☆ 現代風解釈般若心経 ☆

訳/生命科学者:柳澤桂子氏


☆ 現代風解釈・般若心経
 訳 生命科学者:柳澤桂子氏

—————————————————–

私たちは広大な宇宙のなかに存在します
宇宙では形という固定したものはありません
実体がないのです

宇宙は粒子に満ちています
粒子は自由に動き回って形を変えて 
おたがいの関係の安定したところで静止します

形のあるもの、いいかえれば物質的存在を私たちは現象としてとらえているのですが、現象というものは時々刻々変化するものであって変化しない実態というものはありません

実体がないからこそ
形をつくれるのです
実体がなくて変化するからこそ
物質であることができるのです

あなたも宇宙のなかで粒子でできています
宇宙のなかのほかの粒子と一つづきです
ですから宇宙も「空」です

あなたという実体はないのです
あなたと宇宙は一つです
宇宙は一つづきですから
生じたということも
なくなくなるということもありません

きれいだとか
汚いだとかいうこともありません
増すこともなく
減ることもありません

「空」にはそのような
取るに足りないことはないのです
「空」という状態には
形もなく感覚もなく
意思もなく知識もありません

眼もなく
耳もなく
鼻もなく
舌もなく
身体もなく
心もなく 

形もなく
声もなく
香りもなく
あなたをさわるものもなく
心の対象もありません

実体がないのですから
「空」には
物質的存在も
感覚も 
感じた概念を構成する働きも
意思も知識もありません
眼の領域から意識の領域に至るまで
すべてないのです

真理に対する正しい智慧がないということもなく
それが尽きるということもありません

迷いもなく
迷いがなくなるということもありません
それは「空」の心をもつ人は
迷いがあっても
迷いがないときとおなじ心でいられるからです

こうしてついに
老いもなく
死もなく
老いと死がなくなるとういうこともないという心に至るのです

そして、老いと死が実際にあっても
それを恐れることがないのです




仏陀とキリストの名言

インド/ブッダガヤ・マハーボーディ寺院
Mahabodhi Temple Complex at Bodh Gaya

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

≪仏教≫

仏陀/ゴータマ・シダルッター


「平和」の宗教・仏教 / 仏教には、生きとし生けるものを殺してはいけないという「不殺生戒」があり、如何なる戦いも否定しています。

その開祖:ゴータマ・ブッダは「死」を、「点」としてではなく、人間の内側にあるものとして、あたかも氷が溶けていくように人間は毎日毎日、少しずつ死んでいく「連続的変化」と考えました。 又、死後の世界観ですが、昔のインド人(バラモン教>ヒンドゥ教)は、現世を以下の6つの世界(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)に分け、人間は、この六道(ろくどう)を輪廻・転生すると考えていました。 

釈迦は、六道輪廻に加えるように極楽世界(輪廻を超越した世界)である浄土を考えました。これが、輪廻からの解脱(moksa)ということになり、まっとうに輪廻を遂行すれば”双六でいうところの上がり”があることを説きました。

■ 人生は苦なり

■ そして、入滅時の言葉 ・ この世のなんと甘美な(素晴らしい)事か!

《四諦》
苦諦・集諦・滅諦・道諦

《八正道》

正見・正思・正語・正業
正命・正精進・正念・正定

過去を追うな。
未来を願うな。
過去は既に捨て去られた。
そして未来はまだやって来ない。
だから現在のことがらを、
それがあるところにおいて観察し、
揺るぐことなく動ずることなく、
よく見極めて実践せよ。
ただ今日なすべきことを熱心にせよ。
誰が明日の死のあることを知らん。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

≪キリスト教≫

キリスト・イエス


「愛」の宗教・キリスト教 / 私達が愛するのは、神がまず私達を愛して下さったからです。 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎むものがいれば、それは偽り物です。

目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛する事ができません。 神を愛する人は、兄弟も愛するべきです。 これが、神から受けた掟です。- 【ヨハネ】

キリスト教徒には有名な「サウロの回心」のサウロ(=パウロ)のことですが、彼は、キリスト教をユダヤ教の一つの異端教派から世界的な宗教に変えた人です。

彼は、初めは熱心な「ユダヤ教徒」で「キリスト教」の迫害者だったが、「サウロの回心」にあるような光の体験後、熱心な「キリスト教徒」に回心し、世界宗教・キリスト教の存在にはなくてはならない人になっています。 / 一時の行動では、人間は判断できないということです。

又、私はクリスチャンではないのですが、ある本で読んだアウシュビッツでの「コルベ神父」のことや、 コルカッタのマザーテレサ/「死を待つ人々の家」での体験が思い出され、”信仰”の持ちうる優しさや凄さを感じます。

■  明日のことを思いわずらうな。
  明日のことは、明日自身が思いわずらうであろう

■  汝らの敵を愛し、汝らを責める者の為に祈れ


END