シリーズ:旅の途中
《 独楽道楽 》

色々な景色やモノを見て、色々な人に出会う旅

インドブッダガヤの仏塔のスケッチ

八ヶ岳思考
科学者のスピリチュアルな話

☆ ☆ ☆

八ヶ岳だからこそ考えてしまう
スピリチュアル!


この特集は、自然科学者・医学者がスピリチュアルなことを考えている・挑んでいるリポートです。


この種のものには、 ” この世は分からないことだらけ! ” と言うところに付け込んで、面白半分や”いかさま”的なモノが多いのも事実です。
間違えると、お金をふんだくられたり、某真理教のサリン実行犯のようなことにもなりかねません。
ですので、注意が必要な分野でもあります!

未知の世界への旅たち
未知の世界への旅たち


”生命の神秘‐死後と輪廻” 

以前は・死後はなく「無」に戻るだけではないかと、自然科学的な常識の範疇で考えていましたが、この頃・”無”に戻るのではなく、この先に何かがあるのではないか、否・あってほしいとの願望が強くなりました。

未知なる世界観!
私と同じように思っている自然科学者の方々がいました。
そこで、自然科学者の目線から見たスピリチュアルな世界観!
このような特集を組んでみました。

尚、ここで取り上げているのは、いわゆるスピリチュアルなリーディングや霊能者などのことではなく、科学者が体験し分析・調査した観点からの生と死・死後についての話です。

合間に、インドで撮った写真も数枚添付してあります。

インド/サルナート
インド/サルナートにて

目次

NO1
医学系科学者 青山圭秀氏 著書
アガスティアの葉

NO2
東京大学大学院医学系研究科
医学部救急医学分野教授/矢作直樹医師の話

NO3
アメリカ医学者 /レイモンド・ムーディ
一度死んで生還した人々の臨死体験リポート

NO4
フインランドの女性医師
ラウニ・リーナ・ルネカン・キルデ医学博士
臨死・体外離脱等の超常現象体験談
クオロ・ミヨラ( 死は存在しない!)

《 幻想的な風景 》
《 幻想的な風景 》
冬の八ヶ岳にて

NO1

青山圭秀氏 著書 「 アガスティアの葉」

書籍の著者は、医学系科学者=青山圭秀氏 で、
東京大学で物理や精神医学を学んだ理学博士/医学博士ですので、非科学的あるいは、オカルト的な書籍ではないと思うのですが、・・・・・・

又、経歴で物事を判断するのは嫌なのですが、今回は掲載するものが変わったものなので、自然科学的な物事を学んだ・学んでいる方ということで書きました。 

その彼の実体験を書いた書籍が「 アガスティアの葉」と言います。

「 アガスティアの葉」


この書籍によると、

インドの”チェンナイ”近郊の山村に”アガスティア”という聖者が古代タミル語で書いた「各人間の預言書」があるという。 

その預言書は「アガスティア・ナディ(Agasthya Nadi)」と呼ばれている。 
ナディとは、アーユㇽヴェーダでは人体の脈のことを言うが、本来は生命の流れとか、その本質である気の流れという意味がある。つまり、アガスティア・ナディ(Agasthya Nadi) とは、生命の流れを説いたアガスティアの書という意味です。

”アガスティア”は、アーリア民族が北部インドから南下した時代の人らしいが確かではない。 資料によると5,000年位前の人だということである。

インド/ブッダガヤにて
インド/ブッダガヤにて


預言書を解読する人をナディ・リーダー(Nadi Reader)といい、代々この預言書を捜し求めてきた人のために預言書を保存し解読する作業をしている。 

現在の世界人口は約70億人です。

その人達が100年で入れ替わると想定して、1000年で約700億人/5000年で3500億の人になる。

昔の人口はかなり少なかったので、その1/10としても350億人となり、未来の人を想定すると果てしない人間の予言ファイルになる。 

・・・ そんなことがありえるのか? 

日本の医学系科学者(著者)が実体験をして、その神秘と疑惑に迫っています。 

著者は、個人情報はまるっきり伝えずにナディ・リーダーに挑んでいます。 対面後、なぜか親指の指紋だけをとり、しばらくして! 

ナディ・リーダーは、著者と幾らかの問答を繰り返したのちに、何回か”葉”を持ち出しては引っ込めることを繰り返し、最後に持参した三巻の葉の束のち二巻の葉の束から一枚の”葉”を探し出し、そこに書かれていることを読み始めた。
 
そこには 教えてもいない著者の名前、父親の名前や母親の名前、兄弟の状況、そして、自分しか知らないはずの事や出来事が書かれていたという。

・・・ それが、すべて当たっていたというのだ! 

インド/祈り
インド/祈り

ということは、・・・

これから生まれてくるだろう人々の運命までもが決められているということなのか?

人は生まれる前から、そして生まれてからも決められたレールの上を走っていることにもなる。

どこに生まれ・どこで事故にあい・どこで愛する人と会い・どこでどのように死ぬのかまで書かれていたという。又、 誰それと誰それが結婚して、 そして生まれた子! その子に 迷いながらも名付けた名前まで書かれていたにことになる。

・・・ そんなことがありえるのか?

更に、ここ(インド /”アガスティアの村” )に何歳のときに現れると記載されていて、まさにその年齢であったことやその他・暫く会っていない兄の現状のこと(後日判明)を言い当てていたと言うのである。  
驚いたことに、その預言書には自分の死の時期や死に方まで記載されていたらしい。

インド/ハリドワールにて
インド/ハリドワールにて


・・・ この世での、各人の人生は誰か(神など?)に決められているのだろうか? 

科学的思考が蔓延る社会では、一概には信じられないことです。

しかし、そんな預言書があるという。
この著者が言うようなことが真実だとするならば、人は生まれた時から 否、生まれる前から決められたレールがあり、その上を走っていることにもなる。

著者が嘘や思い込みで書いているとは思わないのですが、もしこのような事実があるとしたなら、そのことを解明するほうが、月や火星に人間を送り込むより、もっと大切なことではないかと思う。
5000年も前の人が5000年後の人の予言を書いた書があるという。
それもインド人以外の人も含めた預言書がある。

ある意味の”物証”としては、両親や兄弟の名前に自分の名前がある。
物証のない予言や予知は何か如何わしく、どのようにも説明がつけられるが、ある人とある人が出会ってある子が生まれる、その両親や子に迷いに迷ってつけた名前が、5000年も前の人が予知している。

・・・ その物証(名前)!

例えば、マル山バツ夫の父とバツ川マル子の母のもとで生まれたのが、貴方でマル山ペケ彦で現在〇歳であり、兄弟は△人いる。
5000年も前に、それも異国の人の名前まで予知できていたという。

・・・ 信じられないが、そんな預言書があるという。

そして、予言書にはその人の人生、いつ生まれて・どんな生活をして、いつ結婚して・いつ亡くなるかまで書かれていたという・・・

・・・ そんなことがありえるのか?

アメリカやヨーロッパの医学者や科学者達よ、真実だとしたならば、解明出来ればノーベル賞ものではないかと思うが、誰も調べていない。

・・・ 非科学的だから調べないのか?

自然科学者の何人もが、予告なしに・突然赴く。
通訳には何も告げづ、
自分が何者かも告げづ、
両親や兄弟・自身の名前も告げづに、挑む

結果!
著者:青山圭秀氏の言う通りに、明記されていた名前(事実のみの物証)等が自分と両親のものなら、その他の預言にも信憑性が出てくるので、月・火星計画の予算をこちらに充てるべきだと思う。
人間・人類の将来が分かるかもしれないのだから。

・・・ 非科学的だから無視するのか?

調べない側の問題なのか、
アガスティアの関係者がおかしいのか?
根からのイカサマ・ペテンなのか?

・・・ 研究に値しない問題なのか?

真実なら自然科学の常識を覆すことになるのだが、
何故に、このようなことが世界的な研究にならないのか、
著者は真実を書いているとしたら、この点についてはどう思うのだろうか?

どちらにしろ、私には疑問が残りました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

著者 青山圭秀氏 が ナディ・リーダーと交わした質問会話の一部です。

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青山圭秀氏 「結局、我々の運命は、このように決まっているということなのでしょうか。」 

ナディ・リーダー 「そう言わざるを得ないでしょう。」 

青山圭秀氏 「世界には、いま 5,60億の人がいます。数千年の間には、さらに膨大な数の人々がこの地球上で生きてきたし、今後も生まれ続けるのです。

その中には、輪廻転生による重複があるのかもしれませんが、それにしても全員の分はないでしょう。」 

ナディ・リーダー 「もちろんです。アガスティアは、読みにくる人の分のみを残したのです。

いつ、何歳の時に来るのかも含めて ”読みに来ない人の分を書いても、仕方がないでしょう”。」 


・・・ さて、どう判断したらよいのだろうか?

 Sadhu
お世話になったSadhu


青山圭秀氏は、「過去世からのカルマの結果として、われわれには運命というものが確かにあると思う。

そして神に祈ることや神の意思、あるいは自分自身の意思で、それが変更されることもあるだろう。

ただ、本当にそうなるかどうかは我々の理性では計り知れない。

だから、その時のために、今から、準備しておくのだ。 死の時期の予言日が無事に過ぎたら、その時には祝杯をあげよう!」 と、自然科学者として述べている。

・・・ 全くもって不思議な話です!



註) 現在では、”アガスティアの葉”は、有名になり体験ツアーや”アガスティアの葉” 代行業者までありますが、「なんだかな~」と思わされるようなツアーや代行もありますので、注意が必要です。

はっきり言って、 ” いかさま ” も多いということです。
首都の中央駅で、堂々と政府認定・公認チケットオフイスといって、偽のオフイスを構えているのがインドです。
インドで、”いかさま”は日常の一部です。
騙されるほうが悪いという思考です。

誤解されないように書いておきますが、観光業以外のインド人は優しく・慎ましく生きています。私の知る限りでは、最も人間らしく生きているのがインド人だと思っています。

ある意味では本音で生きているのです。
建前や忖度で生きている日本人とは価値観が違うだけです。
グレーではないのです、白か黒で物事を判断し発言します。

インドに一回でも行った方は、ご存知だと思いますが、インド人にとっては、判断を曖昧するお人好しの日本人は、もってこいのカモです。

儲かるとなると似たようなことをやりだすインド人やなりすますインド人が沢山います。神秘性も含めてそれがインドです。

・・・ 日本人はすぐに騙されてしまいます。
・・・ 注意して下さい。

美しい星で生まれた生命の神秘
・・・ この宝石のように美しい星で生まれた生命の神秘




NO2

東京大学大学院医学系研究科
医学部救急医学分野教授/矢作直樹医師の話
・・・ 講談社/現代からの引用

◇ ◇ ◇

生きていれば、必ず死の瞬間はやってくる。
だが、その先のことは誰にも分からない。
死んだらそれで終わりなのか、それとも——。生と死が交錯する臨床の現場で、医師が体感した「命の神秘」。(講談社編集部注)

Gauguin
我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか – Gauguin


矢作直樹

私が勤務する東大病院では、年間3000人もの患者が集中治療室で治療を受けています。

そこは生と死が隣り合わせの場所であり、私も臨床医として、日常的に多くの「死」に立ち会ってきました。

現代医療には「エビデンス・ベースド・メディスン(EBM)」、つまり「証拠に基づく医療」という考え方がベースにあります。

私たち医師もEBMを踏まえて患者さんの治療に当たるのですが、実は救急外来の現場では患者さんの疾患や障害の原因がどうしても解明できない、ということがしばしば起こります。

現役の医師である私が言うのもおかしいかもしれませんが、これだけテクノロジーが発達した時代でも、医療の現場は最新の医学や科学をもってしても、まったく説明のつかない事象に満ちているといっても過言ではありません。・ 中略

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臨死体験について

「単なる脳内現象に過ぎない」と否定する向きもあるようですが、実は臨死体験の中には「臨死共有体験」というものが幾つも報告されています。

ある方が亡くなりかけていて、ご家族が臨終を看取ろうと周りに集まっている。

その時、患者が見ている「あの世からのお迎えの光景」を家族の人たちも同時に見てしまうというものです。

これは、西洋では既に認知されている現象です。科学的検証こそできていませんが、患者本人ではない第三者までもが同じ体験をするのですから、「脳内現象」というよりは、意識(霊魂)の同調を起こしていると考えるのが自然です。

人間には霊魂がある、と言うと理解できない人がいることは百も承知です。

しかし、これは過去に多くの患者を看取ってきた私の偽らざる実感なのです。

また、霊感が強い人は、死ぬ直前の人間の体から何かが抜け出していく、言い換えれば「見えない体」が肉体から出ていくのが分かるといいます。患者の臨終に何度も立ち会った私も、それは分かるような気がします。

言葉ではなかなか説明しにくいのですが、いわば肉体から何かが「外れかけている」感覚があるのです。

早い方だと、亡くなる3日ぐらい前から少しずつ外れていき、遅い患者さんでも臨終の直前に外れるそうです。私はそれを、いわゆるあの世からの「お迎え」が来たのだと捉えています。 ・ 中略

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「現世」と「死後の世界」

私なりの考えでいうと、我々の生きている世界はいわば競技場のようなものです。

私たちはこの競技場の中で、人生という苦しい競技に参加し、お互い競い合っているわけです。

その中で、「あの世」はいわば競技場の観客席です。観客席と競技場の間にはマジックミラーがあって、こちらから向こうは見えないが、向こうから私たちの様子を見ることはできる。

やがて競技が終わると、つまり肉体的に死ぬと、私たちは霊魂となって観客席へと移るのです。

そして、もう少し競技をしたいと思う人は、競技場の中に戻るように、再びこの世に生まれ変わることができるのだと考えています。・ 中略

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「人には霊魂がある」という考え方

「人は必ず死ぬのは確かだけれど、人間にとって死は終わりではなく、魂は永遠に生き続ける」……。

この考え方は、現代人にとって大きな救いとなるのではないでしょうか。

また、「魂は死なない」というイメージがインプットされれば、この世では自分は理不尽な人生を送っていたけれど、悠久の生の中でみれば、そうした理不尽さという意識を解消することもできるだろう、という視点に立つことができます。

そうすれば、死を無意味に恐れることもなくなることでしょう。繰り返しますが、私は長いこと救急医療の現場にいて、様々な死を目の当たりにし、嘆き悲しむご遺族の姿を見てきました。

しかし、死後も霊魂は消滅しないという考え方に立てば、亡くなった人はなんらかの自分の役割を終え、あの世で幸せに暮らしており、中には次の転生に備えている人もいることになる。

この考え方に立ったほうが、遺族を含め、多くの人がより幸せになるのではないでしょうか。

・・・・ 矢作直樹

《 雑談 》

15年位前になりますが、私が研究している”ルドルフ・シュタイナー”というオーストリアの神秘学学者のリポートを読んでくれた 某国立大学医学部の部長教授が私の所に訪ねてきました。

彼は” 矢作教授”と同じようなことを体験し不思議に思い、神秘学的な学問 ( 宗教ではなく、科学として向き合っている考え方 ) に興味を持ったそうです。

・・・ 現代医学では立証できないことが少なからず 起こっているそうです。



NO3

”もう一つの不思議な情報”
アメリカの医学者 /レイモンド・ムーディ氏による「一度死んで生還した人々の臨死体験リポート」

レイモンド・ムーディ氏による「一度死んで生還した人々の臨死体験リポート」


レイモンド・ムーディ医学博士は、「 担当医が死の断定を下した後に蘇生した人や事故などによって一度死んで生還した人など150例 」 についての体験談を集めリポートを作成しているが、それらには共通点があるという。 但し、150例中3例は共通体験を一切していないことも述べている。 

その共通点は、「まず耳障りな音が聞こえ、暗いトンネルを猛烈な速度で通り抜けたように感じ、自分の物理的な肉体を抜け出て、ある距離を保った場所から、傍観者のように自分自身の物理的な肉体を見つめている。 自分にも「身体」が備わっているが、この身体は物理的な肉体とは本質的に異質なもので、特異な能力を持っていることが分かる。

既に死亡している友人や知己の霊がすぐそばにいることも、なんとなく分かる。

今まで一度も経験したことのないような愛と暖かさに満ちた霊 - 光の生命が現れ、自分の一生を総括させる為の質問を投げかける。

生涯の主な出来事を連続的に、しかも一瞬のうちに再生して見せる事で、総括の手助けをしてくれる。

そのうち、一種の障壁とも境界とも言えるようなものに少しずつ近づいている事が分かる。

激しい歓喜、愛、やすらぎに圧倒されそうになるが、意に反して、どういうわけか再び自分の物理的肉体と結合し、蘇生する。

このような体験は、その後他人に話そうとしても、適切に表現できる言葉が見つからず苦労する。

この体験をした後で、自分の人生は大きい影響を受け、自分の人生の巾と奥行きが深くなったように感じる。」 ということらしい。

又、ムーディ医学博士は、これらの体験談と「チベットの死者の書」 / 「スウェーデンボリの霊的体験」等や古来からある死後の世界に関する記述の類似性に注視すべき点があると述べ、早計に結論を出すべきではないが、医学的な脳内現象というだけでは片付けられないとも述べている。

八ヶ岳の木漏れ日
八ヶ岳の木漏れ日


NO4

”更に、もう一つの情報”
ある一人の自然科学者が述べている、生と死そして、死後

フインランドの女性医師/ラウニ・リーナ・ルネカン・キルデ医学博士 著 /(臨死・体外離脱等の超常現象体験談)/「クオロ・ミヨラ(フインランド語 / 死は存在しない!)」 という書籍があります。

その書籍に書かれている著者の言葉です。



「 臨死体験を既存の枠組みに入れて科学的に説明しようとする色々な説があるんですが、そのどれもが私を納得させることは出来ませんでした。 

もう一つの例をあげると、薬物説があります。

麻薬やLSDなど、似たような幻覚や快感をもたらす薬物が存在する。 

だからこれは、そういう薬物と同じ効果をもつ脳内麻薬物質の作用によるものだろうということで、エンドルフィンなどがその候補として取り上げられています。 

私は、医者だから知っていますが、エンドルフィンを人間に投与すると、快感や苦痛の除去という効果があるのは事実ですが、同時に眠気がもたらされて、意識レベルが低下し頭がぼんやりしてくるのです。

しかし、臨死体験では精神が澄みわたり、頭は冴えてきて、論理的思考能力が全く失われません。 これは、エンドルフィンにより、一番簡単な説明を採用するのが正しいのだと思うようになりました。 

一番簡単な説明というのは、これは、物理的な日常世界をはなれたスピリチュアルな体験だということです。

物理的な三次元世界をはなれて四次元の世界に入ることだといってもいいと思います。 要するに、臨死体験というのは、この日常世界を成立させている次元とは別の次元の世界へ渡る橋のようなものだといいたいのです。

それは、”死”ではないのです。
いわゆる”死”は存在しないのです。

・・・・・・・死と考えられているものの実体は何であるかといえば、この三次元の世界で我々が着用している肉体という衣を脱ぎ捨て、別の次元に入っていくことなのです。 

・・・・・・・三次元から別の次元へ存在のシステムを移しても、肉体を離れたあなた自身の本質的存在には変化はありません。

別の次元においてあなたは存在しつづけ、考えつづけ、感じつづけます。

だから、”死”を恐れることは何もないのです。 医者も早くそれに気が付いて、ターミナル段階にある者に、それを教えてやるべきだと思うのです。 」

宇宙


宇宙の誕生そして生命の誕生とその以前と以後!

神秘的なこと、不思議なことが起こっているが、宇宙や生命について解らないことだらけです。



道石
道石

今のところ、私の死後の世界観は”無”あるのみではないかと思っています。

しかし、前記したような科学者の叙述などを読んでいくと、自然科学では分からない何かが存在するような気にもなりました。

India/Varanasi:Ganga
India/Varanasi:Ganga


Sadhu
Sadhu


インドのガンガー(ガンジス河)沿いの火葬場(マニカルニカガート )

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マニカルニカガート のあるインドの聖地バラナシは、死者を担いだ担架が行き来し、生と死が混在しています。

死者を焼いている傍で子供が遊び、牛が戯れている。

ここでは死者(葬式)を悲しむというよりも次の世界に送り出す”祝い事”のようにも思えてくるから不思議です。


インド・火葬場




最後に!
現在、世界人口約70億人の下から半分の35億人の年間収入と上位26人の年間収入が同じらしいのです。

すごいですね、35億人=26人!
・・・ 笑っちゃうしかありません。

そんな時に目にした ”生命科学者/柳澤桂子氏 訳”の現代風解釈・般若心経とキリスト教の宗教詩 ・浜辺の足跡 を 取り上げていますので、興味のある方はクリックしてみて下さい。



《  仏教とキリスト教のいい話  》