シュタイナー特集
☆ 3 ☆
” 精神科学概論 ”
【 目次 】
★ 概略:Rudolf Steiner
・・・ 時代背景
★ 精神科学/人智学の基軸
★ 精神科学/人智学 の”理念”
★ より良き人間社会を創る!
《 NO1 》 人間の構成 要素
★ より良き人間社会を創る!
《 NO2 》
・教育概論/シュタイナー学校
★ 人生での幸せとは?
・・・ 幸・不幸について
・・・ 快楽・苦悩、欲望
Rudolf Steiner
時代背景
近世のドイツでは社会主義労働者党が結成されているが、直ぐに帝国主義が蔓延り、社会主義者鎮圧法が制定されています。
その後、1929年のニューヨークでの株の大暴落による世界恐慌から、かの悪名高い・アーリア民族主義者のヒトラーが、1933年に政権を取り、1939年にはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まっている。
フランスではナポレオン3世 【ナポレオン一世=ナポレオン・ボナ・パルト:(1769年 – 1821年)】 が皇帝になり、 米国では南北戦争~リンカーンの奴隷解放・リンカーン暗殺、そして、ロシア革命が起こっています。この時代の欧米の思想的背景は、ロマン主義、実存主義、1859年にチャールズ ダーウィンの「種の起源」が発表され、自然科学の基礎的な確立期を迎えます。
その後、民族主義的思想が台頭してきます。
このような時代背景やGeorg Wilhelm Friedrich Hegel(ヘーゲル)/1770年~1831年やJohann Wolfgang von Goethe (ゲーテ)/1749年~1832年などの大思想家の没後・すぐ後に生まれてきたのがルドルフ・シュタイナーという 物質至上主義に疑問を投げかけた思想家です。
彼は、ウィーンの工科大学で カール・ユリウス・シュレーアー(ゲーテ研究者)との出会いにより、書籍「ゲーテ的世界観の認識論」を執筆し、その後40歳の頃を境に、主著である「神智学」「アカシャ年代記」「神秘学概論」などを発表し、講演活動にも力を入れ、人智学 ・ アントロポゾフィー(Anthroposophie) / 精神科学=霊科学(Geisteswissenschaft)の礎を築き上げます。
Rudolf Steiner
神秘学関連への流れ
ルドルフシュタイナーは、20歳前後! 上記のカール・ユリウス・シュレーアー(ゲーテ研究者)との出会いの頃(1879年)から、自身の霊的な体験や霊的魂的見解を他者に話し始めます。
その後、ゲーテの自然科学論集の編纂という仕事や自由の可能性をダイナミックに追究していき、1886年 / 25歳 の時に前記の書籍「ゲーテ的世界観の認識論」を執筆しています。
その頃から、自らの思考論理を、Geist(精神,霊)の Wissenschaft(科学)=Geisteswissenschaft (精神科学) > 心霊主義者的思考から「精神的諸現象の経験科学」へと導 いていますが、神秘学関連の活動を活発にしていくのは40歳を過ぎた頃からになります。
彼の心情は、自らの理念/思考を民衆に直に伝えることであり、そこに力を注ぎドイツの各都市~ヨーロッパの各都市でエネルギッシュに講演を行っています。
講演の回数は5965回( 講演のうち、記録に残っているのは約4,300回、活字になっているのは約3,800回分 )となり、30冊を越える著作をも残しています。
代表的なシュタイナー書籍には、1883~1897年頃に書かれた「自由の哲学 ( Die Philosophie der Freiheit ) 」 や1904年~1907年に「神智学(Theosophie)」、1904年に「いかにして高次世界の認識を獲得するか」、 1904~1905年に「アーカーシャ年代記(Aus der Akasha-Chronik)」があります。
その後1907年には初の教育関係の論文「精神科学から見た子供の教育(Die Erziehung des Kindes vom Gesichtspunkte der Geisteswissenschaft)」を雑誌ルツィファー・グノーシス誌(Luzifer-Gnosis)に発表し、 1910年には精神科学の結晶として主著の「神秘学概論 (Die Geheimwissenschaft im Umriss)」 を執筆しています。
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詳しくは、神秘学関連への流れやシュタイナーの人生の特集もありますので、下記のシュタイナーの人生(年譜・年表)をクリックしてご覧下さい。
Rudolf Steiner
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
( 精神科学/人智学 )
☆ 学びの真髄 ☆
特集も後半に入りましたので、専門的(学びの真髄)な表現で記載しますが、私見ですので大したことは書いておりません。
分り辛かったら読み流して下さい。
Rudolf Steiner
精神科学/人智学の基軸
日常生活の中(人生)で霊的・精神的な意識を高めることにより、普遍的な流れ/価値観(霊的・精神的価値観)を認識し、 その下に人間がイマジネーション次元の段階で、表面的な人々の集まりにおいて内面的(普遍的)な魂の集まりに目を向けるようになります。
そして、他者のイマジネーションが意識され、他者の霊的部分への目覚めがインスピレーション次元で起こります。
次のステップで、人々相互が「普遍的な私」を自覚しあい、その認識は、イントゥイションをもとにした一つの基盤/世界に至り、他者のカルマに目を向けながら段階を経て、霊的・精神的世界に行き着くようです。
この様なことが主体的に認識されることによって、一人ひとりの自覚の下に一人ひとりが自己啓発をしつつ、自由に生きる愛の社会を模索するのですが、 それは、一人ひとりの魂の中に目覚めることが重要で、自分自身の意思(他者の意思/強要ではなく)によって段階を昇らなければなりません。
そこで、”修練(メジテーション)”が必要になります。
そして、シュタイナーは、人間は滅びる「肉体」、さまよう「魂」そして不滅の「精神」からなるとし、 たとえ此岸で肉体的障害をもっていようとも、現世の表面的な事象に囚われずに、その人の本質/精神は健全で不滅であることを認識し、 その健全な本質/精神が転生(チャクラ)していくとの考えで、その人の今だけを見るのではなく、その人の”元/前世”を辿り、健全な本質/精神を”来世”に導くために、此岸でなすべきことを育む思想/学問が、アントロポゾフィーのようです。
以上のことでも分かるように、アントロポゾフィーは、日常生活の中(人生)で意識を変革/修練していくきっかけを見出し、普遍的な自己認識にいたる大切さを説いています。
そして、”学び”から得るもの!・変化!とは、霊的・精神的”認識力”の高揚だと考えます。
≪ 凡例 ≫
イマジネーション / 霊的技術・行動
インスピレーション / 霊的思考(想い)
イントゥイション / 霊的直感
メジテーション / 瞑想・霊的修練
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カルマ /
シュタイナーは、少し異なる意味合いで使っているようですが、インド・サンスクリット語で「業≫無垢の行為全般」を表す言葉です。
ペルシャ語でインダス河(シンド)沿いに住むという語源のヒンドゥー(ヒンドゥスタン)からインドとなっています。
そこに住む人々は、ヴェーダー(Vedas)の霊魂の不滅やチャクラ(環)/生まれ変わりを信奉し、人は誕生から死までの人生を作為的に変える事は出来ないとし、 与えられた生命を全うすることによってのみ現世の生命体を超越した次のステップへ移行できると考え、最終的には輪廻のサイクルから解脱して”神”の傍に行くことを願っています。
その現世で変えられない前世からの生の”課題”・何代もの過去世で習得できずに引き継がれた宇宙的サイクル(チャクラ)の”課題”を ” カマラブジャ>カルマ ” と言っています。
繋がりは分かりませんが、インドには「カルナァ」という言葉があります。 人が困り果てた時や嬉しい時に心から発する音で、究極的な感情(心)の表現(音)だそうです。 言葉にはならない、ため息だったりうめき声や悲鳴、歓声がそれに当たるようですが、なにか”カルマ”と繋がっているようにも思えてしまいます。
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因みに、
Anthroposophie とは、オーストリアのヘルバルト学派ローベルト・ツィンマーマン(Robert Zimmermann 1824~1898年)が、著作「Anthroposophie (1882年)」で使用した、 ギリシャ語の anthropos (人間) と sophia (智恵) の合成造語で、神智学(Theosophie)とは、ギリシャ語のtheos(神)とsophia(智恵)の合成語です。
そしてオイリュトミー(Eurhythmie)は、ギリシャ語のeus (善い、美しい) と rhythmus ( リズム)の合成語で、 アカシャとは、インド・サンスクリット語の”A-ka-sa,Akasha”のことで、空・宙などを意味し、”宇宙の根本的な霊存在”の意味にも使われます。
又、シュタイナーの代表的な書籍の一つのアカシックリコード(アカシャ年代記)とは、宇宙の源(全体)の記録・生命根源の記録或いは神秘学的には霊・魂根源の記録と言うことになります。
Rudolf Steiner
精神科学/人智学 の”理念”
シュタイナーは、「現実(真実の世界)」がもともとは一つの全体であり、それを<知覚>と<概念>に分裂させたのが人間自身である以上、「現実(真実の世界)」を説明するために必要な要素は、すべて人間の中に見いだされるはずだと考えます。
しかし、人間の「認識」には限界があるとし、 「現実(真実の世界)」を一つの全体として捉えず、 人間に与えられた「この世界(物質世界)」とは別に、 「もう一つの世界(精神的・霊的世界)」があるとする二元論で説明していますので、近代科学の礎になったルネ・デカルトの論理(唯物思想)とは相反します。
Rudolf Steiner
より良き人間社会を創るために!
《 その1 》
シュタイナーは、人間には心身を惑わす力が働いていて、この人間の醸しだす力を読み取り・乗り越えなくてはならないと述べています。
その人間を惑わす力とは、・・・ 二つの力を想定しています。
一ッの力は、人の心から潤いをなくし、血の通わない冷淡な考え方や、生命が感じられない生活環境を作り出すものとし、 もう一ッの力は、人を陶酔させ、血を沸き立たせるものとなると考えました。
シュタイナーは、一方の力を、心の暖かみを奪い、気持のふくらみを押しつぶしていく、機械的な働きや考え方の背後にある力をアーリマン(Ahriman: ゾロアスター教の悪神 ・サタン)と名づけました。
更に、人は夢中になるあまり我を忘れて、ふだんなら見えていることが目に入らなくなることがある。
このような陶酔や熱中の背後にもシュタイナーには、もう一ッの力が見え、それをルツィフェル/ルツィファー( Luzi-fer :堕天使 ・デーモン )と名づけました。
アーリマンは、人間を味気なく、散文的かつ通俗的な者にし、血肉を失わしめ、唯物主義の迷信に導く力のことだと考え、 これに対しルツィフェル/ルツィファーは、人間の内にあらゆる熱狂的な興奮や誤った神秘主義的傾向を呼び起こし、 人間を舞い上らせようとしたり、人間の血を生理学的に沸き立たせ、無我夢中にさせようとしたりするものすべてに働いている力のことだと考えました。
ルツィフェル/ルツィファーが、人間の感情に働きかける力であるとすると、アーリマンは、人間の思考に働きかけて、そこから生命を奪いとり、物質的な効率や分類だけにたずさわるようにさせる力のことのようです。
現状社会を眺めると理解できます。
シュタイナーが言うには、このような人間の心身を惑わす力で社会は動いているという訳です。
さてどうするかですが、それが各自のこの学びの結論になります。
” 参考:人間の構成要素 ”
人間の最も固有な本質は、神的なものから取り出されてきているために、人間は自分の内部に神的なものを見出す事が出来るのです。
人間は神的なものを通して人間の第三の魂の構成を獲得します。
これは、アストラル体を通して外界についての知覚を受け取るように、神的なものをとおして自分自身についての内的な知覚を獲得します。
神秘学ではこの第三の魂の構成部分を「意識魂」と呼ぶこともできる。 神秘学的には、体的なものが三つの構成部分・「物質体」「エーテル体」「アストラル体」から成り立っているように、魂的なものは、三つの構成部分・「感覚魂」「悟性魂」「意識魂」からなりたっています。・・・・・・
・・・・・・・人間の七つの構成要素は「物質体」「エーテル体または生命体」「アストラル体」「自我」「霊我」「生命霊」「霊人」であり、これは 光の七色や音階の七音についてと同様であり、「光は(赤」)と(紫)の向こう側に眼が知覚出来ないだけだが色がまだアル」という反論には、物質体の向こう側にも霊人の向こう側にも人間の本質は継続していて、この継続が≪霊的に不可視≫であるにすぎません。
Rudolf Steiner
Rudolf Steiner
より良き人間社会を創るために!
《 その2 》
【 シュタイナーの教育概論 】
1919年4月にヴァルドルフ・アストリア(Waldorf-Astoria)タバコ工場の労働者に向けて行った講演の中で、学校の構想に触れ、聴衆の支持を得て実現化へと動き出します。
同年8月21日~9月6日、最初のシュタイナー学校(Waldorf・schule)の教師となるべき人達(12人)を前に連続講演をて行い、講演が終った翌日の9月7日に、タバコ会社を経営するエミール・モルト(Emil Molt)の援助を受け、最初のシュタイナー学校が開校されます。
これがシュタイナー学校の始まりになります。
12人の教師となるべき人たちに行った連続講演では、シュタイナー教育の基本知識である・・・
1 ) 教育の基礎としての一般人間学
(Al1gemeine Menschenkunde a1s Grundlage der Paedagogik)
2 ) 教育芸術-方法論と教授法
(Erziehungskunst,Methodisch-Didaktisches)
3 ) 教育芸術-演習とカリキュラム
(Erziehungskunst,Seminarbesprechungen und Lehrplanvortraege)
の三つを中心とし、 オイリュトミーについても、語られています。
シュタイナーは、これらの講演を、午前中は人間理解のための「一般人間学」、午後は教育の実際面を説いた「教育芸術-方法論と教授法」、夜は参加者の発表も交えた「教育芸術-演習とカリキュラム」として一日のうちに行い、日曜日だけ休んで、二週間ぶっ通しで続けるという超人的なスケジュールで行ったようです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
又、シュタイナーは、子供の成長を下記の三期に分け、そして気質を四つに分け、その状況に応じた教育をすることを提唱しています。
第一期 / 牙交替開始までの7年期 ( 就学前のおよそ6、7歳 )
第二期 / 歯牙交替開始から第2次性徴が現われる7年期 ( 約7歳~14歳 )
第三期 / 思春期の始まりから自我が確立する7年期 ( 約14歳~21歳 )
さらに、気質を ・・・
胆汁質(das cholerische Temperament)
多血質(das sanguinische Temperament)
粘液質(das phlegmatische Temperament)
憂欝質(das melancholische Temperament) の4つに分け、
そこに重点をおいた教育法を主柱の一つにしています。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そのシュタイナー教育は、成長過程にある子供の、精神的、感情的、生命的、肉体的な発達を超感覚的に観察しながら、精神科学的洞察を背景にしての「教育法の実践」のようです。
しかし、『 教師は気質による区分を,類型化と取り違えてはならない。 一人一人の子供の個性と,細かな違いを見抜く直観力が必要なのは言うまでもない。
また、一般的なこととして気質を年代別に言うならば,
※ 子供はいつも上機嫌な多血質的,
※ 青年は情動が激しい胆汁質的,
※ 大人は思い悩む憂欝質的,
※ 老人は外界への反応が乏しい粘液質的
のように分けられる。』 と、シュタイナーは、述べています。
(註) 私見になりますが、シュタイナー教育・シュタイナー学校には、賛否両論の意見があります。
どんなものにも、利点も欠点もあると思いますので、お子さんをシュタイナー教育・学校に委ねる場合には、ご自身で納得のゆくまで調べることをお勧めいたします。
人生での幸せとは?
誰もが、
幸せになるために生まれたはずなのに
☆ ☆ ☆
人生、 ・・・
紛争地に生まれる、
戦時下に生まれる、
インドでいう
ハリジャン(不可触民)に生まれる、
ハンディキャップを背負って生まれる、
戦争や事故・病で亡くなったり、
途中でハンディキャップを背負う、
そして、愛する人や子供を亡くす、
人生の最終期に認知症になり、
我を失い、子供や周りに迷惑をかける。
頑張れとか、必ず夢はかなうとか、
美談が席捲しているように思える。
・・・ 現実は、どうか?
確かに、一部の方には光が当たる。
しかし、
地球上の大多数の方は、・・・
そのうえ、複雑怪奇!
複雑な人間関係、怪奇な現状社会。
人生、 ・・・
涙が出る時がある!
◇ ◇ ◇
こんな時に思い出す言葉がある!
≪ 芥川龍之介 ≫
人生は、地獄よりも地獄的である
◇ ◇ ◇
シュタイナーは、・・・
どのように考えているのか
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Rudolf Steiner
《 ”幸・不幸”について 》
人生を真剣に深く考察するたびに、さまざまな謎がどうしても湧き出てきます。
一方では貧困と悲惨の境遇に生まれ、わずかな才能しか授けられていない為に、誕生の際に与えられたこれらの事実によって、惨めな生活を運命づけられているように思われる人がいます。
他方では生まれた時から申し分ない環境の下で大切に育てられ、抜きん出た才能を発揮し、実り豊かな満足の行く生活を送る素質のある人がいる。 このような問題に対して二つの対立する考え方が見られます。
一つは、感覚が知覚できることがらと、感覚に基づく悟性が理解できることがらとが頭にこびりついていて、そこから離れようとしない考え方です。
もう一つは、現れている世界において、ある特定の場所やある特定の環境で何かが生じれば、原因があってこそ、それが生じるという考え方です。
多くの問題に、人間がその原因をまだ探求できていないとしても、原因は存在しています。
・・ 途中・略 ・・
内面にかなり苦しい感情を呼び起こすようなことが、ある人の身に起きたとします。
その人はそれに対して二通りの態度を取る事が出来ます。
その出来事を苦しい思いをするものとして体験し、苦しい感覚に没頭し、それどころか、ことによると苦しみの中に沈んでしまう可能性もあります。
しかし、別の態度を取る事も出来ます。 実際、私自身が前の人生で私の内部に私をこの出来事に遭わせる力を形成したのだ、私が自ら、私にこのような苦しみを与えたのだ、と言うことが出来る態度です。
そして、このような人は、更にそうした考えをもたらすあらゆる感情を、自分の内部に呼び起こす事が出来ます。
当然の事ですが、感覚や感情の活動がその様な状態になるためには、そうした考えをこの上なく真剣に、ありとあらゆる力で体験する必要があります。
Rudolf Steiner
Rudolf Steiner
≪ 快楽・苦悩、欲望 ≫
”物質体”と”快楽・苦悩、欲望・情熱の担い手であるアストラル体”とを比較してみましょう。
その場合、快楽と苦悩に対して、アストラル体の内部では何という不確かさが支配しているのだろうか。
又、高次の人間の目標に背いて、なんとしばしば意味のない欲望や情熱が、そこではうごめいていることでしょうか。
アストラル体は、物質体の中に既に見いだされる調和と内的完全性を獲得するところに、ようやくさしかかったばかりなのです。
同様に、エーテル体は、そのあり方においてはアストラル体よりも完成度は高いが、物質体よりも不完全であることを示すことができるのです。
同じような考察から、人間の本質の本来の確信である”自我”は、現在ようやく進化の始まりの状態にあることが明らかになるです。
というのは、この自我は、人間の本質の他の構成部分を変化させ、それらの構成部分を自我自らの本性の現われであるようにするという課題を、すでにどれほど達成しているであろうか、・・・ 殆ど達成していないのです。
このような仕方で、すでに外的な観察にとって明らかになるであろう事柄を、精神科学に通じたものは、さらに他の事を通して鋭く洞察します。
例えば、物質体が病気にかかる場合を例に挙げてみましょう。
その場合、精神科学は、病気の大部分がアストラル体における倒錯や錯誤がエーテル体に伝わり、エーテル体を通して物質体の調和そのものを破壊することを因るものであるという事情を明らかにしています。
ここでは、示唆するだけであるが、多くの病気の諸経過の深い関連、真の原因は物質的/感覚的事実にのみ限定する科学的考察では及ばないところにあります。
その関連は、たいていの場合、アストラル体の損傷はその損傷が起きた人生においてではなく、次の人生において初めて、物質体の病的な現象をもたらすというようなあり方で明らかになります。
したがって、ここで問題になっている法則は、人間の生の繰り返しを認めることの出来る人にとってしか意味を持たないのです。
しかし、そのような深い認識についても何も知ろうとしなくとも、人間が物質体の調和を損なう享楽や欲望に余りにも多く没頭することは、通常の人生の考察からだけでも明らかでしょう。
享楽・欲望・情熱などは、物質体の中にではなく、アストラル体の中で作用します。
しかし、アストラル体は、多くの点でまだ完成されていないで、物質体の完全性を破壊することがあるのです。
・・ 後略 ・・
Rudolf Steiner
怒りについて
怒り~>「自我」を 「 ルネ・デカルト的 」 に考えてみました。
医学的には、理性は脳の表面を被っている大脳新皮質の働きによるが、本能や欲望、怒りや恐怖等の情動は、大脳新皮質の下にある大脳辺縁系の働きであり、人間は、理性と情動を連動させることが出来る珍しい動物であるらしい。
この脳の前部・前頭葉(前頭連合野)が巨大化し「自我」という機能を有するようになり自己同一性が保持された。 その結果「死」の恐怖も生まれ、それらの恐怖から免れる方法として『 体が滅んでも、精神(魂)は不滅である 』という考え方が生まれ、宗教などの根本思想となった。
そして、人間が発明した極めて優秀な「心の安定装置」でもあると考えるようにもなる。
この「心の安定装置」/ 宗教での「怒り」の捉え方は、正常な判断力を弱め、自我の弱体にも繋がるので、人間の低次な感情表現と考え、キリスト教では、七つの大罪の一つとしています。
仏教でも、怒りを克服しない人間は「地獄界の精神状態へ導く」と考え、死後最も悪い状態に魂が行く事になるとしています。
※”怒り”に連動する言語には”否定”があります。
”自分の言動・行いを否定された(笑われた!/侮辱された!)” ”自分の宗教・国家・民族・家族などを否定された” など心当たりがあると思いますが、”否定”の先には”怒り”があり、”戦争”にまで発展します。
しかし、日本人の心にある宗教(仏教)には、真理に辿り着くための重要なポイントに”否定”があります。
ブッダは”否定”の先にある真理を見据えていたのでしょうが、仏陀の没後に大乗仏教の一つの学派を率いた”ナーガルージュナ(2~3世紀頃)”は、この”否定”部分を徹底的に強化した思想を展開していきます。それゆえ、現在でも欧米の一部では、”仏教”は否定ばかりしている宗教だと、捉えられているようです。
また、否定といえば、キリスト教でも”グノーシス”がそれに近いものがあります。
参考にして下さい。
何も知らんくせに、
偉そうなことを言うな!
Rudolf Steiner ・・・
Geisteswissenschaft / Anthroposophie
を学び方や”幸せとは”という点に絞り、簡単に記載してきましたが、ルドルフ・シュタイナーの書籍や講演録は膨大なもので全てを解読することは困難だと思っていますので、私の解釈の間違いもあるとは思います。
異論のある方は、上記のサドゥ ( 何も知らんくせに偉そうなことを言うな! )が怒ってくれていますので、それに免じ、 ・・・ 笑い飛ばしてください。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
それよりも、理解や解釈の仕方に間違いがありましたら教えて頂けたらありがたく思います。
又、シュタイナー叙述について”忌憚なく話し合えたら”どんなに素晴らしいことかとも思っています。
忌憚なく話し合えたら・・・
あるシュタイナー研究者の方とは、毎年泊りがけで ”馬鹿話会”と称してシュタイナーの叙述や哲学・宗教、日常の些事など幅広く話し合っています。
・・・ もう12回目がすみました。
夫婦連れ添って 且つ、一杯飲みながらになりますので、 脱線甚だしい会ですので、”馬鹿話会”と称しています。
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彼岸のシュタイナーや関係者の方に
『 ふざけるな! 』
と言われそうですが、・・・
シュタイナー叙述・思想は、
眉間に皺を寄せて気難しく話すより、”人生”を省みながら、苦楽と共に本音で話すのが、一番 理解でき且つ、身に着くのではないかと思っています。
・・・ 時には酒でも飲みながら!
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4th Page
■ 精神科学概論(その4)
● 精神科学/学びの姿勢
● 死後・輪廻
● 死・再生・カルマ・輪廻
● 眠り
● アストラル体・エーテル体
● 自我
● ”死と死後”
シュタイナー叙述に似ている
自然科学者/医学者の話
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