シリーズ:八ヶ岳思考

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曼荼羅 – 曼荼羅概論

筆者が描いた油絵の曼荼羅

筆者が描いた油絵の曼荼羅

曼荼羅 – NO1 / INDEX

◆ 曼荼羅/曼陀羅
◆ まえがき
◆ 曼荼羅で感じたこと
◆ 幸と平和を願う” 曼荼羅 ”
◆ 曼荼羅”とは

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◆ 曼荼羅を描くということ
◆ 日本の曼茶羅
  胎蔵界曼茶羅、金剛界曼茶羅
◆ ユングと曼陀羅
  分析心理
◆ 曼荼羅参考資料


曼荼羅 /曼陀羅:インド/ガンガ(ガンジス河)の夜明け
インド/ガンガ(ガンジス河)の夜明け


筆者/インドにて
未熟な演技の”人生の旅芸人”


八ヶ岳思考 ”とは

個人的な興味の範疇での”一人芝居”
いわゆる、
未熟な演技の旅芸人のコーナー




曼荼羅/曼陀羅

八ヶ岳曼荼羅:仏陀
お釈迦様
《 仏陀 》


”マンダラ(曼荼羅)”は、サンスクリット語の本質・精髄を意味する ”manda” に接尾辞 ”la” をつけた万物の真理を探究し/表現した言葉で、ヒンドゥ教から仏教、そして大日如来を本尊とする密教への流れから生まれた修行絵画のことです。

密教は、7世紀ころにインドで生まれました。
大乗仏教から密教へとの流れがあるようですが、仏教とは別物との考えもあり”秘密仏教”とも言われています。

現在ではインド密教よりもチベット密教に存在感があります。

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” Mandala (मण्डल) ” ・この言葉は、難行苦行の修行のすえ、真理、本質、実相を悟った” 梵、बुद्ध、ブッダ/仏陀 >大日如来”へと繋がることになり、” Mandala ”を描くことは”精髄への修行の道”でもあるのです。



又、Mandala には仏教>密教の”悟りの境地/ブドァ( budh ) ”が表現されています。

ブドァ( budh ) とは、・・・
サンスクリット語の「目覚める」という意味で、ブッダ( Buddha )の語源は、「目覚めた人」や「悟りを開いた人」 を意味しています。

この流れが密教に伝わり Mandala を描くことが、僧侶の”悟りの修行”の一つとなりました。

尚、 仏教の開祖:仏陀/釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が生きていた紀元前4~500年頃には、釈迦以外にも、ジャイナ教の開祖:マハーヴィーラなどもブッダと呼ばれていました。

しかし、現在ではBuddha/ブッダは、釈迦を意味し、Buddhist/ブディストは、仏教徒をさすようになりました。

八ヶ岳曼荼羅
インド/ガンガ(ガンジス河)の夜明け


” まえがき ”

インドにて


私の50代は、インド三昧の生活をしていました。
今から20年以上も前の事です。

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インドを彷徨った十年間は、人生に悩み・歩む道を探っていた時代で、インドやチベット・ネパールに行き、Sadhu(サドゥ)と共に生活をし、ヨガ瞑想を試み、心の中で描く曼荼羅に出会いました。

インドにて


その頃・インドやネパールで描かれている曼荼羅は、次のページに写真を添付しましたが商業的なモノが殆どで、僧侶が修行のために描いている曼荼羅は、チベット僧侶が描く”砂曼荼羅”にしかお目に掛かれませんでした。




曼荼羅を考えてみる


残念なことに、現在の曼荼羅は絵画/一つの飾りでしかないようですが、私がインド・ネパール・チベットで曼荼羅を見て感じたことは、曼荼羅には宗教的宇宙観と同時に”生命継続の神秘”が描かれているということです。

次のページに書きましたが、曼荼羅図形には決まりごというか原則というのか、描かれる共通したものとしての形状・図形があります。

その描かれる形状・図形以外に曼荼羅から感じたことは、
カジュラホ遺跡のラクシュマナ寺院やカンダーリヤ・マハーデーヴァ寺院で有名ですが、ヒンドゥやジャイナ・シーク寺院などの多くには”命と共に生命の継続/男女の交わり”が彫られています。
それもおびただしい数の彫刻です。

カジュラホ遺跡(Khajuraho)


多くの曼荼羅を見ていて”その部分”を感じました。
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曼荼羅の絵や描かれる過程を見ていて、”命と神聖な意味での生命の継続”を感じ、仏教でいうところの戒律を集めた”律蔵”にも繋がるのではないかとも思えてきました。

そこから発展し”平和”等の意味に繋がるような気がします。



幸と平和を願う
” 曼荼羅 ”

曼荼羅のような宇宙の始まり
曼荼羅のような宇宙

宇宙誕生から10億年後までの間に形成された銀河の集合体
127億光年離れた位置に存在することを確認


曼荼羅 ・・・ 
曼荼羅は、”無垢の状態”で描くことが重要だそうです。
そのように描くことが曼荼羅画の本質のようです。

そして、・・・
曼荼羅画は、”命の誕生と生命の継続”と共に、”宇宙の誕生・神秘”にも繋がります。

八ヶ岳曼荼羅/Haridwar/India - 神仏と曼荼羅
Haridwar/India - 神仏と曼荼羅
”街中にある祈りの場”にて


曼荼羅画を描くのは、”真の意味・行為を熟考する”必要もあるのではないでしょうか。

それは、・・・
誠に残念なことですが、人間にとって”大切な悟りの境地”を表現した曼荼羅画を、サリンを撒いた某真理教の後継組織やその分派が”シンボルマーク”に使ったりしています。

どのような理由があるにせよ、人を殺めた組織の方々が曼荼羅を掲げているのには違和感を感じざるを得ません。

曼荼羅画には、表面的な美しさだけではなく、当然・人を殺めることでもなく、 自己を高め、人を救う道への心の修練が込められているということを知って描くことが必要ではないでしょうか。



”曼荼羅”とは

八ヶ岳曼荼羅/Bodhgaya/India  :チベット僧
Bodhgaya/India  :チベット僧
《 信:修練 》
”経を読み・曼荼羅も描く”


曼荼羅は、描いた絵に意味があるのではなく、 描いている最中の修練に意味があるらしいのです。

     ▼

描き手の心が浮かび上がる絵!
そういうものらしいのです。

八ヶ岳曼荼羅/ Mahabodhi Temple
Mahabodhi Temple


曼荼羅/曼陀羅 は、仏教(密教)の世界観を表現したもので、万物の真理・宇宙の真理を思い描き、そこから生命の神秘や自己の存在意義などを考える悟りの道程が描かれているものです。

そして、 曼荼羅は、菩薩を一定の方式に配し、悟りの境地を表した図形ですが、単に、円・輪・集合体と言う意味や壇(仏を招き供養するための聖なる場所)とか輪円具足(りんえんぐそく)との意味もあるようです。

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この世の中には、存在するのに見えないモノが多々あるような気がします。
その見えないモノが曼荼羅には描かれているのではないでしょうか。

私見になりますが、曼荼羅を描くということは、人間の奥底にある無意識/阿頼耶識の描写で、ヒンドゥ教でいうブラウナー、仏教でいう仏、キリスト教でいうところの神の領域を手探りしていることではないかと思っています。

それが、自分自身の奥底のモノだったり、神羅万象だったりするのではないでしょうか。

”命”と言っても分からない。
”自我”と言っても分からない。
”神や仏”と言っても分からない。

そんな分からないものの描写!
曼荼羅 ・・・ そのように思っています。



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