Rudolf Steiner

シュタイナーの黒板画
シュタイナーの黒板画


私が、個人的に保留としていること

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シュタイナー叙述は難解で、理解に苦しむモノが多くありますが、一例として2点を記載しました。
私には理解できなくても、お解りになる方がいることだとは思いますが、私なりの解釈で説明いたします。

シュタイナーは、なぜそのように見えたのか?
シュタイナーは、何故そのように考えたのか?

認識力の差なのか?
持ち合わせた霊感力の差なのか?
精神世界を見よう・感じようといくら努力しても解らなかった凡夫からの問いかけです。

信じなさい、或いは、見えるような気がするではなく、見えた方・説明できる方がいたら、是非・教えて下さい。

断っておきますが、この説明は、批判や否定ではありません!
学びでの純粋な問いかけです。

他の人は見えたり・解ったりすることを、自分が見えない・解らないでは、今までやってきたことは何だったのか、と思ってしまうのです。

Rudolf Steiner


先ずは、宇宙進化論の地球の形状

講演録
天地の未来:地球の形と人体 から抜粋

地球が球体だというのは空想にすぎません。
地球の形態を正しく思い描きま しょう。
それは四面体と呼ばれている形態です。
三角形が四つあります。
底辺に三角形があり、さらに三つ三角形があって、ピラミッド形になっています。
三角形が四つの接辺を持つ四面体です。
さて、これらの三角形の平面をいくらか湾曲させる、と考えてみてください。
そうすると、やや異なってきます。丸くなりますが、まだ固定していません。
直線だった三角形の辺は丸くなります。こうして、丸くなった四面体ができます。
このように丸くなった四面体が、私たちの地球です。
・・・ 以下略

シュタイナーの黒板画
シュタイナーの黒板画:講演時


Rudolf Steiner



ルドルフ・シュタイナーは、地球が球体だとするのは空想に過ぎないと述べ、地球の形状は球形ではなく三角形の四面体(三角錐/最小の頂点数「4」での構成立体)で、その形状が膨らんだものだと考えています。
その四極の底面の三点には「南極(South Pole)」、「中央アメリカ/メキシコ周辺(Volcano)」、「コーカサス(Caucasus)」があり、残りの一点の頂部に「日本(Japon)」があると述べています。

因みに、コーカサス地方とは、現在の”アゼルバイジャン・ジョージア(グルジア)・アルメニア”の3国あたりになります。

シュタイナーの地球の形状
シュタイナーのいう地球


NASA:宇宙から見た地球




《 私見 》


幾何学
幾何学的に判断すると、三角錐は三角形が四つ集まっている完全体ですので、膨らませても各辺が破壊されるだけで球に近いものにはならない。
ですから、三角錐は丸くなった四面体にはならないのです。

宇宙物理学
自然科学の世界では、月や地球ぐらいの大きさの星になると、重力(距離の二乗に反比例した力)が中心部の方向に均一にはたらくのでほぼ球体になります。

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以上のことから判断すると、どうしても解らない。

地球が球体だというのは空想にすぎません。
地球の形態を正しく思い描きま しょう。
それは四面体と呼ばれている形態です。
☆ ☆ ☆
三角形が四つの接辺を持つ四面体(三角錐)です。
・・・ シュタイナー

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例えば、・・・
地球には、四極があり、「南極(South Pole)」、「中央アメリカ/メキシコ周辺(Volcano)」、「コーカサス(Caucasus)」と、残りの一点は「日本(Japon)」である。
或いは、地球の球体には三角錐が内在していて四つの頂点は、前記の四点である。

ということなら理解できるのですが、 解らない!
・・・ どなたか解る方はいませんか?

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シュタイナーが言うように精神”科学”と言うことなら、いかようにも辻褄の合うように説明できるという”法解釈”的であってはならないと思うんです。
又、信じなさいでは、宗教になってしまいます。


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Rudolf Steiner


” 死後 ”

死後すぐ後に来る諸体験は、ひとつの点で生きている間の諸体験とは、全く異なるものである。浄化の間・人間はいわば逆戻りする事になる。
人間は誕生して以来、生きているときに体験した全ての事柄をもう一度体験する。 死の直ぐ前の出来事から始まり、誕生までの全てがもう一度逆に体験される。

そして、その際、生前に自我の霊的本性に由来しないすべての出来事が、霊的に眼前に現れる。ただ、人間は、この全ての出来事も逆の仕方で体験する。

例えばある人が、60歳で死に40歳の時に激しい怒りから誰かに肉体的あるいは精神的に苦痛を与えたとすると、その人は死後、生前の生涯を逆に戻って、40歳のところへ達した時、この出来事をもう一度体験するであろう。

ただ、その時は、生前、他者を攻撃する事で生じた充足を体験するのではなく、その代わりに、自分が他者に与えた苦痛を体験するのである。

この浄化の時は、生きてきた間の約1/3を要する。

Rudolf Steiner



《 私見 》


前述したことですが!

死後のことは非常に興味があります。
しかし、臨死体験者はいますが、確実に亡くなりその後、死後の世界から戻ってきた人はいません。

・・・ 当然です!

ですから、解らないのが当たり前だと思っていますので、シュタイナーが、このように思えるという推論や過程論なら理解できます。
シュタイナーは、死後の世界 或いは、霊界を行き来して、霊などから聞いたこと、見てきたことを叙述しているのでしょうか。

・・・ 解らない!
どなたか解る方はいませんか?

《 個人的資料室 》

”死と死後”
シュタイナー叙述に似ている
自然科学者/医師・医学者の話



東京大学大学院医学系研究科
医学部救急医学分野教授
矢作直樹医師の話
・・・ 講談社/現代から

私が勤務する東大病院では、年間3000人もの患者が集中治療室で治療を受けています。
そこは生と死が隣り合わせの場所であり、私も臨床医として、日常的に多くの「死」に立ち会ってきました。

霊感が強い人は、死ぬ直前の人間の体から何かが抜け出していく、言い換えれば「見えない体」が肉体から出ていくのが分かるといいます。
患者の臨終に何度も立ち会った私も、それは分かるような気がします。

これは過去に多くの患者を看取ってきた私の偽らざる実感なのです。
言葉ではなかなか説明しにくいのですが、いわば肉体から何かが「外れかけている」感覚があるのです。

現役の医師である私が言うのもおかしいかもしれませんが、人間には霊魂がある、と言うと理解できない人がいることは百も承知です。

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アメリカ医学者
レイモンド・ムーディ著
『一度死んで生還した人々の臨死体験リポート』から


レイモンド・ムーディ医学博士は、「 担当医が死の断定を下した後に蘇生した人や事故などによって一度死んで生還した人など150例 」 についての体験談を集めリポートを作成しているが、それらには共通点があるという。

■ 自分の物理的な肉体を抜け出て、ある距離を保った場所から、傍観者のように自分自身の物理的な肉体を見つめている。

■ 自分にも「身体」が備わっているが、この身体は物理的な肉体とは本質的に異質なもので、特異な能力を持っていることが分かる。そして、生涯の主な出来事を連続的に、しかも一瞬のうちに再生して見せる事で、総括の手助けをしてくれる。

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フインランドの女性医師
ルネカン・キルデ医師・医学博士 著
『クオロ・ミヨラ( 死は存在しない!)』 から


死と考えられているものの実体は何であるかといえば、この三次元の世界で我々が着用している肉体という衣を脱ぎ捨て、別の次元に入っていくことなのです。 

三次元から別の次元へ存在のシステムを移しても、肉体を離れたあなた自身の本質的存在には変化はありません。
別の次元においてあなたは存在しつづけ、考えつづけ、感じつづけられるのです。



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Rudolf Steiner


 眠り ”

人間が眠りに落ちると、人間の構成部分の関係に変化が生じる。眠っている人間の中で、その場所に横になって居るのは、物質体とエーテル体であって、アストラル体と自我は含まれない。

眠っている時にエーテル体は物質体と結合した状態であるので、生命の働きは継続する。
なぜなら、物質体はそれだけで放っておかれるならば、その瞬間に崩壊する事になるなるからである。 しかし眠っている間に消えているものは、さまざまな表象であり、苦悩と快楽や喜びと悲しみであり、意識的な意志を言い表す能力であり、生活に見られる似たような諸事実である。

だが、それらについては、アストラル体が担い手である。 眠りの間に、アストラル体があらゆる快楽と苦悩、全ての表象世界や意志の世界と共に消滅していると言う考えは、とらわれのない判断にとっては、言うまでもなく、全く問題にならない。アストラル体は、まさに別の状態で存在しているのである。
人間の自我とアストラル体は、快楽や苦悩そして先に述べたあらゆる他のものに満たされているだけではなく、それらについての意識的な知覚も持っているが、そのことが意識されるたみめには、アストラル体が、物質体、エーテル体と結びつく事が不可欠である。

目覚めている間はアストラル体は、物質体とエーテル体と結びついているが、眠りの間はそうではない。アストラル体が物質体、エーテル体と結びついているときとは異なる存在のあり方をしているのである。 ここで、アストラル体のこの異なる存在のあり方を考察する事が、超感覚的なものへの認識の課題となる。

Rudolf Steiner


 参考 】

アストラル体とは?
 
シュタイナーは、人間の内部では、親密にアストラル体は”知覚に持続性を与えている魂の部分”と結びつき、それを総合してアストラル体と呼び、厳密に言うならば人間のアストラル体を魂体と呼べると述べ、魂が魂体と一つになっている限り、魂を感覚魂ということもできる。と述べているが、分かり辛いので一般的な解釈で説明致します。

ジャーナリストの「立花隆」氏が「超常現象・臨死体験」等の調査研究過程で書いた書物にあった言葉です。

『 アストラル体というのは、オカルトの世界では昔からある概念で、時代によって人によって、その使い方が違うので、簡単には定義できないが、一口で言うと、人間の構成要素として魂と肉体の間にある中間体的なものである。 非物質的な生命の担い手で、通常は肉体の内部に宿って、肉体と同じような形をしているが、形は固定しておらず、フレキシブルである。

そして時とすると、肉体の外部に出てくる。 特別の能力を持った人は、これを自分の意志の力で外部に出すことが出来るという。また病気や疲労などで肉体が消耗しているときには、自然にそれが外に流れ出してしまうこともある。

しかし、外に出ても、生きている限りは、アストラル体は、元の肉体に戻ることが出来る。 アストラル体には、感覚能力・知覚能力・記憶能力なども備わっているので、肉体を離れた状態での体験を思い出すことが出来る。
また、アストラル体が離れても、肉体の通常の能力は必ずしも失われないので、肉体は肉体でそのまま日常的な活動を継続することも可能であると言われる。』
一つの解釈・説明として参考にして下さい。



エーテル体とは?

シュタイナーが言う「エーテル体」は、物理学的なエーテル/「光の担い手」ではなく、物質体の至るところに浸透している人間の本質の第二の構成部分を意味します。言うなれば、物質体の一種の「建築家」のように見なす事が出来るとも述べています。
シュタイナーの目には、物質と生命の間に、数字で規定できる違いだけでなく、決定的な相違が映っていたようです。

又、シュタイナーは、生命にはその担い手として肉眼には捉えられないエ一テル体(der Aetherleib)が宿っていると考えます。 そのエーテル体が抜け出れば、その生命体は死にます。

そして、シュタイナーは、このエ一テル体を提供する源の世界として、物質界より高次なエ一テル界(die aetherische Welt)を考えていました。 これが生命力の世界です。

人間の場合、エ一テル体は物質体(der physische Leib)に生命を与えているだけでなく形も与え、記憶力やリズム性・習慣性なども担っているとされます。 エ一テル体は超感覚的な観察によると、輪郭は物質体とほぼ同じであるが、内部はリズムをもって流れる流動体と考えています。

芸術的感動や宗教的畏敬の念は、このエ一テル体に良い影響を及ぼすといいます。 シュタイナーは、体とその源であるエ一テル界を構成している素材は、我々が何かを想像する時に浮ぶイメージに、生命を吹き込んだようなものとも考えました。それが前述の ”物質体の一種の「建築家」のように見なす事が出来る” という事に繋がります。



それでは、「自我」とは何ぞや? ・・・・ 

自然科学、哲学、精神科学、シュタイナーの叙述等々其々の分野で一冊の本になる位に深く興味のあることですので、楽しみながら自分なりの「自我論」を探り出して下さい。

参考までに、フロイトの「精神構造論」では、自我は三層構造になっているとし、下部の自我~超自我と呼ばれる上部の自我に分類し、快楽原則を原理とし自己を本能的行動に走らせる自我から理性や理想・倫理観のもとに導こうとする超自我と段階的に分け、一体としています。

尚、ルドルフ・シュタイナーが述べている「自我」については、「神秘学概論」の第二章「人間の本質」・第三章「眠りと死」等で述べていますので、そちらを参照下さい。
 
”自我” ・・・・ 
人間の永遠の探求テーマかもしれません。
一つの自我論を参考に下記に記載いたします。


「自我」

”怒り”から導く方法で、「自我」を 「 デカルト的 」 に考察してみました。

医学的には、理性は脳の表面を被っている大脳新皮質の働きによるが、本能や欲望、怒りや恐怖等の情動は、大脳新皮質の下にある大脳辺縁系の働きであり、人間は、理性と情動を連動させることが出来る珍しい動物であるらしい。 この脳の前部・前頭葉(前頭連合野)が巨大化し「自我」という機能を有するようになり自己同一性が保持された。

その結果「死」の恐怖も生まれ、それらの恐怖から免れる方法として『 体が滅んでも、精神(魂)は不滅である 』という考え方が生まれ、宗教などの根本思想となった。

そして、人間が発明した極めて優秀な「心の安定装置」でもあると考えるようにもなる。 この「心の安定装置」/ 宗教での「怒り」の捉え方は、正常な判断力を弱め、自我の弱体にも繋がるので、人間の低次な感情表現と考え、キリスト教では、七つの大罪の一つとしています。

仏教でも、怒りを克服しない人間は「地獄界の精神状態へ導く」と考え、死後最も悪い状態に魂が行く事になるとしています。 生物学的には、「不安」・「いらいら」・「怒り」は、生理的な現象も含めて「 本能的欲求やテリトリーへの侵入に対して、思うがままにならないこと / ストレスや威嚇 」の表現で、 人間の場合には、心と身体の「安定とバランス」が崩れた時の「悲鳴」のようにも感じてしまいます。

補足

”怒りや死の恐怖”を取り除けたら、どんなに素晴らしいことかと思っていましたが!
1940~50年代に、脳の前部に有るとされる怒りや恐怖、精神分裂・躁鬱病等の原因を脳全体から分離させ、消去する研究が行われている。 この研究(ロボトミー研究)で、ポルトガル人医師/エガス・モニスは、ノーベル賞まで取っているが、ロボトミー施術で不安や凶暴性、怒りや恐怖(死の恐怖)、喜びや悲しみ等の情動は希薄になるが、人間としての自我(精神)の喪失が問題しされ、 今でもこの分野の研究は、大きなうねりにはなってはいない。

以前に本で読みましたが、アメリカだかカナダの建設作業員が、事故で頭の前部(前頭連合野)に鉄筋を突き刺し、一命は取りとめたが、理性の利かない全く別の人格(”私が私”で無くなってしまう。)になってしまったという話があります。

このことで解かることは、”怒りや恐怖”等の情動は「自我(私は私!)」と連動しているということになり、取り除くと”私”ではなくなってしまうということにもなりますので、「心の安定装置」などの力を借りて共存するしかないみたいです。

又、角度は異なりますが、精神医学者の河合隼雄氏が自我の確立について、下記のように述べています。

【 自我の確立を西洋流に考える事は、「男性の目」によるものである。「女性の目」を通して見るという場合、自我の在り方からして異なってくるはずである。

そして、この事は必然的に東洋と西洋の対比の問題にまで及んでくるのである。 ノイマンの提出した、西洋近代の自我は—-男女を問わず—-男性の英雄像で表される。
という説に対して、筆者は、日本人の自我は—-男女を問わず—-女性像で表されるのではないかという仮説を既に提出した。】


END