” シリーズ:八ヶ岳思考 ”
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”八ヶ岳思考 ”とは
個人的な興味の範疇での”一人芝居”
いわゆる、
未熟な演技の旅芸人のコーナー
ビルが林立する都会から離れ、木々が林立する八ヶ岳の山の中で、星空を眺めながら思考するシリーズです。
時には、普段の生活から離れて 景色を見たり・学んだりするのも一考かと思います。・・・ それが、 ” シリーズ:八ヶ岳思考” です。
科学者のスピリチュアルな話
☆ ☆ ☆
我々人類は、
どこから来て、どこへ行くのか
この特集は、自然科学者・医師:医学者が記しているスピリチュアルなことを客観的に捉え・考えているリポートです。
※ 私は、未知なる世界/スピリチュアルな世界に興味があるがゆえに、方向性を間違えてはいけないと思い客観的に捉えるように努めています。
尚、この世界は、宗教的なことに結び付けたり・詐欺的にお金をふんだくったりする輩が多い! 未知なる世界ゆえに、注意が必要であることも付け加えておきます。
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個人的な意見になりますが、八ヶ岳周辺にはそのような人が多いのも事実で、一年くらい前になりますが八ヶ岳の原村で”スピリチュアルな会”がありましたので参加してみましたが、その類の臭いがプンプンしていましたので、即退席しました。
この臭いを好まれる方々もいるようで、”某真理教”に入った方々もこの臭いに引き付けられたのだと思います。詐欺的なことや人を殺めたり・地下鉄などにサリンを撒かなければ”臭い”が”匂い”として認められるのでしょうが、・・・・
☆ ☆ ☆
スピリチュアルな世界
何だろうか?
・・・ この臭いと雰囲気は!
八ヶ岳思考 / 科学者や医学者・医師のスピリチュアルな話
・・・ 不思議は存在するのか?
”生命の神秘‐死後と輪廻”
《 死 》
生物が持つ100%確実なものは”死”!
”死”の後は、無い!
全てがなくなると思っているが、
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はたしてどうなのか?
・・・ その未知なる世界観!
☆ ☆ ☆
自然科学万能という考え方で過ごしてきた自分に疑問を持ち、体の状態や生き方を何とかしなければと考えた末にインド生活がありました。
・・・ 20数年前のインド生活!
現在の経済発展最中のインドとは異なります。
そこで見聞き・体験したことは想像を超えるもので、モノの見え方や考え方が変わったような気がします。
自然科学的な理屈を超えた、
未知なる世界観を受け入れられるようになりました!
だからと言って宗教的に信じ込んでいる訳ではありません。
私の考え方は、
そのような世界観も否定しないというスタンスです。
私と同じように思っている自然科学者の方々がいました。
そこで、自然科学者の目線から見たスピリチュアルな世界観!
このような特集を組んでみました。
尚、ここで取り上げているのは、いわゆるスピリチュアルなリーディングや霊能者などのことではなく、科学者が体験し分析・調査した観点からの生と死・死後についての話です。
合間に、インドで撮った写真も数枚添付してあります。
目次
NO1
医学系科学者 青山圭秀氏 著書
アガスティアの葉
NO2
東京大学大学院医学系研究科
医学部救急医学分野教授
矢作直樹医師の話
NO3
アメリカ医学者 /レイモンド・ムーディ
一度死んで生還した人々の臨死体験リポート
NO4
フインランドの女性医師
ラウニ・リーナ・ルネカン・キルデ医学博士
臨死・体外離脱等の超常現象体験談
書籍:「クオロ・ミヨラ!」
死は存在しない!
NO1
青山圭秀氏 著書
★ アガスティアの葉
書籍の著者は、医学系科学者=青山圭秀氏 で、
東京大学で物理や精神医学を学んだ理学博士/医学博士ですので、非科学的あるいは、オカルト的な書籍ではないと思うのですが、・・・・・・
又、経歴で物事を判断するのは嫌なのですが、今回は掲載するものが変わったものなので、自然科学的な物事を学んだ・学んでいる方ということで書きました。
その彼の実体験を書いた書籍が、インドの「 アガスティアの葉」です。
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先ずは、
不可思議・信じられないことが起こるのがスピリチュアルの世界!
・・・ まさにそんな話から
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※ とにかくインドは不思議な国です。
この書籍によると、
インドの”チェンナイ”近郊の山村に”アガスティア”という聖者が古代タミル語で書いた「各人間の預言書」があるという。
その預言書は「アガスティア・ナディ(Agasthya Nadi)」と呼ばれている。
ナディとは、アーユㇽヴェーダでは人体の脈のことを言うが、本来は生命の流れとか、その本質である気の流れという意味がある。
つまり、アガスティア・ナディ(Agasthya Nadi) とは、生命の流れを説いたアガスティアの書という意味です。
”アガスティア”は、アーリア民族が北部インドから南下した時代の人らしいが確かではない。 資料によると5,000年位前の人だということである。
預言書を解読する人をナディ・リーダー(Nadi Reader)といい、代々この預言書を捜し求めてきた人のために預言書を保存し解読する作業をしている。
現在の世界人口は約70億人です。
その人達が100年で入れ替わると想定して、1000年で約700億人/5000年で3500億の人になる。
昔の人口はかなり少なかったので、その1/10としても350億人となり、未来の人を想定すると果てしない人間の予言ファイルになる。
※ そんなことがありえるのか?
☆ ☆ ☆
日本の医学系科学者(著者)が実体験をして、その神秘と疑惑に迫っています。
著者は、個人情報はまるっきり伝えずにナディ・リーダーに挑んでいます。
対面後、なぜか親指の指紋だけをとり、しばらくして!
ナディ・リーダーは、著者と幾らかの問答を繰り返したのちに、何回か”葉”を持ち出しては引っ込めることを繰り返し、最後に持参した三巻の葉の束のち二巻の葉の束から一枚の”葉”を探し出し、そこに書かれていることを読み始めた。
☆ ☆ ☆
そこには 教えてもいない著者の名前、父親の名前や母親の名前や再婚であること、兄弟の状況、そして、自分しか知らないはずの事や出来事が書かれていたという。
私見になるが、
出来事や予言などは、そんな感じもする、或いは将来そうなるかもしれないなどの想いで片付く・信じることもあるし、自分の名前はどこかで洩れることもあるが、両親の名前となると、具体的事実で不思議すぎるというか、信じがたい!
※ それが、すべて当たっていたというのだ!
5000年も前のインド人が、5000年後の一人の日本人の名前、それも両親の名前まで言い当てていたと言う。
単なる予言書とは異なるように思える。
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※ それこそ何世代も時は流れている。
著者の両親の親だって、両親には迷いに迷って付けた名前だと思う。
それが書かれていて間違っていなかったという。
一般的に考えると、何らかのトリックがあるか、著者の思い込みか、虚偽記事を書いているかとなるが、・・・ 判断が難しい。
”アガスティアの葉”の預言を信じるとすると、・・・
これから生まれてくるだろう人々の運命までもが決められているということなのか?
更に、ここ(インド /”アガスティアの村” )に何歳のときに現れると記載されていて、まさにその年齢であったことやその他・暫く会っていない兄の現状のこと(後日判明)を言い当てていたと言うのである。
☆ ☆ ☆
驚いたことに、その預言書には 著者の人生、いつ生まれて・どんな生活をして、いつ結婚して・いつ亡くなるかまで書かれていたという。
そして、死に方まで記載されていたらしい。
※ そんなことがありえるのか?
・・・ さ~どう考えるか!
科学的思考が蔓延る社会では、一概には信じられないことです。
しかし、
そんな預言書があるという。
この著者が言うようなことが真実だとするならば、人は生まれた時から 否、生まれる前から決められたレールがあり、その上を走っていることにもなる。
☆ ☆ ☆
真実なら自然科学の常識を覆すことになるのだが、
何故に、このようなことが世界的な研究にならないのか。
著者は、科学者としてどう思うのだろうか?
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著者 青山圭秀氏 が ナディ・リーダーと交わした質問会話の一部です。
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青山圭秀氏
「結局、我々の運命は、このように決まっているということなのでしょうか。」
ナディ・リーダー
「そう言わざるを得ないでしょう。」
青山圭秀氏
「世界には、いま 5,60億の人がいます。数千年の間には、さらに膨大な数の人々がこの地球上で生きてきたし、今後も生まれ続けるのです。
その中には、輪廻転生による重複があるのかもしれませんが、それにしても全員の分はないでしょう。」
ナディ・リーダー
「もちろんです。アガスティアは、読みにくる人の分のみを残したのです。 いつ、何歳の時に来るのかも含めて ”読みに来ない人の分を書いても、仕方がないでしょう”。」
青山圭秀氏は、「過去世からのカルマの結果として、われわれには運命というものが確かにあると思う。
そして神に祈ることや神の意思、あるいは自分自身の意思で、それが変更されることもあるだろう。
ただ、本当にそうなるかどうかは我々の理性では計り知れない。
だから、その時のために、今から、準備しておくのだ。 死の時期の予言日が無事に過ぎたら、その時には祝杯をあげよう!」
・・・ と、自然科学者として述べている。
NO2
東京大学大学院医学系研究科
医学部救急医学分野教授
矢作直樹医師の話
★ 講談社/書籍現代からの引用
◇ ◇ ◇
生きていれば、必ず死の瞬間はやってくる。
だが、その先のことは誰にも分からない。
死んだらそれで終わりなのか、それとも ——
生と死が交錯する臨床の現場で、医師が体感した「命の神秘」:(講談社編集部注)
矢作直樹 氏
私が勤務する東大病院では、年間3000人もの患者が集中治療室で治療を受けています。
そこは生と死が隣り合わせの場所であり、私も臨床医として、日常的に多くの「死」に立ち会ってきました。
現代医療には「エビデンス・ベースド・メディスン(EBM)」、つまり「証拠に基づく医療」という考え方がベースにあります。
私たち医師もEBMを踏まえて患者さんの治療に当たるのですが、実は救急外来の現場では患者さんの疾患や障害の原因がどうしても解明できない、ということがしばしば起こります。
現役の医師である私が言うのもおかしいかもしれませんが、これだけテクノロジーが発達した時代でも、医療の現場は最新の医学や科学をもってしても、まったく説明のつかない事象に満ちているといっても過言ではありません。・ 中略
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臨死体験について
「単なる脳内現象に過ぎない」と否定する向きもあるようですが、実は臨死体験の中には「臨死共有体験」というものが幾つも報告されています。
ある方が亡くなりかけていて、ご家族が臨終を看取ろうと周りに集まっている。
その時、患者が見ている「あの世からのお迎えの光景」を家族の人たちも同時に見てしまうというものです。
これは、西洋では既に認知されている現象です。科学的検証こそできていませんが、患者本人ではない第三者までもが同じ体験をするのですから、「脳内現象」というよりは、意識(霊魂)の同調を起こしていると考えるのが自然です。
人間には霊魂がある、と言うと理解できない人がいることは百も承知です。
しかし、これは過去に多くの患者を看取ってきた私の偽らざる実感なのです。
また、霊感が強い人は、死ぬ直前の人間の体から何かが抜け出していく、言い換えれば「見えない体」が肉体から出ていくのが分かるといいます。
患者の臨終に何度も立ち会った私も、それは分かるような気がします。
言葉ではなかなか説明しにくいのですが、いわば肉体から何かが「外れかけている」感覚があるのです。
早い方だと、亡くなる3日ぐらい前から少しずつ外れていき、遅い患者さんでも臨終の直前に外れるそうです。
私はそれを、いわゆるあの世からの「お迎え」が来たのだと捉えています。 ・・ 中略
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「人には霊魂がある」という考え方
「人は必ず死ぬのは確かだけれど、人間にとって死は終わりではなく、魂は永遠に生き続ける」……
この考え方は、現代人にとって大きな救いとなるのではないでしょうか。
また、「魂は死なない」というイメージがインプットされれば、この世では自分は理不尽な人生を送っていたけれど、悠久の生の中でみれば、そうした理不尽さという意識を解消することもできるだろう、という視点に立つことができます。
そうすれば、死を無意味に恐れることもなくなることでしょう。繰り返しますが、私は長いこと救急医療の現場にいて、様々な死を目の当たりにし、嘆き悲しむご遺族の姿を見てきました。
しかし、死後も霊魂は消滅しないという考え方に立てば、亡くなった人はなんらかの自分の役割を終え、あの世で幸せに暮らしており、中には次の転生に備えている人もいることになる。
この考え方に立ったほうが、遺族を含め、多くの人がより幸せになるのではないでしょうか。
・・・ 矢作直樹
《 雑談 》
15年位前になりますが、私が研究している”ルドルフ・シュタイナー”というオーストリアの神秘学学者のリポートを読んでくれた 某国立大学医学部の部長教授が私の所に訪ねてきました。
彼は” 矢作教授”と同じようなことを体験し不思議に思い、神秘学的な学問 ( 宗教ではなく、科学として向き合っている考え方 ) に興味を持ったそうです。
※ 現代医学では立証できないことが少なからず 起こっているそうです。
NO3
”もう一つの不思議な情報”
アメリカの医学者 /レイモンド・ムーディ氏による「一度死んで生還した人々の臨死体験リポート」
レイモンド・ムーディ医学博士は、「 担当医が死の断定を下した後に蘇生した人や事故などによって一度死んで生還した人など150例 」 についての体験談を集めリポートを作成しているが、それらには共通点があるという。
但し、150例中3例は共通体験を一切していないことも述べている。
その共通点は、「まず耳障りな音が聞こえ、暗いトンネルを猛烈な速度で通り抜けたように感じ、自分の物理的な肉体を抜け出て、ある距離を保った場所から、傍観者のように自分自身の物理的な肉体を見つめている。
自分にも「身体」が備わっているが、この身体は物理的な肉体とは本質的に異質なもので、特異な能力を持っていることが分かる。
既に死亡している友人や知己の霊がすぐそばにいることも、なんとなく分かる。
今まで一度も経験したことのないような愛と暖かさに満ちた霊 - 光の生命が現れ、自分の一生を総括させる為の質問を投げかける。
生涯の主な出来事を連続的に、しかも一瞬のうちに再生して見せる事で、総括の手助けをしてくれる。
そのうち、一種の障壁とも境界とも言えるようなものに少しずつ近づいている事が分かる。
激しい歓喜、愛、やすらぎに圧倒されそうになるが、意に反して、どういうわけか再び自分の物理的肉体と結合し、蘇生する。
このような体験は、その後他人に話そうとしても、適切に表現できる言葉が見つからず苦労する。
この体験をした後で、自分の人生は大きい影響を受け、自分の人生の巾と奥行きが深くなったように感じる。」 ということらしい。
又、ムーディ医学博士は、これらの体験談と「チベットの死者の書」 / 「スウェーデンボリの霊的体験」等や古来からある死後の世界に関する記述の類似性に注視すべき点があると述べ、早計に結論を出すべきではないが、医学的な脳内現象というだけでは片付けられないとも述べている。
NO4
”更に、もう一つの情報”
ある一人の自然科学者が述べている、生と死そして、死後
フインランドの女性医師/ラウニ・リーナ・ルネカン・キルデ医学博士 著 /(臨死・体外離脱等の超常現象体験談)/「クオロ・ミヨラ(フインランド語 / 死は存在しない!)」 という書籍があります。
その書籍に書かれている著者の言葉です。
「 臨死体験を既存の枠組みに入れて科学的に説明しようとする色々な説があるんですが、そのどれもが私を納得させることは出来ませんでした。
もう一つの例をあげると、薬物説があります。
麻薬やLSDなど、似たような幻覚や快感をもたらす薬物が存在する。
だからこれは、そういう薬物と同じ効果をもつ脳内麻薬物質の作用によるものだろうということで、エンドルフィンなどがその候補として取り上げられています。
私は、医者だから知っていますが、エンドルフィンを人間に投与すると、快感や苦痛の除去という効果があるのは事実ですが、同時に眠気がもたらされて、意識レベルが低下し頭がぼんやりしてくるのです。
しかし、臨死体験では精神が澄みわたり、頭は冴えてきて、論理的思考能力が全く失われません。 これは、エンドルフィンにより、一番簡単な説明を採用するのが正しいのだと思うようになりました。
一番簡単な説明というのは、これは、物理的な日常世界をはなれたスピリチュアルな体験だということです。
物理的な三次元世界をはなれて四次元の世界に入ることだといってもいいと思います。
要するに、臨死体験というのは、この日常世界を成立させている次元とは別の次元の世界へ渡る橋のようなものだといいたいのです。
それは、”死”ではないのです。
いわゆる”死”は存在しないのです。
・・・・・・・死と考えられているものの実体は何であるかといえば、この三次元の世界で我々が着用している肉体という衣を脱ぎ捨て、別の次元に入っていくことなのです。
・・・ 三次元から別の次元へ存在のシステムを移しても、肉体を離れたあなた自身の本質的存在には変化はありません。
別の次元においてあなたは存在しつづけ、考えつづけ、感じつづけます。
だから、”死”を恐れることは何もないのです。
医者も早くそれに気が付いて、ターミナル段階にある者に、それを教えてやるべきだと思うのです。 」
NO5 / 番外
Shirley MacLaine
アメリカの女優で歌手のシャーリー・マクレーン(Shirley MacLaine)が、自身の体外離脱や神秘体験を語った書籍 「 アウト・オン・ア・リム : 山川 紘矢, 亜希子氏 (翻訳) 」 が一時期ブームを呼びました。
神智学やチャネリングに傾倒し、自分の娘に”幸子”にちなんで ” Sachiko Parker ” と名付けたほどに日本にも傾倒した女優です。
私もその書籍を読みましたが、この項のタイトルが 一応『 科学的な~ 』 ということなので、彼女は科学者ではないので、詳細は記載いたしませんでした。
しかし、興味のある本でした。
この項の結論は、・・・
生命・死後について解らないことだらけ、
ということになります。
歳をとると死後に興味が移ります。
しかし、今のところの私の死後の世界観は”無”あるのみではないかと思っています。
しかし、前記したような科学者の叙述などを読んでいくと、自然科学では分からない何かが存在するような気にもなりました。
分からない何かが存在する
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生と死が混在しているバラナシ
インドのガンガー(ガンジス河)沿いの火葬場(マニカルニカガート )
マニカルニカガート のあるインドの聖地バラナシは、死者を担いだ木組みの担架が行き来し、生と死が混在しています。
死者を焼いている傍で子供が遊び、牛が戯れている。
結婚式途中の新郎新婦までが葬式に同席している。
皆が、泣くというよりも笑みがこぼれているから不思議です。
いいな~、と思える雰囲気や死者の送り方!
焼かれた死者の灰は、ガンガーに流され聖なる河と一体になり、ブラフマー(創造神)のもとに行く。
インドでは輪廻を信じているので墓はつくらない。
ここでは死者(葬式)を悲しむというよりも次の世界に送り出す”祝い事”のようにも思えてくるから不思議です。
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ここには、自然科学では分からない何かが存在しています。