Rudolf Steiner
ルドルフ シュタイナー
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( 精神科学/人智学 )

《 その2 》



精神科学/人智学
その2- INDEX

◆ 精神科学/特集の主旨
◆ 言葉の解釈
◇ 精神科学( 霊科学 )/学び
  私には答えのない学び
◇ 欧米と日本の文化や宗教の違い
  文化や宗教の違いを知って学ぶ
◆ 宇宙進化論 地球進化期
◇ 宗教と科学(学問)/思考の仕方
◆ 学びの整理
  神秘学の難解な表現について



シュタイナー特集


☆ ☆ 特集の主旨 ☆ ☆


意識的な熟慮といったものではなく、本能的な衝動から生まれるものへの無視社会!
私たちを霧のように包み込む自然科学万能という社会!

現在は、一方向に思考や志向が偏り、今・見えるものしか信じられない物理主義・物質至上主義が蔓延っています。

自然科学だけが真実/真理であり、万能/叡智だと思っている社会!
見えないものや科学的でないものは異物・魑魅魍魎として扱われているこの社会!

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古今東西・左右どちらを見ても、自分達の群れを守っていく為には、少しでも自分達と異なる動きをするものを弾き出そうとする、 人間の本能的な働きがあるようで、自分達と異なる考えや動きをするものを「別種/異物(ある意味では魑魅魍魎)」として見る。

それが現在の国や”社会・集団” そして、集団に飲み込まれた個人なのかもしれません。
更に、物質的な欲望が次から次えと湧き出る”我々・人間”、それを後押しする社会。
 
そんな社会のあり方に、”ハァ~”と溜め息をもらす多くの方達が、 「何かがおかしい、これで良いのか」 と、気が付き始めたようです。

異なる価値観、ものの考え方、ものの見方・見え方や”個人/アイデンティティ”の見つめなおしから確立!等などを足踏みしながら考え始めました。

私には、そう思えるのです!

シュタイナー横顔スケッチ
シュタイナー横顔スケッチ


そして、・・・
”生を受けた人間”・誰しもが、ある日突然に、架空のものであった”死”の存在が目の前に出現し、観念的な存在としての”死”の恐怖が、実体として顕在化する時がきます。

その”死”の恐怖感のみが増殖していきますが、人間・誰しもがこの”死”ある舞台で、一夜限りの芝居を演じているのですから、 恐怖に踊らされているだけではなく、劇場、舞台や演目・演じ方などを理性的に考えてみる事も必要なのかもしれません。

”死”の存在!
それこそが”生”の証であるような気がするのです。

人間として死の恐怖を受け止め、”死”を単に”点”としてだけでなく、”線(継続)”或いは”スペース(繋がり/広がり)”になる思考も含め、真摯に見つめることが、”生”を慈しむことに繋がる大切な事だと思えてしかたがないのです。

そこで、シュタイナー思想/人智学(アントロポゾフィー)をとおして、”死”を受け止めることから”生”を探求し、”人生”という”劇と劇場”を考えてみようとしました。


シュタイナー特集
インド/バラナシ:ガンガ(ガンジス河)夜明け


☆ ☆ 思考・思想 ☆ ☆



Geisteswissenschaft
精神科学( 霊科学 )言葉の解釈

八ヶ岳思考/ルドルフシュタイナー・人智学
Rudolf Steiner


”精神”のことを英語では「Spirit」、ドイツ語では「Geist」と言います。
では、”霊”のことはどうか?

英語では「Spirit」、ドイツ語では「Geist」といい、”精神”と”霊”は同じ言葉でも表され、日本語のように明確には分かれていません。

ですから、”Geisteswissenschaft” を”精神科学”と訳す人もいれば、”霊科学”と訳す人もいますが、どちらも正しいのです。
 
現在の日本(日本語)では、”精神”と”霊”を同じ言葉や意味合いで表現することはありませんが、欧米/キリスト教文化圏では、私たち日本人が考える”精神”と”霊”のようには考えていません。
又、日本には、欧米人(特にキリスト教圏)が意味する ” 霊 ” にあたる言葉が無いように思えます。

ですから、日本人には精神/心への問いかけは馴染んでいないのです。

残念ですが、・・・
おかしい人たちの集まりと判断されがちです。



Geisteswissenschaft
精神科学( 霊科学 )/学び

八ヶ岳思考/シュタイナー特集
Rudolf Steiner


人智学の学びは、基本的な生活態度の中で、感覚・知覚などの明瞭な感性を獲得することが大切なのです。

・・・ Rudolf Steiner

人智学の学びの中での人生の存在は、人間の自我が事実に基づいた態度をとるための偉大な教師です。

・・・ Rudolf Steiner

私には答えのない学び

シュタイナーは、彼の見識・見解による論理で答えを出しているのですが、正直に言うと/彼の言われる世界観(霊観)が見えない・体験できない現在の私では、彼の論理で解釈できない箇所については ” 保留 ” とする、としか言えないのが現状です。

私の解釈では、解ったようなフリをしていては、この学びの中核から遠ざかるだけだと思っています。

ですから、保留として、理解できる時期の来るのを待っています。



私が考えるところの答えがない学びの一種は、 別種/異物(ある意味では魑魅魍魎)と 同様に考えられる傾向がありますので、現在の社会状況では解釈や理解の仕方でまるっきり異なる結論に辿り着いてしまいます。

しかし、この種の考えや教育ということを伝える側にも問題があるのかもしれませんので、宗教ではないとするならば、一方向側に偏ったやり方・思考だけでなく、両サイドに立ったうえでの反省や検証・検討も試みたらどうかと思っています。


自然科学は”科学”!
精神科学も”科学”!



”神秘学概論”
神秘学は”科学”です

八ヶ岳思考/シュタイナー特集
Rudolf Steiner


私が書物に「神秘学」という書名を与えたことが、ただちに誤解を招きました。

多方面から”学”であろうとするなら、”神秘”であってはならないと言われたのです。 こうした異議は思慮が足りないのです。

それは、あたかもある内容を公表する者が、その内容を”神秘”にしたいと望んでいる、と言われたようなものです。

「自然科学」という言葉を用いる場合には、”自然”についての知識が扱われていることを暗示しようとしているのではないでしょうか。

「神秘学」は、外的に自然の中では知覚されないという意味で、「秘匿」に経過することがらについての”科学”なのです。

・・・ Rudolf Steiner

シュタイナーと人智学徒
シュタイナーと人智学徒

Rudolf Steiner
ルドルフシュタイナー
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( 精神科学/人智学 )


文化や宗教観の違いを知って学ぶ

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そうでないと、日本人の場合は、
” 霊科学 / 霊! なんだそりゃ~ ” と、学ぶ前から単なる批判的思考に陥ることになります。

☆ ☆ ☆

欧米と日本
文化や宗教の違い
思考の仕方の違い

欧米のキリスト教的思考は、自分と神との関係性から成り立っていますが、日本など・東洋の仏教的思考は、自分と自己の関係性から成り立っています。

どちらが良いか悪いかではなく、他力的思考と自力的思考の違いになり、” 色 ” の見え方や ” ベクトル的 ” な違いはあるのではないでしょうか。

☆ ☆ ☆

尚、シュタイナーの思考は、本来・人間の心や体(物質体)を超越した思考であり、基本的なモノは、表面に付着する思考や形態に関わらず同一であるべきなのです。

しかし、心や体に支配されている現世では、理屈と現状は一致しないと思っています。

この支配から解きほぐすのが、シュタイナーのいうところの修練であり・瞑想なのですが、凡夫にはなかなか難しい。

ですから、 ” 感じ方や理解の仕方 ”  それが、このような学びの難しいところであり宿命でもありますので、仏教等の文化の人々や宗教臭を嫌う人々とは、感じ方や理解の仕方が異なるのは致し方が無いことだと思っています。

頭で理解しようとしても心(無意識/阿頼耶識)が拒否することもあります。

文化や宗教的感性というものは、無意識/阿頼耶識レベルでは、へばりつくように消えることなく残っている、と思っています。

この種の学びでは、これを乗り越えて理解するのが難しい!

※ 解ったようなフリはできます。

参考意見として心して下さい



精神科学/人智学(神秘学)
宇宙進化論 ・ 地球進化期

シュタイナー

☆ シュタイナーの宇宙進化論 ☆

キリスト教が創始される前にも、された後にも、秘教的結社が存在しました。
こんにちでも、秘教的営みが守られている結社は存在しています。

キリスト教以前の秘教的結社とキリスト教以後のそれとの相異は、次の点にあります。

すなわち、キリスト教以前のものは、元来、聖別された伝承を守ることが、その任務であったのに対し、キリスト教の秘教的結社では、第一に、未来を準備することが目標にされていた、ということです。

ですから、秘教的知は決して抽象的な、死んだ知ではなく、活動する生きたものなのです。
秘教的結社は実際の”生”の中に介入することができます。

そして人類の進化の歩みに参与することが、その使命であるのです。
キリスト教的秘教学は、かなりの部分がマニ教徒に源を発しています。

マニ教徒の伝承は今も生き続けていますが、その創始者マニは、紀元後300年にこの世にあった人です。

教会の父、アウグスティヌスも、元々、マニ教徒の共同体に属していました。 
マニ教の教義の核心は、善と悪の命題です。

ふつうの見方では、善と悪とはお互い結びつきをもたず、絶対的な対立を成して、相矛盾するものです。 

しかし、マニ教徒の考えでは、悪は宇宙の構成に欠かせぬ要素です。
悪は宇宙の進化に参与します。

そして結局は善によって吸収され変化させられます。

この世における善と悪、楽と苦の意義を究めることが、マニ教徒の大きな、唯一の使命なのです。
人類の進化を理解するためには、その進化を離れた所から、高所から見つめ、包括的な全体の内に組み込むことが欠かせません。

我々はこの条件の下において初めて、進化の高邁な理想的なイメージをえることができます。

人類の進化を理解しようと試みるのに、理想なしで済ませられると思ったら、大きな間違いです。

理想を欠いた人間は、エネルギーを欠いた人間です。 

人生の中で理想が演じる役割は、機械の中で演じる蒸気の役割と同じです。
蒸気はいわば、莫大な量の圧縮された空気を、小さな空間に封じ込め、そこから強力な膨脹力を生み出しています。

人生における思念の不思議な力も、同様です。 

ですから、もし我々が人類全体と関わる思念的理想の高所にまで達すれば、各時代を貫いて人類の進化を導いている糸を、感じとれることでしょう。

様々な世界観の体系、たとえばダーウィンの体系も、同様に、この連続する糸を探求しているわけです。

ダーウィニズムの偉大さを否認することはありません。

しかしダーウィニズムは、人間の内的な進化を解明していません。
それはもっぱら、関連性のうちの、顕在的なものしか見ていません。

そのため、それは、人間の霊的本質をないがしろにするようなあらゆる純物質的な解明法と全く同じような性質をもつのです。

こうして専ら物理的な事実に基づいた進化論は,人間の起源を動物に求めるのです。
それは彼らが、化石人類において、発達の遅れた低い額を確認したからです。

これに対し、物質的な人間をエーテル的人間の単なる表われと見なす秘教は、ことを全く異なる観点から見ます。

事実,人間のエーテル体は、物質的な体とほとんど同じ形をしており、その輪郭から安々とはみ出ることができます。

しかし、時代を遡るほどに、エーテル頭部と物質頭部の間の不均衡が増大し、エーテル頭部はますます大きくなっていきます。

我々の進化の時期に先行する、ある時代には実際、エーテル頭部はそのような様子をしていたのです。

その当時生きていた人間はアトランティス人と呼ばれました。
事実、地質学者たちは古代アトランティス人の痕跡を発見し出しています。

大洋に沈み、その名をもつ古代の大陸にあった、鉱物や植物を見つけ始めています。
今のところ人間の痕跡はまだ見つかっていませんが、見つかるのもそう遠くないことでしょう。

へッケルの理念を支持する雑誌「コスモス」でも、テオドール・アルルトが動物分布と植物分布の痕跡から、海底に沈んだアトランティス大陸の実在を推論する論文を発表しています。  秘教的探索が予言し、自然科学がそれを立証しているのです。

アトランティス人のあとを引き継いだヨーロッパ人種においては、頭部の前額部が次第に発達し出しました。

しかしアトランティス人においては、意識が集中する中心点は、額の外のエーテル頭部の中にあったのです。

今日ではそれは物質頭部の内部、鼻のやや上あたりにあります。 ゲルマン神話でニフルヘイム(Niflheim;北欧、「霧の国」の意味)とか霧の国(Nebelheim) ー 雲の国 ー という名で表わされているものは、アトランティスの国のことなのです。

実際、地球は当時もっと暖かで、まだ常時、白い蒸気のとばりにおおわれていました。 アトランティス大陸は一連のノアの洪水様の豪雨によって沈んだのです。 
その過程で地球の大気は澄明になっていきました。

そうなって初めて、青空や雷、雨や虹が現われるようになったのです。 こういったわけで聖書には、ノアの箱舟が陸に着いた後、虹が神と人間との絆の新しい徴しとなったと書かれているのです。

ア一リア人種の自我は、物質脳の中でエーテル体を集中することによって初めて自己意識に到達できました。

その時初めて、人間はみずからに向かって《私》と言い始めたのです。 
アトランティス人はみずからを三人称で語っていたのです。
ダーウィニズムは、地上に見出される種の差異に関して、大きな誤りをおかしました。

高等な種が下等な種に起源をもつのではなく、その逆なのです。下等な種は祖先の高等な種が退化してできたものです。

たとえば我々が二人の兄弟に出会ったとしましょう。
兄は知的で上品、弟は下品で鈍重だとしましょう。
この知的な兄が愚かな弟の子孫であると考えるような人がいるとすればおかしなことです。 種に関するダーウィニズムの誤りも、同じ線上にあります。
人間と動物は共通の起源をもっているのです。
動物は人間との共通の先祖から退化したものであり、一方人間はその先祖から出発して、今や高等な進化の度合いを示しているわけです。
このことが我々を傲慢にさせるようなことはありません。

なぜなら高等な領界が進化できるのは、下等な領界のお蔭だからです。
使徒の足を洗うキリスト(ヨハネ伝、13章)の姿は、秘儀参入者が自分より劣る者に示す謙虚さの象徴です。
秘儀参入者は、もっぱら秘儀参入していない者たちのお蔭で存在しています。 

したがって、真の知者は、知に至らぬ者に対して、深い謙虚さを示すのです。
ある種の人間たちが別の人間たちの上昇のために、下降せねばならないのは深刻な悲劇です。 この意味で、パラケルズスの次の美しい言葉は評価に値いするでしょう。

「私は石や植物や動物などあらゆる存在物を観察した。
すると、人間の場合、完成した、生ける言語となっているものが、これらの場合、ばらばらになってしまった文字のように見えるのだった。」

人間と動物の進化の歩みにおいて、下等なものは高等なものに由来しています。 腐敗し死滅するものは生けるものから分離したのです。
生物は生命のないものから生じたと言われています。
しかし実際には、生命のないものが、生物から生ずるのです。

石灰質の殻や石炭などは生物が分泌・凝固したものです。
人間においても我々は、まず軟骨があり、次にそれが骨となる様子を観察できます。
我々の骨は柔かな軟骨組織が硬化したものです。
同様、石も、大地の生きた有機物が硬化したものなのです。

こんにちの人間は、進化の歩みに取り残されるものを、みずからの内に、まだもっています。 この点で我々は再びマニ教に立ち戻ることになります。

かつて人間の内に動物性が混在していたように、現在、善と悪、あるいは、真と偽りという、相対立する二つのものが混在しています。

この対立矛盾、すなわち、二つの要素がみずからの内で混在する仕方によって人間のカルマ、運命が形造られています。

いつの日か人間は、悪を客体として捨て去ることでしょう。
こうした事柄を我々はすべて黙示録的な記述のうちに見出すのです。

こんにちすでにマニ教はその高弟を、落伍者たちの救済者になるよう育成しています。
すでにこんにち、エゴイズムヘ向かう進化と、無私に通ずるもう一つの進化とが共存していることは、誰もが認めるところではないでしょうか。

人間はみずからを動物性から解放しましたが、それとまったく同様に、みずからを悪から解放するのです。

しかし人間が現代ほど大変な危機に瀕していた時はいまだかつてなかったのです。 万人の主であるものは万人のしもべたるべきです。

このことは大いなる必然として生じねばなりません。 
真のモラルは偉大な宇宙法則の認識から生まれるのです。
偉大な理念は、我々の理想を徐々に前進せしめる活力の源泉なのです。 
我々は人生のうちの静かな瞬間に、偉大な進化の理念と相まみえるところまで上昇すべきです。

・・・ Rudolf Steiner

☆ シュタイナーの地球進化期 ☆

特別な預言者として、ある人物が、生まれついた遺伝によって西南アジア諸民族の特性と、教育によってエジプト人との教えとを身につけたある民族、すなわちイスラエル民族の中に生まれた。

それがモーゼであった。

モーゼの魂の内部には、秘儀参入の影響によって、かって正常な地球進化において、月から人間の意識を形成する役割を引き受けた存在が、特別な状態にあるこの魂に啓示した多くのことが入り込んでいた。
稲妻や雷鳴の中に、モーゼは物質的な現象だけでなく、今述べた霊の啓示をも認識した。

しかし、同時にモーゼの魂には他の種類の密議の秘密が影響を与えていたので、モーゼはアストラル的な観察をする中で「自我」を通して人間的な存在になる超人間的な存在を知覚していた。

このように必ず来る事になる人物が、二つの面から「自我」の最高の形式をとって、モーゼに現れたのである。

そして、崇高な太陽存在が偉大な地球上の人間の手本として準備していた存在が「キリスト」として人間の姿として出現した。
この存在の出現によって、全ての密議の叡智は、ある点で新しい形式をとらなくてはならなくなった。

それまでは、密議の叡智はもっぱら地上の進化の外に太陽霊の領域を観察できるような魂の状態に人間を置く為のものであった。
今や、密議の叡智には人間に、人間になった「キリスト」を認識し、あらゆる叡智のこの中心から自然界と霊的世界を理解できるようにさせるという課題が与えられたのである。

キリスト・イエスの生のその瞬間に、キリスト・イエスのアストラル体が、ルツイフェルの介入によって隠される可能性のある全てのものをその内部に取り入れた瞬間に、人類の教師としての「キリスト」の歩みが始まった。

この瞬間から、人類の地球進化の中に、次第に物質的な地球上での目標に達する事の出来る叡智を受け入れる萌芽が植えつけられたのである。

ゴルゴダのできごとが成就した瞬間に、アーリマンの影響を善の方向へ変えることの出来るもう一つの萌芽が人類に植え付けられたのである。

それ以後人間は、霊的世界における孤立から開放するものを、人生から死の門を通って携えていく事が出来るようになる。
パレスチナの出来事は物質的な人類の進化にとってだけではなく、人間が属する他の諸世界にとっても中心となる出来事である。

そして、「ゴルゴダの秘儀」が成就され「十字架上の死」が甘受されたときキリストは、魂が死後滞在する世界に現れ、アーリマンの力に制限を加えたのである。

この瞬間から、ギリシア人が「影の国」と呼んでいた世界に、霊の光がひらめき、その霊の光は、その世界に存在するものたちに、再び光がそこに現れるだろうということを知らせた。

「ゴルゴダの秘儀」によって、物質世界のために達成された出来事が、その光を霊的世界にも投げかけたのである。
このように、後アトランティス期の人類の進化は、この出来事に至までは、感覚的-物質的に対しては上昇であった。

しかし、それは霊的世界にに対しては下降でもあった。
感覚世界の中へ流れ込んだもの全ては、太古の時より既に霊的世界に存在していたものから流れ出たものであった。
キリスト-事件以来キリストの秘密にまで自分を高める人間は、努力して獲得したものを、感覚的世界から霊的世界へ持って行くことが出来るようになる。

そして、霊的世界からその後再び、その獲得したものが地上-感覚世界へ流れ戻る。
その際人間は再び受肉するときに、キリスト衝動が死から新たな誕生までの間の霊的世界において人間に与えたものを携えていくのである。

キリストの出現によって、人類の進化に流れて行ったものは、その進化の中で種子のように働きかけた。 その種子は徐々にしか成就する事が出来ない。

現在に至るまで、その新しい叡智の深みのきわめてわずかな部分しか、物質的存在に流れ込んでいない。
物質的存在は、キリスト的進化の始まりにあるにすぎないのである。

このキリスト的進化は、キリスト出現以来過ぎ去っていった連続する時の中で、人間が諸民族から受ける事が出来、自らの表象能力に受け入れることが出来る限りにおいて、その内的な本質を現すことが出来た。

そうした認識が注ぐ事が出来た最初の形態が、包括的な生活理想となって現れる。
その様な生活理想は、後アトランティス期の人類において様々な生活形態として生み出されていたものに対立するようになった。

レムリア期に人類が地球へ再び受肉するようになって以来、人類の進化において影響を与えてきた状況については既に述べた。

したがって、人類は魂のめんではその起源を、他の諸世界からやってきて、古レムリア人の身体の子孫に受肉したさまざまな存在に求める事が出来る。
さまざまな人種が生まれたのは、この事実の結果なのである。

そして、再び受肉してきた魂の内部には、そのカルマの結果きわめて異なるさまざまな生活上の関心事が現れた。

こうした全ての事の影響が続く限り「普遍的人間性」の理想は存在しえなかった。
人類は単一の状態から出発したのだが、これまでの地球期の進化は分化してきたのである。
キリストと言う概念において初めて、あらゆる分化に抵抗する一つの理想が与えられた。

なぜなら、キリストと言う名を持つその人間の中には、高次の太陽存在の緒力が生きており、どの人間の自我も、その緒力の中に自分の根源を見出すからである。

イスラエル民族の人々もまだ、自分を民族として感じ、個々人はこの民族の一員であると感じていた。 さしあたって、キリスト・イエスの中には、分化を引き起こす諸条件の影響を受けない理想の人間が生きているただそれだけの思想にとらわれたことによって、キリスト教は、包括的な友愛の理想となったのである。

・・・ Rudolf Steiner


☆ シュタイナーが述べる
霊的進化期と現在の位置

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
現在は、惑星状態が”地球期”の第四生命期で、”形態状態”は第四形態状態(物質状態)の 後-アトランティス期、ゲルマン・アングロサクソン文化期ということです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

まずは惑星状態という括りに七つの時期があります。

1、土星期(熱体期/物質体基礎期)
2、太陽期(エーテル体基礎期)
3、月期(アストラル体基礎期)
4、地球期(物質体・エーテル体・アストラル体・自我期)
5、木星期(自己意識/形象意識期)
6、金星期(インスピラツィオーン期)
7、ヴァルカーン期(イントゥイツィオーン期)

ここから、”地球期”を取り上げてみると、更に七つの”生命状態”と七つの”形態状態”に分類されます。
七つの”生命状態”は、・・・

1、第一生命状態
2、第ニ生命状態
3、第三生命状態
4、第四生命状態
5、第五生命状態
6、第六生命状態
7、第七生命状態

七つの”形態状態”は、・・・

1、第一形態状態(高次の霊状態)
2、第ニ形態状態(低次の霊状態)
3、第三形態状態(アストラル状態)
4、第四形態状態(物質状態)
5、第五形態状態(高次のアストラル状態)
6、第六形態状態(低次の霊状態)
7、第七形態状態(高次の霊状態)

に分類されます。
更に、この”形態状態”が七つの時期と文化期に分類されます。

1、ポラール期
2、ヒューベルポレイオス期
3、レムリア期
4、前-アトランティス期
5、後-アトランティス期
6、第六期-封印の時期
7、第七期-ラッパの時期

文化期

1、インド文化期
2、ペルシア文化期
3、エジプト・カルディア・バビロニア・ユダヤ文化期
4、ギリシア・ラテン文化期
5、ゲルマン・アングロサクソン文化期
6、ロシア文化期
7、アメリカ文化期

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

★ 霊/天使の種類

1、セラヒューム / 愛の霊 – 熾天使
2、ケルビム / 調和の霊 – 智天使
3、トローネ / 意志の霊 – 座天使
4、キュリオテテス / 叡智の霊 – 主天使
5、デュナメイス / 活動の霊 – 力天使
6、エクスシアイ / 形態の霊 – 能天使
7、アルヒャイ / 人格の霊 – 権天使
8、アルヒアンゲロイ / 火の霊 – 大天使
9、アンゲロイ / 守護の霊



宗教と科学(学問)
・・・ 思考の仕方

八ヶ岳思考/シュタイナー特集


上記の”宇宙進化論 ・ 地球進化期”を読み、 Anthroposophie/ 人智学 ( 精神科学 ) は、キリスト教関連の宗教思想ではないのかと思われる方もいるようです。
所謂、”宗教”ではないかと思う方もいます。

筆者の考え方は・・・

宗教と考えていたのなら、このような特集は組みません。
しかし、個人的な観点では、キリスト教的思考との考えは捨てきれませんが、この特集では科学(学問)として是々非々で取り組んでいます。

当然、宗教には多くの利点があります。
そのうちの一つが、自我の”ナルシシズム”を抑える生き方を、神や仏の下に教示されていることです。

人間は、貪欲に物質欲や快楽に突き進み、満足できない時には怒りへと変化する生き物なので、宗教 そして、神や仏は、人間には不可欠なのです。

☆ ☆ ☆

其々の方が其々の眼や心で見えてくる”景色”!  どんな景色であっても、色々の受け取り方があって良いと思っています。

宗教と考えても、科学と考えても、其々の方が其々の眼や心で見えてくる”景色”なのです。
そのくらいに柔軟性を持たせないと、この世での”真実・真理”を見失うことになります。

☆ ☆ ☆

但し、注意は必要です!
私の個人的な見解になりますが、宗教には問題もあり紛争が絶えません。

そして、気になる言葉があります。
”オウム真理教”でも使われていた言葉です。

「来世」「前世」「輪廻転生」「死後の世界」「カルマ」「アストラル」「超能力」「予知」「イニシエーション」「幽体離脱」「霊」「神秘体験」「終末論」等などで、精神科学・神秘主義・各種宗教などでも使われる言葉です。

私は、これらの言葉の背後(似非)には途轍もない ”妖神” が潜んでいるように思えてなりません。

善悪の「善(もどき)」にもこの”妖神”は潜み、時々悪さをするようなんですが、人には”善”としてしか見えないから分からないように思えます。

この”妖神”は、”人の心”に寄生し、変異・増殖を繰り返しながら”人の心”を蝕み、人を思いもかけない所へと突き進ませますので、分別ある見分け方は必要です。



再度、述べておきます。
私は、シュタイナーが”科学”であるということを何度も記述していますので、そのことを信じ、この特集を学問として是々非々で作成しています。

但し、シュタイナーが述べている”科学”と私たちが考えている”科学”と同義的に考えても良いものかと自問自答しながら特集を作成しています。
☆ ☆ ☆
願わくは、
自然科学と精神科学が融合した思考社会です。

八ヶ岳思考/ルドルフシュタイナー・人智学
八ヶ岳/新雪

Geisteswissenschaft / 精神科学

《 学びの整理 》



シュタイナーは何故に、難しいすぎる叙述、誤解されるような叙述、読解力のない人  或いは、私みたいな馬鹿もんは近づくなとも思えてしまう叙述に終始しているのだろうか?

それ故に、巷間、シュタイナーの思想・思考の学びで誤解や理解の仕方に差異が生じているのではないか?

”心の学び”でもある精神科学! (と、私は思っています。) 

・・・ 率直に人の心に働きかける/うったえる言い回しや言葉で表現できなかったのだろうか?  などと、単純な私は考えてしまいますが、ルドルフ シュタイナーには深い読みがあったようです。

八ヶ岳思考/シュタイナー特集
Rudolf Steiner

■  Rudolf Steiner

神秘学は、難しい表現による文体に同意して読んでいく読者の善意を前提とする書物として広く普及しました。

私は全く意識的に、誰にでも分る叙述ではなく、正しい思考の努力によってしか内容の中に入っていけないような叙述に努めました。

私はこれによって、読むこと自体が霊的修練の始まりになるという性格をこれらの本に刻印したのです。
こうした読書に必要とされる冷静で慎重な思考の努力は魂の諸力を強化するのに必要なのです。

・・・ Rudolf Steiner

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近代哲学の祖「デカルト」は、この世界の存在がユメマボロシかもしれないと全てを疑った結果、その疑っている自分自身の存在に行き着き、この存在だけは疑い得ないと考え、有名な「我思う、故に我在り」という言葉を残している。

これが、実存思想・自然科学の基礎になっている、デカルトの「明証性」です。

しかし、シュタイナーは、この根源的真実を捉えていない外的(物質的)思考自体が間違いであると指摘している。

何故ならば、デカルトの「明証性」は、外的要因の ”物質やエネルギー” だけを中心にすえ、内的要因を封印しての結論ゆえに、 この世(物質社会)で創られた”我の思考”と”我の存在” でしかないという考え方をしています。

そして、シュタイナーは、デカルト以降の近代自然科学の落とし穴や疑問について警鐘を鳴らし 且つ、社会状況を愁い!自分が体感し読み取った ”真理 ” を伝えなければならないという使命感が働いたのではないか?

☆ ☆ ☆

・・・ と、いうことで、
自然科学と精神科学(その3)に継続します。

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■ 精神科学概論(その3)


★ 精神科学/人智学 の”理念”
★ 精神科学/人智学の基軸
★ 概略:Rudolf Steiner
・・・ 時代背景
★ より良き人間社会を創る!
《 その1 》 人間の構成要素
★ より良き人間社会を創る!
《 その2 》
★ 教育概論/シュタイナー学校
★ 人生での幸せとは?
・・・ 幸・不幸について
・・・ 快楽・苦悩、欲望