シリーズ:旅の途中

《 国境なき意思団 》
多様性の中での一致点

《 境界と多様性 》

思想と文化・人種・宗教 > 差別


《 国境なき意思団 》

今回の話は、境界を越えて”物質”から”心”>”精神”へと流れる科学・文化に焦点を当てました。
差別の源も考えてみました。
 
境界/テリトリー

私は、・・・
境界は、”執着心とコンプレックス”、それに”不安”からくる線引きではないかと思っています。

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人間は、なんでも境界をつくる!
国と国との境界、民族・文化・人種の境界、宗教の境界、主義主張の境界 そして、身分の境界等々!

現在(2022年2月から) 起きている ” ロシアによるウクライナへの侵略戦争 ”
人種・思想などの境界という問題 、人間のサガ・業。
そこに潜む差別思想。
・・・ どうしたらいいのか?

日本にも異質な風貌や行為 ・ 同じ考え方や行動を取らないと国辱とみなす時代があった。
私が生まれる前の戦時下に蔓延っていた。
・・・  所謂、”隣組”
どちらにも言い分があり、正義だと思っている!

同じようなことが”コロナ禍”で起きています。
これは、全体主義思想の復活という兆しかも知れません。
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難しい課題だが、多様性を認め合う!
そこから差別や境界をなくす!
今の人類にできるのだろうか ・・・

マザーハウス
インド/コルカタ
マザーハウスにて


《 目次 》

境界1 自然科学は境界を超えることが出来るのか!

境界2 文化・宗教・風習の境界
《 建物に関わる上棟式(棟上げ) 》

境界3 人間のつくる境界/差別
《 インドでの差別の実体験の紹介 》



境界1
自然科学は境界を超えることが出来るのか!

・・・ ある自然科学者の話です。
『 西欧で起こった近代以降の自然科学は、明らかに間違えている 』という意見
・・・ 面白い!

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渡辺格(いたる)氏
1916年9月27日 ~ 2007年3月23日
医学博士・理学博士
    ▽
東京大学医学部・京都大学医学部
慶応大学医学部教授を経て、
初代日本ウイルス学会会長
日本分子生物学会会長歴任

著書/著者:渡辺格『なぜ、死ぬか』同文書院 より引用

筆者( 渡辺格氏 )の自然科学観

自然科学には、少なくとも認識としての普遍妥当性がある。
脳の働きによって、人間を納得させるような潜在的な力がある。

エネルギーや物質の問題にしても、アインシュタインの相対性理論や量子力学といった高度な理論はあるが、それは原則的に我々にもわかるはずのものなのだ。
知識が不十分でも、人間である以上は、それ相応の訓練さえ受ければわかるのである。
むしろ私にとっては、宗教のほうがわからない。親の影響で神仏を信じなかったせいもあるが、宗教に普遍妥当性がるとは思えない。例えば死後の世界を信じろと言われても、どうしても納得できないのだ。

もちろん近世の自然科学者にも問題がない訳ではない。彼らは自然科学という限定された範囲の中でしか研究を続けようとはしなかった。一方、哲学や思想を学ぶ人たちは、自然科学を念頭には置かなかった。

人間が死すべき者として何をすべきかという指針を提示するとき、私は、自然科学者が最も重要だと考えている。自然科学者として、現在のように光に向かい、プラスの人間活動だけを重視する社会ではなく、常に影(死)を見つめ、同じ視線で人間の在り方を探っていく新しい方向を提示するべきだと思った。
そう考えた時、西欧で起こった近代以降の自然科学は、明らかに間違えていると思った。

人間は何者か:デカルトの盲点

近代自然科学を物質やエネルギーの研究に向かわせた人物の一人が、デカルトだった。
「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉を残しながら、デカルトは実際には、精神の問題を除外した。
そこには宗教的な背景もあったようだ。
「精神の問題にはかかわりません。それは神にお任せします。」という逃げだ。
そのうえでデカルトは、生命の問題も除外した。
脱精神、脱生命を経て、物質の研究に向かった。
・・・ これが近代自然科学の出発点である。

もちろん、それはそれで評価すべきだろう。
当時の状況を考えた場合、初めから精神や生命の問題を含んだままで自然科学は成立しない。デカルトの選んだ方法は、それなりに正しかったのだ。
いうまでもなく、宇宙の始まりは人間ではない。

したがって、人間が造り上げた概念としての神も、宇宙には存在しない。初めに神ありきではないのだ。宇宙に最初に存在したのは、物質やエネルギーの世界である。
しかし、デカルトの方法で辿り着いた物質やエネルギーの世界が、どこに向かったか。
生命世界を生みだし、そこから精神世界が生まれた。
物質は生命や精神の方向に向かってきたのだ。

その意味では、自然科学もまた、生命や精神の方向に向かわなくてはならない。私は、そう考えた。
現在なら常識的なこの考えも、当時は全く非常識なものだった。
物質世界と生命世界、さらに精神世界は、それぞれ別個だという考え方だった。
それに対して、基本的には物質の世界があって、そこから生命の世界が始まり、次に精神の世界、さらには未知の”X”の世界に向かっているというのが、私の予感だった。
それを自然科学的に明らかにすれば、文明自体も変わる。それこそが、自然科学の役割ではないかと思うのです

・・・ 以下略   渡辺格氏



境界2
文化・宗教・風習の境界
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境界などなかった文化・宗教・風習!

建物に関わる上棟式(棟上げ)

日本の棟上げ・上棟式
日本の棟上げ・上棟式


日本では、神主がお出ましになることが多いので、日本独自の神事だと思っていましたが、各国で、趣旨/意味合い・やり方・形の殆どが同じように行われているんです!
上棟式は日本独自のものではなく、ヨーロッパでも古くから根付いている儀式のようなんです。

・・・ 興味深いことですので、調べてみました。

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ヨーロッパでの上棟式というのは、昔(紀元前でしょうね?)のデンマークやスウェーデン・ノルウェー地方(ノルマン人 )で、木造建築を造る際に木々や地の霊を鎮める為に行われた宗教儀式が始まりだそうです。

ノルマン人の間で行われた儀式は、建物の建設の際に、主要構造を完成させた時点で式典を行われます。

この儀式は、日本と同じような意味合いで、その地の霊・神に対する挨拶や畏敬の念が込められているようです。

木造建築の屋根の棟木を建物の最上部に取り付けてる際に行われます。
棟木に大工や建築主らが署名した後、その棟木を屋根に引き上げて固定し、その上に常緑樹の葉や枝で作った飾りや旗などを設置し、その後は一同で飲食を行う。

・・・ 日本の話ではありません。
下の写真を見て下さい。形状も催事も同じなんです。

それがヨーロッパ各地に伝わり、移民を通して一部のアメリカにもこの風習が伝わったそうです。

上の写真は、ヨーロッパ(デンマーク)と日本の上棟式ですが、全く同じように感じます!



・・・ 興味深い現象ですね!

一例として、
ドイツの上棟式 ( Richtfest:リッヒトフェスト ) を紹介致します 。

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下の工事中の写真を見て下さい!
写真を見ると、大小のドームの屋根の上に木を立てています。

棟上げ、上棟式 !?

スイスのバーゼル近郊・ドルナッハという場所に1920年に完成し、1922年に火事で消滅した 第一 ゲーテアヌムという建物の工事途中の写真です。

屋根の頂上に樹木(常緑樹)を立てて、祭壇を造り記念写真を撮っています。

主要構造(棟木)を完成させた時に行う式典、
明らかに日本と同じ上棟式(棟上げ)です。

ドイツでは建物の上棟式は14世紀頃から行われ現在も続いているそうで、建設中の住宅で依頼主が幸せに暮 らす家庭を築く ための大切な習慣だと考えられています。

家の基本構造と屋根を支える骨組みが出来上がった時に、家の安泰や幸運を祈って上棟式が行われるそうです。

儀式は、屋根の骨組みの頂部に常緑樹の小さな木や、枝や葉っぱで編み上げたリース等を飾り、建築依頼人が最後の釘を打ち込み、その後に大工さんの代表が屋根の上で建築関係者へ謝意を述べたり神に家の安泰や祝福をお願いするスピーチをします。

式を担当するのは家を建てる家族で、参加者は 近所の住民や建築家・大工など家の建設に携わった人たちです。
儀式の締めくくりは、家主が参加者の前でスピーチをし、ドイツの習慣で家の屋根からガラスを落とし、ガラスが割れると縁起が良いとされています。

その後に、ドイツの伝統的な料理・ビールやワインを楽しみ、家族や参加者は絆を深めるそうです。

驚き!
そして、面白いですね、
全く日本の上棟式と同じです!


日本独自のものがタマタマ同一なのか、それともヨーロッパから伝わったものが、日本に根付いて神事になったのか? 後者とするなら、どのように・いつ頃伝わったのかが不思議です。それも、神社・神主を交えた催事なのでより不思議です。

・・・ ある文化・風習には境界などなかった!



境界3
人間のつくる境界/差別

特集:和を以て貴しとなす/八ヶ岳の花


インドでの差別の実体験の紹介

下の写真は、出自や肌の色・容姿などの違いなどで別種/異質 とされているインドの”ハリジャン”の子供たちです。

特集:和を以て貴しとなす/インドの人々
特集:和を以て貴しとなす/インドの子供


(註) ハリジャン・ダリット/不可触民(ふかしょくみん)

カースト制度(ヴァルナ・ジャーティ制)の外側にあって、インドのヒンドゥー教社会における被差別民で、総数は約2億人と推計されている。
現在、インドの人口は約13億人ですので、約7人に一人の割合の彼らは、アンタッチャブル、アウトカーストもしくはアヴァルナ或いはダリットと呼ばれる。
ガンジーは、その人たちをハリジャン(神の子)と呼びました。

下級カーストのインド人は言う。
差別あるカースト制度のおかしさを!
しかし、その人が ”ハリジャン・ダリット”ひどく差別する。
ある意味では、人間として見ていない。

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※ 私がインド/バラナシ郊外でハリジャンの子供を食堂(きたない大衆食堂)に連れて行った時に入室を断られました。

私が喧嘩腰に文句を言ったら、裏の 薄暗い倉庫みたいなところにテーブルとイスを作り、そこで食べろということでした。

・・・ 悔しかったですね!

子供はもっと悔しかったでしょう 。

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※ 子供に食べさせたかったので、その場所で食べましたが、惨めであり・差別された時の感情を味わいました。
帰り際、店主に料金の倍以上の金を投げつけるように支払うと、店主がニコニコして”サンキュー”って言いやがった。
・・・ 余計に惨めになった!



誰もが陥る坩堝!
自分自身では、・・・
正義だと思っていても!

考えさせられる出来事でした。
合掌!

特集:和を以て貴しとなす/インドの街
INDIA


END