冬の八ヶ岳/雪原


シリーズ:旅の途中!
今回は、とっておきの不思議な話をしたいと思います。
それも、自然科学者たちが不思議な事象に挑戦しているリポートばかりですので、大変に面白いと思います。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 3_earth.jpg です


今回の題材・”生命の神秘‐死後と輪廻” 
・・・ > こんなこんなことがあるのだろうか?
自然科学万能という枠組みで作られてきた私の頭では、どうしても”マヤカシ”に思えてしまう。 ・・・ しかし、この世は「藪の中」だとも思える。
そんな矛盾する論理が頭の中で交錯するリポートです。



■  シリーズ :旅の途中! ■ 
色々な景色やモノを見て、色々な考え・色々な人に出会う!


今回は、インドの神秘的な話と、とある自然科学者が述べている、生・死そして死後についての紹介です。合間に、インドで撮った写真を数枚添付しました。


インドを旅すると不思議なことに出会います。私には、未知なる国であると同時に国民性でもありますが、今回の紹介は、未知なる力や病を治す能力を持つとされるサイババの不思議さとは異なる、過去から現在そして、未来への人間の運命的な問題を取り上げてみました。
最初に、こんなことが有るのだろうかと、一気に読んでしまった本で、青山圭秀著作 の 「 アガスティアの葉」 という書籍を 紹介します。
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それと、 インドには関係ないのですが、「生命の神秘」という括りで、東京大学医学部附属病院/集中治療部部長で東京大学大学院教授の矢作直樹医師の話やアメリカのレイモンド・ムーディ医学博士 の「未来からの生還」という書籍に書かれている調査結果、 フインランドの女性医師が述べている、死と死後の世界観、 生命科学者/柳澤桂子氏 の解釈・解説による般若心経も記載いたします。
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尚、ここで取り上げているのは、いわゆるスピリチュアルなリーディングや霊能者などのことではなく、科学者が体験し分析・調査した観点からの生と死・死後についての話です。



まず最初に!
書籍の著者は、医学系科学者=青山圭秀氏 で、
東京大学で物理や精神医学を学んだ理学博士/医学博士ですので、非科学的あるいは、オカルト的な書籍ではないと思うのですが、・・・・・・
又、経歴で物事を判断するのは嫌なのですが、今回は掲載するものが変わったものなので、自然科学的な物事を学んだ・学んでいる方ということで書きました。 
その彼の実体験を書いた書籍が「 アガスティアの葉」と言います。


この書籍によると、
インドの”チェンナイ”近郊の山村に”アガスティア”という聖者が古代タミル語で書いた「各人間の預言書」があるという。 
その預言書は「アガスティア・ナディ(Agasthya Nadi)」と呼ばれている。 
”アガスティア”は、アーリア民族が北部インドから南下した時代の人らしいが確かではない。 資料によると5,000年位前の人だということである。


預言書を解読する人をナディ・リーダー(Nadi Reader)といい、代々この預言書を捜し求めてきた人のために預言書を保存し解読する作業をしている。 
現在の世界人口は約70億人です。  その人達が100年で入れ替わると想定して、1000年で約700億人/5000年で3500億の人になる。  昔の人口はかなり少なかったので、その1/10としても350億人となり、未来の人を想定すると果てしない人間の予言ファイルになる。 
・・・・・・ そんなことがありうるのだろうか? 
日本の医学系科学者(著者)が実体験をして、その神秘と疑惑に迫っています。 
彼は、個人情報はまるっきり伝えずにナディ・リーダーに挑んでいます。 
対面後、なぜか親指の指紋だけをとり、しばらくして! 
ナディ・リーダーは、何回か”葉”を持ち出して来たが、最後に持参した三巻の葉の束のち二巻の葉の束から一枚の”葉”を探し出し、そこに書かれていることを読み始めた。  
そこには父親の名前や母親の名前、兄弟の状況、そして、自分しか知らないはずの事や出来事が書かれていたという。
・・・ それが、すべて当たっていたというのだ! 

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は ganga_onna_inori.jpg です


ということは、・・・・・・
これから生まれてくるだろう人々の運命までもが決められているということなのか?
※ 人は生まれる前から、そして生まれてからも決められたレールの上を走っていることにもなる。どこに生まれ・どこで事故にあい・どこで愛する人と会い・どこでどのように死ぬのかまで書かれていたというが、 そんなことがありうるのだろうか? 
※ 誰それと誰それが結婚して、 そして生まれた子! その子に 迷いながらも名付けた名前までが決められたこと・分かっていることなのか?
・・・・・・ そんなことがありえるのだろうか?
ということは、・・・・・・
※ 人間(私)は、なんのためにこの世に出てきたのか、生きているのか 或いは、何(神?)によりこの世に出され、生かされているのだろうか?
と、考えてしまいます。
{ そんな考え方は、科学的ではない! 宗教的だ! }

・・・・・・  そうなのだろうか?  又々、考えてしまいます。

更に、ここ(インド /”アガスティアの村” )に何歳のときに現れると記載されていて、まさにその年齢であったことやその他・暫く会っていない兄の現状のこと(後日判明)を言い当てていたと言うのである。  
驚いたことに、その預言書には自分の死の時期や死に方まで記載されていたらしい。


・・・・・ この世での、各人の人生は誰か(神など?)に決められているのだろうか? 
このようなことが有り得るなら、ある意味ではアガスティアには歴史が読めていたことにもなる。 アガスティアの葉には、” 織田信長が明智光秀によって本能寺で討たれることも、秀吉や家康の天下取りも、ヒットラーのことも、マリー・アントワネットのことも、そして、私の過去世や現在・未来が書かれているということにもなる。
ただ、彼らも私もインドの”チェンナイ”近郊 までアガスティアの葉を読んでもらいに行っていないだけである。
・・・・・ 行っていない! ここが大違いなのだろうか? 

著者が ナディ・リーダーと交わした質問会話の一部です。
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医学系科学者 「結局、我々の運命は、このように決まっているということなのでしょうか。」 
ナディ・リーダー 「そう言わざるを得ないでしょう。」 
医学系科学者 「世界には、いま 5,60億の人がいます。数千年の間には、さらに膨大な数の人々がこの地球上で生きてきたし、今後も生まれ続けるのです。 その中には、輪廻転生による重複があるのかもしれませんが、それにしても全員の分はないでしょう。」 
ナディ・リーダー 「もちろんです。アガスティアは、読みにくる人の分のみを残したのです。 いつ、何歳の時に来るのかも含めて ”読みに来ない人の分を書いても、仕方がないでしょう”。」 

・・・ さて、どう判断したらよいのだろうか?


この医学系科学者は、「過去世からのカルマの結果として、われわれには運命というものが確かにあると思う。  そして神に祈ることや神の意思、あるいは自分自身の意思で、それが変更されることもあるだろう。  ただ、本当にそうなるかどうかは我々の理性では計り知れない。  だから、その時のために、今から、準備しておくのだ。 死の時期の予言日が無事に過ぎたら、その時には祝杯をあげよう!」 と、自然科学者として述べている。

・・・ 全くもって不思議な話です!



註) この書籍の中のできごとが、 ”嘘”か”真”か  或いは、 ”信じる”か”信じない”か ・ ”ポピュリズム的”或いは”マーマニズム”に準ずるものなのかは、私には分かりません。
ただ言えることは、何回もこの書籍を読んでみて、著者が ”フィクション”や”思い込み” 或いは、”洗脳的”なことを書いてるとは思えませんでしたので取り上げています。又、 現在、宗教的・オカルト的になりがちな”スピリティズム”と”自然科学”との融合を模索している姿勢にも好感が持てました。
読み終わった感想は、
・・・ 生きるということは、宇宙の不思議さと同じ!ということです。
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尚、現在では、”アガスティアの葉”は、あまりにも有名になりすぎて、体験ツアーや”アガスティアの葉” 代行業者までありますが、「なんだかな~」と思わされるようなツアーや代行もありますので、注意が必要です。
インドに行くと分るんですが、儲かるとなると似たようなことをやりだす方やなりすます人が沢山います。人の好い日本人はすぐに騙されてしまいます。
・・・ 注意して下さい。

・・・ この宝石のように美しい星で生まれた生命の神秘




東京大学大学院医学系研究科
医学部救急医学分野教授/矢作直樹医師の話
・・・ 講談社/現代からの引用
◇ ◇ ◇
生きていれば、必ず死の瞬間はやってくる。
だが、その先のことは誰にも分からない。
死んだらそれで終わりなのか、それとも——。生と死が交錯する臨床の現場で、医師が体感した「命の神秘」。(講談社編集部注)

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか – Gauguin


矢作直樹
私が勤務する東大病院では、年間3000人もの患者が集中治療室で治療を受けています。そこは生と死が隣り合わせの場所であり、私も臨床医として、日常的に多くの「死」に立ち会ってきました。
現代医療には「エビデンス・ベースド・メディスン(EBM)」、つまり「証拠に基づく医療」という考え方がベースにあります。
私たち医師もEBMを踏まえて患者さんの治療に当たるのですが、実は救急外来の現場では患者さんの疾患や障害の原因がどうしても解明できない、ということがしばしば起こります。
現役の医師である私が言うのもおかしいかもしれませんが、これだけテクノロジーが発達した時代でも、医療の現場は最新の医学や科学をもってしても、まったく説明のつかない事象に満ちているといっても過言ではありません。・ 中略

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臨死体験について

「単なる脳内現象に過ぎない」と否定する向きもあるようですが、実は臨死体験の中には「臨死共有体験」というものが幾つも報告されています。
ある方が亡くなりかけていて、ご家族が臨終を看取ろうと周りに集まっている。その時、患者が見ている「あの世からのお迎えの光景」を家族の人たちも同時に見てしまうというものです。これは、西洋では既に認知されている現象です。科学的検証こそできていませんが、患者本人ではない第三者までもが同じ体験をするのですから、「脳内現象」というよりは、意識(霊魂)の同調を起こしていると考えるのが自然です。
人間には霊魂がある、と言うと理解できない人がいることは百も承知です。しかし、これは過去に多くの患者を看取ってきた私の偽らざる実感なのです。
また、霊感が強い人は、死ぬ直前の人間の体から何かが抜け出していく、言い換えれば「見えない体」が肉体から出ていくのが分かるといいます。患者の臨終に何度も立ち会った私も、それは分かるような気がします。
言葉ではなかなか説明しにくいのですが、いわば肉体から何かが「外れかけている」感覚があるのです。早い方だと、亡くなる3日ぐらい前から少しずつ外れていき、遅い患者さんでも臨終の直前に外れるそうです。私はそれを、いわゆるあの世からの「お迎え」が来たのだと捉えています。 ・ 中略

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「現世」と「死後の世界」

私なりの考えでいうと、我々の生きている世界はいわば競技場のようなものです。私たちはこの競技場の中で、人生という苦しい競技に参加し、お互い競い合っているわけです。
その中で、「あの世」はいわば競技場の観客席です。観客席と競技場の間にはマジックミラーがあって、こちらから向こうは見えないが、向こうから私たちの様子を見ることはできる。やがて競技が終わると、つまり肉体的に死ぬと、私たちは霊魂となって観客席へと移るのです。そして、もう少し競技をしたいと思う人は、競技場の中に戻るように、再びこの世に生まれ変わることができるのだと考えています。・ 中略

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「人には霊魂がある」という考え方

「人は必ず死ぬのは確かだけれど、人間にとって死は終わりではなく、魂は永遠に生き続ける」……。
この考え方は、現代人にとって大きな救いとなるのではないでしょうか。また、「魂は死なない」というイメージがインプットされれば、この世では自分は理不尽な人生を送っていたけれど、悠久の生の中でみれば、そうした理不尽さという意識を解消することもできるだろう、という視点に立つことができます。そうすれば、死を無意味に恐れることもなくなることでしょう。繰り返しますが、私は長いこと救急医療の現場にいて、様々な死を目の当たりにし、嘆き悲しむご遺族の姿を見てきました。
しかし、死後も霊魂は消滅しないという考え方に立てば、亡くなった人はなんらかの自分の役割を終え、あの世で幸せに暮らしており、中には次の転生に備えている人もいることになる。この考え方に立ったほうが、遺族を含め、多くの人がより幸せになるのではないでしょうか。

・・・・ 矢作直樹

《 雑談 》

15年位前になりますが、私が研究している”ルドルフ・シュタイナー”というオーストリアの神秘学学者のリポートを読んでくれた 某国立大学医学部の部長教授が私の所に訪ねてきました。
彼は” 矢作教授”と同じようなことを体験し不思議に思い、神秘学的な学問 ( 宗教ではなく、科学として向き合っている考え方 ) に興味を持ったそうです。

・・・ 現代医学では立証できないことが少なからず 起こっているそうです。



”もう一つの不思議な情報”
アメリカの医学者 /レイモンド・ムーディ氏による「一度死んで生還した人々の臨死体験リポート」


レイモンド・ムーディ医学博士は、「 担当医が死の断定を下した後に蘇生した人や事故などによって一度死んで生還した人など150例 」 についての体験談を集めリポートを作成しているが、それらには共通点があるという。 但し、150例中3例は共通体験を一切していないことも述べている。 
その共通点は、「まず耳障りな音が聞こえ、暗いトンネルを猛烈な速度で通り抜けたように感じ、自分の物理的な肉体を抜け出て、ある距離を保った場所から、傍観者のように自分自身の物理的な肉体を見つめている。 自分にも「身体」が備わっているが、この身体は物理的な肉体とは本質的に異質なもので、特異な能力を持っていることが分かる。
既に死亡している友人や知己の霊がすぐそばにいることも、なんとなく分かる。
今まで一度も経験したことのないような愛と暖かさに満ちた霊 - 光の生命が現れ、自分の一生を総括させる為の質問を投げかける。
生涯の主な出来事を連続的に、しかも一瞬のうちに再生して見せる事で、総括の手助けをしてくれる。 そのうち、一種の障壁とも境界とも言えるようなものに少しずつ近づいている事が分かる。
激しい歓喜、愛、やすらぎに圧倒されそうになるが、意に反して、どういうわけか再び自分の物理的肉体と結合し、蘇生する。
このような体験は、その後他人に話そうとしても、適切に表現できる言葉が見つからず苦労する。
この体験をした後で、自分の人生は大きい影響を受け、自分の人生の巾と奥行きが深くなったように感じる。」 ということらしい。
又、ムーディ医学博士は、これらの体験談と「チベットの死者の書」 / 「スウェーデンボリの霊的体験」等や古来からある死後の世界に関する記述の類似性に注視すべき点があると述べ、早計に結論を出すべきではないが、医学的な脳内現象というだけでは片付けられないとも述べている。



”更に、もう一つの不思議な情報”
ある一人の自然科学者が述べている、生と死そして、死後

フインランドの女性医師/ラウニ・リーナ・ルネカン・キルデ医学博士 著 /(臨死・体外離脱等の超常現象体験談)/「クオロ・ミヨラ(フインランド語 / 死は存在しない!)」 という書籍があります。
その書籍に書かれている著者の言葉です。


「 臨死体験を既存の枠組みに入れて科学的に説明しようとする色々な説があるんですが、そのどれもが私を納得させることは出来ませんでした。 
もう一つの例をあげると、薬物説があります。
麻薬やLSDなど、似たような幻覚や快感をもたらす薬物が存在する。 
だからこれは、そういう薬物と同じ効果をもつ脳内麻薬物質の作用によるものだろうということで、エンドルフィンなどがその候補として取り上げられています。 
私は、医者だから知っていますが、エンドルフィンを人間に投与すると、快感や苦痛の除去という効果があるのは事実ですが、同時に眠気がもたらされて、意識レベルが低下し頭がぼんやりしてくるのです。
しかし、臨死体験では精神が澄みわたり、頭は冴えてきて、論理的思考能力が全く失われません。 これは、エンドルフィンにより、一番簡単な説明を採用するのが正しいのだと思うようになりました。 
一番簡単な説明というのは、これは、物理的な日常世界をはなれたスピリチュアルな体験だということです。
物理的な三次元世界をはなれて四次元の世界に入ることだといってもいいと思います。 要するに、臨死体験というのは、この日常世界を成立させている次元とは別の次元の世界へ渡る橋のようなものだといいたいのです。

それは、”死”ではないのです。
いわゆる”死”は存在しないのです。
・・・・・・・死と考えられているものの実体は何であるかといえば、この三次元の世界で我々が着用している肉体という衣を脱ぎ捨て、別の次元に入っていくことなのです。 
・・・・・・・三次元から別の次元へ存在のシステムを移しても、肉体を離れたあなた自身の本質的存在には変化はありません。
別の次元においてあなたは存在しつづけ、考えつづけ、感じつづけます。
だから、”死”を恐れることは何もないのです。 医者も早くそれに気が付いて、ターミナル段階にある者に、それを教えてやるべきだと思うのです。 」


宇宙の誕生そして生命の誕生とその以前と以後!
神秘的なこと、不思議なことが起こっているが、宇宙や生命について解らないことだらけです。



シリーズ:旅の途中! 2019年版の最後に ・・・

《 信じるか/拒否するか、という意思表示! 》

今のところ、私の死後の世界観は”無”あるのみではないかと思っています。
しかし、前記したような科学者の叙述などを読んでいくと、自然科学では分からない何かが存在するような気にもなります。
だから、人間(生物)としての死を受け止め、”死”を単に”点”としてだけでなく、”線(継続)”或いは”スペース(広がり)”になる思考も含め、真摯に見つめることが、”生”を慈しむことに繋がる大切な事だと思えてしかたがないのです。

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インド/バラナシの火葬場(マニカルニカガート:下の写真 )

「今生、 誰もが辛い、苦しいことを体験し・乗り切って生きてきたのでは?」
そして、「誰もが、時が来れば死んでいく!、急がなくても確実に死んでいく!」
インドのガンガー(ガンジス河)沿いの火葬場(マニカルニカガート )で薪で焼かれる死体を見ていると、涙と共に自然に上の言葉が出てくる。

マニカルニカガート のあるインドの聖地バラナシは、死者を担いだ担架が行き来し、生と死が混在しています。
死者を焼いている傍で子供が遊び、牛が戯れている。
ここでは死者(葬式)を悲しむというよりも次の世界に送り出す”祝い事”のようにも思えてくるから不思議です。