色々なモノを見てきた!

根底にある生き方と考え方のベースになった若き頃の体験!


若き頃、フインランドでの学びを終え、帰路で体験したことです。

☆ ☆ ☆

フインランドから陸路をヒッチハイクで出国し、ソビエトの一部をめぐり共産国の東ドイツ、東欧諸国を鉄道で入国し、更に陸伝いにバスやトラック(荷車)でトルコから、中近東 > インド、アジア諸国を経由し、台湾からは琉球海運の船倉で沖縄(米領)に着きました。

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その頃、夢の制度・在り方だと思えていたマルクス・ レーニン主義、平等の下にあると思えた共産・社会主義。

そのソビエトでの権力的な監視社会や為政者と庶民の不平等感、東ドイツで一昼夜監禁され権力的に詰問されたこと(何故に解放されたのかが今でも不明)など、夢の世界と現実はかけ離れていた。

その上、共産国ポーランドのワルシャワでの警察権力による酷い体験(まずは、西側のスパイと疑い寝かせない、次に、あらゆる嫌がらせ!)、共産国チェコスロバキアで見た庶民の生活等など、どこの国の人も暗い顔をし・空気は淀んでいた。

共産・社会主義
権力の坩堝・権力者による粛清と監視社会

その後・なんとか辿り着いた西側のイスタンブールでの朝日の美しさ

自由・民主主義
自由な空気の素晴らしさ

しかし、そこから陸伝いにバスやトラック(荷車)で訪れたトルコ・イラク・イラン・アフガニスタンからカイバル峠を越えて、パキスタン・インド・東パキスタン(バングラディシュ)で見てきた貧困!
更に、ビルマ(ミャンマー)やベトナム(戦争)などを見聞しているうちに自由な空気も埃だらけの空気になっていった。

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共産・社会主義自由・民主主義も何だかな~と思いながら、沖縄(米領)を経て鹿児島(帰国)に着いた。

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《 番外体験編/約50年前の中近東 》

こんなこともあった、
当時のアフガニスタンでは、ハシシュは普通に売店で購入できLSDもかなり出回っていた。

そのアフガニスタンからパキスタンへの麻薬の運び人を依頼されたが、当然断った。
お金がなく泊まるところもない状態でしたので迷いましたが断った。
当時のパキスタンでは、麻薬の売人または所持は終身刑か死刑だったと思う。

依頼したのは、イスラーム過激派のジハーディスト/スンニ派の過激分子(アルカイダみたいなもの)でした。彼らの資金源の一部が麻薬だったのでしょう。

若者が集まるヒッピーのアジトで一緒になったアイリッシュは、運び屋を引き受けお金をもらっていたが、その後どうなったのだろうか?

・・・ 無事に済んだのだろうか。

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☆ ゲリラやヒッピーのアジト

アフガニスタンの薄暗いアジト・ハッシシやLSDの煙の中で論じあっていたが、私を含めて恰好ばかりの若者の集まりだった。

そこには、イギリス人・ドイツ人・フランス人などヨーロッパやアメリカからの汚らしい若者が集まっていた。
過激分子が集まっていたそのアジトでは、平和を論じ、アメリカを批判していたが、現在はどう生きているのか。
けっこう、資本主義社会のなかでうまく出世しているのかもしれない。
・・・ なにもかもが、そんなものだと思う!

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今思うと、
そのアジトに集まった若者たちは、もっともらしく平和などを論じていたが、麻薬に溺れた無法状態での、善人ぶった/ただの意気地なしのゲリラ風の集まりだったような気がする。
せいぜい、麻薬の運び屋を引き受けるのが関の山だったのではないか。

根本的に、チェ・ゲバラ(Ernesto Guevara、1928年6月14日 – 1967年10月9日)とは異なっていた。

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★ 次は、笑えるようで悲しい話です。

イラン高原のエルブールズ山脈地帯を移動するおんぼろの乗り合いバスでの出来事です。
そのバスの最後部の席に警官二人と囚人一人が乗っていた。

その他は満員状態で田舎町から田舎町への一昼夜の移動となった。

途中、PM5時頃だったか、イスラムのお祈りの時間となり、砂漠みたいなところで全員バスから降ろされ、地べたにオデコを擦り付けてのお祈りとなった。

警官も囚人も祈っていたが、その間囚人は猛烈な勢いで逃げ出した。
お祈りの時なので、手錠は外されていたようだ。

当然、警官は追いかけていく。乗り合いバスは、一時間近く待つことになった。
遠くで、パン・パンと乾いた音が聞こえた。

その音の後に、・・・
囚人は警官に抱えられて戻ってきた。
・・・ 射殺されていた。

その死体を、乗り合いバスの屋根に縛り付けバスは走る。
映画かアニメみたいな話だが、現実に起こったことです。

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パキスタン/宗教祭事:アシュラ

★ そして、残酷な祭りの話です。

パキスタンでは、偶然にも・当時のドキュメンタリー映画”世界残酷物語”にも映されたものを見た。

宗教祭事:アシュラなのだが、何人もの青年が上半身裸になり、鎖の先端にいくつものナイフをつけたものを自分の体全体にぶつけ、痛みや苦しみを我慢するという祭りです。

観客は興奮し、血や小さな肉片が飛び交う。

何メートルも離れている私の顔にも血が飛んでくる。
街中が血だらけになり、気絶する青年や亡くなる青年が出る。

日本でも、滝行や焚火の上の火渡り、千日回峰行という宗教的苦行があるが、血が飛び・肉片が飛び周囲が興奮して煽り立てることはない。

私が見ている前でも、青年が気絶しどこかに運ばれていった。

宗教とは、・・・
ジハードと言って自らに爆弾(自爆テロ)をつけ死んでいく。
そして、このような自虐的な祭事がある。

ある宗教では、余り今生の肉体には愛着がないようだ。

全くもって、政治思想にも問題が多いが、宗教思想もなんだかな~と、思わされた。

色々なモノを見てきた!

☆ ☆ ☆

このようにメチャクチャで、当時の陸路の中近東は貧困・麻薬、ゲリラや窃盗集団の坩堝だった。

ま~、よく生きて日本に到着したもんだと思っているが、日本に到着して2日後には高熱を出し2ヶ月間も入院してしまった。

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右にしても、左にしても、人間のやること・人間の業/サガの醜さを見てくると、現世・人間社会は腐りきり、平等や平和なんてものは夢の中での物語でしかないと思えた。

そして、救いのハズの宗教もなんだかな~ と思え、頼りにならない。

政治と企業の癒着と腐敗、富の偏り・貧富の差、弾圧、
権力者の粛清と監視や欺き、庶民の貧困・麻薬売買、宗教紛争や戦争!

・・・ 生きるということの残酷さを見てきた。

しかし、・・・
腐りきったこの人間社会もいつかは救われるのではないかと思っています。

これからは”物質社会”から”精神社会”に・モノから心の時代に移行していくような気がするので、次に甦るときが楽しみです。

・・・ 次の世に期待したい