” シリーズ:八ヶ岳思考 ”
■ ■ ■ ■ ■
シュタイナー特集 No1( C )
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( シュタイナーの思考/思想と叙述 )
シュタイナー特集 No1( C )
INDEX
◆ シュタイナー叙述 ” を側面から考えてみる
表象の背後に
光と影
シュタイナーが語る物語
宗教と科学
———————–
◆ シュタイナー叙述本文
神秘学の性格
人間の生と死、そして自我
人生と感情
人間の構成要素
Luzi-fer & Ahriman
人間について
等など
———————–
◇ 【 雑談と参考 】
自然科学と精神科学
「生物や生活」と「生命や人生」
” シュタイナー叙述 ” を側面から考えてみる
■ 表象の背後に
眼に見える世界の背後には、眼に見えない世界、すなわち 感覚とこの感覚に縛られた思考にとっては隠されている世界が存在しているのです。そして、人間の内部にまどろんでいる能力を発展させる事によりこの隠されている世界に立ち入る事が人間には可能なのです。
・・・ Rudolf Steiner
☆ 光と影 ☆
この世の中では、光があるから影ができると思っていますが、元を辿れば無(闇)があり、そこに光という存在が介入して来ただけなのです。
”無”であるところに、何故かビックバンが起こり・何故か塊ができ、その塊が集結し銀河団を作り、その塊が輝き始めたわけです。
・・・ それまでは”無(闇)”だったのです。
———————-
元/そこには何もなかったし、見えなかったのです。
比喩的な表現になりますが、・・・
シュタイナーは、その元のことを彼なりの言葉で叙述しているのです。
見えることが全てと考える世の中!
見えないモノは解せないと考える世の中!
宇宙の誕生を含め、
元の存在は”無/闇(影)”です。
前述したように、
そこに光が介入してきただけで、その光で可視できることが全てではありません。
☆ ☆ ☆ ☆
例えるならば、
人間は、・・・
空気がなくては生きていけません。
しかし、・・・
そこにあるのに空気は見えません。
必要なモノなのに見えません!
その空気を地球上に留めたり、我々が地球上に立っていられるのは ” 重力 ” という見えない力があるからです。
この世の中には、存在するのに見えないモノが多々あるような気がします。
その見えないモノの一部!
それが、シュタイナーが語っている”物語”で、少しでも根源的なことを探ろう/話そうとするときには、思考に自由性を持たせることが必要です。
又、この”物語”では、現代人の”視覚・聴覚・思考(認識)”の硬直化も問題提起されています。
◆ シュタイナーが語る物語
シュタイナーの”物語”は、一般的な考えではその見えない部分・隠れている部分に焦点を当てた学問です。
ですので、認識の普遍妥当性という点が難しい。
そのようなことから、自然科学万能とする物理主義が蔓延している世の中では認識できないとする結論:結果になりがちですが、そのような結果も含め、一時異なる視点での学びも”心”の栄養になるのではないでしょうか。
————————–
巻頭で述べたように、物質や肉体と心や精神をデカルト的分割思考から一括思考に変化する時期の足掻きみたいなものかもしれません。
・・・ そのような特集です。
” 宗教 ”と” 科学 ”
何回も述べていることですが、・・・
まわりが見えなくなるような学び方/シュタイナーのことを教祖的に崇めたり、叙述を妄信したりでは、
・・・ 科学とは言えません。
・・・ 宗教になってしまいます。
どのような学びでも、一度立ち止まって考えてみる余裕が必要です。
☆ ☆ ☆
シュタイナーが言われるように”科学”ということならば、そのことを考慮してお読み下さい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
《 参考 > 科学とは 》
【 広辞苑 】 より引用
科学とは、一定の対象を理論や実証によって体系的に研究し、普遍的な真理を明らかにする”学問”をさし、その成果としての体系的知識をいう。
広義においては”学問”と同じ意味合いを持つ。
精神科学/神秘学・人智学
◆ シュタイナー叙述から
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私の興味のある課題を、シュタイナー叙述(種々の書籍)の中からピックアップして簡単に纏め、ここにほんの一部分を記載しました。
但し、シュタイナーの叙述は難解な言い回し/言葉になっていますので、理解するのには根気と柔軟な思考力が必要です。
じっくりと読んでみて下さい。
神秘学 ・・・ 神秘学の性格
神秘学を認識するには、カントの ”純粋理性批判/二律背反” が示すように、理性の認識には限界があるので、外界の諸現象について判断したり、仮説を立てたりしないで、現象そのものが自分に理念を語りかけるように、自分を成熟させることが必要です。
・・・ Rudolf Steiner
☆ ☆ ☆
精神科学は、霊的器官によって高められた知覚から、その諸事実を汲みとる認識を通してその関連を追及する。また、精神科学は、人間の生成過程をさかのぼって追及する。そこで、人間の本来の内的で霊的な存在が、この地球上での一連の”生”を通じて歩んできた事実が明らかになる。
・・・ Rudolf Steiner
☆ ☆ ☆
「神秘学」 > この言葉は、現代のさまざまな人々にとって、直ちに敵対する感情を呼び覚まします。
多くの人々にとって、この言葉は、嫌悪感を持たせるものであり、嘲笑、さげすんだ笑み、そして、おそらく軽蔑を呼び起こします。
そうした人々は、この言葉が示されている考え方は、ただ無意味な夢想や空想に基づいており、そのような「偽りの」科学の背景には「真の科学性」と「本当の認識努力」を知っている者ならば、 避けるのが当然で、 あるあらゆる種類の迷信を復活させようとする衝動だけが隠されている、と思っています。
他の人々はこの言葉から、あたかも、この言葉が意図していることは、別の方法では達成できないことがらや自分の素質に応じて、 内的に深い認識の憧れや魂的に洗練された好奇心が引き付けられることがらを成し遂げてくれるにちがいないかのような印象を受けるでしょう。
これらの際立って互いに対立する二つの意見の間には、「神秘学」という言葉を聞いたときに、どちらか一方の意見の人が思い浮かべる内容を、条件付で拒否するか、 又は、同意するあらゆる可能な段階が存在します。
「神秘学」という言葉が、「未知なるもの」、秘密に満ちたもの、それどころか明らかでないものについての、自然に即した方法では得る事のできない知識を求める、 取り返しのつかない結果を招くような欲求を満たすように思われるために、多くの人々にとって、その言葉に魔術的な響きがあることは否定できません。
すなわち、多くの人々は、彼らの魂のもっとも深いあこがれを、明らかに認識できるものによって満足させたいとは思っていないのです。 ————
・・・ Rudolf Steiner
☆ ☆ ☆
神秘学は、外的に自然の中では知覚されないという意味で、「秘匿」に経過することがらについての”科学”なのです。
・・・ Rudolf Steiner
☆ ☆ ☆
日常や通常の学問においては、人間の認識活動は超感覚世界に立ち入る事の出来ない状態にあります。
この(神秘学)証明は、人間の自然のままの眼は、その視力では生物の小さな細胞やはるかかなたの天体の状態にまで迫る事が出来ないことを示す為の証明と同じ価値しか持ちません。
通常の視力では細胞にまで達しないという主張が正しく、証明可能であるように、通常の認識では超感覚的世界に立ち入る事ができないという主張も正しく証明可能です。
しかし、通常の視力が細胞にまで及ばないという証明は、細胞の研究を止めさせる事にはならないのです。
だとすれば、通常の認識能力が超感覚世界にまで及ばないという証明が、なぜ超感覚世界の研究を止めさせる事になるのでしょうか。
・・・ Rudolf Steiner
科学の成立は、本質的には科学が捉える対象からではなく、科学的な努力の中に現れる人間の魂の活動のあり方から確認されるのです。
科学を学んで身につけるときに、魂がどのような状態であるのかに目を向けなければならない。
感覚に明らかであるものが考察されるときにしか、この魂の活動のありかたは存在しないという習慣が身についていると、感覚に明らかであるものだけが本質的なものであるという見解に容易に陥るのです。
・・・ Rudolf Steiner
神秘学者は、自然科学にみられる思考方法なしには、どんな科学も基礎づけることができないことを知っている。
しかし、神秘学者は、この厳密さが、自然科学的思考の精神に真に通じることによって獲得されるならば、その厳密さを、魂の力を通して他の諸領域のために保持しておくことができることも知っているのです。
神秘学者は、自然科学の価値を誤って判断するつもりはなく、かえって自然科学者以上にその価値を認めようとしています。
・・・ Rudolf Steiner
人生において霊的な原因となっていることについて語る人々の側が、少なからず混乱に貢献していることは、否定してはならない。 そのような人々によって、多くのことがらが、あまりにも大雑把に曖昧に語られている。
・・・ Rudolf Steiner
真の目的に従えば、あらゆる正真正銘の科学者も、感覚世界の事実に基づいて築かれた科学と、 超感覚世界が探求される方法との間に矛盾を見出す事はありえないだろう。
科学者は、一定の道具や方法を使用する。
そして、超感覚的認識方法も道具を使用する。
—– ただし、この道具は人間自身です。
この道具も、より高次の探求のためには、前もって使われるようにしなくてはならない。
まず、人間が何もしないで「自然」から与えられた能力と緒力を、人間の内部でより高次なものへと変化させなくてはならない。
そうすることによって、人間自身が超感覚的世界の探求の為の道具となるからです。
・・・ Rudolf Steiner
人間・生と死、そして自我
人間を考察する場合に ・・・・ なによりもまず、人生のあらゆる観察の上に大きな謎のように立ち込めている現象、すなわち”死”へ注意を向ける必要がある。
そして、死と関連して、いわゆる生命のない自然、常に自らの内部に死を担っている鉱物界へも注意を向ける必要がある。
そうするときに、超感覚的認識によらなければ十分に解き明かすことが不可能である諸事実が言及される。
・・・ Rudolf Steiner
生において霊的な原因となっていることについて語る人々の側が、少なからず混乱に貢献していることは、否定してはならない。
そのような人々によって、多くのことがらが、あまりにも大雑把に曖昧に語られている。
例えば、遺伝される特徴に積み重ねられて人間の人格が出来るというならば、 それは、確かに時計の金属部分が自ずと時計に組み立てられるという主張に等しい。
しかし、霊的世界に関しての多くの主張が、時計の金属部分は時計の針が前に進むように自らを組み立てることはできない、と誰かが言う場合と変わらない態度をとるということも認めなければならない。
そうした主張に比べて、針を前に進ませている「神秘的」な存在のことは、これ以上気にかけない、針を前進させる機械的な関連を知りたいのだと言う人の方が、はるかに確実な根拠に信頼をおいていることになるのは言うまでもない。
例えば、誰かが、ここで述べられているさまざまな事柄を読み始め、学問の研究成果に基づいて疑わしく思い、次のように判断するかもしれない。
このような主張が今の時代にありうるとは驚くばかりです。
もっとも単純な自然科学上の概念が、初歩的な知識すら全く理解していないのではないかと思わせる方法で用いている。
物理学の基礎だけでも知っている者ならば、ここで述べられていることは、ディレッタンティズムというにも値せず、完全なる無知を証明するものでしかないことを、この著者に思い知らせることができるであろう。
・・・ Rudolf Steiner
● 死後・輪廻
● 死・再生・カルマ・輪廻
● 眠り
● アストラル体・エーテル体
● 自我
● ”死と死後”
● 自我
等は、シュタイナー特集 No4に記載していますので、お読み下さい。
人生と感情
≪人生1≫
人生は、人間の自我が事実に基づいた態度をとるための偉大な教師である。
≪人生2≫
人生は、「自我」の内部に物質的な器官そのものの本質に由来するものではないが、物質的な器官によって充足する事のない享楽を求める欲求を燃え上がらせた。
≪人生3≫
青年時代は”肉体”の季節
中年は”心と知性”の季節
老年は”魂”の季節
≪感情1≫
内面にかなり苦しい感情を呼び起こすようなことが、ある人の身に起きたとする。
その人はそれに対して二通りの態度を取る事が出来る。
その出来事を苦しい思いをするものとして体験し、苦しい感覚に没頭し、それどころか、ことによると苦しみの中に沈んでしまう可能性もある。
しかし、別の態度を取る事も出来る。実際、私自身が前の人生で私の内部に私をこの出来事に遭わせる力を形成したのだ。
私が自ら、私にこのような苦しみを与えたのだ。と言うことが出来る態度である。
そして、このような人は、更にそうした考えをもたらすあらゆる感情を、自分の内部に呼び起こす事が出来る。当然の事であるが、感覚や感情の活動がその様な状態になるためには、そうした考えをこの上なく真剣に、ありとあらゆる力で体験する必要がある。
≪感情2≫
欠陥を避難する事によって学ぶのではなく、欠陥を理解する事によってのみ学ぶことが精神性を高める。
しかし、理解する為に不満をすっかり排除しようとするならば、やはり進歩はないであろう。
ここで重要なのは一面性ではなく、魂の諸力の安定とバランスなのである。
・・・ Rudolf Steiner
病(やまい)
精神科学は、病気の大部分が、アストラル体における倒錯や錯誤がエーテル体に伝わり、エーテル体を通して、物質体の調和そのものを破壊することに因るものであるという事実を明らかにしている。
・・・ Rudolf Steiner
現れている世界の内部では、人間の物質体は、人間が鉱物の世界と共有する同じ部分である。 それとは反対に、人間を鉱物から区別するものは、物質体とは見なす事ができない。
とらわれのない考察をすると、死が始った時、鉱物界と等しい性質の部分が、その死によって人間の本質から剥き出しにされるという事実が重要です。
死体とは、死後、鉱物の世界の領域に見いだされる諸経過に支配される人間の部分であると指摘する事ができる。
死体という人間存在のこの部分には、鉱物界において同じ素材や諸力が働いているという事実を強調することができる。
しかし、死と共に、この物質体の崩壊が始るという事も同じように強調する必要がある。
また、次のように言う事もできる。
確かに、人間の物質体には、鉱物においてと同じ素材や諸力が働いているが、その働きは、生きている間は、より高次の状態において、死が始った時に始めて鉱物界と同じ働きをするようになる。
死が始った時に、その素材と諸力は、それ自身の本性に従って、すなわち、物質体の形態を解体するものとして、現れなければならないときに現れるのです。
このように、人間においては、現れているものと隠されているものとを厳密に区別しなければならない。
・・・ Rudolf Steiner
Doppelganger / ドッペルゲンガー
境界の守護者
□ 人間が霊的知覚器官を獲得するところまで規則正しい修練を行うならば、自分自身の姿が最初の印象として自分の前に現れる。 ”自分のドッペルゲンガーを知覚するのです。” —–略—– ドッペルゲンガーは「魂的-霊的世界の前に存在する”境界の守護者”」と呼ぶ事ができます。
□ 人間が「境界の守護者」との出会いなしに霊的-魂的世界に入っていくならば、次々と錯覚に陥るだろう。なぜなら、自分がその世界に持ち込んだものと、その世界に本当に属しているものとを区別することが出来なくなるからです。
□ 超感覚的世界に入っていく時以外に、人間が、この「境界の守護者」に出会うのは、物質的な死を通過するときです。
・・・ Rudolf Steiner
《 参考 》
ドッペルゲンガー現象/自己像幻視現象
(独: Doppelganger・英: double)
☆ ☆ ☆
自分と同じ姿を鏡ではなく、他者として見える現象で、幻覚症状にこのような事がおこるのも知られている。
現代医学では、脳の一部(精神)の異常状態で起こる現象とみている。
又、”臨死体験”現象で、体外離脱して上から自分を見ている姿が、類似するものの一つでもあるようで、この現象には非常に興味があります。
——————————————–
”境界の守護者”とは、もう一人の自分 !?
——————————————–
シュタイナーは、そうは叙述していませんが、私には、神秘学的にこの状態(現世)で見る自己像は、肉体(物質体)から遊離した「アストラル体」ではないかと思えてならない?
この現象は、昔から伝説や民話によく出てくる、対面から顔を隠した人がやってきて、すれ違いざまに顔を確認すると、なんと自分の顔だった、という類の話です。
——————————————–
日本では芥川龍之介の小説があり、欧米でもこれをテーマにした文学作品はかなり多い。
その他にシューベルトの「白鳥の歌」の中の「ドッペルゲンガー」(ハイネ詩)はこの現象を歌い、ゲーテは「詩と真実」で、失恋時の傷心状態でのドッペルゲンガー体験を述べています。
人間の構成要素
人間の最も固有な本質は、神的なものから取り出されてきているために、人間は自分の内部に神的なものを見出す事が出来るのである。
人間は神的なものを通して人間の第三の魂の構成を獲得する。 これは、アストラル体を通して外界についての知覚を受け取るように、神的なものをとおして自分自身についての内的な知覚を獲得するのである。
神秘学ではこの第三の魂の構成部分を「意識魂」と呼ぶこともできる。 神秘学的には、体的なものが三つの構成部分・「物質体」「エーテル体」「アストラル体」から成り立っているように、魂的なものは、三つの構成部分・「感覚魂」「悟性魂」「意識魂」からなりたつ。・・・・・・
・・・・・・・人間の七つの構成要素は「物質体」「エーテル体または生命体」「アストラル体」「自我」「霊我」「生命霊」「霊人」であり、これは 光の七色や音階の七音についてと同様であり、「光は(赤」)と(紫)の向こう側に眼が知覚出来ないだけだが色がまだアル」という反論には、物質体の向こう側にも霊人の向こう側にも人間の本質は継続していて、この継続が≪霊的に不可視≫であるにすぎない。
・・・ Rudolf Steiner
理想
人生の中で理想が演じる役割は、機械の中で演じる蒸気の役割なのです。
・・・ Rudolf Steiner
芸術
真の芸術による影響は、人間に作用する。
人間が芸術作品の外的な形、色彩、音を通して、その作品の霊的基盤に表象と感情を浸透させると、それによって自我が受けとる衝動は、実際にエーテル体にまで作用する。
この考え方を最後まで進めていくならば、芸術が、人類のあらゆる進化にとって、どんなに大きな意味を持っているかが正しく判断できるであろう。
・・・ Rudolf Steiner
記憶と忘却
「自我」にとっての記憶と忘却は、アストラル体にとっての目覚めと眠りによく似ている。
眠りが昼間の心配や憂いを無のなかに消し去るように、忘却は、人生の嫌な経験の上にヴェールをかけ、それによって、過去の一部を消してしまう。
そして、消耗した生命力が新たに強められる為には、眠りが必要であるように、人間は、新しい体験に自由にとらわれなく向かい合うつもりならば、記憶から自分の過去のある部分を消し去らなければならない。
しかし、まさに忘却から、新しいものを知覚する力が呼び覚まされるのである。
・・・ Rudolf Steiner
人間が、たんに快楽や苦悩、喜びや苦痛に自分を委ねている時には、自我(私)がアストラル体に働きかけているのではなく、 これらの魂の属性の独自性が変化するときに、自我がアストラル体に働きかけているのである。
同時に、自我が、性格の特性や気質などを変化させることに、その働きを向けるときには、エーテル体にまで働きかけが及んでいるのです。
どんな人間も、意識していようとしていまいと、エーテル体を変化させるように働きかけている。 通常の生活において、エーテル体を変化させるように働きかけるもっとも強力な衝動は、宗教的な衝動です。
自我が、宗教から流れ出る刺激を繰り返し自分に作用させると、その刺激は、自我の内部、エーテル体にまで作用し、エーテル体を変化させる力を形成する。
それは、人生において、それよりも弱い刺激が、アストラル体の変化を生じさせるのと同様です。
学習・反省・感情の鈍化などを通して、人間に近づいてくるこの弱い方の刺激は、多様に変化する存在であることを免れない。
しかし、宗教的感情は、思考・感情・意志のすべてに、一貫した傾向を”刻印”する。
いわば共通の統一的な光を、魂の活動全体に拡散させるのです。
人間は今日と明日とでは、それぞれ別の事を考え、感じる。 種々さまざまな誘因が、そのようにさせるのです。
しかし、どんな性質のものであれ、宗教的感情を通して、あらゆる変化を貫いているものを予感する者は、今日考え、感じるものを、魂の明日の体験と同様に、この基本的感情に結びつけるであろう。
そうすることで、宗教的信条は、魂の活動のなかに一定の秩序をもたらすのである。
その影響は、時が経過するにつれて、ますます強められていく。
絶え間なく繰り返して作用する。
したがって、エーテル体に作用する力を持つようになるのです。
・・・ Rudolf Steiner
Luzi-fer & Ahriman
ルツィファー ( ルツィフェル):アーリマン
人間の内にあらゆる熱狂的な興奮や誤った神秘主義的傾向を呼び起こし、人間を舞い上らせようとしたり、人間の血を生理学的に沸き立たせ、無我夢中にさせようとしたりするものすべてに働いている力の事である。
アーリマンは、人間を味気なく、散文的かつ通俗的な者にし、血肉を失わしめ、唯物主義の迷信に導く力のことだと考え、 これに対しルツィフェル/ルツィファーは、人間の内にあらゆる熱狂的な興奮や誤った神秘主義的傾向を呼び起こし、 人間を舞い上らせようとしたり、人間の血を生理学的に沸き立たせ、無我夢中にさせようとしたりするものすべてに働いている力のことだと考えました。
ルツィフェル/ルツィファーが、人間の感情に働きかける力であるとすると、アーリマンは、人間の思考に働きかけて、そこから生命を奪いとり、物質的な効率や分類だけにたずさわるようにさせる力のことのようです。
・・・ Rudolf Steiner
努力
自分の努力の全ては、常に 語らねばならぬこと 又、なすべきだと信じる事を、個人的観点 からではなく、具体化する事にある。
様々な領域で 人格的なものが人間の活動に最も重要な色合いを 与えると言うのが、自分の考えであるが、この人格的なものとは、自分自身の人格性を考慮する事によってではなく、人が語り、行為する仕方によって現れるに違いないと信じている。
よって、自分自身が努力でしなければならない事柄が明らかになる。
・・・ Rudolf Steiner
善意
心からの善意とは、ある魂が他の魂の関心事をいわば吸収し、自分の関心事にしてしまう事によって生じるのだ、と魂は考える事が出来る。そして、魂は、心からの善意というこのような道徳的な理念に喜びを感じることができるようになる。
それは、感覚世界の個々の出来事に対する喜びではなく、理念そのものに対する喜びなのである。その様な喜びを、暫らくの間、魂の中で生き生きとした状態にさせようと試みるならば、それが感情への沈潜である。
・・・ Rudolf Steiner
善と悪
かつて人間の内に動物性が混在していたように、現在、善と悪、あるいは、真と偽りという、相対立する二つのものが混在しています。
この対立矛盾、すなわち、二つの要素がみずからの内で混在する仕方によって人間のカルマ、運命が形造られています。
いつの日か人間は、悪を客体として捨て去ることでしょう。こうした事柄を我々はすべて黙示録的な記述のうちに見出すのです。
・・・ Rudolf Steiner
欲望や願望
動物はきわめて規則的に、外的世界の影響を体験し、その影響の下に、暖かさと寒さ、苦痛と快楽を意識し、身体の一定の規則的な経過の下に、飢えと渇きを意識する。
人間の生活は、そのような体験では、言い尽くされない。 人間は、それら全てを越える欲望や願望を発展させる事が出来る。
動物の場合、十分に研究できるならば、身体の外か内のどこかに、行動や感覚への誘因があるのをいつでも証明することができるのです。
人間の場合は、決してそう言う訳にはいかない。発生の誘因が身体の内にも外にも十分に存在しない願望や欲望が生じる事なのです。
この領域に属する全ての事柄に、特別の源泉を認めなくてはならない。
この源泉は、超感覚的科学の意味で、人間の「自我(私)」の中に見られる。
・・・ Rudolf Steiner
民話や伝記
諸民族の民話や伝記の宝庫は、元来、霊的体験から生まれたのである。 なぜなら多くの人々のおぼろげな透視能力は、現代からそれほど離れていない過去の時代まで続いていたからである。 確かに、透視能力を失ってはいるが、感覚的-物質的世界に対して身に着けたさまざまな能力を、透視能力に対応する感情や感覚に従って、十分に発達させた人々もいた。
・・・ Rudolf Steiner
《 参考 / チョット休憩 》
息抜きに面白い「民話」と言うか「神話」を紹介します。
有名な「ギリシア神話」です。
そこには人間的な弱みを持っている神々が現れます。
☆ ☆ ☆
大神ゼウスなどは、美女との戯れが好きで、美女カリスト-との秘密が、他の戯れる美女の一人、「日の神アポロンの妹・アルテーミス」に知れ、カリスト-は「大ぐま(獣)」に変えられ、ゼウスとの子を「子ぐま」に変えてしまいます。
大神ゼウスの妃ヘーラも大変に嫉妬深く、その「大ぐま」「子ぐま」を、大神ゼウスの手の届かない天にまで昇らせ、星座にしてしまいます。
あのヘラクレスは、大神ゼウスと美女アルクメールの不倫の子で、妃ヘーラに嫌われ、天を担ぐ(彫刻がある)事になり、死後・天に昇り「ヘラクレス座」となります。
このヘーラの乳がほとばしり「天の川」になったとされます。
そこから西洋では「天の川」を「ミルキーウエイ(Milky Way)」と呼びます。
☆ ☆ ☆
・・・ ギリシャ神話でした。
◆ ◆ ◆ ◆
人間について
人間について※物質として外から直視できる人間全体は、【ルツィフェル】の影響の結果なのです。
※物質とは霊(破壊された)の瓦礫の山のことです。
※霊が肉体を凌駕しているエーテル体の中に飛び散る時に神経物質が生じ、三つの素材を見出す。
第一に外界に存在する通常の素材。
第二が植物の中に見られる素材。
第三に不規則になった人体、動物体の中に見られる素材である。
※人間(人体)の将来について
~聴覚が死滅し、喉頭部が未来の生殖器官となる。
・・・ Rudolf Steiner
宇宙進化論:人類の進化
人類の進化を理解するためには、その進化を離れた所から、高所から見つめ、包括的な全体の内に組み込むことが欠かせません。
我々はこの条件の下において初めて、進化の高邁な理想的なイメージをえることができます。
人類の進化を理解しようと試みるのに、理想なしで済ませられると思ったら、大きな間違いです。 理想を欠いた人間は、エネルギーを欠いた人間です。
人生の中で理想が演じる役割は、機械の中で演じる蒸気の役割と同じです。
蒸気はいわば、莫大な量の圧縮された空気を、小さな空間に封じ込め、そこから強力な膨脹力を生み出しています。
人生における思念の不思議な力も、同様です。
ですから、もし我々が人類全体と関わる思念的理想の高所にまで達すれば、各時代を貫いて人類の進化を導いている糸を、感じとれることでしょう。
様々な世界観の体系、たとえばダーウィンの体系も、同様に、この連続する糸を探求しているわけです。
ダーウィニズムの偉大さを否認することはありません。
しかしダーウィニズムは、人間の内的な進化を解明していません。
それはもっぱら、関連性のうちの、顕在的なものしか見ていません。
そのため、それは、人間の霊的本質をないがしろにするようなあらゆる純物質的な解明法と全く同じような性質をもつのです。・・・ 以下略
・・・ Rudolf Steiner
◆ ◆ ◆ ◆
この 「 ◆ 人間について及び人類の進化 」 は、多岐にわたりますので、前後を切り取り要点だけを明記しています。又、死後・人の眠り・輪廻 そして、死・再生・カルマ・誕生や宇宙進化論 ・ 地球進化期についてのシュタイナーの叙述は次或いは次の次のページに記載しています。
その他:死や死後・眠り等などのシュタイナー叙述は、特集の所々に記載していますので最後まで読んでみて下さい。
◆ ◆ ◆ ◆
ここにほんの一部分を書籍から抜粋して記載しましたが、
理解できましたでしようか。
何を言っているんだか解らない と、
思うのが普通ではないでしょうか。
☆
実は、私もそのうちの一人なんです。
【 一休み / 雑談と参考意見 】
自然科学と精神科学 ・・・
”生物や生活”と”生命や人生”
”自然科学”は、人間の外面/表象を取り巻く、物質やエネルギーを対象にして、「生物」や「生活」等に視点を当てている学問で、 ・・・
振り落としてきたモノを主軸にした ルドルフ・ シュタイナーが言うところの”精神科学”は、人間の内面/根源的形成に迫り、「生命」や「人生」 等に視点を当てている”学問”として、
・・・ 私は捉えています。
《 参考意見 》
「生活」と「人生」について
カトリック教徒で作家の”遠藤周作氏”が『死について考える』という書籍の中で”生活と人生”について書いているので紹介致します。
遠藤氏は、親から与えられたにすぎないキリスト教(カトリック)と対話・格闘し”沈黙”や”深い河”などの名作を残しています。
その彼の『死について考える』の中にある”死が迫ると”という項です。
———————————————————–
私は、”生活”必ずしも”人生”ではない、と考えています。
生活”は私の考えでは自分の心の奥底にあるもの、自分の”人生”の核になっているものを無視、軽視していかなければなかなか成立しないものです。
”生活”は道徳、世間体、外づらを大事にしないと運びませんし、自分の奥底に隠しているものを露骨に見せる訳にはいきません。
世間を乱さぬために、他人に悪口を言われぬためには、我々は心の中に抑え込んでおかねばならぬものが沢山あります。
そういう形で成立しているのが”生活”です。
・・・ 中略 ・・・
シュタイナーの言葉をここで思い出します。
青年の時代は肉体の季節、
中年は心と知性の季節、
そして老年は魂の季節。
老年・・・
”魂”は肉体や心の奥底にあって、本当の声をーーーいわゆる本音をついに出し始めるようです。
☆ ☆ ☆
遠藤周作氏/『死について考える』から引用
Rudolf Steiner
ルドルフシュタイナー
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( 精神科学/人智学 )
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ルドルフシュタイナー
自然科学と精神科学(その2)
◆ 学びの迷い
「学問=科学」と「宗教」
◇ 精神科学/特集の主旨
◇ 精神科学/人智学の思考・思想
◇ 言葉の解釈
◇ 欧米と日本の文化や宗教の違い
文化や宗教の違いを知って学ぶ
◇ 宇宙進化論 地球進化期
◇ 精神科学・人智学
・・・ 私が思うには答えがない学び
◆ 自然科学と精神科学の融合