ゲーテアヌム


ルドルフ・シュタイナーの人生・思考のアウトラインや生きていた時代背景、 及び教育理論の概略を簡単に説明してみましたが参考になりましたら幸いです。



《 余談 》
生きる!(生命を保つ)、その為に捨てきれない”欲(煩悩)”
人間の欲(煩悩)・・・ アーリマン ・ ルツィフェル/ルツィファー との”せめぎ合い”!

私見:このような社会もあります!

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India/Sadhu

インドのガンガ上流では、世間から離れ、修行に明け暮れひっそりと生きている”サドゥ”がいる。
彼らの生き方にも、功罪はあるとは思うが、あらゆる欲(煩悩)を断つ努力をしている彼等に会うと、心が洗われると共に感動を覚える。  そして、彼らを尊敬し、受け入れる社会的(宗教的)なシステムが存在することにも感動してしまう。

India/Sadhu

ガンガー(ガンジス河)上流の河川敷にいる彼らは、外見上の生活だけで見ると、日本でいう多摩川の河川敷にブルーシートを張って生活している方達と、何ら変わらないのです!
しかし、彼らは、宗教的なシステム(ヒンドゥーの四住期)に従い、「林住期や遊行期」に入ると、今までに築き上げた地位や財を捨て、精神的生活に入った人達だと聞きました。 
そして、”死”を待ちながら、人生を省み、次の”生”のための精神の浄化をしながら煩悩と戦い・行/修行等を行って日々を過ごす。 ある意味では、アーリマン ・ ルツィフェル/ルツィファー との”せめぎ合い”を行っている訳です。
日本でいうところの”千日回峰行”に近い荒行を行っている修行僧もいると聞く!  そのような彼らを、一般の人(庶民)は、自分の代わりに煩悩と戦い・行/修行等を行ってくれていると考え、尊敬し・浄食(私の造語)/浄財をするようです。

(註)  ”サドゥ” の中には、自らの似非荒行を見世物にしたり、単なる金儲けのためにガイドと結託して ”サドゥ” 風を装っている人もいます。見分け方は、ガイドが案内したり観光地的なところで修行(風)をしている ”サドゥ” は似非サドゥが多いと思ってください。
・・・ 修行なんてものは人に見せるもの・賛同や敬意を得るものではなく、一人黙々と精進するものではないでしょうか。

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余談が多くなりましたが、シュタイナー思想の触りの部分だけを説明すると、このようなことです。

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それでは、シュタイナー建築(ゲーテアヌム・住宅)や黒板絵の写真も見て下さい。

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▲ 第一ゲーテアヌム
▼ 第二ゲーテアヌム
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シュタイナーの建築・造形や黒板絵はどう感じましたか?
この建築・造形に、ルドルフ・シュタイナーの心情が表現されているらしいのです!

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India/Varanasi-Ganga

人生での幸せとは?

・・・ 誰もが、幸せを求めていたはずなのに!

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Steiner

ルドルフ・シュタイナー 曰く

《 ”幸・不幸”について  》

□ 人生を真剣に深く考察するたびに、さまざまな謎がどうしても湧き出てくる。
一方では貧困と悲惨の境遇に生まれ、わずかな才能しか授けられていない為に、誕生の際に与えられたこれらの事実によって、惨めな生活を運命づけられているように思われる人がいる。 他方では生まれた時から申し分ない環境の下で大切に育てられ、抜きん出た才能を発揮し、実り豊かな満足の行く生活を送る素質のある人がいる。 このような問題に対して二つの対立する考え方が見られる。 一つは、感覚が知覚できることがらと、感覚に基づく悟性が理解できることがらとが頭にこびりついていて、そこから離れようとしない考え方です。
もう一つの考え方は、現れている世界において、ある特定の場所やある特定の環境で何かが生じれば、原因があってこそ、それが生じると言うであろう。
多くの問題に、人間がその原因をまだ探求できていないとしても、原因は存在するのである。
———————– 途中・略 ———————–
内面にかなり苦しい感情を呼び起こすようなことが、ある人の身に起きたとする。 その人はそれに対して二通りの態度を取る事が出来る。
その出来事を苦しい思いをするものとして体験し、苦しい感覚に没頭し、それどころか、ことによると苦しみの中に沈んでしまう可能性もある。 しかし、別の態度を取る事も出来る。 実際、私自身が前の人生で私の内部に私をこの出来事に遭わせる力を形成したのだ、私が自ら、私にこのような苦しみを与えたのだ、と言うことが出来る態度である。
そして、このような人は、更にそうした考えをもたらすあらゆる感情を、自分の内部に呼び起こす事が出来る。
当然の事であるが、感覚や感情の活動がその様な状態になるためには、そうした考えをこの上なく真剣に、ありとあらゆる力で体験する必要がある。 ・・・・・・・・・ その事によって、そうでなければ偶然としか認められないようなできごとの必然的な本質が明らかになる。 –  Rudolf Steiner

□ 動物はきわめて規則的に、外的世界の影響を体験し、その影響の下に、暖かさと寒さ、苦痛と快楽を意識し、身体の一定の規則的な経過の下に、飢えと渇きを意識する。 人間の生活は、そのような体験では、言い尽くされない。 人間は、それら全てを越える欲望や願望を発展させる事が出来る。 動物の場合、十分に研究できるならば、身体の外か内のどこかに、行動や感覚への誘因があるのをいつでも証明することができるであろう。 人間の場合は、決してそう言う訳にはいかない。発生の誘因が身体の内にも外にも十分に存在しない願望や欲望が生じる事がある。 この領域に属する全ての事柄に、特別の源泉を認めなくてはならない。 この源泉は、超感覚的科学の意味で、人間の「自我(私)」の中に見られる。 –  Rudolf Steiner

□ 人生は、「自我」の内部に物質的な器官そのものの本質に由来するものではないが、物質的な器官によって充足する事のない享楽を求める欲求を燃え上がらせた。 –  Rudolf Steiner

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他の動物と異なる願望や欲望が、人間の幸・不幸の源泉と言うことです。
他の動物のように、素直で単純に欲望や願望を受け止められれば、人間の幸・不幸も単純で絡み・纏わりつくことのないもので済んだのかもしれません。
しかし、その分 他の動物とは異なるもの・絡み、纏わりつくような喜びや感激 を、”神”は与えてくれたのでしょう。

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India / Sadhu

Rudolf Steiner * Geisteswissenschaft / Anthroposophie * を学び方や”幸せとは”という点に絞り、簡単に記載してきましたが、ルドルフ・シュタイナーの書籍や講演録は膨大なもので全てを解読することは困難だと思っていますので、私の解釈の間違いもあるとは思います。
異論のある方は、巻頭のサドゥ ( 何も知らんくせに偉そうなことを言うな! )に免じ、 ・・・ 笑い飛ばしてください。



◆ 先達の言葉 ◆

”人生は、地獄よりも地獄的である”
≪芥川龍之介≫
   ▼
”地獄さえも愛することができるようになれば、
あなたはもう、天国に住んでいるのです”
≪Thaddeus Golas≫
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人生とは、苦悩と退屈のあいだを、振り子のように揺れ動くものだ。
≪Arthur Schopenhauer
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きみの心に書き記せ 「くる日、くる日が最良であることを。」
≪Ralph Waldo Emerson
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そして、

幸福というものが、同時に 不幸の源になっている。
≪Johann Wolfgang von Goethe≫

人生が困難なのではない
あなたが人生を困難にしているのだ。
人生は、きわめてシンプルなのです 。
≪Alfred Adler



Epilogue ・・・
新型コロナ禍での今回のテーマ! ・ 人生での幸せとは?


長いようで短い人生!
その人生! それぞれが夢の中にいるのかもしれない。
皆・夢を見ているのかもしれない。
人も人生も、実体なんかないのかもしれない。
人も人生も、たんなる”概念”なのかもしれない。
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ほんの一瞬の夢を見ている! そして、後は灰になる!
ほんの一瞬なのに我慢できない、夢の中なのに我慢できない。
妬みや恨み、諸々の欲望が沸き上がる。
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”幸せ”になりたいと思う!
その”幸せ”には、金銭・名誉・地位などが纏わりつく!
時には、”人(あの人)より・・・・” という言葉も付く!
・・・ 人間の”幸せ”って何だろうか?

道石

《 ”幸せ”とは?の私の本音! 》

私は、時々死にたくなってしまうほどに悩みます。
何だか分からないけど、辛くなってきます。
心が沈んで、深海の中にいるような気になります。
人生を顧みて悩みます。
生きること(食欲・物欲/人間社会等など)に悩みます。
自我と欲望との葛藤に明け暮れています。
それでも今日(73歳)まで生きてこれました。
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この頃、それだけでもかなり幸せだったんだ ・・・
と、思うようになれました。

◆ シュタイナーが敬愛したゲーテの75歳の時の回顧記には ” 私の人生は苦痛と重荷に過ぎなかったし、75年の全生涯において、真に幸福であったのは四週間とはなかった。 ” と述べているが、私は、五週間くらいはあったような気がするので、良しとしています。

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インドのブッダガヤで教を読む”チベット僧”

この”幸せとは何ぞや?”との考えから端を発したテーマ を、”訳が分からない・・・”  という分野の話で答えを出そうとしたのですが、 答えは出ません。
・・・ 当然ですね! 訳の分からんものの答えなど出るわけがありません。
又、この種のもの(学び)は、他者が答えを提示するものではなく、各自が今お持ちの答えを変えるものでもありません。

・・・ 考えてみる! ただ、それだけのためのリポートです。

近くの森の紅葉


最後に、シュタイナー思想の学びですが ・・・・
過去に、多くのシュタイナー書籍や講演録を本が破れるほどに読み、インド彷徨にも持っていきましたが、もう何が書いてあったかを忘れてしまいました。
・・・ しかし、それで良いのだと思っています。

Ralph Waldo Emerson
今までに何を食べたかと同様に、どんな本を読んできたか、もう覚えていない。
けれども、そのどちらをもが今の私を作ったのです。


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八ヶ岳/編笠山の星空


ほんの一瞬でも”幸せ”と思えたり、”微笑んで”いただけたらと思い!
”微笑ましい”写真で、終わりたいと思います

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色は違っても仲良しです!

END

India / Varanasi : Ganga

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視点 Part 1 : 視点を変えて”モノゴト”を考察してみる ≪ クリックすると”前編”に戻ります。



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”Rudolf Steiner’s Meditation・シュタイナーの瞑想法”も要点だけを簡略化して記述していますので興味のある方は下記をクリックしてみて下さい。

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Rudolf Steiner’s Meditation・シュタイナーの瞑想法