《 Private Corner  》
☆ 筆者の戯言 ☆

スイス/ドルナッハ


▼ 戯言 ▼

名もなく・貧しく・汚らしく
ー あるがままに生きる ー

INDEX

◆ 筆者の戯言
◆ インドでの生活 NO1
  ” サドゥとの生活 ”
  ” 自己責任のインド生活 ”
ー 筆者の自由と平等観 ー
◆ インドでの生活 NO2
  ” ハリジャンとの生活 ”



《 筆者の戯言 》

筆者は、壮年期の終盤で悶々と悩みに苛まれ、罪悪感・嫌悪感や厭世観が絶えず襲ってきた

ある意味で、鬱的な病を抱えてしまった

・・・ 状況を変えるために、
インドまで行き、そこで過激な生活を試みた

不思議に、
過激な生活を送っている時には、要らぬことを考えないで済みましたので、日本に戻ることにしましたが、文明の利器に囲まれヌクヌクと生きていると罪悪感・嫌悪感が襲ってくる。

・・・ 現在!
歳と共に、過激な生活は無理になっているので状況には甘んじています。
そして、私のタチとして諦めました。
この状況が”カルマ”というモノなんでしょう!

★ ★ ★

正直に言うと自分の身体には、
訳の分からない魑魅魍魎が住み着いている!
私の場合の魑魅魍魎は、便利さを人一倍享受しながら、口では偉そうに拝金主義を批判する魔物です。

それでも、
生きている残りの時間!
少ないですが、・・・
魔物(魑魅魍魎)と協調或いは闘いながら、自分本位で生きてきた反省と罪悪感・嫌悪感と対峙し、それを ” サドゥのような修行 ” として、今生を生き抜き・次の世に臨む準備をしています。

★ ★ ★

傍から見たら、
変人の個人的な話です。

人間の首を切る
インドの神/カーリー


・・・ 変人!
インドの神は、
そんな人間は助けない?

★ ★ ★


 インドでの生活 NO1 ☆
” サドゥとの生活 ”



インド/カシミール
無認可のムスリム宗教学校にて


生きる!
物質主義・拝金主義から離れることができるのかの問いかけに対して、”お金だけではない”と文面だけの綺麗ごとで済ませることはできます。

しかし、
肉体を維持しなくてはならない今生!
正直な話、 ・・・・
金が無くてはどうしようもないこの世界!
本音ではどうだろうか?

インドにて


私の五十代の十年間は、インドに嵌っていました。
そこで、サドゥ/修行僧の真似事をしていました。 格好をつけてみましたが、一時だからできたことです。

その時のことを踏まえ、
・・・ 生きる!
肉体を維持しなくてはならない今生についての考え(本音)を書いてみます。

インド/ガンガ(ガンジス河)の夜明け




インド/サドゥ


インドのガンガ上流のサドゥ(※)は、手造りで小屋を建て、ガンガ(ガンジス河)の水を飲み、そこで排泄し、施しもの・素手でとった川の魚や木の実を喰っている。

そして、
死んだらガンガ(ガンジス河)に流してお仕舞い。

★ ★ ★
サドゥ生活

インド/友のサドゥ


物質社会の中で、旨いものを喰い・良い生活をしてきたと言う写真のサドゥ。

周りのサドゥとは雰囲気が異なるので、手造りの小屋に同居させてもらった。
彼は、四住期の最終期(遊行期)に入りヒンドゥの教えに従い、家族と別れ修行をしている。・・・ 私たちが言うところの”出家”のようだ。

その彼の身体が、ガリガリに痩せているので修行の辛さが分かる。

★ サドゥだって辛い ★

彼の本音は、
・・・ 修行は辛い!
そして、
時には、旨いものも喰いたい。
と言いながら、私の持っていたビスケットを全部喰ってしまった。

彼曰く・・・
友だから言うが、
辛い修行(生活)をしていると、
時には、死んでしまいたいと思うこともある。

しかし、
輪廻・次の世を考えると、
最終的な解脱を得るために続けなくてはならない。
・・・ と言う。

そんな彼が、同居のお礼に幾らかのルピーを渡すと、もっとくれと”宣った”
家族とは絶縁しているのか、家族からのお金の援助は無いのだろうか? ・・・ また、何のためにサドゥ生活をしているのかを考えてしまった。

しかし、
どこにいても、何をやっても、
・・・ お金は必要ということか?

☆ ☆ ☆

ある言葉を思い出す。
・・・ 「地獄の沙汰も金次第」

(註)インドでは、一日一緒にいれば友になり、三日いれば家族になる。

仏陀 ・・・ 人生は、苦である

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

【 参考 】
※ サドゥ/sadhu

サドゥは、簡単に言うと、ヨーガの実践者や放浪する修行者・苦行僧のことです。

実体は、
ヒンドゥ教/四住期の最終期(遊行期)に入り、社会的な行為や”物質主義”から少しずつ離れ、人里離れた山などに庵・居を移し、自己との対話を試みながら次の”生”のための精神の浄化を試み、最終的な解脱を得ることを人生の目標にしている人々の総称です。

ナーガと呼ばれるサドゥーは、最もサドウらしいサドゥなんですが、衣服を着ずに全裸で生活し・髪も剪らず髭も剃らず、白い聖なる灰を体中に塗っていますので、失礼ですが、見た目は少しばかり怖い感じがします。

サドゥ/ナーガ


又、サドゥーは、ヒンドゥー教で重要な地位を占めていて、彼らの苦行により人々のカルマを打ち破るとされていますので、人々から尊敬・敬愛されています。

しかし、残念ながら、
都市にいるサドゥは、姿を見世物にしたりお金を請求する似非サドゥも多くいますので、観光地では如何わし人々とも思われています。

現在では、ガンガ(ガンジス河)上流にしか、それらしいサドゥはいないようです。

★ ★ ★ ★ ★


★ 自己責任のインド生活 ★
ー 宗教紛争地にて ー



人を救うはずの宗教 ・・・
世界各地で、
その宗教が起こす紛争!

カシミール/スリナガールにて

無謀なコトをしてしまった!

鬱的な病ゆえに、
今生に未練が無かったのかもしれない。

印パの宗教(ヒンドウ教とイスラム教)紛争地ゆえに、当時は渡航禁止区域/レベル4のカシミール! この地で高熱を出し、ゲリラ系の強盗や紛争に合い、希望通りに”あちらの世界”の入り口を2~3回覗けた。しかし、覗いただけでしり込みし、悶々とした世界に戻ってきた。

今思うとバカなことを、・・・
何かが起きたら:自分は自己責任で良いが、家族にどんな迷惑が掛かったかを考えていなかった自己”無責任”な人間でした!

全くもって、どうやって行って、どうやって帰ってこれたのか、そして寝るところはどうしたのかは、筆舌に尽くしがたいことです。

無責任男!
足蹴にするか、笑っちゃうしかない。

バツ印が紛争がよく起こる地域


過激な生活を求めての、
自己責任のインド生活

・・・ 今思うとバカなことをした。

人生を振り返ると、何度となく無謀なことをやり、危険な目にも会ってきた。
ま~、好きなことをやってきた人生!
その延長上の一つの出来事、バカなことをした一つの出来事なのだろう。


カシミール/スリナガール

少しは真面目にリポートすると、
何故に、同じだった国民が宗教によって分断しなくてはならなっかたのか、殺し合いなどしなくてはならないのか、宗教とは何なのか、人間とは何なのか、紛争による貧困・差別とはを考えながらその地で過ごしていた。

そして、
ヒマラヤ山地の景色の美しさとは裏腹に、人間の浅ましさや貧困・民族や宗教差別などの醜さを目の当たりにしたが、何もできない!
それらの事象の被害者になって、終わりの旅でした。

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宗教紛争地故にインド人(ムスリム)以外は見当たらない。
そこは、インドなのに朝晩コーランが流れる! 以前は、東洋のスイスとも呼ばれ、大きな湖(ダル湖)や8,000メートル級の山々(ヒマラヤ山脈)が連なる景色が目の前にある景勝地でカシミアの産地だが、その当時は殺伐とした人々と殺伐とした空気が流れていた。

1947年にイギリスから独立したインドだが、宗教によりパキスタン(当時:西と東パキスタン)とインドに分離独立となった経緯からの紛争が今も続いている。

☆ ☆ ☆ ☆

宗教と人間、民族と国境、そして戦い
そこに生まれる憎悪と差別、
恨みが、被害者の子供達に連鎖する。
考えるだけで終わっていいのかが分からない旅でした。

・・・ そんな無責任男の旅でした!


ー 筆者の自由と平等観 ー

☆ インドでの生活 NO2 ☆
” ハリジャンとの生活 ”



 自由を求めて
筆者・インドにて


筆者は、前記したように50代の十年間に自由というモノを考えてインドを彷徨った。

そのインドでの差別(カースト制度による身分差別)の実体験から”自由と平等”の大切さを身に染みて実感し、その後の人生は、この”自由と平等”をモットーにして生活をしています。

インドにて
俗にいう、”ハリジャン/ダリット”の子供達


《 カースト制度 》

正確にはヴァルナ・ジャーティ制度(四姓制度)と呼ばれるもので、「カースト」とはポルトガル語の血筋/血統を表す”casta(カスタ)”が語源になっていますが、基は、ラテン語の”castus(カストゥス)にあります。

又、ヴァルナ(梵: varṇa、वर्ण)とは色種を意味し、四層の種姓(身分)に分割した古代インド宗教のバラモン教の階級思想です。

カースト制度 》 は、下記の四つの階級に分かれています。

1・知識人(僧)階級
婆羅門/バラモン:ブラーフマナ
2・支配者階級(王・為政者)
刹帝利/セッテイリ:クシャトリァ
3・庶民階級
吠舎/ベイシャ:ヴアイシャ
4・肉体労働者階級
首陀羅/シュダラ:シュードラ

この階級外として ”ハリジャン/ダリット”が存在します。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ハリジャン・ダリット/不可触民(ふかしょくみん)

カースト制度(ヴァルナ・ジャーティ制)の外側にあって、インドのヒンドゥー教社会における被差別民で、総数は約2億人と推計されている。

現在、インドの人口は約13億人ですので、約7人に一人の割合の彼らは、アンタッチャブル、アウトカーストもしくはアヴァルナ或いはダリットと呼ばれる。
ガンジーは、その人たちをハリジャン(神の子)と呼びました。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

下級カーストのインド人は言う。
差別あるカースト制度のおかしさを!

しかし、
その人が ”ハリジャン・ダリット”をひどく差別する。
ある意味では、人間として見ていない。

☆ ☆ ☆

腹をすかしたハリジャンの子供を、汚い大衆食堂に連れていくが、入れてもらえない。
彼らの見る目もゴミでも見るようだった。

私が喧嘩腰に文句を言ったら、裏の薄暗く汚いみたいなところに、床に転がっていた木材でテーブルとイスを作り、そこで食べろということでした。

店を出ようとも考えましたが、変な意地もありました。
又、己の得手勝手な良心で、飢えている子供に食べさせたいと思い、物置みたいな場所で子供と一緒に食べました。
子供は、喜んで私の分までガツガツと食べていた。

彼らからすると、ハリジャンの子供達・人々は、ゴミなんです。
一緒にいた私も同様にゴミなんです。

ゴミとみなされた日常では、
こんなことの連続でした。

☆ ☆ ☆

平等に自由 > 差別や不自由!
頭では理解し行動してきましたが、内側に入らなければ分からない”心の痛み・傷”があります。

人間ではなくゴミなんです!
確かに汚い恰好はしていたが、
そのこととは別問題の差別!
人間の尊厳が傷つく体験でした。

・・・ 悔しかったですね

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人間の尊厳!
私も知らない間に/気が付かない形で・無意識的に彼らと同じようなことをしていなかったか?
気が付かない・無意識なので分かりえないが、自問自答を繰り返すしかない。

インド/コルカタ
マザーハウス(死を待つ人々の家)にて


笑っちゃうが、これぽっちのことで惨めになった!
それを思うと、
マザーテレサやガンジー、
どんなに悲惨なこと・惨めなことを体験し乗り越えたか!

・・・凄い人たちがいた

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

この体験から人間の愚かさと、人間の尊厳! ”自由と平等”の大切さを実感しましたので、四十数年前から独自に学んでいるシュタイナー思想(精神科学/人智学)を掘り下げ、以前から開設していたシュタイナー特集のホームページに、私の思いを綴ってみようと考えました。


END