” シリーズ:八ヶ岳思考 ”
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Rudolf Steiner
ルドルフシュタイナー
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( 精神科学/人智学 )
Welcome
INDEX
シュタイナー特集 No1
◇ 【 まえがき 】
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◆ 最初に、・・・
精神科学/人智学 – 神秘学の基礎
◆ 1・神秘主義 / 神秘思想とは
◆ 2・精神科学 / 人智学とは
◆ 3・学びの基本姿勢
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◇ 筆者(凡夫)の一言
◇ 更に、筆者(凡夫)の戯言
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◆ 自然科学と精神科学
◆ 視点を変えてみる
◆ 自然科学者と精神科学者の言葉
◆ 何故、・・・
同じ方向に歩まないのだろうか?
◆ 物質☆心・精神
◆ 特集の主旨と筆者の心情
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神秘学を側面から考えてみる
○ 科学という論点
○ 宗教と科学
○ 光と影
○ シュタイナーが語る物語
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【本文】
《 精神科学/人智学 》
◆ シュタイナー叙述から
神秘学の性格
人間の生と死、そして自我
◆ 精神科学の論理展開
◇ 再度:自然科学と精神科学
「生物や生活」と「生命や人生」
【 まえがき 】
この特集は、シュタイナーの叙述を宗教的に妄信したり、シュタイナーを教祖的に崇めたりする構成にはなっておりません。
学問/科学的に是々非々で捉え・考えるという内容で、”自然科学と精神科学の融合”を願望し、模索している作りになっております。
◆ 最初に、・・・
◇ 神秘学の基礎 1 ◇
神秘主義 / 神秘思想とは
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ヨーロッパの中世及びルドルフ・シュタイナーの生きていた19世紀~20世紀初頭の頃は、欧米の多くの思想家・哲学者・心理学者などが、メガ宗教の古典主義や教条主義的な思考に物足りなさを感じ、新たな思想・思考を模索し、既存宗教の先にある”もの”を探っていた時代背景がありますので、 その頃のシュタイナー思想以外の「神秘主義的な流れの一つ」も参考に記載しておきます。
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神秘主義思想の対極に、《 ”身体”のみが現実で、”心”は”身体”に起因すると言う論理 》があります。
・・・ 唯心論に対する唯物論です
近代自然科学思想の祖「デカルト」が、精神や生命の問題を除外し、物質やエネルギーに焦点を当てた思想で、 近代自然科学思想のスタートラインになった思想です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
神秘主義の要点を簡単に言いますと、”神(天/自然)と人間”を非対称的関係で捉えている一神教の教義から踏み出して、合わせ鏡のように対称的関係で考えようとするものです。
しかし、東洋の仏教などは最初から”神(天/自然)と人間”は対称的関係で捉えています。
因みに、あらゆる存在は「空」であり、実体のないものとする大乗仏教の空理論を”唯識思想・唯識論”と称しています。
・・・参考までに!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
尚、中世のヨーロッパではキリスト教の種々の会派で神秘主義的思想が起こります。
一例を挙げると、フランスの神秘思想家はベルナール(1090年~1153年)で、シトー会に入り、クレボーの修道院(禁欲的厳格修道院)を造り、聖書研究や神秘的信仰による思想を確立している。
ある意味では、神秘主義が極端な方向に走り、”キリスト教の汚点”でもある”十字軍”を組織した一人ともされています。
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ドイツの神秘主義思想の代表は、ヨハネス・エックハルト(通称マイスター・エックハルト/ドイツ:1260~1326頃)で、 人は神の内に生き存在しているという思想を展開したドミニコ会説教師です。
キリスト教界からは異端者扱いされているが、後世の神秘主義思想に大きな影響を残しています。
著書には「神の慰め」があります。
そして、ユダヤ教の神秘主義の一つには「カバラ」があり、ゲルショム・ゲルハルト・ショーレム(1897年~1982年)というユダヤ教の神秘主義思想者などが研究している。
彼はベルリンのユダヤ人家庭に生まれヘブライ大学の教授になっている。
著書には「カバラ書誌」や「ユダヤ神秘主義」などがある。
イスラム教の神秘主義の一つには「スーフィズム」があり、禁欲主義で神との合一を説いている。 名称は、この主義を信じる人達が羊毛(スーフ)の衣服を着ていたことから名づけられたらしい。
この思想については、フランス国立高等研究院教授(イスラム学者:東方神秘思想主義者)/アンリ・コルバン氏(1903年~1978年)の研究が有名です。
尚、一神教思想の盲点を突き、キリスト教会から異端とされた神秘主義思想 ( 2~3世紀のアリウス派 ・ 3~4世紀のネストリウス派等 )の中で、最大の異端は、”グノーシス派”ではないでしょうか。
1~2世紀に南ヨーロッパに広まった宗教思想で、既成の世界の秩序(キリスト教的秩序/当時の真・善・美等)を否定し、厳しい浄化の修行によって神の本質に辿り着くという自力救済を説いた思想。
アジアの宗教思想からの強い影響を受けたこの思想・集団を、正統キリスト教会側は激しく弾圧しています。
ユング(カール・グスタフ・ユング:1875年~1961年)も、この”グノーシス思想”に注目し、関心を示した。
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19世紀神秘主義思想の大きなウネリは、シュタイナーの時代より少し前に成りますが、ラルフ・ワルド・エマーソン ( Ralph Waldo Emerson / USA 1803~1882)を中心に超越主義運動が、アメリカやヨーロッパで起こります。
超越主義 ( トランセンデンタリズム ) とは、19世紀はじめ、アメリカのニューイングランド地方で多かったユニテリアニズムの古典主義・合理主義的思考に飽き足らずに「永遠の魂・霊的世界」 を基軸に物事を考えようとする当時の新しい思想のことで、ロマン主義的でもありました。
1836年9月に同じ考えの人々がジョージ・リプリーの家に集まって哲学・宗教・文学など様々な問題を今までとは違う観点(霊的思考)で話しあいます。
これがトランセンデンタル・クラブ(ヘッジ・クラブ)となりました。
彼らの考えは、人間の”現状の判断力(作られた感覚)”による認識の限界を「超越」し、 今までの固定化された思想ではなく、自由な想像力と直感によって万物の根源である「霊」を基軸にした思考/世界に参入することを説いている神秘主義の一つです。
現在の「唯心論」が「超越的」という名称を得たのは、もともとはイマニュエル・カントがそういう表現を用いたことに由来します。
カントは、理知の中にはあらかじめ感覚が経験しなかったものは何一つないと主張するロックの懐疑論哲学に答えて、非常に重要な一群の理念や形式は、経験によって生じるのではなく反対にこれらによって経験が得られるので、 こういう理念や形式は精神そのものの直感だと説き、これを「超越的形式」と名付けました。
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≪参考≫ エラノス倫理会議
神秘主義の形態や宗教・東洋思想・哲学・心理学などに関心を持った人々が集まった会議です。
1933年のオランダ人のオルガ・カプティン女史が発起人になりユングなどが中心に始まった集まりで、現在も継承されているようです。
◇ 神秘学の基礎 2 ◇
◆ 精神科学/人智学とは
シュタイナーの思考論理・思想は、自然科学の世界や物質的な思考では認識できない”人間の本質”に迫ろうとする概論で、霊的魂的観点からの宇宙進化/人間進化、”死”を どう捉えるか、 或いは”死後の世界”などの 一つの考え方を提示しています。
その上、物質に特化しているこの世の中で、” 自己の存在を確認し、自己が見聞きする世界 ” が、”真実 ”であるという根拠は?
・・・ という疑問も呈しています。
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シュタイナーは、自分自身が 霊的魂的洞察から導いた一つの理念/思考を、人々に広く伝えようとしていました。
それは、精神世界(霊的世界)をただ崇めるだけの宗教や霊媒的なプロセスを介しての心霊主義者のヴィジョンとは異なり、精神世界のありのままを認識することで、自らの思想/理念を ”Anthroposophie (人智学) ” と名づけ、その思考/思想は、哲学・宇宙や生命の進化・教育・医学・農業・芸術/建築・舞踏(Eurythmie:オイリュトミー) など幅広い分野に至っています。
シュタイナーは、Anthroposophie (人智学) の思想/理念を 、 精神世界のありのままを認識するという意味で、科学(Wissenschaft)なのだと述べています。
そして、現代では互いに離反してしまった 「科学」と「宗教」と「芸術」の統合を目指し、神秘主義の世界観を「心霊主義的思考」から「精神的諸現象の経験科学」へと導 いた人です。
所謂、霊的事象を彼の体験から科学/学問として捉え人々に伝えた方で、彼の教示する神秘学(精神科学/人智学)は、日常生活の中(人生)で「普遍的な私」を自覚し、その自覚から意識を変革していくきっかけを見出す流れをつくり、その流れが「普遍的な自己認識」にいたる大きな河となる大切さを説いています。
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人智学協会創設の流れ
シュタイナーは、先ず1902年10月に、インド系神秘学のアニー・ベサント(Annie Besant1847~1933年)の協力を得てベルリンに結成された神智学協会ドイツ支部の事務局長になります。
( 神智学協会:開設者 ヘレナ・ブラヴァツキー )
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その後・1913年1月に、神智学協会本部はジッドゥ・クリシュナムルティ(生誕:インド)をメシアの再来であるとする一派が力を増し、これをドイツ支部にも強要したものですから、シュタイナーは反対しました。
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ここでは詳細を省きますが、ジッドゥ・クリシュナムルティ は、特異な人生を送った人ですので、私には興味深いものがあります。
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その反対により神智学協会のドイツ支部が本部から除名されました。
そして、1913年年2月3日に神智学協会を離脱したシュタイナーは、最初の人智学協会(die Anthroposophische Gesellschaft)の総会を開き、この日から独自の神秘学の道を歩み始めます。
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概略説明ですが、・・・
これが、人智学/精神科学:Geisteswissenschaft です。
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《 言葉の ”所以” 》
Geisteswissenschaftは、ドイツ語の精神/霊を意味する Geistes と科学を意味する wissenschaft を合成した言葉です。
尚、Anthroposophie とは、オーストリアのヘルバルト学派ローベルト・ツィンマーマン(Robert Zimmermann 1824~1898年)が、著作「Anthroposophie (1882年)」で使用した、 ギリシャ語の anthropos (人間) と sophia (智恵) の合成造語で、神智学(Theosophie)は、ギリシャ語のtheos(神)とsophia(智恵)の合成語です。
又、シュタイナーの2度目の妻マリーが主体に広めたオイリュトミー(Eurhythmie)とは、ギリシャ語のeus (善い、美しい) と rhythmus ( リズム)の合成語です。
◇ 神秘学の基礎 3 ◇
◆ 学びの基本姿勢
《 思惟的に考える姿勢 》
「謙虚・無批判・無裁き・無差別」や「真の自由・平等」が、人智学を実践する人にとっての基本のようです。
そのためには、魂の諸力の安定を基調にして「批判的感情」や「優越を求める心」を自分の内部から、少しずつ除去していくという努力や高次の進化を目指す為の修練が必要で、あらゆる事象に「畏敬」という基本的意向を持ちながら日常生活を過ごし、不測の出来事などにも動揺せずに、「不安・いらいら・怒り」の無い心を作る努力が大切のようです。
その集積から、実生活(人生)の中で、「不安・いらいら・怒り」や「差別」の虚しさを悟り、他者が自分を傷つけ、怒らせ、見下す態度や言葉などを発信しても、その情景や文言が魂に入る前に、浄化する事が出来るようになるそうです。
そして、幸・不幸も、人間が生きている世界の表象や進化と密接な関連があると考え、人間の間違えた認識による感情や願望が、魂(心)を疑惑や絶望へと導いてしまうので、人間は超感覚的世界の確かな諸事実に魂の目を向ける修練を試み、”自然”から与えられた能力と諸力を高め、 人間(魂・心)の認識を高次のものへと、覚醒させることが基本にあるようです。
そのような努力の積み重ねにより、あらゆる事象に動揺しない人間(心/魂)が培われるようです。
内面にかなり苦しい感情を呼び起こすようなことが、ある人の身に起きたとします。
☆ ☆ ☆
その人はそれに対して二通りの態度を取る事が出来ます。
その出来事を苦しい思いをするものとして体験し、苦しい感覚に没頭し、それどころか、ことによると苦しみの中に沈んでしまう可能性もあります。
しかし、別の態度を取る事も出来ます。
実際、私自身が前の人生で私の内部に私をこの出来事に遭わせる力を形成したのだ、私が自ら、私にこのような苦しみを与えたのだ、と言うことが出来る態度です。
そして、このような人は、更にそうした考えをもたらすあらゆる感情を、自分の内部に呼び起こす事が出来ます。
当然の事ですが、感覚や感情の活動がその様な状態になるためには、そうした考えをこの上なく真剣に、ありとあらゆる力で体験する必要があります。
Rudolf Steiner
◆ 筆者(凡夫)の一言
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筆者は、一般人智学協会/アントロポゾフィー協会・日本人智学協会・神智学協会等やシュタイナー教育・シュタイナー研究会/勉強会等などへの所属や関連はしていません。
それらの団体/機関や集まりには一切関係はなく、シュタイナー研究者や翻訳者でもありません。
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ホームページ作成・公開について
30~40年ほど前になりますが、社会的にクローズアップされていた思想集団や新々宗教、 そして宗教集団の集団自殺(アメリカ)・白装束集団等々や私たちが学生時代に起こした政治思想運動・連合赤軍の浅間山荘事件・よど号事件や仲間内のリンチ事件、マルクス・レーニン主義の崩壊などを考察しながら、 ”思想や宗教”は、何のためにあるのだろうか? ”思想”とはなんだろうか? と、考えていました。
そこで手始めに、30代から学んできた”科学”であると称するシュタイナー思想 / 人智学 (アントロポゾフィー)を基盤に、思想~宗教的思考を学問的に是々非々で捉えたリポートの作成を考え、 そのリポートをその頃出始めた最新情報伝達手段のホームページで公開し、社会に問いかけてみようと思っていました。
その矢先に、”オーム真理教”というヨガ教室から出発した思想>新興宗教集団による”松本サリン事件・坂本弁護士一家殺人事件・拉致事件”そして、1995年に”地下鉄サリン事件”が起きてしまいました。
”人間の本質”
多くの人間の魂が高次の進化に達する一方で、悪の方向へ向かう別の人間の魂たちも現れるだろう。
又、進化に遅れたその魂たちは、そのカルマに多くの誤謬や醜さや悪を積み重ねてきた結果、さしあたり、善なる人間の共同体に激しく対抗する、悪と迷妄に陥った者たちからなる特別な集団を作るであろう。
・・・ Rudolf Steiner
このような社会状況のなか、”宗教”そして”思想”そのものが嫌悪される風潮が起こり始めましたので、人生での”思想”の役割の重要・大切さを訴えると共に、 ”シュタイナー思想 / 人智学 (アントロポゾフィー)”を基盤に”思想”の良き部分を探り、考察したうえで是々非々で対応できないものだろうか? などを模索しながら特集を作成してみました。
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その頃(1991年~)・日本でのシュタイナー関連のホームページは、筆者や研究者・大学教授の2~3しかありませんでしたので、反響も大きく多くのコメントを頂きました。
都合で、一時そのホームページを閉じていましたが、ある哲学者で僧侶の方から、中立・中庸の立場でルドルフ・シュタイナーを研究し、発表することは尊いので続けるべきではないかとのコメントを頂き、昔のホームページの一部を残すことにしましたので、読んでみて下さい。
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その頃のホームページの主旨/心情
人は哲学や思想・宗教などを学び始めると 妄信し・真理とは真逆に心の針が振れて、”知識の勘違いや間違った拘り/特権意識や優越を求める心” に陥り、思考や行動が一方向に偏りを生じることがあります。
そして、強烈な仲間意識が生まれ、意識的・無意識的に同様の考え方/思考の人達でまとまり、その輪の外側の人達を蔑視・軽視するようになります。
その結果、身近な小さな諍い・対立から紛争~大きな戦争まで起こっています。
このような思いから、・・・
特集では”シュタイナー思想 / 人智学 (アントロポゾフィー)”を掘り下げ、 他の思想家の考えや自然科学・現代医学・物理学・宗教・社会の出来事等や情報としてのシュタイナー思想・教育の批判的な意見( PLANS / USA ” People For Legal And Nonsectarian Schools ” など )も取り上げ、 心的な縛りやシガラミのない立場から、中立思考・中庸な心での作成を試みてきました。
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それから、30年以上が経ち現在があります。
◆ 自然科学と精神科学
自然科学と精神科学は、思考/模索する視点が異なるだけ。
・・・ と、思っています。
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精神科学の学び!
社会通念の視点を変えてみる。
地球を包む宇宙、その宇宙を内包する”無”
・・・ 大きな視点から思考する。
◆ 視点を変えてみる
物質社会での殺伐とした空気!
・・・ 貧富の差・差別・紛争等々
そろそろ、視点を変えてモノゴトを考えてみることも必要な時期に来ているような気が致します。
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《 実態 》
実態は、視点を変えても、どの方向から探っても蜃気楼のようなもので、見えるのですが分からない/掴めないのかもしれません。
もしかして、・・・
実態は、”ブラックホール”の向こう側にあり、その姿が蜃気楼のようにこちら側に映し出されているのではないか。
☆
こちら側の世界と”ブラックホール”の向こう側の世界
☆
こちら側は、映像のみの世界で実態は無く、トンネルを抜けたブラックホールのあちら側は、実態はあるが映像のない世界。
映像のないあちらの世界の実態が何らかの形・方法で、映像化してこちらの世界に語りかけている。
・・・ 蜃気楼のように。
人間の浅ましさやイザコザ・紛争!
何故に、映像化してこちらの世界に見せているのだろうか?
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当然、
個人的な架空の話です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
分からないことだらけ、・・・
だから、
このような話も虚偽・妄想とは断定できない。
自分も宇宙も不思議な世界にいる。
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・・・と、
稚拙な思いに耽る筆者の特集です。
自然科学と精神科学
何故、・・・
同じ方向に歩まないのだろうか?
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◆ 自然科学者の言葉
☆ 故・渡辺格(いたる)氏
1916年9月27日 ~ 2007年3月23日
医学博士・理学博士
東京大学医学部・京都大学医学部
慶応大学医学部教授を経て、
初代日本ウイルス学会会長
日本分子生物学会会長歴任
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著書『なぜ、死ぬか』から
自然科学には、
脳の働きによって、人間を納得させるような潜在的な力がある。
エネルギーや物質の問題にしても、アインシュタインの相対性理論や量子力学といった高度な理論はあるが、それは原則的に我々にもわかるはずのものなのだ。
知識が不十分でも、人間である以上は、それ相応の訓練さえ受ければわかるのである。
むしろ私にとっては、宗教のほうがわからない。
例えば死後の世界を信じろと言われても、どうしても納得できないのだ。
もちろん近世の自然科学者にも問題がない訳ではない。彼らは自然科学という限定された範囲の中でしか研究を続けようとはしなかった。
一方、哲学や思想を学ぶ人たちは、自然科学を念頭には置かなかった。
人間が死すべき者として何をすべきかという指針を提示するとき、私は、自然科学者が最も重要だと考えている。
自然科学者として、現在のように光に向かい、プラスの人間活動だけを重視する社会ではなく、常に影(死)を見つめ、同じ視線で人間の在り方を探っていく新しい方向を提示するべきだと思った。
そう考えた時、西欧で起こった近代以降の自然科学は、明らかに間違えていると思った。
【 デカルトの盲点 】
近代自然科学を物質やエネルギーの研究に向かわせた人物の一人が、デカルトだった。
「われ思う、ゆえにわれあり」 という言葉を残しながら、デカルトは実際には、精神の問題を除外した。
そこには宗教的な背景もあったようだ。
「精神の問題にはかかわりません。それは神にお任せします。」という逃げだ。
そのうえでデカルトは、生命の問題も除外した。
脱精神、脱生命を経て、物質の研究に向かった。
・・・ これが近代自然科学の出発点である。
もちろん、それはそれで評価すべきだろう。
当時の状況を考えた場合、初めから精神や生命の問題を含んだままで自然科学は成立しない。デカルトの選んだ方法は、それなりに正しかったのだ。
いうまでもなく、宇宙の始まりは人間ではない。
したがって、人間が造り上げた概念としての神も、宇宙には存在しない。
初めに神ありきではないのだ。宇宙に最初に存在したのは、物質やエネルギーの世界である。
しかし、デカルトの方法で辿り着いた物質やエネルギーの世界が、どこに向かったか。・・・ 生命世界を生みだし、そこから精神世界が生まれた。
物質は生命や精神の方向に向かってきたのだ。
その意味では、自然科学もまた、生命や精神の方向に向かわなくてはならない。私は、そう考えた。
現在なら常識的なこの考えも、当時は全く非常識なものだった。
物質世界と生命世界、さらに精神世界は、それぞれ別個だという考え方だった。
それに対して、基本的には物質の世界があって、そこから生命の世界が始まり、次に精神の世界、さらには未知の”X”の世界に向かっているというのが、私の予感だった。
それを自然科学的に明らかにすれば、文明自体も変わる。それこそが、自然科学の役割ではないかと思うのです。
・・・ 渡辺格
次に、
◆ 神秘学/精神科学者の言葉
☆ 神秘学は”科学”です。
自分達神秘学者は、自然科学の価値を誤って判断するつもりはなく、かえって自然科学者以上にその価値を認めようとしています。
・・・ Rudolf Steiner
自然科学と精神科学
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同じ方向に歩んでも良い時期に来ているのではないか。
物質☆心・精神
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デカルトは、物質とエネルギーに焦点を当て、脱生命・精神の方向に舵を取り、近代自然科学の基礎を築いた。
その自然科学が、物質世界から生命世界、精神世界へと向かうべきだと述べる自然科学者が、前記/渡辺格氏のように最近多く出始めている。
生命とは何かを考え始めたのです。
人間の存在とは何か、心や精神と呼ばれるモノは何か、という疑問に向かい始めたが、自然科学的な認識の普遍妥当性には至らない。
肉体は、死ねば間違いなく消え去るが、精神は肉体の死と共に完全に消え去るものなのか、などはモヤモヤしていて客観的に認識できないから宗教に任せた。
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時が経ち、・・・・
物質や肉体と心や精神をデカルト的分割思考から一括思考に変化する時期が来ているようだが、多くの問題も抱えている。
認識の普遍妥当性!
それをどのように克服していくかです。
そのうえ、デカルトが思考から切断して神に委ねた生命・精神の課題が、その神から抜け出すのが難しいのです。
しかし、・・・・
自然科学と精神科学
同じ方向に歩んでも良い時期に来ているのではないか。
さてどうしたら良いのか?
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Rudolf Steiner
ルドルフシュタイナー
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( 精神科学/人智学 )
■ 表象の背後に
眼に見える世界の背後には、眼に見えない世界、すなわち 感覚とこの感覚に縛られた思考にとっては隠されている世界が存在しているのです。
そして、人間の内部にまどろんでいる能力を発展させる事によりこの隠されている世界に立ち入る事が人間には可能なのです。
・・・ Rudolf Steiner
” シュタイナー叙述 ” を側面から考えてみる
☆ 光と影 ☆
この世の中では、光があるから影ができると思っていますが、元を辿れば無(闇)があり、そこに光という存在が介入して来ただけなのです。
元/その根源的な仕組み
シュタイナーは、ある意味ではその元のことを彼なりの言葉で叙述しているのです。
見えることが全てと考える世の中!
見えないモノは解せないと考える世の中!
宇宙の誕生を含め、
元の存在は”無/闇(影)”です。
前述したように、
そこに光が介入してきただけで、その光で可視できることが全てではありません。
例えるならば、
人間は、・・・
空気がなくては生きていけません。
しかし、・・・
そこにあるのに空気は見えません。
必要なモノなのに見えません!
その空気を地球上に留めたり、我々が地球上に立っていられるのは ” 重力 ” という見えない力があるからです。
この世の中には、存在するのに見えないモノが多々あるような気がします。
その見えないモノの一部!
それが、シュタイナーが語っている”物語”で、少しでも根源的なことを探ろう/話そうとするときには、思考に自由性を持たせることが必要です。
又、この”物語”では、現代人の”視覚・聴覚・思考(認識)”の硬直化も問題提起されています。
◆ シュタイナーが語る物語
人智学/精神科学
シュタイナーの”物語”は、その見えない部分・隠れている部分に焦点を当てた学問です。
ですので、認識の普遍妥当性という点が難しい。
そのようなことから、自然科学万能とする物理主義が蔓延している世の中では認識できないとする結論:結果になりがちですが、そのような結果も含め、一時異なる視点での学びも”心”の栄養になるのではないでしょうか。
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巻頭で述べたように、物質や肉体と心や精神をデカルト的分割思考から一括思考に変化する時期の足掻きみたいなものかもしれません。
・・・ そのような特集です。
本文に入る前に ” 宗教 ”と” 科学 ”
私見になりますが、・・・
まわりが見えなくなるような学び方/シュタイナーのことを教祖的に崇めたり、叙述を妄信したりでは、
・・・ 科学とは言えません。
・・・ 宗教になってしまいます。
どのような学びでも、一度立ち止まって考えてみる余裕が必要です。
☆ ☆ ☆
シュタイナーが言われるように”科学”ということならば、そのことを考慮してお読み下さい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
《 参考 > 科学とは 》
【 広辞苑 】 より引用
科学とは、一定の対象を理論や実証によって体系的に研究し、普遍的な真理を明らかにする”学問”をさし、その成果としての体系的知識をいう。
広義においては”学問”と同じ意味合いを持つ。
【 本文 】
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Rudolf Steiner
《 精神科学/人智学 》
精神科学/神秘学・人智学
◆ シュタイナー叙述から
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
私の興味のある課題を、シュタイナー叙述(種々の書籍)の中からピックアップして簡単に纏めてみました。
但し、シュタイナーの叙述は難解な言い回し/言葉になっていますので、理解するのには根気と柔軟な思考力が必要です。
じっくりと読んでみて下さい。
神秘学 ・・・ 神秘学の性格
神秘学を認識するには、カントの ”純粋理性批判/二律背反” が示すように、理性の認識には限界があるので、外界の諸現象について判断したり、仮説を立てたりしないで、現象そのものが自分に理念を語りかけるように、自分を成熟させることが必要です。
☆ ☆ ☆
「神秘学」 > この言葉は、現代のさまざまな人々にとって、直ちに敵対する感情を呼び覚まします。
多くの人々にとって、この言葉は、嫌悪感を持たせるものであり、嘲笑、さげすんだ笑み、そして、おそらく軽蔑を呼び起こします。
そうした人々は、この言葉が示されている考え方は、ただ無意味な夢想や空想に基づいており、そのような「偽りの」科学の背景には「真の科学性」と「本当の認識努力」を知っている者ならば、 避けるのが当然で、 あるあらゆる種類の迷信を復活させようとする衝動だけが隠されている、と思っています。
他の人々はこの言葉から、あたかも、この言葉が意図していることは、別の方法では達成できないことがらや自分の素質に応じて、 内的に深い認識の憧れや魂的に洗練された好奇心が引き付けられることがらを成し遂げてくれるにちがいないかのような印象を受けるでしょう。
これらの際立って互いに対立する二つの意見の間には、「神秘学」という言葉を聞いたときに、どちらか一方の意見の人が思い浮かべる内容を、条件付で拒否するか、 又は、同意するあらゆる可能な段階が存在します。
「神秘学」という言葉が、「未知なるもの」、秘密に満ちたもの、それどころか明らかでないものについての、自然に即した方法では得る事のできない知識を求める、 取り返しのつかない結果を招くような欲求を満たすように思われるために、多くの人々にとって、その言葉に魔術的な響きがあることは否定できません。
すなわち、多くの人々は、彼らの魂のもっとも深いあこがれを、明らかに認識できるものによって満足させたいとは思っていないのです。 ————
☆ ☆ ☆
神秘学は、外的に自然の中では知覚されないという意味で、「秘匿」に経過することがらについての”科学”なのです。
☆ ☆ ☆
日常や通常の学問においては、人間の認識活動は超感覚世界に立ち入る事の出来ない状態にあります。
この(神秘学)証明は、人間の自然のままの眼は、その視力では生物の小さな細胞やはるかかなたの天体の状態にまで迫る事が出来ないことを示す為の証明と同じ価値しか持ちません。
通常の視力では細胞にまで達しないという主張が正しく、証明可能であるように、通常の認識では超感覚的世界に立ち入る事ができないという主張も正しく証明可能です。
しかし、通常の視力が細胞にまで及ばないという証明は、細胞の研究を止めさせる事にはならないのです。
だとすれば、通常の認識能力が超感覚世界にまで及ばないという証明が、なぜ超感覚世界の研究を止めさせる事になるのでしょうか。
・・・ Rudolf Steiner
科学の成立は、本質的には科学が捉える対象からではなく、科学的な努力の中に現れる人間の魂の活動のあり方から確認されるのです。
科学を学んで身につけるときに、魂がどのような状態であるのかに目を向けなければならない。
感覚に明らかであるものが考察されるときにしか、この魂の活動のありかたは存在しないという習慣が身についていると、感覚に明らかであるものだけが本質的なものであるという見解に容易に陥るのです。
・・・ Rudolf Steiner
神秘学者は、自然科学にみられる思考方法なしには、どんな科学も基礎づけることができないことを知っている。
しかし、神秘学者は、この厳密さが、自然科学的思考の精神に真に通じることによって獲得されるならば、その厳密さを、魂の力を通して他の諸領域のために保持しておくことができることも知っているのです。
神秘学者は、自然科学の価値を誤って判断するつもりはなく、かえって自然科学者以上にその価値を認めようとしています。
・・・ Rudolf Steiner
真の目的に従えば、あらゆる正真正銘の科学者も、感覚世界の事実に基づいて築かれた科学と、 超感覚世界が探求される方法との間に矛盾を見出す事はありえないだろう。
科学者は、一定の道具や方法を使用する。
そして、超感覚的認識方法も道具を使用する。
—– ただし、この道具は人間自身です。
この道具も、より高次の探求のためには、前もって使われるようにしなくてはならない。
まず、人間が何もしないで「自然」から与えられた能力と緒力を、人間の内部でより高次なものへと変化させなくてはならない。
そうすることによって、人間自身が超感覚的世界の探求の為の道具となるからです。
人間の生と死、そして自我
人間を考察する場合に ・・・・ なによりもまず、人生のあらゆる観察の上に大きな謎のように立ち込めている現象、すなわち”死”へ注意を向ける必要がある。
そして、死と関連して、いわゆる生命のない自然、常に自らの内部に死を担っている鉱物界へも注意を向ける必要がある。
そうするときに、超感覚的認識によらなければ十分に解き明かすことが不可能である諸事実が言及される。
・・・ Rudolf Steiner
生において霊的な原因となっていることについて語る人々の側が、少なからず混乱に貢献していることは、否定してはならない。
そのような人々によって、多くのことがらが、あまりにも大雑把に曖昧に語られている。
例えば、遺伝される特徴に積み重ねられて人間の人格が出来るというならば、 それは、確かに時計の金属部分が自ずと時計に組み立てられるという主張に等しい。
しかし、霊的世界に関しての多くの主張が、時計の金属部分は時計の針が前に進むように自らを組み立てることはできない、と誰かが言う場合と変わらない態度をとるということも認めなければならない。
そうした主張に比べて、針を前に進ませている「神秘的」な存在のことは、これ以上気にかけない、針を前進させる機械的な関連を知りたいのだと言う人の方が、はるかに確実な根拠に信頼をおいていることになるのは言うまでもない。
例えば、誰かが、ここで述べられているさまざまな事柄を読み始め、学問の研究成果に基づいて疑わしく思い、次のように判断するかもしれない。
このような主張が今の時代にありうるとは驚くばかりです。
もっとも単純な自然科学上の概念が、初歩的な知識すら全く理解していないのではないかと思わせる方法で用いている。
物理学の基礎だけでも知っている者ならば、ここで述べられていることは、ディレッタンティズムというにも値せず、完全なる無知を証明するものでしかないことを、この著者に思い知らせることができるであろう。
・・・ Rudolf Steiner
現れている世界の内部では、人間の物質体は、人間が鉱物の世界と共有する同じ部分である。 それとは反対に、人間を鉱物から区別するものは、物質体とは見なす事ができない。
とらわれのない考察をすると、死が始った時、鉱物界と等しい性質の部分が、その死によって人間の本質から剥き出しにされるという事実が重要です。
死体とは、死後、鉱物の世界の領域に見いだされる諸経過に支配される人間の部分であると指摘する事ができる。
死体という人間存在のこの部分には、鉱物界において同じ素材や諸力が働いているという事実を強調することができる。
しかし、死と共に、この物質体の崩壊が始るという事も同じように強調する必要がある。
また、次のように言う事もできる。
確かに、人間の物質体には、鉱物においてと同じ素材や諸力が働いているが、その働きは、生きている間は、より高次の状態において、死が始った時に始めて鉱物界と同じ働きをするようになる。
死が始った時に、その素材と諸力は、それ自身の本性に従って、すなわち、物質体の形態を解体するものとして、現れなければならないときに現れるのです。
このように、人間においては、現れているものと隠されているものとを厳密に区別しなければならない。
・・・ Rudolf Steiner
人間が、たんに快楽や苦悩、喜びや苦痛に自分を委ねている時には、自我(私)がアストラル体に働きかけているのではなく、 これらの魂の属性の独自性が変化するときに、自我がアストラル体に働きかけているのである。
同時に、自我が、性格の特性や気質などを変化させることに、その働きを向けるときには、エーテル体にまで働きかけが及んでいるのです。
どんな人間も、意識していようとしていまいと、エーテル体を変化させるように働きかけている。 通常の生活において、エーテル体を変化させるように働きかけるもっとも強力な衝動は、宗教的な衝動です。
自我が、宗教から流れ出る刺激を繰り返し自分に作用させると、その刺激は、自我の内部、エーテル体にまで作用し、エーテル体を変化させる力を形成する。
それは、人生において、それよりも弱い刺激が、アストラル体の変化を生じさせるのと同様です。
学習・反省・感情の鈍化などを通して、人間に近づいてくるこの弱い方の刺激は、多様に変化する存在であることを免れない。
しかし、宗教的感情は、思考・感情・意志のすべてに、一貫した傾向を”刻印”する。
いわば共通の統一的な光を、魂の活動全体に拡散させるのです。
人間は今日と明日とでは、それぞれ別の事を考え、感じる。 種々さまざまな誘因が、そのようにさせるのです。
しかし、どんな性質のものであれ、宗教的感情を通して、あらゆる変化を貫いているものを予感する者は、今日考え、感じるものを、魂の明日の体験と同様に、この基本的感情に結びつけるであろう。
そうすることで、宗教的信条は、魂の活動のなかに一定の秩序をもたらすのである。
その影響は、時が経過するにつれて、ますます強められていく。
絶え間なく繰り返して作用する。
したがって、エーテル体に作用する力を持つようになるのです。
・・・ Rudolf Steiner
動物はきわめて規則的に、外的世界の影響を体験し、その影響の下に、暖かさと寒さ、苦痛と快楽を意識し、身体の一定の規則的な経過の下に、飢えと渇きを意識する。
人間の生活は、そのような体験では、言い尽くされない。 人間は、それら全てを越える欲望や願望を発展させる事が出来る。
動物の場合、十分に研究できるならば、身体の外か内のどこかに、行動や感覚への誘因があるのをいつでも証明することができるのです。
人間の場合は、決してそう言う訳にはいかない。発生の誘因が身体の内にも外にも十分に存在しない願望や欲望が生じる事なのです。
この領域に属する全ての事柄に、特別の源泉を認めなくてはならない。
この源泉は、超感覚的科学の意味で、人間の「自我(私)」の中に見られる。
・・・ Rudolf Steiner
人智学の学びは、欠陥を非難する事によって学ぶのではなく、欠陥を理解する事によってのみ学ぶ事が出来ます。
しかし、理解する為に不満をすっかり排除しようとするならば、やはり進歩はないでしょう。
ここで重要なのは一面性ではなく、魂の諸力の安定とバランスなのです。
・・・ Rudolf Steiner
ほんの一部分ですが、
理解できましたでしようか。
何を言っているんだか解らない と、
思うのが普通ではないでしょうか。
☆
実は、私もそのうちの一人なんです。
・・・ 科学!
自然科学と精神科学
筆者の解釈/説明で、一休みして下さい。
「生物や生活」と「生命や人生」
”自然科学”は、人間の外面/表象を取り巻く、物質やエネルギーを対象にして、「生物」や「生活」等に視点を当てている学問で、 ・・・
振り落としてきたモノを主軸にした ルドルフ・ シュタイナーが言うところの”精神科学”は、人間の内面/根源的形成に迫り、「生命」や「人生」 等に視点を当てている”学問”として、
・・・ 私は捉えています。
《 参考 》
「生活」と「人生」について
カトリック教徒で作家の”遠藤周作氏”が『死について考える』という書籍の中で”生活と人生”について書いているので紹介致します。
遠藤氏は、親から与えられたにすぎないキリスト教(カトリック)と対話・格闘し”沈黙”や”深い河”などの名作を残しています。
その彼の『死について考える』の中にある”死が迫ると”という項です。
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私は、”生活”必ずしも”人生”ではない、と考えています。
”生活”は私の考えでは自分の心の奥底にあるもの、自分の”人生”の核になっているものを無視、軽視していかなければなかなか成立しないものです。
”生活”は道徳、世間体、外づらを大事にしないと運びませんし、自分の奥底に隠しているものを露骨に見せる訳にはいきません。
世間を乱さぬために、他人に悪口を言われぬためには、我々は心の中に抑え込んでおかねばならぬものが沢山あります。
そういう形で成立しているのが”生活”です。
・・・ 中略 ・・・
シュタイナーの言葉をここで思い出します。
青年の時代は肉体の季節、
中年は心と知性の季節、
そして老年は魂の季節。
老年・・・
”魂”は肉体や心の奥底にあって、本当の声をーーーいわゆる本音をついに出し始めるようです。
☆ ☆ ☆
遠藤周作氏/『死について考える』から引用
Rudolf Steiner
ルドルフシュタイナー
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( 精神科学/人智学 )
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ルドルフシュタイナー
自然科学と精神科学(その2)
◇ 精神科学/特集の主旨
◇ 精神科学/人智学の思考・思想
◇ 言葉の解釈
◇ 欧米と日本の文化や宗教の違い
文化や宗教の違いを知って学ぶ
◇ 宇宙進化論 地球進化期
◇ 精神科学・人智学
・・・ 私が思うには答えがない学び
◆ 自然科学と精神科学の融合