” シリーズ:八ヶ岳思考 ”
■ ■ ■ ■ ■
八ヶ岳思考 : 人間の悩み
人間の悩み
無限の宇宙に誕生し、終局(?)にまで進化した生物として、身体(心)に組み込まれた ” 試練 ” ように思えてしかたがない。
誕生と共に抱えてきた” 試練 ” !
人間は、この試練を乗り切るために”学び”という手法を見つけ、”喜び”という感情を身に着けた。
”学び”によっても”試練”は消え去ることはないが、小さくなったり・”喜び”の陰に隠れることがある。
人間が、生き抜くために我武者羅になって見つけた手法!
・・・ その”学び”の特集です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
悩んだ時!
外に出て夜空を見上げると、空全体に驚く位の星が溢れています。
無数に輝く星や銀河を見ていると、自分の悩みが小さく思え、
・・・ 「もう一度遣ってみるか!」
こんな言葉が自然に出てきます。
これも一つの”学び”の手法だと思います
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☆
Rudolf Steiner
ルドルフシュタイナー
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( 精神科学/人智学 )
INDEX
精神科学/人智学
シュタイナー特集 No1
◇ 【 まえがき 】
自然科学と精神科学の融合
そして、” 学びの広場 ”
———
◆ 精神科学/人智学 – 神秘学の基礎
1・神秘主義 / 神秘思想とは
2・精神科学 / 人智学とは
3・学びの基本姿勢
———
◆ 自然科学と精神科学
◆ 視点を変えてみる
◆ 自然科学者と精神科学者の言葉
◆ 何故、・・・
同じ方向に歩まないのだろうか?
◆ 物質☆心・精神
———
神秘学を側面から考えてみる
○ 科学という論点
○ 宗教と科学
○ 光と影
○ シュタイナーが語る物語
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【 シュタイナー叙述本文 】
《 精神科学/人智学 》
◆ シュタイナー叙述から
神秘学の性格
人間の生と死、そして自我
◆ 精神科学の論理展開
◇ 再度:自然科学と精神科学
「生物や生活」と「生命や人生」
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精神科学/人智学
シュタイナー特集 No2
★ 学びの迷い
「学問=科学」と「宗教」
◆ 精神科学/特集の主旨
◆ 言葉の解釈
◇ 精神科学( 霊科学 )/学び
私には答えのない学び
◇ 欧米と日本の文化や宗教の違い
文化や宗教の違いを知って学ぶ
◆ 宇宙進化論 地球進化期
◇ 宗教と科学(学問)/思考の仕方
◆ 学びの整理
神秘学の難解な表現について
精神科学/人智学
シュタイナー特集 No3
★ 概略:Rudolf Steiner
・・・ 時代背景
★ 精神科学/人智学の基軸
★ 精神科学/人智学 の”理念”
★ より良き人間社会を創る!
《 NO1 》 人間の構成 要素
★ より良き人間社会を創る!
《 NO2 》
・教育概論/シュタイナー学校
★ 人生での幸せとは?
・・・ 幸・不幸について
・・・ 快楽・苦悩、欲望
精神科学/人智学
シュタイナー特集 No4
● 精神科学/追求と判断
— 最終稿 —
● 死後・輪廻
● 死・再生・カルマ・輪廻
● 眠り
● アストラル体・エーテル体
● 自我
● ”死と死後”
● 自我について
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
— 個人的資料室 —
別段特集2 : ”死と死後”
● 自然科学者/医師・医学者の話
【 まえがき 】
この特集は、シュタイナー信奉者やシュタイナー学校等の教育特集とは異なり、シュタイナーの叙述を宗教的に妄信したり、シュタイナーを教祖的に崇めたりする構成にはなっておりません。
★ ★ ★ ★ ★
※ 全くの私見になりますが、・・・
学びも・学び方も人それぞれなので、そのことに口出しをすることは言語道断/もっての外と考え、何回も書いては消しを繰り返し数十年経ちますが、この特集の姿勢(Position)でもありますので、今回・思い切って私の考えを記載することにしました。
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少しばかり、「まえがき(私見・スタンス・現社会・広場等)」部分が長くなりますが、是非お読みになってから先の本題にお進み下さい。
★ ★ ★ ★ ★
★ ★ ★ ★ ★
※ 私見! 1
シュタイナー思想を学び始めて四十数年の間に何回かシュタイナーの研究会・勉強会と称する会に参加してきましたが、私の思いとは異なり、あまりにも一方向的な論理・雰囲気で、妄信する信者の集まり/宗教的な集まりに感じてしまいましたので、個人で学ぶことに徹してきました。
☆ ☆ ☆
その間に某真理教の事件が起こり、
そして、某シュタイナー学校に通っていた生徒が、私の住んでいた東京都日野市の高幡不動の裏山でおかしな格好で自殺してしまいました。
高幡不動の児童自殺の件は、
テレビや新聞にも出たので覚えている方もいると思います。
この裏山は愛犬との散歩コースで毎週通っていたところで、生徒が自殺した木の場所はよく休んだところでした。
事件後も裏山に散歩し、現場に腰かけて愛犬と共に冥福を祈ってきました。
その後、生徒が通っていた某シュタイナー学校のホームページを絶えず閲覧していましたが、残念ながら自死した生徒のことには触れていませんでした。
しかし、
個人・家庭・教育・社会など、何が原因かは分かりませんが、
・・・ 不思議な姿での死に方でした。
☆ ☆ ☆
某真理教の事件
裁判記録を読み、村上春樹氏のアンダーグランド及びアンダーグランド2を読み、なぜ・このようなことが起こるのかを考えてきました。
この事件は、皆さんが良くご存じなので記載しません。
しかし、
個人・家庭・教育・社会など、何が原因かは分かりませんが、
ごく普通の方が尊師と称する人の意見/考えを妄信するあまりに起こした事件でした。
※ 起こしたのは、私かも、貴方かも知れないのです!
裁判で、・・・
優秀で良心的だと言われた元外科医の号泣は、なにを物語っているのか?
※ 私見! 2
共通点!
過ちが起こるとするならば、
あまりにも一方向的な論理・雰囲気 それに、妄信による錯誤ではないかと思い、特集では「このような考え/思考」もある/出来るのではないかというスタンスで、妄信による錯誤の方向には進まないように努めています。
何故ならば、人間は愚かな存在なのです。
この特集は、シュタイナー教(?)という宗教的な学びではなく、科学/学問としての学びです。
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※ 私見! 3 ◆ この特集のスタンス
シュタイナーの思考を妄信し、シュタイナーを”神”だと思っている方々には申し訳ない考え方ですが、シュタイナーは、約100年前(1861年2月27日~1925年3月30日)に生きていた人間で、間違いや現在ではそぐわない時代的背景の思考/思想があってもいいのです。
それを、是々非々で修正しながら思考/思想を読み取ることが大切だと思っています。それが、シュタイナーが科学と称する学問だと思います。
★ ★ ★ ★ ★
★ ★ ★ ★ ★
※ 私見! 4
現社会での霊的・魂的思考の捉え方
★ ★ ★ ★ ★
十数年前に、親しい友人にシュタイナー思想・精神科学(霊科学)/人智学の話をしましたら、「お前が、変な宗教にかぶれるとは思わなかった。」という言葉が返ってきて、その後の付き合いがギクシャクしたものになりました。
・・・ 霊的・魂的思考!
グループの一種独特な雰囲気
残念ながら、
現在の社会では友人の考え方が一般的だと思いますので、いくらこの社会が間違えているとの考えでも、生きているのはこの社会ですので乖離せずに、対応するべきだと思います。
そのうち、時代や社会がこちらの思考に追いついていくのではないでしょうか?
・・・ 焦らないことです!
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尚、蛇足になりますが、高幡不動の裏山で起きた”シュタイナー学校の児童の自死”などの原因も考察し、表面から向き合っていくべきだとも思います。
★ ★ ★ ★ ★
社会から乖離した”独特な集団”にならないためにも!
※ このことを述べたかったのです!
★ なぜ、このようなことから書き始めるのか ★
※ 私のシュタイナー特集の趣旨は、”自然科学と精神科学の融合”です。
広場1 : 境界
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
人間は、”執着心とコンプレックス”、それに”不安”などから、
なんにでも境界/領分をつくり、境界の外の人間を”異質”と捉える。
思想・政治でも、
宗教・文化でも、
・・・ なんにでも!
どちら側についても言えることですが、
線の中の自分たちは、まともで正義!
線からハミデタ人間を悪とし、酷い場合には、線からハミデタ人間を処罰・排除する。
境界・・・
国と国との境界、民族・文化・人種の境界、宗教の境界、主義主張の境界 、出自や身分の境界、そして、思想的な集まり・勉強会等々で無形の境界を作る!
人間のサガ・業 ・・・
纏まる・団結すること!
※ そこに潜む優越感と選別・差別意識。
☆ ☆ ☆
”自然科学と精神科学の融合”
・・・ 境界を作らない!
どちらが正しいかではなく、
先ずは、互いに認め合う!
それには、・・・
広場 が必要だと思っています。
宗教ならば別です!
しかし、
本来は、宗教にこそ広場が必要なのだと思っています。
※ 「広場」2 : フラット
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
全てのことに言えることですが、
場所や角度によって色・形は違って見えます !
ですから、
見えている/見える景色(自分の考え)に固執しないようにする。
と言うことは、・・・
他者の考えも尊重することになる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私は、どのような思想でも、人の心に入ってくるものに対しては「広場」を造りたいと思っています。
その「広場」は、どこからでも出入りが自由で、どの位置からも「入口」も「出口」もはっきり見えている「広場」!
人間の尊厳としっかりと向き合い、異なる文化・歴史・思考・宗教・人種なども認め合い、 差別のない思考を基にした フラットな「広場」!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
この特集も、「広場」でありたいと思っています。
※ 「広場」3 : 意味合い
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
偉そうなことを書いていますが、
自分自身に対して絶えず言い続けなくてはいけない ” 広場の思想 ” なのです。 ですから、心の狭い自分自身に対しての ” 広場 ” でもあります。
本題に入ります
ルドルフシュタイナー
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( 精神科学/人智学 )
◇ 神秘学の基礎 1 ◇
神秘主義 / 神秘思想とは
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ヨーロッパの中世及びルドルフ・シュタイナーの生きていた19世紀~20世紀初頭の頃は、欧米の多くの思想家・哲学者・心理学者などが、メガ宗教の古典主義や教条主義的な思考に物足りなさを感じ、新たな思想・思考を模索し、既存宗教の先にある”もの”を探っていた時代背景がありますので、 その頃のシュタイナー思想以外の「神秘主義的な流れの一つ」も参考に記載しておきます。
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神秘主義思想の対極に、《 ”身体”のみが現実で、”心”は”身体”に起因すると言う論理 》があります。
・・・ 唯心論に対する唯物論です
近代自然科学思想の祖「デカルト」が、精神や生命の問題を除外し、物質やエネルギーに焦点を当てた思想で、 近代自然科学思想のスタートラインになった思想です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
神秘主義の要点を簡単に言いますと、”神(天/自然)と人間”を非対称的関係で捉えている一神教の教義から踏み出して、合わせ鏡のように対称的関係で考えようとするものです。
しかし、東洋の仏教などは最初から”神(天/自然)と人間”は対称的関係で捉えています。
因みに、あらゆる存在は「空」であり、実体のないものとする大乗仏教の空理論を”唯識思想・唯識論”と称しています。
・・・参考までに!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
尚、中世のヨーロッパではキリスト教の種々の会派で神秘主義的思想が起こります。
一例を挙げると、フランスの神秘思想家はクレボーのベルナルドゥス ( ベルナール : ” 1090年~1153年 ” ) で、シトー会に入りシトー会を発展させ、クレボーの修道院(禁欲的厳格修道院)を造り、聖書研究や神秘的信仰による思想を確立している。
ある意味では、神秘主義が極端な方向に走り、”キリスト教の汚点”でもある”十字軍”を組織した一人ともされています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ドイツの神秘主義思想の代表は、ヨハネス・エックハルト(通称マイスター・エックハルト/ドイツ:1260~1326頃)で、 人は神の内に生き存在しているという思想を展開したドミニコ会説教師です。
キリスト教界からは異端者扱いされているが、後世の神秘主義思想に大きな影響を残しています。
著書には「神の慰め」があります。
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そして、ユダヤ教の神秘主義の一つには「カバラ」があり、ゲルショム・ゲルハルト・ショーレム(1897年~1982年)というユダヤ教の神秘主義思想者などが研究している。
彼はベルリンのユダヤ人家庭に生まれヘブライ大学の教授になっている。
著書には「カバラ書誌」や「ユダヤ神秘主義」などがある。
尚、「カバラ」などの思想は、「キリスト教神智学」の潮流とされています。
又、神智学は、1875年にインドで設立された「神智学協会」があり、のちに述べる”グノーシス派”も、人間の智・宇宙や自然(神の智)の叡智を理解し、宇宙の目的や起源を探ろうとするインド神秘主義・インド神智学的傾向があります。
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イスラム教の神秘主義の一つには「スーフィズム」があり、禁欲主義で神との合一を説いている。 名称は、この主義を信じる人達が羊毛(スーフ)の衣服を着ていたことから名づけられたらしい。
「スーフィズム」は、自我の意識から脱却して神と一体となることを説き、形式的なイスラーム法の遵守を主張する律法主義を批判することになって衰退していく。
スーフィーは、特定の宗派または教義の呼称ではありません。
最初は、隠遁生活をしながら個々人で神秘的修行を行っていたが、神との合一を謳う人達が集まり修行を行うようになり、スーフィー教団として組織化していくことになります。
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例えるならば、インドで言う、ガンガ沿いのサドゥが集まり組織化された集団を作ったようなものです。
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この集団は、イスラーム世界の傾向を基本にして精神を重視した集まりで、そのまわりに生まれた精神的共同体・教団の総称とされる。
尚、ムスリムの間ではその思想と結び付いた哲学・寓話・詩・音楽・舞踏などを指すこともある。
この思想については、フランス国立高等研究院教授(イスラム学者:東方神秘思想主義者)/アンリ・コルバン氏(1903年~1978年)の研究が有名です。
尚、一神教思想の盲点を突き、キリスト教会から異端とされた神秘主義思想 ( 2~3世紀のアリウス派 ・ 3~4世紀のネストリウス派等 )の中で、最大の異端は、”グノーシス派”ではないでしょうか。
グノーシス派は、1~2世紀に南ヨーロッパに広まった宗教思想で、既成の世界の秩序(キリスト教的秩序/当時の真・善・美等)を否定し、厳しい浄化の修行によって神の本質に辿り着くという自力救済を説いた思想で、先に述べたようにインド神秘主義・神智学的傾向があります。
それ故に、アジアの宗教思想からの強い影響を受けたグノーシス派の思想・集団を、正統キリスト教会側は激しく弾圧しています。
ユング(カール・グスタフ・ユング:1875年~1961年)も、この”グノーシス思想”に注目し、関心を示した。
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少し時代をさかのぼりますが、「神学」では、中世の代表的存在は、トマス・アクィナス(イタリア:1225~1274年)で、アリストテレス哲学を基礎に、理性と信仰の調和を説き、神の存在証明をしょうとしている。 彼はスコラ哲学の大成者で、著書には「神学大全」があります。
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19世紀神秘主義思想の大きなウネリは、シュタイナーの時代より少し前に成りますが、ラルフ・ワルド・エマーソン ( Ralph Waldo Emerson / USA 1803~1882)を中心に超越主義運動が、アメリカやヨーロッパで起こります。
超越主義 ( トランセンデンタリズム ) とは、19世紀はじめ、アメリカのニューイングランド地方で多かったユニテリアニズムの古典主義・合理主義的思考に飽き足らずに「永遠の魂・霊的世界」 を基軸に物事を考えようとする当時の新しい思想のことで、ロマン主義的でもありました。
1836年9月に同じ考えの人々がジョージ・リプリーの家に集まって哲学・宗教・文学など様々な問題を今までとは違う観点(霊的思考)で話しあいます。
これがトランセンデンタル・クラブ(ヘッジ・クラブ)となりました。
彼らの考えは、人間の”現状の判断力(作られた感覚)”による認識の限界を「超越」し、 今までの固定化された思想ではなく、自由な想像力と直感によって万物の根源である「霊」を基軸にした思考/世界に参入することを説いている神秘主義の一つです。
現在の「唯心論」が「超越的」という名称を得たのは、もともとはイマニュエル・カントがそういう表現を用いたことに由来します。
カントは、理知の中にはあらかじめ感覚が経験しなかったものは何一つないと主張するロックの懐疑論哲学に答えて、非常に重要な一群の理念や形式は、経験によって生じるのではなく反対にこれらによって経験が得られるので、 こういう理念や形式は精神そのものの直感だと説き、これを「超越的形式」と名付けました。
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≪参考≫ エラノス倫理会議
神秘主義の形態や宗教・東洋思想・哲学・心理学などに関心を持った人々が集まった会議です。
1933年のオランダ人のオルガ・カプティン女史が発起人になりユングなどが中心に始まった集まりで、現在も継承されているようです。
◇ 神秘学の基礎 2 ◇
◆ 精神科学/人智学とは
シュタイナーの思考論理・思想は、自然科学の世界や物質的な思考では認識できない”人間の本質”に迫ろうとする概論で、霊的魂的観点からの宇宙進化/人間進化、”死”を どう捉えるか、 或いは”死後の世界”などの 一つの考え方を提示しています。
その上、物質に特化しているこの世の中で、” 自己の存在を確認し、自己が見聞きする世界 ” が、”真実 ”であるという根拠は?
・・・ という疑問も呈しています。
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シュタイナーは、自分自身が 霊的魂的洞察から導いた一つの理念/思考を、人々に広く伝えようとしていました。
それは、精神世界(霊的世界)をただ崇めるだけの宗教や霊媒的なプロセスを介しての心霊主義者のヴィジョンとは異なり、精神世界のありのままを認識することで、自らの思想/理念を ”Anthroposophie (人智学) ” と名づけ、その思考/思想は、哲学・宇宙や生命の進化・教育・医学・農業・芸術/建築・舞踏(Eurythmie:オイリュトミー) など幅広い分野に至っています。
シュタイナーは、Anthroposophie (人智学) の思想/理念を 、 精神世界のありのままを認識するという意味で、科学(Wissenschaft)なのだと述べています。
そして、現代では互いに離反してしまった 「科学」と「宗教」と「芸術」の統合を目指し、神秘主義の世界観を「心霊主義的思考」から「精神的諸現象の経験科学」へと導 いた人です。
所謂、霊的事象を彼の体験から科学/学問として捉え人々に伝えた方で、彼の教示する神秘学(精神科学/人智学)は、日常生活の中(人生)で「普遍的な私」を自覚し、その自覚から意識を変革していくきっかけを見出す流れをつくり、その流れが「普遍的な自己認識」にいたる大きな河となる大切さを説いています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
人智学協会創設の流れ
シュタイナーは、先ず1902年10月に、インド系神秘学のアニー・ベサント(Annie Besant1847~1933年)の協力を得てベルリンに結成された神智学協会ドイツ支部の事務局長になります。
( 神智学協会:開設者 ヘレナ・ブラヴァツキー )
☆ ☆ ☆
その後・1913年1月に、神智学協会本部はジッドゥ・クリシュナムルティ(生誕:インド)をメシアの再来であるとする一派が力を増し、これをドイツ支部にも強要したものですから、シュタイナーは反対しました。
———————
ここでは詳細を省きますが、ジッドゥ・クリシュナムルティ は、特異な人生を送った人ですので、私には興味深いものがあります。
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その反対により神智学協会のドイツ支部が本部から除名されました。
そして、1913年年2月3日に神智学協会を離脱したシュタイナーは、最初の人智学協会(die Anthroposophische Gesellschaft)の総会を開き、この日から独自の神秘学の道を歩み始めます。
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概略説明ですが、・・・
これが、人智学/精神科学:Geisteswissenschaft です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
《 言葉の ”所以” 》
Geisteswissenschaftは、ドイツ語の精神/霊を意味する Geistes と科学を意味する wissenschaft を合成した言葉です。
尚、Anthroposophie とは、オーストリアのヘルバルト学派ローベルト・ツィンマーマン(Robert Zimmermann 1824~1898年)が、著作「Anthroposophie (1882年)」で使用した、 ギリシャ語の anthropos (人間) と sophia (智恵) の合成造語で、神智学(Theosophie)は、ギリシャ語のtheos(神)とsophia(智恵)の合成語です。
又、シュタイナーの2度目の妻マリーが主体に広めたオイリュトミー(Eurhythmie)とは、ギリシャ語のeus (善い、美しい) と rhythmus ( リズム)の合成語です。
◇ 神秘学の基礎 3 ◇
◆ 学びの基本姿勢
《 思惟的に考える姿勢 》
「謙虚・無批判・無裁き・無差別」や「真の自由・平等」が、人智学を実践する人にとっての基本のようです。
そのためには、魂の諸力の安定を基調にして「批判的感情」や「優越を求める心」を自分の内部から、少しずつ除去していくという努力や高次の進化を目指す為の修練が必要で、あらゆる事象に「畏敬」という基本的意向を持ちながら日常生活を過ごし、不測の出来事などにも動揺せずに、「不安・いらいら・怒り」の無い心を作る努力が大切のようです。
その集積から、実生活(人生)の中で、「不安・いらいら・怒り」や「差別」の虚しさを悟り、他者が自分を傷つけ、怒らせ、見下す態度や言葉などを発信しても、その情景や文言が魂に入る前に、浄化する事が出来るようになるそうです。
そして、幸・不幸も、人間が生きている世界の表象や進化と密接な関連があると考え、人間の間違えた認識による感情や願望が、魂(心)を疑惑や絶望へと導いてしまうので、人間は超感覚的世界の確かな諸事実に魂の目を向ける修練を試み、”自然”から与えられた能力と諸力を高め、 人間(魂・心)の認識を高次のものへと、覚醒させることが基本にあるようです。
そのような努力の積み重ねにより、あらゆる事象に動揺しない人間(心/魂)が培われるようです。
内面にかなり苦しい感情を呼び起こすようなことが、ある人の身に起きたとします。
☆ ☆ ☆
その人はそれに対して二通りの態度を取る事が出来ます。
その出来事を苦しい思いをするものとして体験し、苦しい感覚に没頭し、それどころか、ことによると苦しみの中に沈んでしまう可能性もあります。
しかし、別の態度を取る事も出来ます。
実際、私自身が前の人生で私の内部に私をこの出来事に遭わせる力を形成したのだ、私が自ら、私にこのような苦しみを与えたのだ、と言うことが出来る態度です。
そして、このような人は、更にそうした考えをもたらすあらゆる感情を、自分の内部に呼び起こす事が出来ます。
当然の事ですが、感覚や感情の活動がその様な状態になるためには、そうした考えをこの上なく真剣に、ありとあらゆる力で体験する必要があります。
Rudolf Steiner
◆ 自然科学と精神科学
自然科学と精神科学は、思考/模索する視点が異なるだけ。
・・・ と、思っています。
人智学の学びは、欠陥を非難する事によって学ぶのではなく、欠陥を理解する事によってのみ学ぶ事が出来ます。
しかし、理解する為に不満をすっかり排除しようとするならば、やはり進歩はないでしょう。
ここで重要なのは一面性ではなく、魂の諸力の安定とバランスなのです。
・・・ Rudolf Steiner
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
精神科学の学び!
社会通念の視点を変えてみる。
地球を包む宇宙、その宇宙を内包する”無”
・・・ 大きな視点から思考する。
◆ 視点を変えてみる
物質社会での殺伐とした空気!
・・・ 貧富の差・差別・紛争等々
そろそろ、視点を変えてモノゴトを考えてみることも必要な時期に来ているような気が致します。
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《 実態? 》
実態は、視点を変えても、どの方向から探っても蜃気楼のようなもので、見えるのですが分からない/掴めないのかもしれません。
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このような考え方もできます。
実態が、何らかの形・方法で、映像化してこちらの世界に語りかけている。
蜃気楼のように、・・・
人間の浅ましさやイザコザ・紛争などを映像化して、こちらの世界に見せているのではないか。
何のために? ・・・
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
実態?
分からないから、それを神としてきた。
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私たちは、不思議な世界にいる。
・・・と、
稚拙な思いに耽る筆者の特集です。
自然科学と精神科学
何故、・・・
同じ方向に歩まないのだろうか?
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
◆ 自然科学者の言葉
☆ 故・渡辺格(いたる)氏
1916年9月27日 ~ 2007年3月23日
医学博士・理学博士
東京大学医学部・京都大学医学部
慶応大学医学部教授を経て、
初代日本ウイルス学会会長
日本分子生物学会会長歴任
——————-
著書『なぜ、死ぬか』から
自然科学には、
脳の働きによって、人間を納得させるような潜在的な力がある。
エネルギーや物質の問題にしても、アインシュタインの相対性理論や量子力学といった高度な理論はあるが、それは原則的に我々にもわかるはずのものなのだ。
知識が不十分でも、人間である以上は、それ相応の訓練さえ受ければわかるのである。
むしろ私にとっては、宗教のほうがわからない。
例えば死後の世界を信じろと言われても、どうしても納得できないのだ。
もちろん近世の自然科学者にも問題がない訳ではない。彼らは自然科学という限定された範囲の中でしか研究を続けようとはしなかった。
一方、哲学や思想を学ぶ人たちは、自然科学を念頭には置かなかった。
人間が死すべき者として何をすべきかという指針を提示するとき、私は、自然科学者が最も重要だと考えている。
自然科学者として、現在のように光に向かい、プラスの人間活動だけを重視する社会ではなく、常に影(死)を見つめ、同じ視線で人間の在り方を探っていく新しい方向を提示するべきだと思った。
そう考えた時、西欧で起こった近代以降の自然科学は、明らかに間違えていると思った。
【 デカルトの盲点 】
近代自然科学を物質やエネルギーの研究に向かわせた人物の一人が、デカルトだった。
「われ思う、ゆえにわれあり」 という言葉を残しながら、デカルトは実際には、精神の問題を除外した。
そこには宗教的な背景もあったようだ。
「精神の問題にはかかわりません。それは神にお任せします。」という逃げだ。
そのうえでデカルトは、生命の問題も除外した。
脱精神、脱生命を経て、物質の研究に向かった。
・・・ これが近代自然科学の出発点である。
もちろん、それはそれで評価すべきだろう。
当時の状況を考えた場合、初めから精神や生命の問題を含んだままで自然科学は成立しない。デカルトの選んだ方法は、それなりに正しかったのだ。
いうまでもなく、宇宙の始まりは人間ではない。
したがって、人間が造り上げた概念としての神も、宇宙には存在しない。
初めに神ありきではないのだ。宇宙に最初に存在したのは、物質やエネルギーの世界である。
しかし、デカルトの方法で辿り着いた物質やエネルギーの世界が、どこに向かったか。・・・ 生命世界を生みだし、そこから精神世界が生まれた。
物質は生命や精神の方向に向かってきたのだ。
その意味では、自然科学もまた、生命や精神の方向に向かわなくてはならない。私は、そう考えた。
現在なら常識的なこの考えも、当時は全く非常識なものだった。
物質世界と生命世界、さらに精神世界は、それぞれ別個だという考え方だった。
それに対して、基本的には物質の世界があって、そこから生命の世界が始まり、次に精神の世界、さらには未知の”X”の世界に向かっているというのが、私の予感だった。
それを自然科学的に明らかにすれば、文明自体も変わる。それこそが、自然科学の役割ではないかと思うのです。
・・・ 渡辺格
次に、
◆ 神秘学/精神科学者の言葉
☆ 神秘学は”科学”です。
自分達神秘学者は、自然科学の価値を誤って判断するつもりはなく、かえって自然科学者以上にその価値を認めようとしています。
・・・ Rudolf Steiner
自然科学と精神科学
———————-
同じ方向に歩んでも良い時期に来ているのではないか。
物質☆心・精神
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
デカルトは、物質とエネルギーに焦点を当て、脱生命・精神の方向に舵を取り、近代自然科学の基礎を築いた。
その自然科学が、物質世界から生命世界、精神世界へと向かうべきだと述べる自然科学者が、前記/渡辺格氏のように最近多く出始めている。
生命とは何かを考え始めたのです。
人間の存在とは何か、心や精神と呼ばれるモノは何か、という疑問に向かい始めたが、自然科学的な認識の普遍妥当性には至らない。
肉体は、死ねば間違いなく消え去るが、精神は肉体の死と共に完全に消え去るものなのか、などはモヤモヤしていて客観的に認識できないから宗教に任せた。
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時が経ち、・・・・
物質や肉体と心や精神をデカルト的分割思考から一括思考に変化する時期が来ているようだが、多くの問題も抱えている。
認識の普遍妥当性!
それをどのように克服していくかです。
そのうえ、デカルトが思考から切断して神に委ねた生命・精神の課題が、その神から抜け出すのが難しいのです。
しかし、・・・・
自然科学と精神科学
同じ方向に歩んでも良い時期に来ているのではないか。
さてどうしたら良いのか?
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
Rudolf Steiner
ルドルフシュタイナー
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( 精神科学/人智学 )
■ 表象の背後に
眼に見える世界の背後には、眼に見えない世界、すなわち 感覚とこの感覚に縛られた思考にとっては隠されている世界が存在しているのです。
そして、人間の内部にまどろんでいる能力を発展させる事によりこの隠されている世界に立ち入る事が人間には可能なのです。
・・・ Rudolf Steiner
” シュタイナー叙述 ” を側面から考えてみる
☆ 光と影 ☆
この世の中では、光があるから影ができると思っていますが、元を辿れば無(闇)があり、そこに光という存在が介入して来ただけなのです。
元/その根源的な仕組み
シュタイナーは、ある意味ではその元のことを彼なりの言葉で叙述しているのです。
見えることが全てと考える世の中!
見えないモノは解せないと考える世の中!
宇宙の誕生を含め、
元の存在は”無/闇(影)”です。
前述したように、
そこに光が介入してきただけで、その光で可視できることが全てではありません。
例えるならば、
人間は、・・・
空気がなくては生きていけません。
しかし、・・・
そこにあるのに空気は見えません。
必要なモノなのに見えません!
その空気を地球上に留めたり、我々が地球上に立っていられるのは ” 重力 ” という見えない力があるからです。
この世の中には、存在するのに見えないモノが多々あるような気がします。
その見えないモノの一部!
それが、シュタイナーが語っている”物語”で、少しでも根源的なことを探ろう/話そうとするときには、思考に自由性を持たせることが必要です。
又、この”物語”では、現代人の”視覚・聴覚・思考(認識)”の硬直化も問題提起されています。
◆ シュタイナーが語る物語
人智学/精神科学
シュタイナーの”物語”は、その見えない部分・隠れている部分に焦点を当てた学問です。
ですので、認識の普遍妥当性という点が難しい。
そのようなことから、自然科学万能とする物理主義が蔓延している世の中では認識できないとする結論:結果になりがちですが、そのような結果も含め、一時異なる視点での学びも”心”の栄養になるのではないでしょうか。
————————–
巻頭で述べたように、物質や肉体と心や精神をデカルト的分割思考から一括思考に変化する時期の足掻きみたいなものかもしれません。
・・・ そのような特集です。
本文に入る前に ” 宗教 ”と” 科学 ”
私見になりますが、・・・
まわりが見えなくなるような学び方/シュタイナーのことを教祖的に崇めたり、叙述を妄信したりでは、
・・・ 科学とは言えません。
・・・ 宗教になってしまいます。
どのような学びでも、一度立ち止まって考えてみる余裕が必要です。
☆ ☆ ☆
シュタイナーが言われるように”科学”ということならば、そのことを考慮してお読み下さい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
《 参考 > 科学とは 》
【 広辞苑 】 より引用
科学とは、一定の対象を理論や実証によって体系的に研究し、普遍的な真理を明らかにする”学問”をさし、その成果としての体系的知識をいう。
広義においては”学問”と同じ意味合いを持つ。
【 シュタイナー叙述本文 】
▼
Rudolf Steiner
《 精神科学/人智学 》
精神科学/神秘学・人智学
◆ シュタイナー叙述から
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私の興味のある課題を、シュタイナー叙述(種々の書籍)の中からピックアップして簡単に纏めてみました。
但し、シュタイナーの叙述は難解な言い回し/言葉になっていますので、理解するのには根気と柔軟な思考力が必要です。
じっくりと読んでみて下さい。
神秘学 ・・・ 神秘学の性格
神秘学を認識するには、カントの ”純粋理性批判/二律背反” が示すように、理性の認識には限界があるので、外界の諸現象について判断したり、仮説を立てたりしないで、現象そのものが自分に理念を語りかけるように、自分を成熟させることが必要です。
・・・ Rudolf Steiner
☆ ☆ ☆
精神科学は、霊的器官によって高められた知覚から、その諸事実を汲みとる認識を通してその関連を追及する。また、精神科学は、人間の生成過程をさかのぼって追及する。そこで、人間の本来の内的で霊的な存在が、この地球上での一連の”生”を通じて歩んできた事実が明らかになる。
・・・ Rudolf Steiner
☆ ☆ ☆
「神秘学」 > この言葉は、現代のさまざまな人々にとって、直ちに敵対する感情を呼び覚まします。
多くの人々にとって、この言葉は、嫌悪感を持たせるものであり、嘲笑、さげすんだ笑み、そして、おそらく軽蔑を呼び起こします。
そうした人々は、この言葉が示されている考え方は、ただ無意味な夢想や空想に基づいており、そのような「偽りの」科学の背景には「真の科学性」と「本当の認識努力」を知っている者ならば、 避けるのが当然で、 あるあらゆる種類の迷信を復活させようとする衝動だけが隠されている、と思っています。
他の人々はこの言葉から、あたかも、この言葉が意図していることは、別の方法では達成できないことがらや自分の素質に応じて、 内的に深い認識の憧れや魂的に洗練された好奇心が引き付けられることがらを成し遂げてくれるにちがいないかのような印象を受けるでしょう。
これらの際立って互いに対立する二つの意見の間には、「神秘学」という言葉を聞いたときに、どちらか一方の意見の人が思い浮かべる内容を、条件付で拒否するか、 又は、同意するあらゆる可能な段階が存在します。
「神秘学」という言葉が、「未知なるもの」、秘密に満ちたもの、それどころか明らかでないものについての、自然に即した方法では得る事のできない知識を求める、 取り返しのつかない結果を招くような欲求を満たすように思われるために、多くの人々にとって、その言葉に魔術的な響きがあることは否定できません。
すなわち、多くの人々は、彼らの魂のもっとも深いあこがれを、明らかに認識できるものによって満足させたいとは思っていないのです。 ————
・・・ Rudolf Steiner
☆ ☆ ☆
神秘学は、外的に自然の中では知覚されないという意味で、「秘匿」に経過することがらについての”科学”なのです。
・・・ Rudolf Steiner
☆ ☆ ☆
日常や通常の学問においては、人間の認識活動は超感覚世界に立ち入る事の出来ない状態にあります。
この(神秘学)証明は、人間の自然のままの眼は、その視力では生物の小さな細胞やはるかかなたの天体の状態にまで迫る事が出来ないことを示す為の証明と同じ価値しか持ちません。
通常の視力では細胞にまで達しないという主張が正しく、証明可能であるように、通常の認識では超感覚的世界に立ち入る事ができないという主張も正しく証明可能です。
しかし、通常の視力が細胞にまで及ばないという証明は、細胞の研究を止めさせる事にはならないのです。
だとすれば、通常の認識能力が超感覚世界にまで及ばないという証明が、なぜ超感覚世界の研究を止めさせる事になるのでしょうか。
・・・ Rudolf Steiner
科学の成立は、本質的には科学が捉える対象からではなく、科学的な努力の中に現れる人間の魂の活動のあり方から確認されるのです。
科学を学んで身につけるときに、魂がどのような状態であるのかに目を向けなければならない。
感覚に明らかであるものが考察されるときにしか、この魂の活動のありかたは存在しないという習慣が身についていると、感覚に明らかであるものだけが本質的なものであるという見解に容易に陥るのです。
・・・ Rudolf Steiner
神秘学者は、自然科学にみられる思考方法なしには、どんな科学も基礎づけることができないことを知っている。
しかし、神秘学者は、この厳密さが、自然科学的思考の精神に真に通じることによって獲得されるならば、その厳密さを、魂の力を通して他の諸領域のために保持しておくことができることも知っているのです。
神秘学者は、自然科学の価値を誤って判断するつもりはなく、かえって自然科学者以上にその価値を認めようとしています。
・・・ Rudolf Steiner
真の目的に従えば、あらゆる正真正銘の科学者も、感覚世界の事実に基づいて築かれた科学と、 超感覚世界が探求される方法との間に矛盾を見出す事はありえないだろう。
科学者は、一定の道具や方法を使用する。
そして、超感覚的認識方法も道具を使用する。
—– ただし、この道具は人間自身です。
この道具も、より高次の探求のためには、前もって使われるようにしなくてはならない。
まず、人間が何もしないで「自然」から与えられた能力と緒力を、人間の内部でより高次なものへと変化させなくてはならない。
そうすることによって、人間自身が超感覚的世界の探求の為の道具となるからです。
・・・ Rudolf Steiner
人間・生と死、そして自我
人間を考察する場合に ・・・・ なによりもまず、人生のあらゆる観察の上に大きな謎のように立ち込めている現象、すなわち”死”へ注意を向ける必要がある。
そして、死と関連して、いわゆる生命のない自然、常に自らの内部に死を担っている鉱物界へも注意を向ける必要がある。
そうするときに、超感覚的認識によらなければ十分に解き明かすことが不可能である諸事実が言及される。
・・・ Rudolf Steiner
生において霊的な原因となっていることについて語る人々の側が、少なからず混乱に貢献していることは、否定してはならない。
そのような人々によって、多くのことがらが、あまりにも大雑把に曖昧に語られている。
例えば、遺伝される特徴に積み重ねられて人間の人格が出来るというならば、 それは、確かに時計の金属部分が自ずと時計に組み立てられるという主張に等しい。
しかし、霊的世界に関しての多くの主張が、時計の金属部分は時計の針が前に進むように自らを組み立てることはできない、と誰かが言う場合と変わらない態度をとるということも認めなければならない。
そうした主張に比べて、針を前に進ませている「神秘的」な存在のことは、これ以上気にかけない、針を前進させる機械的な関連を知りたいのだと言う人の方が、はるかに確実な根拠に信頼をおいていることになるのは言うまでもない。
例えば、誰かが、ここで述べられているさまざまな事柄を読み始め、学問の研究成果に基づいて疑わしく思い、次のように判断するかもしれない。
このような主張が今の時代にありうるとは驚くばかりです。
もっとも単純な自然科学上の概念が、初歩的な知識すら全く理解していないのではないかと思わせる方法で用いている。
物理学の基礎だけでも知っている者ならば、ここで述べられていることは、ディレッタンティズムというにも値せず、完全なる無知を証明するものでしかないことを、この著者に思い知らせることができるであろう。
・・・ Rudolf Steiner
病(やまい)
精神科学は、病気の大部分が、アストラル体における倒錯や錯誤がエーテル体に伝わり、エーテル体を通して、物質体の調和そのものを破壊することに因るものであるという事実を明らかにしている。
・・・ Rudolf Steiner
現れている世界の内部では、人間の物質体は、人間が鉱物の世界と共有する同じ部分である。 それとは反対に、人間を鉱物から区別するものは、物質体とは見なす事ができない。
とらわれのない考察をすると、死が始った時、鉱物界と等しい性質の部分が、その死によって人間の本質から剥き出しにされるという事実が重要です。
死体とは、死後、鉱物の世界の領域に見いだされる諸経過に支配される人間の部分であると指摘する事ができる。
死体という人間存在のこの部分には、鉱物界において同じ素材や諸力が働いているという事実を強調することができる。
しかし、死と共に、この物質体の崩壊が始るという事も同じように強調する必要がある。
また、次のように言う事もできる。
確かに、人間の物質体には、鉱物においてと同じ素材や諸力が働いているが、その働きは、生きている間は、より高次の状態において、死が始った時に始めて鉱物界と同じ働きをするようになる。
死が始った時に、その素材と諸力は、それ自身の本性に従って、すなわち、物質体の形態を解体するものとして、現れなければならないときに現れるのです。
このように、人間においては、現れているものと隠されているものとを厳密に区別しなければならない。
・・・ Rudolf Steiner
Doppelganger / ドッペルゲンガー : 境界の守護者
人間が霊的知覚器官を獲得するところまで規則正しい修練を行うならば、自分自身の姿が最初の印象として自分の前に現れる。 ”自分のドッペルゲンガーを知覚するのである。
—–略—– ドッペルゲンガーは「魂的-霊的世界の前に存在する”境界の守護者”」と呼ぶ事ができる。
人間が「境界の守護者」との出会いなしに霊的-魂的世界に入っていくならば、次々と錯覚に陥るだろう。
なぜなら、自分がその世界に持ち込んだものと、その世界に本当に属しているものとを区別することが出来なくなるからである。
超感覚的世界に入っていく時以外に、人間が、この「境界の守護者」に出会うのは、物質的な死を通過するときである。
・・・ Rudolf Steiner
人間の最も固有な本質は、神的なものから取り出されてきているために、人間は自分の内部に神的なものを見出す事が出来るのである。人間は神的なものを通して人間の第三の魂の構成を獲得する。 これは、アストラル体を通して外界についての知覚を受け取るように、神的なものをとおして自分自身についての内的な知覚を獲得するのである。 神秘学ではこの第三の魂の構成部分を「意識魂」と呼ぶこともできる。 神秘学的には、体的なものが三つの構成部分・「物質体」「エーテル体」「アストラル体」から成り立っているように、魂的なものは、三つの構成部分・「感覚魂」「悟性魂」「意識魂」からなりたつ。・・・・・・
・・・・・・・人間の七つの構成要素は「物質体」「エーテル体または生命体」「アストラル体」「自我」「霊我」「生命霊」「霊人」であり、これは 光の七色や音階の七音についてと同様であり、「光は(赤」)と(紫)の向こう側に眼が知覚出来ないだけだが色がまだアル」という反論には、物質体の向こう側にも霊人の向こう側にも人間の本質は継続していて、この継続が≪霊的に不可視≫であるにすぎない。
・・・ Rudolf Steiner
忘却
「自我」にとっての記憶と忘却は、アストラル体にとっての目覚めと眠りによく似ている。
眠りが昼間の心配や憂いを無のなかに消し去るように、忘却は、人生の嫌な経験の上にヴェールをかけ、それによって、過去の一部を消してしまう。
そして、消耗した生命力が新たに強められる為には、眠りが必要であるように、人間は、新しい体験に自由にとらわれなく向かい合うつもりならば、記憶から自分の過去のある部分を消し去らなければならない。
しかし、まさに忘却から、新しいものを知覚する力が呼び覚まされるのである。
・・・ Rudolf Steiner
人間が、たんに快楽や苦悩、喜びや苦痛に自分を委ねている時には、自我(私)がアストラル体に働きかけているのではなく、 これらの魂の属性の独自性が変化するときに、自我がアストラル体に働きかけているのである。
同時に、自我が、性格の特性や気質などを変化させることに、その働きを向けるときには、エーテル体にまで働きかけが及んでいるのです。
どんな人間も、意識していようとしていまいと、エーテル体を変化させるように働きかけている。 通常の生活において、エーテル体を変化させるように働きかけるもっとも強力な衝動は、宗教的な衝動です。
自我が、宗教から流れ出る刺激を繰り返し自分に作用させると、その刺激は、自我の内部、エーテル体にまで作用し、エーテル体を変化させる力を形成する。
それは、人生において、それよりも弱い刺激が、アストラル体の変化を生じさせるのと同様です。
学習・反省・感情の鈍化などを通して、人間に近づいてくるこの弱い方の刺激は、多様に変化する存在であることを免れない。
しかし、宗教的感情は、思考・感情・意志のすべてに、一貫した傾向を”刻印”する。
いわば共通の統一的な光を、魂の活動全体に拡散させるのです。
人間は今日と明日とでは、それぞれ別の事を考え、感じる。 種々さまざまな誘因が、そのようにさせるのです。
しかし、どんな性質のものであれ、宗教的感情を通して、あらゆる変化を貫いているものを予感する者は、今日考え、感じるものを、魂の明日の体験と同様に、この基本的感情に結びつけるであろう。
そうすることで、宗教的信条は、魂の活動のなかに一定の秩序をもたらすのである。
その影響は、時が経過するにつれて、ますます強められていく。
絶え間なく繰り返して作用する。
したがって、エーテル体に作用する力を持つようになるのです。
・・・ Rudolf Steiner
Luzi-fer & Ahriman
ルツィファー / ルツィフェル(Luzi-fer)
人間の内にあらゆる熱狂的な興奮や誤った神秘主義的傾向を呼び起こし、人間を舞い上らせようとしたり、人間の血を生理学的に沸き立たせ、無我夢中にさせようとしたりするものすべてに働いている力の事である。
アーリマン(Ahriman)
人間を味気なく散文的かつ通俗的な者にし、血肉を失わしめ、唯物主義の迷信に導く力の事である。
・・・ Rudolf Steiner
善と悪
かつて人間の内に動物性が混在していたように、現在、善と悪、あるいは、真と偽りという、相対立する二つのものが混在しています。
この対立矛盾、すなわち、二つの要素がみずからの内で混在する仕方によって人間のカルマ、運命が形造られています。
いつの日か人間は、悪を客体として捨て去ることでしょう。こうした事柄を我々はすべて黙示録的な記述のうちに見出すのです。
・・・ Rudolf Steiner
動物はきわめて規則的に、外的世界の影響を体験し、その影響の下に、暖かさと寒さ、苦痛と快楽を意識し、身体の一定の規則的な経過の下に、飢えと渇きを意識する。
人間の生活は、そのような体験では、言い尽くされない。 人間は、それら全てを越える欲望や願望を発展させる事が出来る。
動物の場合、十分に研究できるならば、身体の外か内のどこかに、行動や感覚への誘因があるのをいつでも証明することができるのです。
人間の場合は、決してそう言う訳にはいかない。発生の誘因が身体の内にも外にも十分に存在しない願望や欲望が生じる事なのです。
この領域に属する全ての事柄に、特別の源泉を認めなくてはならない。
この源泉は、超感覚的科学の意味で、人間の「自我(私)」の中に見られる。
・・・ Rudolf Steiner
民話や伝記
諸民族の民話や伝記の宝庫は、元来、霊的体験から生まれたのである。 なぜなら多くの人々のおぼろげな透視能力は、現代からそれほど離れていない過去の時代まで続いていたからである。 確かに、透視能力を失ってはいるが、感覚的-物質的世界に対して身に着けたさまざまな能力を、透視能力に対応する感情や感覚に従って、十分に発達させた人々もいた。
・・・ Rudolf Steiner
◆ 人間について
※物質として外から直視できる人間全体は、【ルツィフェル】の影響の結果なのです。
※物質とは霊(破壊された)の瓦礫の山のことです。
※霊が肉体を凌駕しているエーテル体の中に飛び散る時に神経物質が生じ、三つの素材を見出す。
第一に外界に存在する通常の素材。
第二が植物の中に見られる素材。
第三に不規則になった人体、動物体の中に見られる素材である。
※人間(人体)の将来について
~聴覚が死滅し、喉頭部が未来の生殖器官となる。
・・・ Rudolf Steiner
この「◆ 人間について」は、多岐にわたりますので、前後を切り取り要点だけを明記しています。又、死後・人の眠り・輪廻 そして、死・再生・カルマ・誕生や宇宙進化論 ・ 地球進化期についてのシュタイナーの叙述は次或いは次の次のページに記載しています。
ほんの一部分ですが、
理解できましたでしようか。
何を言っているんだか解らない と、
思うのが普通ではないでしょうか。
☆
実は、私もそのうちの一人なんです。
・・・ 科学!
自然科学と精神科学
筆者の解釈/説明で、一休みして下さい。
「生物や生活」と「生命や人生」
”自然科学”は、人間の外面/表象を取り巻く、物質やエネルギーを対象にして、「生物」や「生活」等に視点を当てている学問で、 ・・・
振り落としてきたモノを主軸にした ルドルフ・ シュタイナーが言うところの”精神科学”は、人間の内面/根源的形成に迫り、「生命」や「人生」 等に視点を当てている”学問”として、
・・・ 私は捉えています。
《 参考 》
「生活」と「人生」について
カトリック教徒で作家の”遠藤周作氏”が『死について考える』という書籍の中で”生活と人生”について書いているので紹介致します。
遠藤氏は、親から与えられたにすぎないキリスト教(カトリック)と対話・格闘し”沈黙”や”深い河”などの名作を残しています。
その彼の『死について考える』の中にある”死が迫ると”という項です。
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私は、”生活”必ずしも”人生”ではない、と考えています。
”生活”は私の考えでは自分の心の奥底にあるもの、自分の”人生”の核になっているものを無視、軽視していかなければなかなか成立しないものです。
”生活”は道徳、世間体、外づらを大事にしないと運びませんし、自分の奥底に隠しているものを露骨に見せる訳にはいきません。
世間を乱さぬために、他人に悪口を言われぬためには、我々は心の中に抑え込んでおかねばならぬものが沢山あります。
そういう形で成立しているのが”生活”です。
・・・ 中略 ・・・
シュタイナーの言葉をここで思い出します。
青年の時代は肉体の季節、
中年は心と知性の季節、
そして老年は魂の季節。
老年・・・
”魂”は肉体や心の奥底にあって、本当の声をーーーいわゆる本音をついに出し始めるようです。
☆ ☆ ☆
遠藤周作氏/『死について考える』から引用
Rudolf Steiner
ルドルフシュタイナー
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( 精神科学/人智学 )
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ルドルフシュタイナー
自然科学と精神科学(その2)
◆ 学びの迷い
「学問=科学」と「宗教」
◇ 精神科学/特集の主旨
◇ 精神科学/人智学の思考・思想
◇ 言葉の解釈
◇ 欧米と日本の文化や宗教の違い
文化や宗教の違いを知って学ぶ
◇ 宇宙進化論 地球進化期
◇ 精神科学・人智学
・・・ 私が思うには答えがない学び
◆ 自然科学と精神科学の融合