シリーズ :旅の途中!

《 視点 3 》

” シュタイナーの名言・叙述集 ”

シュタイナー名言/ガウディ・スケッチ


人智学概論
ルドルフ シュタイナー  / Part 3

☆ ☆ ☆

《 新型コロナ禍 》

【考】 ”心”に問いかけてみる

シュタイナー名言/サドゥ


”生活と生命”
”身体と精神”
”文明社会と生き方”

我々人類は、デカルト以降便利さや物質的豊かさを求めすぎてはいないだろうか? このような欲望が、今回のパンデミックに関係ないことなのだろうか?
☆ ☆ ☆
このパンデミックで、人と人との繋がりが絶たれ、心が分断されている。
※ 暗示ではないだろうか?

”頭”で考えるとウイルス感染症でしかないが、”心”で考えると異なるものが見えてこないだろうか。

シュタイナー名言/アンドロメダ
アンドロメダ大星雲


”心”に問いかけてみる!

そんなことから、・・・
今回も、生命・人間とは、人生・幸せとは?と考える”旅の途中”で、視点を変えて捉えてみようとの思いの3回目として、ルドルフ シュタイナーの名言・叙述を数点記載いたします。
記載した名言・叙述は、シュタイナーの書籍や講演録から私が独自に切り取 っていますので分り辛いかもしれません。
分り辛いところは、切り取り方が悪いんだと思って読んでください。

シュタイナー名言/黒板画



※ ”心”に問いかけてみる!
■ シュタイナーの名言・叙述集 ■

シュタイナー名言/シュタイナー
Steiner


≪人生1≫
人生は、人間の自我が事実に基づいた態度をとるための偉大な教師である。

≪人生2≫
人生は、「自我」の内部に物質的な器官そのものの本質に由来するものではないが、物質的な器官によって充足する事のない享楽を求める欲求を燃え上がらせた。

≪人生3≫
青年時代は”肉体”の季節
中年は”心と知性”の季節
老年は”魂”の季節

≪感情1≫
内面にかなり苦しい感情を呼び起こすようなことが、ある人の身に起きたとする。 その人はそれに対して二通りの態度を取る事が出来る。

その出来事を苦しい思いをするものとして体験し、苦しい感覚に没頭し、それどころか、ことによると苦しみの中に沈んでしまう可能性もある。

しかし、別の態度を取る事も出来る。実際、私自身が前の人生で私の内部に私をこの出来事に遭わせる力を形成したのだ。私が自ら、私にこのような苦しみを与えたのだ。と言うことが出来る態度である。

そして、このような人は、更にそうした考えをもたらすあらゆる感情を、自分の内部に呼び起こす事が出来る。当然の事であるが、感覚や感情の活動がその様な状態になるためには、そうした考えをこの上なく真剣に、ありとあらゆる力で体験する必要がある。

≪感情2≫
欠陥を避難する事によって学ぶのではなく、欠陥を理解する事によってのみ学ぶことが精神性を高める。

しかし、理解する為に不満をすっかり排除しようとするならば、やはり進歩はないであろう。
・・・・ ここで重要なのは一面性ではなく、魂の諸力の安定とバランスなのである。

≪病≫
精神科学は、病気の大部分が、アストラル体における倒錯や錯誤がエーテル体に伝わり、エーテル体を通して、物質体の調和そのものを破壊することに因るものであるという事実を明らかにしている

≪記憶と忘却≫
「自我」にとっての記憶と忘却は、アストラル体にとっての目覚めと眠りによく似ている。

眠りが昼間の心配や憂いを無のなかに消し去るように、忘却は、人生の嫌な経験の上にヴェールをかけ、それによって、過去の一部を消してしまう。

そして、消耗した生命力が新たに強められる為には、眠りが必要であるように、人間は、新しい体験に自由にとらわれなく向かい合うつもりならば、記憶から自分の過去のある部分を消し去らなければならない。

しかし、まさに忘却から、新しいものを知覚する力が呼び覚まされるのである。

≪努力≫
自分の努力の全ては、常に 語らねばならぬこと 又、なすべきだと信じる事を、個人的観点 からではなく、具体化する事にある。

様々な領域で 人格的なものが人間の活動に最も重要な色合いを 与えると言うのが、自分の考えであるが、この人格的なものとは、自分自身の人格性を考慮する事によってではなく、人が語り、行為する仕方によって現れるに違いないと信じている。

よって、自分自身が努力でしなければならない事柄が明らかになる

≪善意≫
心からの善意とは、ある魂が他の魂の関心事をいわば吸収し、自分の関心事にしてしまう事によって生じるのだ、と魂は考える事が出来る。そして、魂は、心からの善意というこのような道徳的な理念に喜びを感じることができるようになる。

それは、感覚世界の個々の出来事に対する喜びではなく、理念そのものに対する喜びなのである。その様な喜びを、暫らくの間、魂の中で生き生きとした状態にさせようと試みるならば、それが感情への沈潜である。

≪善と悪≫
かつて人間の内に動物性が混在していたように、現在、善と悪、あるいは、真と偽りという、相対立する二つのものが混在しています。

この対立矛盾、すなわち、二つの要素がみずからの内で混在する仕方によって人間のカルマ、運命が形造られています。 いつの日か人間は、悪を客体として捨て去ることでしょう。

こうした事柄を我々はすべて黙示録的な記述のうちに見出すのです。

≪理想≫
人生の中で理想が演じる役割は、機械の中で演じる蒸気の役割なのです。

≪芸術≫
真の芸術による影響は、人間に作用する。

人間が芸術作品の外的な形、色彩、音を通して、その作品の霊的基盤に表象と感情を浸透させると、それによって自我が受けとる衝動は、実際にエーテル体にまで作用する。

この考え方を最後まで進めていくならば、芸術が、人類のあらゆる進化にとって、どんなに大きな意味を持っているかが正しく判断できるであろう。

シュタイナー名言/黒板画


≪ ” 精神科学 /人智学 ” ≫

眠り・死・再生・カルマ
そして、誕生(輪廻)についての
精神科学/シュタイナーの考え方

”シュタイナーの死後の世界観”

シュタイナー名言/シュタイナー書籍
シュタイナー

シュタイナー叙述の” 死後の浄化の時 ” !
この部分は、ある意味では怖い叙述ですが、人を傷つけづに、人生をより良く生きようと思えますので、・・・ 読んでみて下さい。



■  Rudolf Steiner  ■

シュタイナー名言/シュタイナー


人間は、いつまでも自我・アストラル体・エーテル体・物質体の四重の存在でいるわけではない。

いずれ物質体の崩壊による死が訪れる。
すると人間は,自我・アストラル体・エーテル体の三重の構成となって、物質界から抜け出る。 この死後の世界で「自我」が意識を維持しながら数日を過した後、エーテル体の分離が起こる。

そして、自我とアストラル体という二重の構成になった人間は、アストラル界に出て、そこで地上の人生のおよそ1/3に相当する期間を過ごす。

その後、アストラル体の分離が起こり、人間は感情にわずらわされない純粋な霊(Geist)となって、「高次の霊的世界」で過ごすことになる。

これはふつう数百年かかる。

その数百年のある時期に、「次の生」をどのような体で、「どのような環境」のもとで過ごすのが「霊的進化のために」最も良いかが決まる時がある。 所謂、 「カルマの現れ(Die Offenbarungen des Karma)」です。

そして時が満ち、再び物質界へ向けての下降が始まる。
途中アストラル界でアストラル体を、エーテル界でエーテル体を、新たに身につけ、その後母胎に宿って物質体を得た後に、前生を忘れた新しい人生が始まる。
・・・・・・・・ 新たな「誕生」です。

【 死後・人の眠り 】

人間が眠りの間に体験する状態を観察する事なしには、目覚めている意識の本質を洞察する事は出来ない。
死を考察する事なしには、生のなぞには迫る事は出来ない。

シュタイナー名言/シュタイナー


≪死後≫

死後すぐ後に来る諸体験は、ひとつの点で生きている間の諸体験とは、全く異なるものである。
浄化の間・人間はいわば逆戻りして生きる事になる。

人間は誕生して以来、生きているときに体験した全ての事柄をもう一度体験する。 死の直ぐ前の出来事から始まり、誕生までの全てがもう一度逆に体験される。

そして、その際、生前に自我の霊的本性に由来しないすべての出来事が、霊的に眼前に現れ、人間はこの全ての出来事も逆の仕方で体験することになる。

例えばある人が、60歳で死に40歳の時に激しい怒りから誰かに肉体的あるいは精神的に苦痛を与えたとすると、その人は死後、生前の生涯を逆に戻って、40歳のところへ達した時、この出来事をもう一度体験するであろう。

ただ、その時は、生前、他者を攻撃する事で生じた充足を体験するのではなく、その代わりに、自分が他者に与えた苦痛を体験するのである。
この浄化の時は、生きてきた間の約1/3を要する。

≪眠り≫

人間が眠りに落ちると、人間の構成部分の関係に変化が生じる。

眠っている人間の中で、その場所に横になって居るのは、物質体とエーテル体であって、アストラル体と自我は含まれない。眠っている時にエーテル体は物質体と結合した状態であるので、生命の働きは継続する。 なぜなら、物質体はそれだけで放っておかれるならば、その瞬間に崩壊する事になるなるからである。

しかし眠っている間に消えているものは、さまざまな表象であり、苦悩と快楽や喜びと悲しみであり、意識的な意志を言い表す能力であり、生活に見られる似たような諸事実である。

だが、それらについては、アストラル体が担い手である。 眠りの間に、アストラル体があらゆる快楽と苦悩、全ての表象世界や意志の世界と共に消滅していると言う考えは、とらわれのない判断にとっては、言うまでもなく、全く問題にならない。

アストラル体は、まさに別の状態で存在しているのである。 人間の自我とアストラル体は、快楽や苦悩そして先に述べたあらゆる他のものに満たされているだけではなく、それらについての意識的な知覚も持っているが、そのことが意識されるたみめには、アストラル体が、物質体、エーテル体と結びつく事が不可欠である。

目覚めている間はアストラル体は、物質体とエーテル体と結びついているが、眠りの間はそうではない。アストラル体が物質体、エーテル体と結びついているときとは異なる存在のあり方をしているのである。

ここで、アストラル体のこの異なる存在のあり方を考察する事が、超感覚的なものへの認識の課題となる。

≪輪廻≫

人間が物質界の人生で獲得した果実が、霊の国で成就すると、その度に 繰り返し人間は地球上に戻ってくる。 しかし、初めと終わりのない繰り返しは存在しない。人間は、かって、別の存在形式から、既に述べたあり方で経過する存在形式に移ったのであり、未来においては別の存在形式に移行するであろう。

どの人間も、自分の霊的な基本形態に従って、生まれる前に存在している。 なぜなら、霊的に考察すれば、どんな個人も他の個人とは同じではないからである。

それは、ちょうど動物の種が、他の動物の種と同じではないのと同様である。・・・・・・・ 略

略 ・・・・・・・ 霊的探求が述べている、地上生活と地上生活との間の霊的領域の諸事実と関連している繰り返される地上生活(輪廻転生)のみが、このことが、現在の人間の生をあらゆる方面から考察した時に、満足のいく説明をする事が出来るのである。

Rudolf Steiner



シュタイナー叙述の” 人間の本質 ” !
この部分も、ある意味では興味深い叙述ですので、・・・ 読んでみて下さい。

シュタイナー名言/シュタイナー


《 人間の構成要素 》

人間の最も固有な本質は、神的なものから取り出されてきているために、人間は自分の内部に神的なものを見出す事が出来るのである。
人間は神的なものを通して人間の第三の魂の構成を獲得する。

これは、アストラル体を通して外界についての知覚を受け取るように、神的なものをとおして自分自身についての内的な知覚を獲得するのである。 神秘学ではこの第三の魂の構成部分を「意識魂」と呼ぶこともできる。

神秘学的には、体的なものが三つの構成部分・「物質体」「エーテル体」「アストラル体」から成り立っているように、魂的なものは、三つの構成部分・「感覚魂」「悟性魂」「意識魂」からなりたつ。・・・

・・・人間の七つの構成要素は「物質体」「エーテル体または生命体」「アストラル体」「自我」「霊我」「生命霊」「霊人」であり、これは 光の七色や音階の七音についてと同様であり、「光は(赤」)と(紫)の向こう側に眼が知覚出来ないだけだが色がまだアル」という反論には、物質体の向こう側にも霊人の向こう側にも人間の本質は継続していて、この継続が≪霊的に不可視≫であるにすぎない。

Rudolf Steiner


≪参考≫

アストラル体とは? 
シュタイナーは、人間の内部では、親密にアストラル体は”知覚に持続性を与えている魂の部分”と結びつき、それを総合してアストラル体と呼び、厳密に言うならば人間のアストラル体を魂体と呼べると述べ、魂が魂体と一つになっている限り、魂を感覚魂ということもできる、と述べているが、分かり辛いので一般的な解釈で説明致します。

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ジャーナリストの「立花隆」氏が「超常現象・臨死体験」等の調査研究過程で書いた書物にあった言葉です。

『 アストラル体というのは、オカルトの世界では昔からある概念で、時代によって人によって、その使い方が違うので、簡単には定義できないが、一口で言うと、人間の構成要素として魂と肉体の間にある中間体的なものである。

非物質的な生命の担い手で、通常は肉体の内部に宿って、肉体と同じような形をしているが、形は固定しておらず、フレキシブルである。そして時とすると、肉体の外部に出てくる。 特別の能力を持った人は、これを自分の意志の力で外部に出すことが出来るという。

また病気や疲労などで肉体が消耗しているときには、自然にそれが外に流れ出してしまうこともある。

しかし、外に出ても、生きている限りは、アストラル体は、元の肉体に戻ることが出来る。 アストラル体には、感覚能力・知覚能力・記憶能力なども備わっているので、肉体を離れた状態での体験を思い出すことが出来る。また、アストラル体が離れても、肉体の通常の能力は必ずしも失われないので、肉体は肉体でそのまま日常的な活動を継続することも可能であると言われる。』 ・ 立花隆


エーテル体とは?
シュタイナーが言う「エーテル体」は、物理学的なエーテル/「光の担い手」ではなく、物質体の至るところに浸透している人間の本質の第二の構成部分を意味します。言うなれば、物質体の一種の「建築家」のように見なす事が出来るとも述べています。

シュタイナーの目には、物質と生命の間に、数字で規定できる違いだけでなく、決定的な相違が映っていたようです。又、シュタイナーは、生命にはその担い手として肉眼には捉えられないエ一テル体(der Aetherleib)が宿っていると考えます。

そのエーテル体が抜け出れば、その生命体は死にます。
そして、シュタイナーは、このエ一テル体を提供する源の世界として、物質界より高次なエ一テル界(die aetherische Welt)を考えていました。 これが生命力の世界です。

人間の場合、エ一テル体は物質体(der physische Leib)に生命を与えているだけでなく形も与え、記憶力やリズム性・習慣性なども担っているとされます。 エ一テル体は超感覚的な観察によると、輪郭は物質体とほぼ同じであるが、内部はリズムをもって流れる流動体と考えています。

芸術的感動や宗教的畏敬の念は、このエ一テル体に良い影響を及ぼすといいます。 シュタイナーは、体とその源であるエ一テル界を構成している素材は、我々が何かを想像する時に浮ぶイメージに、生命を吹き込んだようなものとも考えました。それが前述の ”物質体の一種の「建築家」のように見なす事が出来る” という事に繋がります。



それでは、「自我」とは何ぞや? ・・・・ 
自然科学、哲学、精神科学、シュタイナーの叙述等々其々の分野で一冊の本になる位に深く興味のあることですので、楽しみながら自分なりの「自我論」を探り出して下さい。

参考までに、フロイトの「精神構造論」では、自我は三層構造になっているとし、下部の自我~超自我と呼ばれる上部の自我に分類し、快楽原則を原理とし自己を本能的行動に走らせる自我から理性や理想・倫理観のもとに導こうとする超自我と段階的に分け、一体としています。

尚、ルドルフ・シュタイナーが述べている「自我」については、「神秘学概論」の第二章「人間の本質」・第三章「眠りと死」等で述べていますので、そちらを参照下さい。 

”自我” ・・・・ 人間の永遠の探求テーマかもしれません。

一つの解釈・説明として参考にして下さい。



シュタイナー名言/シュタイナーと仲間たち
Albert Steffen / Rudolf Steiner / Ernst Uebhi

視点シリーズには、” Part 1 ” と ” Part 2 、 Part 4 ” もありますので、興味のある方はクリックしてみて下さい。

《 視点 Part 1 》

人智学概論/人生や幸せの探求《前編》
視点を変えて”モノゴト”を思考・考察してみる

《 視点 Part 2 》

人智学概論/人生や幸せの探求《後編》
精神科学・基礎編

《 視点 Part 4 》

シュタイナー建築 ☆ シュタイナー思想の黒板画




シュタイナー名言/シュタイナー


”Rudolf Steiner’s Meditation・シュタイナーの瞑想法”も要点だけを簡略化して記述していますので興味のある方は下記をクリックしてみて下さい。

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Rudolf Steiner’s Meditation