ルドルフ シュタイナー
《 シュタイナー建築 -1 》

ルドルフ シュタイナー Part 4 – 1

シュタイナー建築 ( 前編 )

【 建築心理入門 】
小林重順 著 (色彩・造形心理学者)
彰国社刊
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ものが人の心に結びつくには、それが知覚に刺激を与え、からだに興奮をよびおこすかどうかにある。
それも快・不快のもっとも素朴な情緒的反応を、まずもたらす。
建築に限らず人々が造形に出逢うと、情緒的な反応が沸き、やがて五体を貫く緊張感を生む。
よい形態はリピドへと働きかけるためだと思う。
しかし、形態感情は人の成長過程で次第に条件づけられてゆくもので、たんに快楽追求の衝動だとは一口にいいきれない。
幼い頃には、あらゆることがただ好き・嫌い、快・不快で処理されているが、そのうちに複雑なフォルムや色にも情緒的反応が条件づけられ、形態感情も分化されてゆく。
形態感情はよい造形に接するうちに、次第に獲得されるものである。 この情緒的反応は、ふつう四丘下部とか大脳皮質に深い関係を持つものである。 それでは、すぐれた建築に出逢うと、人々はどう受けとるだろうか。
その造形美は快い刺激となって、過去の経験に照応され、いろいろな感情をもたらす。 五体を貫く感動の波に、ひしひしと生命感が迫ってくるにちがいない。
こうした形態感情の昂まりこそ、人と建築の出会いにふさわしい。
・・・ 小林重順
Dornach
– Goetheanum–
Ruttiweg 45 CH-4143 Dornach1/Switzerland
シュタイナー建築とは!

私が思うに、近代建築の文脈・枠には収まりきれない建築
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シュタイナーの構想・設計の独創性!
独創とは、ある意味では社会の評価に背を向けること、尚且つ、独創的という意味合いを解釈すると、他者が理解できるようなものは、他者が理解した時点で”独創”とは言わないので、独創的なモノを理解するのは難しい。
独創的であるがゆえに ・・・
自分の好みは、かなりの部分で現在の世間的な好みや評価に影響されていますので、自分自身の好み、社会の流れや時代・ポピュリズムに影響されないモノの見方・感じ方が重要ではないかと思っています。
難しいが、・・・
” 独創的なモノに接し、 味わい・浸る ” ことで重要なのは、世間的な 良い・悪いなどの評価とは別で 例え、感じとった ” なにか ” が、自分の好みには合わない/嫌悪を感じるものであっても、冷静に”感じとったもの ” と対峙し、そこから作者の”言葉”を聞き取ることだと思います。
”独創”に触れることは、
・・・ それに尽きると思います。
《 構想~設計 》

シュタイナーの造った空間・造形
心の中の葛藤が空間になったような、
ムンクの「叫び」のように、何かを語りかけてくるような不思議な造形。
ドイツ・ベルリン大学で”哲学”を学んだ、建築家・故・白井晟一氏(1905-1983年)の建築/形態に身を委ねた時のような そして、光に対する独特の”感性空間”に触れたときのような不思議な感覚。

ルドルフシュタイナーは、白井晟一氏同様に精神性を高める!
そんな”空間”を考えたのではないでしょうか。
そのためのキッカケ創りや思考贅肉の削ぎ落としの場としての建築。
物質的欲求や世間の常識/評価などに惑わされずに、常識という物差しでは量れないものや決め事などのない”空間”の重要性を私達に伝えているように思えます。
シュタイナーは、そのような”空間”に浸ることによって、より精神性が高められると考えたのではないでしょうか?
☆
シュタイナー建築

◇ シュタイナーの感性や心の衝動が型になったような造形!
◇ ”時”や”良い悪い/好き嫌い”という括り、そのようなことに躊躇せずに心(霊性)との対話で生まれた造形!
・・・ 私にはそのように思えます。
構想 > ・・・
建物の構想を具現化するために設計作業があり、その設計の確認のために模型やスケッチで検討を繰り返します。
シュタイナーもかなり大きな模型を造り検討しています。
スケッチも沢山描いたようです。
設計 > ・・・
何回も構想・理念・趣旨の確認をし、模型を壊したり・やり直したり、スケッチ作業を繰り返しながらの作業をしていきます。
そして、スタディ段階では、思考した理念が型や空間に表現できているかを検討し、行きつ戻りつを繰り返します。
※ 無から生み出す葛藤!
※ 光を掴み取るまでの闘い!
※ 形が生まれるまでの過程の悩みや苦しみ!
・・・ などが設計にはあります。
建築を設計する
下に、第一・第二ゲーテアヌムの模型とスケッチ・平面図・断面図、及び グラスハウスの平面図・断面図、並びに巻末には私の愚作の模型や3DCG・スケッチと建物の完成写真などを参考に掲載いたしますのでご覧下さい。



地震国でないからだろうと思うが、空間に対しての構造(梁など)のメンバー (部材の寸法) が小さいのには驚くが、羨ましくもある。


ドルナッハ・グラスハウス
平面図・断面図
形状はツインドームで第一ゲーテアヌムを忍ばせます。
☆ ☆ ☆ ☆
構想・設計の最初
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ある意味では自然(環境・光)との対話
構想・設計段階では模型やスケッチ(現在では、3DCG)などで検討を繰り返しますが、念頭には”光”をどのように取り入れるかなどの自然との対話があります。
又、期間は、現在でも構想・設計から完成までは、住宅でも短くて1年半、大きな建物の場合には5年~6年かかる場合もありますので、あの時代の建設技術でのゲーテアヌムの構造設計や建設は大変だったと思います。
★ 光との対話 : 参考 ★
下の写真は、ルドルフ・シュタイナーの第二ゲーテアヌムのメインホールとル・コルビジェのロンシャンのホール内部の写真を同じ角度で写したものです。
どちらの建物も同じように光を側面の彫りの深い窓から取り入れ、同じようにステンドグラスを使っていますが全く趣が異なります。
おおよそ同じ時代の同じ地域に建つ建物ですが、感性や空間が作者によってこのように異なります。
どちらが好きか嫌いか/良いか悪いかではなく、異なる表現・手法での光との対話をご覧下さい。


《 平面形態 》
■ 第一ゲーテアヌムと第二ゲーテアヌムの平面形態
平面形態の分析の参考に、ガウディのサグラダ・ファミリア(教会建築・下部写真)の完成図と平面図を添付します。
例外もありますが、一般的な当時のキリスト教会建築(特にカソリック系)は、外観はどんなに複雑でも、このように単純な十字形の平面形態(クロスプラン)を基本にしていました。

第一ゲーテアヌムと第二ゲーテアヌムの平面形態の十字形!


これは当時のキリスト教会建築の特徴的な平面形態です。
もしも、意図的にシュタイナーが、このような平面形を作ったとしたならば、彼のメッセージが隠れているのかも知れません。
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このような考え方も参考にご覧下さい。
《 近代(現代)建築の流れ 》
★ シュタイナー建築を見る前に、基礎的な近代(現代)建築の流れを簡単に説明しておきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
19世紀末、今までの時代の流れを変える装飾芸術運動(アールヌーボー/ユーゲント・シュティール)が起こり、 20世紀に入り1902年~1906年(シュタイナー:1861-2/27—-1925-3/30)、建築家ヴァン・デ・ヴェルデやヴァルター・グロピウスにより設立された「バウハウス」から近代建築の大きな流れが始まります。
「バウハウス」は、最初は、合理主義的(機能主義)なものと、表現主義的(神秘主義・精神主義的、芸術的、手工業的)なものが混合し教育されていたが、 後に 合理・機能主義が、バウハウスの中心的な傾向となり、ミース・ファン・デル・ローエが校長に就任してからはモダニズムへと建築の流れが変わります。
又、モダニズムの巨人/ル・コルビジェの「住宅は住む機械である」という宣言やフランク.ロイド.ライトの「有機的建築」が注目されている。
そのころ、日本の建築界では1920年、堀口捨己、山田守、石本喜久治等を中心に「分離派」が生まれ、 その後ル・コルビジェの流れを汲む前川国男や丹下健三らのモダニズムへと移行し、川添登、黒川、菊竹らのメタポリズム>日本から流れをつくった磯崎新らのポストモダニズムへと流れ、 現在は・モダニズムへと逆流し、コンピューター解析による大胆な構造をベースにした無構造派とも言うような建築造形へと流れていきます。
下の写真は、東京のオリンピックスタジアムの設計者で話題になった建築家・故/ Zaha HadidとFrank.O.Gehry(ビルバオ・グッゲンハイム)の建築作品ですが、 ごらんのように現在の建築界は、コンピューターにより「構造の束縛」から解放され、自由な造形で空間を造り始めています。


尚、シュタイナー建築やガウディ、スウェーデンの建築家ラグナール・エストベリー(ストックホルム市庁舎/1923 )などを日本に紹介したのは、今井兼次氏で早稲田大学で教鞭をとっていました。

1895 – 1987
今井兼次氏 は、桃華楽堂(皇居内)/ 碌山美術館(安曇野市)/ 多摩美術大学校舎(現存しない)等を設計し、 日本二十六聖人殉教記念館(長崎)はガウディのデザインパーツを、九州の大隈記念館はシュタイナーの第二ゲーテアヌムのデザインパーツを取り入れて設計しています。

《 建設 》
■ Goetheanum の建設

1913年9月20日に、スイス-バ ーゼル近郊のドルナッハ(Dornach)に、人智学活動の中心となるべき建物の建築が、シュタイナーの構想に基づいて始まります。
そして、約6年の歳月をかけて1920年に完成します。
しかし、1922年の12月31日に放火により焼失しています。
その後1925年には第二の建物の建設が始まり、シュタイナーの死後・1928年に完成しています。
この建物は、シュタイナーがゲーテの考え方から人智学の世界観を得たことにより、1918年にゲーテアヌムと名づけられ、精神科学の方法を自然科学、医学、農学、社会学、芸術学、教育学などの諸科学に適用する場として、 1920年10月以降・ゲーテアヌムは、「精神科学のための自由大学 ( Freie Hochschule fuer Geisteswissenschaft ) 」と呼ばれています。
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隣町(Belfort/France)近郊のRonchampにあります、20世紀の巨匠建築家ル・コルビジェ晩年の彫塑的名建築 「 ロンシャンの教会(下に参考写真掲載)」 は、1950年に教会側(アラン・クチュリエ神父)からコルビジェに設計を依頼されていますので、その20年も前に ” 彫塑的な巨大建築 ” の第二ゲーテアヌムは完成しているわけです。
設計/構想の大胆さと建設時の努力は大変なものだったと思います。

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シュタイナー建築を紹介する前に
” Tea Break ” ・ 一休み!
☆ 筆者の本音 ☆
- Tea Break -
《 私事/建築の設計 》

シュタイナー建築を紹介する前の
馬鹿話(私事)の類ですが、
少しの間お付き合い下さい!
私事になりますが、・・・
私は20年も前に建築の設計業はやめて、インドを彷徨い その後、山にこもり隠遁生活をしています。下記に掲載した拙作は、建築設計の素人が勝手に纏めたものでないことを分かって頂くためのもので、他意はございませんので、 馬鹿話(私事)の類ですが ”Tea Break” の最後にある ” 変人の独り言 ” - 《 変人の芸術観 》 まで読んでみて下さい 。
★ ★ ★ ★
その頃の経緯を”構造計算書偽造事件”という見出しで記載していますので、最初に読んでみて下さい。
主題は、・・・・
欧米のルネッサンス以降の人間中心主義!
モノの良し悪しや、思考、何でもかんでもが人間中心の世界!
・・・・・ 日本には異なる文化や考え方があった筈だが。
▼ クリック
拙作:設計監理作品 Part 1



人生の旅の友として、四十年近く前から研究していた”精神科学・人智学” !
その研究データーを、私なりのシュタイナーの思想・思考などの分析リポートとして、三十年くらい前にホームページにして公開しています。
その中には、シュタイナー建築の分析や解説もありますが、一応建築設計を生業としてきた者の目線で行われていることやどんな設計をしてきたのかも分かって頂くために、・・・
■ 総合施設の模型と完成写真、
■ デザイン専門学校本部棟の3DCGと完成写真、
■ 郊外のレストラン、某研究所のホールの写真、
■ スポーツクラブハウス、研修施設の外観、
■ ホテルや複合施設の外観
■ 別荘のスケッチと室内の光写真、
■ 設計検討時の模型5点、
■ 住宅の室内写真数点、
■ 参考・実施設計平面図4点、
■ 3DCGで美術館計画案
・・・ などを添付致します。

私が描いたスケッチ
尚、シュタイナー建築に対しての私の考え方ですが、
私は、ルドルフ・シュタイナーの”思考”に興味があり研究してきたのですが、”シュタイナー設計の建物”にはそれほど興味があったわけではありません。
ですから、拙作は、シュタイナーの手法や形とは全く異なります。
しかし、自負的な表現になってしまいますが、構想・設計>などではシュタイナーがやったような作業などを繰り返してきましたので、設計の工程や”無から有”を生みだす苦労は分かり合える・理解できるものがあり、表現する形の違いだけではないかと考えています。
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長い間、シュタイナーの思考・論理を研究してきましたので、内面・心は同じとは言わないまでも、同じ方向を向いて建物の設計及び作成をしてきたのではないかと、それこそ自負しています。
《 拙作:設計監理作品 Part 2 》
企画構成~設計~完成建築
及びプロジェクト
☆ ☆ ☆
光を媒体にして
”無(空)”から”有(空間)”へ


拙作 / 光との対話

拙作/住宅作品の室内写真

拙作の参考・実施設計平面図

美術館計画の3DCG

” インド三昧 ” になる直前に設計した美術館計画で、余韻が残る未完の拙作です。 大きな筒が美術館本館で小さな筒がレストランと売店です。
■ ■ ■ ■
変人の独り言
■ ■ ■ ■
シュタイナー建築・造形と共に、建築と生活・生きる等を考えながらご覧頂けたら幸いです。

《 変人の芸術観 》
芸術とは、地獄(今生)という井戸の底から、上を覗いた時の賛歌であり・悲鳴でもあり、見ることが辛い位の眩しい光ではないかと思っています。
又、ある意味では、芸術には現状・保守的なことの破壊が伴うのではないかとも思っています。
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機能や住み心地・快適さを求める ” 住まいやタテモノ ” は芸術になり得るのか?
” 住まいやタテモノ ” に”芸術性”は必要なのか?
☆ ☆ ☆
建築 ” 住まいやタテモノ ” の設計をし、完成をしたものに差し込む ”光” と対話しながら考えてしまいました。
▼ ▼ ▼
” 住まいやタテモノ ” に”芸術性”は必要なのか?
設計業を生業としている時には答えは出ませんでした。
それ故に、” 旅 ” に出ることにしました。
旅の途中!

”生きる”とはを考えてしまいました。

《 Mahabodhi Temple 》
私は、全てが蜃気楼みたいなものだと思っていますので、築き上げてきたものも消したくなる”変人”なのです。
変人なるがゆえに、・・・
マスメディア・マスコミ嫌いや政治家・権力者・金満家などへの嫌悪感が増していき、社会やクライアントを避けるようになり、何とか軌道に乗ってきたものを整理し、彷徨い人への道を歩み始めてしまいました。
そんな彷徨い人の私の50代は、毎年のようにインドを訪れ、1ヶ月半くらいの間インドでサドゥと共に生活していました。
・・・ 所謂、インド三昧です。
生業の矛盾・思想と生活の矛盾が嫌になり 、非社会人・隠遁的な生活を試みたかっただけのようです。と、書くと格好がいいが、本当は理想(夢)と現実のギャップで”鬱”状態になってしまったのです。
・・・ 病なるが故なのか、自分の仕事や生き方に憤ってしまいました。
そして、自分を見つめ直し、病(鬱)と闘う場としてインドを選んだのです。
■ 生活の矛盾 ■
※ 生活 : 現実
例えば、建物の完成祝い!
断熱や空調は完璧、
室内は、外部の暑さや寒さをシャットアウト
祝いもたけなわ!
外は零下/雪景色を見ながら
ポッカポカの室内で薄着になって
キンキンに冷えたビールを飲みながら
・・・ 乾杯!
設計者の挨拶は、・・・
この建物は、
自然を取り入れ、自然と共生する建築です!
そして、 ・・・
自然を大切に!
なんて言いながら、再度乾杯!
▽
※ 生活 : インドでの生活記

上下水道ナシ:川の水を飲み・そこで排泄する
当然、電気・ガス未完備。
岩と岩の間に造られた掘っ立て小屋は、
自然との共生などと言わなくても、
自然の一部になっている。
自然を取り入れる!
暑いインドでも、北部山岳地帯(ヒマラヤ)のガンガ(ガンジス河)源流地域は、夜は猛烈に寒い(零下)。 土の床・天井の藁の隙間から星が見える小屋の中で木々を燃やし、雑木を組み合わせたベッドで眠る。
”変人”だからか、一時だからか、
辛く、大変なこともあるが、
理屈なしでの生きることに必死で、
嫌な気分が消えていった。
無所有に近いから執着心は消える。
これ以下の生活はないと思えるので、開き直れる。
心/精神にはとても良いこと!
しかし、肉体的には辛いが、
・・・ 我慢できるもんです。
あの場にいると、 欲とか見栄などを捨て去り、托鉢・乞食(こつじき:仏教用語)をし、自然のままに・ただの生物として生きる! 残りの人生をそんな風に過ごしても良いのではないかと思えてくる。

人生には”矛盾”がつきもの。
まともにそんなことを考えてたら、病(鬱)になる。
だから、病になってしまったのですが、鬱状態から抜けた現在でも考えてしまいます。・・・ 性質(タチ)ですね!
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現在は、このような”矛盾” と闘いながら成果を上げ、現状から逃げることなく・病にもならずに 理想を成し遂げている 若き建築家たちを見ると、羨ましくもあり なお且つ、この職業も捨てたものではないと思えるようになりました。
ルドルフ・シュタイナーが残したモノは、建築物も含めて前記のようなこと(矛盾)を考えてこそ真理が理解できるのではないかと思っています。
ですから、悩まない程度に
次のページのシュタイナー建築・造形を、建築と生活・生きる等を考えながらご覧頂けたら幸いです。

マザーハウス
にて
☆ ☆ ☆
- Tea Break -
END

☆ ☆ ☆ ☆
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シュタイナー建築 : 後編