シリーズ:旅の途中
《 独楽道楽 》


色々な景色やモノを見て、色々な人に出会う旅

”和を以て貴しとなす”を考える

《 日本人の国民性と社会現象 》




異質・・・
区別 >差別/異物・魑魅魍魎
和を以て貴しとなす、とは?

特集:和を以て貴しとなす/リスボンの街
Lisboa/Portgal
”異質の存在”
そこから何が見えますか?

異質な風貌や行為
”和を乱す” 或いは、害を与える/受けるからということで取り締まる。
一般人(?)と区別する。

行き過ぎると、害は与えないが一般とは異なる容姿・行為をするだけの添付写真のような”訳の分からない存在 ”も異物として攻撃の対象になってしまう。

”自分勝手や我がまま”と”個人の考え方や主張を大切にする”ことの違いはどこにあるのだろうか?
 ・・・ 実に難しい!

☆ ☆ ☆

注意しないと、自分達と異なる容姿、考えや動きをするものを「別種/異質(ある意味では魑魅魍魎)、訳の分からない存在」として見てしまいます。

それが 日本人の国民性と社会現象ではないでしょうか。

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”日本という村社会”

歴史社会学者 / 小熊英二
「単一民族神話の起源」
より

『 日本の集団観においては、まず個人があり、それが集まって集団ができるとはされない。 

まず、<集団>があり、そこからの疎外現象として<個人>が析出されるのである。

そのため、集団の本流は常に中心のない<みんな>であり、<個人的意見>は、常に傍流とされる。 』 

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作家 / 村上龍
MEN ARE EXPENDABLE.VOL – 6


” 日本という国 ”


『 個人の概念が未発達な国では、個人というのは集団から疎外されることによって際立つ。 

たとえば、メディアの文脈などでは、個人が発達するのは、集団から疎外される場合に限られてる。 

個人的嗜好も集団の影響下にあることが多い。

これまで何度も書いてきたように、そもそも個人と言う概念が希薄だった。

日本では、個人と言う言葉そのものが、集団から疎外され、集団と対立するものとして始めて浮かび上がってくる。  それは、きっと異質な他者という存在を、歴史的に意識せずにすんできたということも大きいのだろう。 』

特集:和を以て貴しとなす/アントワープの街
Antwerpen /  Belgium
”異質の存在”
子供は興味津々だが、
大人は見て見ぬふりをする


”和を以て貴しとなす”

聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条 にある”和を以て貴しとなす”とは、ある辞書によると ・・・

『 何事をやるにも、みんなが仲良く諍いを起こさないのが良いということ。 』となっている。

しかし、本来の意味は、・・・

『 自分の意見を客観的に捉え、相手の意見も聞いてみてははどうか。そして、お互いに認め合い正しいところは正しい、間違いは間違いとし素直に認められるような議論をするべき。』

・・・  ということなのだが、”和を乱すな!”という誤解した考え方をされ、自分達の群れを守っていく為に ”村八分”などという言葉まで生み、独特の村社会を作ってしまった。

特集:和を以て貴しとなす/リスボンの街
”異質の存在”

別の項目でも書きましたが、
異質な風貌や行為 ・ 同じ考え方や行動を取らないと国辱とみなす時代があった。
私が生まれる前の戦時下に蔓延っていた ・・・  ”隣組”

同じようなことが”コロナ禍”で起きています。
これは、全体主義思想の復活という兆しかも知れません。

私は、仏教的な中道思想を良しとしていますので、
政治の思想も右でも左でもありません。
しかし、権力が一党に集中する現在、
戦前の軍国主義への回帰はご免被りたいので、
政治家の動向には注視しなければと思っています。

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インドにて

異質な存在

前述の 村上龍氏 の言葉
『 個人の概念が未発達な国では、個人というのは集団から疎外されることによって際立つ。  』

私もインドで、異質な格好をして異質な生活を試みた。
インドでは、個人が集団を形成している。
ある意味では個人主義・利己主義、
ある意味では個人を大切にしている。
だから、これが普通でこんな人々が多くいるので疎外されたことはない。


END