シリーズ:八ヶ岳思考
アーユルヴェーダ
ヒンドゥの人生訓/四住期

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インド/ガンジス河の夜明け
インド/ガンジス河の夜明け


Index


■ アーユルヴェーダ

■ ヒンドゥ教の人生訓/四住期



インドは、不思議な国です。
ヨガにしろ、ウパニシャッド・インド占星術/ホロスコープ・人々の預言書(アガスティアの葉)にしろ、彼らの生き方にしろ何とも不思議な国です。

この不思議に乗じて、イカサマ師や便乗商売が多いのもインドの摩訶不思議かも知れません。

例えば、首都(ニューデリー)の中央駅の近くに”政府公認”と謳い”イカサマ観光業者”や”イカサマ・両替所”が当たり前のように存在する。
そして、国鉄の駅員や正当な政府公認交換所の職員でさえピンハネする。

彼らは、全く悪気を感じません。
お金は、川のように有るところ(上流)から無いところ(下流)に流れるだけで、川上から札束が流れてきたら拾い上げるだろうと宣う。

全く凄い論理、・ 不思議な国です!

(註)
観光に携わる人以外の一般のインド人は、とても従順で真っ当な方達です。

ヨガ・ヨガ瞑想/インド:ヨガの聖地 / Rishikesh にて
ヨガの聖地 / Rishikesh にて


アーユルヴェーダ



その不思議な国の不思議・アーユルヴェーダの話です。


私見になりますが、・・・

アーユルヴェーダを簡単に説明すると、アーユルヴェーダは、現代医学とは異なるところに視点を置いています。
現代医学は、病の箇所を取り除くことに重点を置きますが、アーユルヴェーダは病の元にある原因を探り、その原因を改善していくことを目的としています。

アーユルヴェーダは、病にならない体質をつくることに重点を置いています。

☆ ☆ ☆

私は、インドでサドゥと共に生活をしていたら、ヨガ瞑想 > 曼荼羅 > 神秘主義 > そして、アーユルヴェーダへと興味が流れ、”気”や体質の神秘を追求したくてこのような特集を作りました。

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因みに、1967年にインドのグジャラート州ジャムナガールにアーユルヴェーダの専科大学が設立されています。
そこでは、”この世界の存在は全てが一つの生命である”というアーユルヴェーダの根本原理を基に鉱物薬学を始めアーユルヴェーダに関する全てのことを学ぶことができます。

参考に大学の住所を明記しておきます
Gujarat Ayurved University
Opposite Reliance Smart
near B Division, Jamnagar-Gujarat 361008/India

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

尚、アーユルヴェーダというものの範疇は膨大で、入口に近づいても簡単にはドアーを開けてはくれません。又、容易に理解できるものではないと思っています。
そのような訳で、この特集では素人の私が理解し得る表面的な考え方や根源論理を簡略化し、纏めています。

所謂、上辺のアーユルヴェーダ概論です。

☆ ☆ ☆

尚、アーユルヴェーダの捉え方には、種々の考え方があるようですので、このリポートも、一つの考え方(私見)・参考意見としてお読みください。



先ずは、アーユルヴェーダ体験記

インドでの筆者

・・・ インドは、不思議な国です。

イギリス統治時代にはアーユルヴェーダは迷信とされ、西洋科学によって葬り去られようとしましたが静かに蘇り、前記の大学や付属する国立のアーユルヴェーダ研究所まで造っています。

上記の写真は、その不思議な国に魅せられて、一時・サドゥと共に生活していた変人の姿ですが、こんな生活をしていては病にもなります。

・・・ その時の体験談です

インド/カシミール・スリナガール:ダル湖

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

カシミール/スリナガール
印・パ(インド:パキスタン)紛争地での出来事

異国での生活で疲れが出て、高熱で寝込んでしまった。
持参していた風邪薬(パブロン)を、2~3日飲んでいたが効かない。

インドと言ってもスリナガールは、ヒマラヤ山脈の麓にありチベットの隣になるので猛烈に寒いので、震えも来ていた。

辛い状態が続いたので、お世話になっていた家族に見てもらった。
家族はムスリムなのですが、アーユルヴェーダを信奉した生活をしていた。

・・・ 当然ベジタリアン
そういえば、全ての食べもの味が極端に薄い
・・・ 食材そのものの味!

現代の文明生活に毒された私には、申し訳ないが食事はうまく感じず、彼らのアニミズム的な生活についていくのも大変だった。

しかし、インド国家そのものがアニミズム的であり、その国の知人の紹介だったので我慢したが、結果的には良い体験をすることになりました。

ボートに住むカシミール/スリナガールの家族と共に


そこのお爺ちゃんに手当をしてもらった。

生年月日を聞かれたが、時間までは分からない。
午前か午後かも分からなかったが良しとしてもらった。
又、何故か職業や住まいの状況まで聞かれた。



正直に言うと、
その頃のインドでは、クキーや飲み物に睡眠薬を入れ、眠っている間にお金やモノが盗られるという事件が多発していたので、注意していた!

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見るからに汚らしい恰好の私でも、服や帽子・靴(その後はビーチサンダル)などを移動中の列車の中で盗まれてしまい、命以外には盗られるものは無かったのですが、用心するのが癖になっていました。

実を言うと、脅されたり紛争に巻き込まれたりで命も二~三回ヤバいことがありました。
巷では自己責任というが、日本国から”渡航禁止地域(当時レベル4/最高値)”に指定された所に行ってしまっては自己”無責任”です。

・・・ 反省しきりです。

インド・カシミールにて


そのような目で見ていると、お爺ちゃんのやっていることが何だか嘘っぽく・一寸やばいな~ と、感じてしまった。



その後、意味不明なことをブツブツ言いながら熱を測り、脈をとり、目とベロを見られた。暫くすると、なにかを磨り潰し、甘酒みたいなモノと一緒に飲めという!

★ 迷ったが、やけくそで飲んでみた。

そして、椅子に座っている私の腰に毛布を巻き付け、その中(足元)に日本の火鉢のようなものに薬草らしきものを燃やして入れてくれた。・・・ 足と言うか腰から暖めるようだ。

私の拙い知識では、アーユルヴェーダは生活や食事そのものから変えて心身の調和を導き、そこから根本的な健康という方向に導くもので、すぐには結果が出ないと考えていましたので、半信半疑でお爺ちゃんの手当てに従っていました。

しかし、・・・
一時間ぐらいすると、凄い勢いで汗が出てきて体にも変化が出てきました。
こうなると、何だかな~と思いながらも、信じる方向に気持ちは傾いていました。

その日の夜は、ミルク粥(ヨーグルト粥)みたいなものを作ってもらい、食べて寝た。


寝るときに・・・
恐れ多いことだが、ゴータマ・シッダールタ(仏陀)が苦行のすえに、スジャータ村の娘にヨーグルト粥をもらい生き返った。という話を思い出していた。


夜には体が熱ってビッショリと汗をかき、魘された。
しかし、次の朝
驚いたことに昨日の体が嘘のように爽快になっていた。
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またまた、驚いたことに無料だと思っていたが、”結構なお金”を要求された。
しかし、ごねたら・知り合いの紹介ということで半額にしてもらった。 

★ インドでは、値切るのが癖になっていた。

結構なお金?
その頃のインドの物価は日本の1/3位で要求されたのは150Rs(当時のレート:1Rs≒3円)!

二十数年前、50代/インドでは、一日2食/一食30Rs(一日60Rs)という貧乏生活をしていたので、その時は高く感じましたが、病気を治してもらったのです。

少しばかりおかしな生活・おかしな風貌をしている方々だったので半信半疑・疑ってかかっていたが、・・・ 今思うと申し訳ないことをしてしまった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『 体が嘘のように爽快になっていた。』

快方に至る客観的な立証は出来ません。
これがアーユルヴェーダなのかも分かりません。
又、地域の民間療法なのかもしれませんし、その前に飲んでいた”パブロン”が効いたのかもしれませんが、”ホンマかいなとの感じ”を尊重し、その時から現代医学ではない療法に興味が湧き、このようなリポートを作りました。



アーユルヴェーダ体験記:追記


私は、自然科学が進めてきた真理の追求は正しかったのだと思う。しかし、何かモヤモヤしたモノがいつも残っていました。

その自然科学では、世の中:宇宙/森羅万象の殆どが解らないのが現状で、将来も解明できないのではないでしょうか。

その解らないことを、自然科学的思考以外で解明/判断しょうとすると、現在では宗教分野になってしまいます。

次の世代では当たり前でも現在では、時期尚早だと思っています。しかし、現在でも自然科学万能思考から軸足を外しての思考も重要ではないかと思っています。

ウパニシャッドにしろアーユルヴェーダにしろ自然科学的な思考では入口のドアーは開きません。

☆ ☆ ☆

上記体験記にも書きましたが、なんで病が治ったのかは立証できません。一晩で治ったなんてのは現代医学の薬(パブロン)のおかげではないかと思いながらも、不思議な力の存在は捨てきれません。

尚、その朝の体の情況・清々しさは筆舌できません。
それゆえに、不思議な力の存在を研究するようになりました。

★ ★ ★

論理も医学も、自然科学/西洋医学が万能ではない!
理解出来るのだが、実感できない。
そして、如何わしく感じてしまう!

・・・ そんな時の参考にして下さい

インド/バラナシ:ガンガ(ガンジス河)夜明け


ウパニシャッド
उपनिषद् upaniṣad 


最初に、ヴェーダ哲学の終結思想を形成するウパニシャッドについての話を、アーユルヴェーダに近い部分を抜粋・簡略化して記載します。

◆ ◆ ◆

インド哲学研究者 前田専學氏の書籍参考
「ヴェーダとウパニシャッド」の項目

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ヴェーダ哲学は、宇宙の根本原理として純粋精神プルシャと、根本物質ブラクリティという二つの実体的原理の二元論からなります。

そして、宇宙の質料因である根本物質ブラクリティは、サットバァ(Sattva 純質)、ラジャス(Rajas 激質)、タマス(Tamas 暗質)という三つの構成要素 グナからなっています。

三つのグナは、色で言えば白・赤・黒に相当し、心理的にはそれぞれ 快・不快・無気力を本質とし、作用としては、それぞれ 明かり・活動・抑制の働きをなし、相互に依存し、支配しあう関係にあるとされ、根本物質は三つのグナを離れては存在することはなく、三つのグナの平衡状態以外の何物でもないとされています。

現象世界のいかなるものも、全てこの三つのグナから作られているという考え方で、そこから下記の現象界の微細な三元質へと思考は進みます。

☆ ☆ ☆

三元質

われわれが経験する現象界の一切の事物の各々は、次の三つの元質が変化したものです。
その三つの元質とは、食物・水・熱(火)です。

人間の場合に、三元質はどのように作用するか、

■ 食物は、食べられると三様に分けられる
もっとも粗い部分は便となり、中間のものは肉となり、最も微細な部分はこころ(意:思考器官)となる。

■ 水は、飲まれると三様に分けられる
もっとも粗い部分は尿となり、中間のものは血となり、最も微細な部分は気息(呼吸)となる。

■ 熱(燃焼性の食物:ごま油・バターなど)は、摂取されると三様に分けられる
もっとも粗い部分は骨となり、中間のものは髄となり、最も微細な部分は言葉となる。

じつに、こころ(意:思考器官)は”食べ物”からなり、気息(呼吸)は”水”からなり、ことば:言葉は”熱”からなっていると説いています。



意(manas 思考作用)は、今日の常識では、おそらく精神的な存在であるとみなされていますが、ウパニシャッドでは三つの要素の結合したもの、すなわち物質的なものだとしています。

☆ ☆ ☆

人間の誕生と死について

純粋精神プルシャは、”この世”に生まれ、肉体を得るとき、”悪”と結合する。
それが”この世”を去り、死ぬときに諸悪を捨てることになる。

そして、今の身体を去った後、直ちにその人の”知識と業と前世”に関する記憶を伴って、微細な原理である心が執着しているところに赴き、その業の報いを得て、また再びかの世からこの世に行為をなすために還ってくる。

しかし、身体に宿っている欲望がすべて捨て去られると、ブラフマンに帰すことになる。
欲望を持たず、欲望から離れ、欲望を超越したものは、欲望がなければ行為は起こらず、”業”は蓄積されることもなく、輪廻に赴く原因が無くなり、輪廻から解放されブラフマンに帰す。
・・・ と、記されている。

インド/ハリジャンの子供


◆ ◆ ◆

現代文明の生活に溺れていると、感性や価値観がおかしくなっている。
・・・ と、思ってしまう。

★ ”この世”をより良く生き抜く価値観!

優越を求め、有名になりたいと名誉や地位を欲し、お金や財を欲し、高価で旨いとするものを欲し、内面よりも見てくれを大切にする。
これらの全てを”悪”とは言えないが”欲望”には違いない。

ウパニシャッドでは、
この”欲望”を捨て去る努力をし、欲望から離れることがこの世に生まれてきた命題のようです。

★ この命題!
・・・ 凡夫にできるのだろうか?

■ ウパニシャッドのヴェーダ根本原理
人生の幸せを考えると意味深いことが述べられています。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

アーユルヴェーダに入る前の参考にして下さい。




★ アーユルヴェーダ ★
आयुर्वेद/Āyurveda


アーユルヴェーダは、生命(アーユス)の真理(ヴェーダ)を説いているもので、その核心は生命真理の根源思想ということです。

又、生命真理の根源の考え方は、命は人間や動植物だけに宿るものではなく、宇宙や太陽・地球そして、山や川など万物に宿っているということです。
意識についても同様で、あらゆるモノや空間にも存在するというのが前提にあるようです。

しかし、科学的にはありえないとなりますので、どちらが正しという論理でなく思惟的に考えて下さい。ここでは、思考・論点の行き先を間違わないようにして読み進めて下さい。

そして、この辺の考え方は、アーユルヴェーダの研究者・実践者の中でも意見が分かれるようですが、・・・ 心の囁きを聞くということでは異論はないようです。

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アーユルヴェーダの考え方では、この世には、プルシャ(精神)とプラクリティ(原質)があり、そこからマハーン(思惟機能)が生まれアハンカーラ(自我意識)へと成長していきます。

そのアハンカーラ(自我意識)は、三つの属性を生みます。
一つはラジャス(激性)で、もう一つはサットバァ(浄性)であり、三つめがタマス(鈍性)です。

ラジャス(激性)は、自然界に動きをもたらすエネルギーで、タマス(鈍性)は、その動きをセーブする働きをし、サットバァ(浄性)は、この二つの属性に調和をもたらす働きをするとされています。

ラジャス(激性)とサットバァ(浄性)の組み合わせから、生命の五つの感覚器官(地・水・火・風・空)と五つの行為器官(聴覚・触覚・視覚・味覚・臭覚)が生じ、ラジャス(激性)とタマス(鈍性)の組み合わせからは、五つのエネルギー体(手・足・舌・排泄器官・生殖器官)が生じます。

このように自然界には、これらの五大元素、五つの感覚器官、五つの行為器官や意思を統御する存在が現れると考えています。

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アーユルヴェーダには、体液、病素のバランスが崩れると病気になるとの考えが根本にあり、先の五大元素、五つの感覚器官、五つの行為器官の調和の大切さを説いています。

その理論を基に病気の治療と予防だけでなく、生命真理の根源を知ることにより善い人生を目指すインドの伝統医学でもあります。

尚、アーユルヴェーダの療法には、脈診などの診断法や浄化法、生薬の配合と処方によるものがあります。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

そして、アーユルヴェーダは、生命のリズムを大切に考えています。
そのリズムは、人の一生や年ごとにも特異性を持ち、そのリズムは一日にもあります。
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アーユルヴェーダには、心と体の基本的な性質として三つの”ドーシャ(体質)”があり、※ ヴァータ、ピッタ、カファ(カバ)といいます。(凡例にて説明)
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一日の例では、AM6時からAM10時の間は、”カファ(カバ)”が優勢になる時間帯で、頭が鈍く・体が重い時間帯とされています。
その時間帯に体を動かすことは、鈍さ・重さを取り除くために良いこととされています。

AM10時からPM2時の間は、”ピッタ”が優勢となり生体に消化力を与えるとされています。
更に、PM2時からPM6時には”ヴァータ”が優勢になり生体の水分不足を補うために眠気が訪れてきます。

PM6時からPM10時には、再び”カファ(カバ)”が優勢になりますので、良い睡眠を得るためには、この時間帯に睡眠することが良いとされています。
この時間を過ぎると、再び”ピッタ”が優勢になり頭が冴えてくる現象が起こります。

昼の”ピッタ”が胃の消化をつかさどるとすれば、夜の10時から2時の間の”ピッタ”は、細胞レベルの消化、つまり代謝をつかさどります。
同じ”ピッタ”でも、時間により働きが異なります。

又、アーユルヴェーダでは、就寝の際には胃の中に消化されないモノがあってはならないと教えています。

それは、この時間に胃が働いて”ピッタ”が消耗されると、細胞レベルの代謝が十分に行えなくなるからです。
その結果、未消化物が残り、この未消化物は体内での行き場に困り、”ナディ(気の流れ)”を詰まらせてしまい生命の元の生成を妨げることになってしまうようです。

更に、人の一生では、幼年期には”カファ(カバ)”が優勢で、粘液性の疾患にかかりやすく、20歳を過ぎるころには徐々に”ピッタ”が優勢となって、この時期には知的・社会的な仕事に適した時期となります。

又、50代を過ぎるころには、”ヴァータ”が優勢になり、体内の水分が失われ乾燥肌・体になっていきます。
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このようにアーユルヴェーダでは、生命リズムを表現しています。
このリズムに従い療法が確立しています。

ただし、個人の特性を重視し、その個人にあった食事法や療法を思考しますので万人に共通するという療法の考えはしていないようです。

それゆえに、自分の体質や気質を知り・自分の考えを再確認することが大切なようです。

ヨガ・ヨガ瞑想/不思議の国インド
不思議の国インド
India/varanasi:Ganga


《 簡略凡例 ※ 》

カファ(カバ)” = 重・鈍性、冷性を司る気質

ピッタ” = 鋭性、熱性を司る気質

ヴァータ” = 速性、乾性を司る気質



・・ ドーシャの性格分類 ・・

カファ(カバ)・タイプの性格は、
“のんびり”屋ですが、他方では変化を嫌い、怠け者という一面もあります。

ピッタ・タイプの性格は、
燃え上がるような“熱性・情熱”の人です。

ヴァータ・タイプの性格は、
”変化とスピード感”を好みます。

インド/バラナシ:ガンガ(ガンジス河)夜明け


アーユルヴェーダ

素人が、重いドアーを何とか少しだけ開け、その隙間から覗いた風景を書いてみました。
見えた風景はほんの少しでしたので、上っ面だけの記述になっています。

・・・ その点・ご了解ください。

☆ ☆ ☆

ところで、サドゥはどのような考えで・どのような生活をしているかというと、どうも・アーユルヴェーダ―等は心中(しんちゅう)になく、” あるがままに・何も求めず ” という境地にいるようでした。

———————–

何をやってもやらなくても、死ぬことからは逃げられないのだから、いつ・どのように死のうが宿命として受け止めようとしているようでした。

彼らの心中には、生まれてこなければ死はないとの考えがあり、その死など存在しない ” 生まれてこなければ ” というところに戻る準備・修練をしているようでした。

サドゥは、・・・
現世の雑事には興味がないようでした。

サドゥと筆者




《註》

サドゥと言っても、色々な方がいます。
バラナシやハリドワール、リシュケッシ等の観光地/ガンガ沿いのサドゥ―は、お金を要求したり見世物的な行為をしている方もいます。

生きていかなくてはならないので仕方がないのですが、残念に思えました。
しかし、自分と同じで”欲や煩悩”に踊らされている姿を見ることになり、勉強になりました。

尚、現世の雑事には興味がなさそうなサドゥ―も本心はわかりません。
しかし、”欲や煩悩”などと闘っている姿は勉強になりました。

・・・ 全てが勉強!


ヨガ・ヨガ瞑想
India / BuddhaMahabodhi Temple


ヨガ・ヨガ瞑想 そして、アーユルヴェーダ―
人生訓(ヒンドゥーの四住期)

☆ ☆ ☆

インドには不思議があります。

インドには不思議がいっぱいある国です。
その不思議さに、三島由紀夫氏も虜になり「インドに行ける者と行けない者」という言葉を残し、『豊饒の海』を書きあげ、遠藤周作氏もインドに嵌り、晩年に大作『深い河』を書きあげています。

私も嵌ってしまった一人で、このようなリポートをつくってしまいました。

インド/ガンジス河の夜明け
インド/バラナシ:ガンガ(ガンジス河)夜明け



インド人・ヒンドゥ教の四住期人生訓



インドの宗教的生き方
・ヒンドゥーの四住期・


《 学生期 》
真理を学ぶ時期

《 家住期 》
職業に専念する時期

《 林住期 》
社会的な義務を残し
隠遁生活を送る時期

《 遊行期(遁世期)》
あらゆる社会的義務
から解放された時期

インド・ヨガ
India / Haridwar : 祈る人


一期/ニ期は、正しく学び・働き・遊び・失敗や成功を体験し、 そして、人生の悲哀も感じ、恋もし・楽しみ悲しむ。

時の経過と共に種々の喜怒哀楽を体験し、ニ期の終わり頃には”無常”などという言葉も浮かんでくる。

そして、三期に入り、社会的な行為や”物質主義”から少しずつ離れ、人里離れた山などに庵・居を移し、自己との対話を試みるようになる。

・・・・・・・ その頃になると、死と死後などを考えるようになり、無常などの言葉が理解できてくる。

四期には、精神的思考に入り、”死”を待ちながら、人生を省みて、次の”生”のための精神の浄化を試みながら生きるようにしています。

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・・・ 実際に!このような宗教的決まりごとに副って生きている方々が多くいるのがインドの魅力であり不思議・カオスを生みだし、ヨガの行などが生まれている訳です。

ヨガ瞑想:India/Varanasi-Sadhu
祈る人
India/Varanasi-Sadhu
祈る人


最後に!

”生”を見つめると同時に、誰にでも訪れる”死”をも見つめて、その先にあるかもしれない”何か”を探していくこと、それは生命( アーユス )の真理・知 (ヴェーダ )の探求や心身のバランス・調和を重視する /アーユルヴェーダ ≫ウパニシャッド にも繋がるモノではないかと思っています。


END



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