《 Private Corner 1 》
☆ 筆者の戯言 ☆

INDEX
◆ 筆者の戯言
◆ インドでの生活 NO1
” サドゥとの生活 ”
” 自己責任のインド生活 ”
ー 筆者の自由と平等観 ー
◆ インドでの生活 NO2
” ハリジャンとの生活 ”
《 筆者の戯言 》
私事になりますが、
筆者は、壮年期の終盤で悶々と悩みに苛まれ、罪悪感・嫌悪感や厭世観が絶えず襲ってきた
ある意味で、鬱的な病を抱えてしまった
・・・ 状況を変えるため、
なんとかせねばとの思いから、
インドまで行き、そこで過激な生活を試みた
★ ★ ★
その時のインド体験談です。
その後、・・・
今では、悩んでいた時!
心の病を患った時!
青臭い思いに耽っていた時!
全てが、愛おしく思えています。

★ ★ ★
☆ インドでの生活 NO1 ☆
” サドゥとの生活 ”

その場に、
マハーボーディ寺院(仏塔)が建てられた
・・・ ヒンドゥ教の聖地の一つガヤ、その郊外の田舎村!
その村は、ガヤ駅からオートリクシャで30分位の所にあり、今でもかなりの田舎ですが、当時は相当・辺鄙なところだったと思われる。
ここには、釈迦が沐浴をしたナイランジャナー河や難行苦行をした岩山、そして体を休めたとされたスジャータ村がある。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

仏陀はこの木の下で瞑想し悟りを開いた
このガヤ郊外で、
仏陀(ブッダ/釈迦)は、ピッパラ樹(クワ科)の下で座禅を組み悟りを開きます。
その後、ピッパラ樹は菩提樹と呼ばれ、この地はブッダガヤとなります。
その仏陀の言葉、
・・・ 人生は苦なり!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

今生(物質社会)を生きる!
・・・ 人生は苦なり
”苦”から抜け出すため、本音(身体)と理想(心)のハザマで彷徨いながら、私の五十代の十年間は、インドに嵌っていました。
そこで、格好をつけてサドゥ/修行僧の真似事をしてみました。しかし、物質社会で一定の寝食には不自由なく過ごした身には辛いことでした。
★ ★ ★
”苦”から抜け出すためにやっているのに、余計に苦しんだ!

サドゥ:修行僧の真似事
その時のことを踏まえ、
・・・ 生きるについて
お金、宗教と紛争、貧困と差別など
肉体を維持しなくてはならない今生での考え(本音/体験)を書きました。

サドゥ/sadhu

サドゥは、ヒンドゥ教/四住期の最終期(遊行期)に入り、社会的な行為や”物質主義”から少しずつ離れ、人里離れた山などに庵・居を移し、自己との対話を試みながら次の”生”のための精神の浄化を試み、最終的な解脱を得ることを人生の目標にしている人々の総称です。
しかし、
大雑把には・ヨーガの実践者や放浪する修行者・苦行僧のことをも指すようです。
尚、ナーガと呼ばれるサドゥは、最もサドゥらしいサドゥなんですが、衣服を着ずに全裸で生活し・髪も剪らず髭も剃らず、白い聖なる灰を体中に塗っていますので、失礼ですが、見た目は少しばかり怖い感じがします。

又、サドゥは、ヒンドゥー教で重要な地位を占めていて、彼らの苦行により人々のカルマを打ち破るとされていますので、人々から尊敬・敬愛されています。
しかし、残念ながら、
都市にいるサドゥは、姿を見世物にしたりお金を請求する似非サドゥも多くいますので、観光地では如何わし人々とも思われています。
現在では、ガンガ(ガンジス河)上流にしか、それらしいサドゥはいないようです。

インドのガンガ上流のサドゥは、手造りで小屋を建て、ガンガ(ガンジス河)の水を飲み、そこで排泄し、施しもの・素手でとった川の魚や木の実を喰っている。
そして、
死んだらガンガ(ガンジス河)に流してお仕舞い。
★ ★ ★
サドゥ生活

物質社会の中で、旨いものを喰い・良い生活をしてきたので今の生活は辛い、と本音を言ってくれた写真のサドゥ。
周りのサドゥとは雰囲気が異なるので、手造りの小屋に同居させてもらった。
彼は、四住期の最終期(遊行期)に入りヒンドゥの教えに従い、家族と別れ修行をしている。・・・ 私たちが言うところの”出家”のようだ。
その彼の身体が、ガリガリに痩せているので修行の辛さが分かる。
★ サドゥだって辛い ★
彼の本音は、
・・・ 修行は辛い!
そして、
時には、旨いものも喰いたい。
と言いながら、私の持っていたビスケットを全部喰ってしまった。
彼曰く・・・
友(※)だから言うが、
辛い修行(生活)をしていると、
時には、死んでしまいたいと思うこともある。
しかし、
輪廻・次の世を考えると、
最終的な解脱を得るために続けなくてはならない。
・・・ と言う。
そんな彼が、同居のお礼に幾らかのルピーを渡すと、もっとくれと”宣った”
家族とは絶縁しているのか、家族からのお金の援助は無いのだろうか?
その上に、何のためにサドゥ生活をしているのかを考えてしまった。
しかし、
どこにいても、何をやっても、
・・・ お金は必要ということか?
☆ ☆ ☆
ある言葉を思い出す。
嫌な言葉だが、・・・
「地獄の沙汰も金次第」
どうにかならないモノか、
本音(身体)と理想(心)の不一致!
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(※)インドでは、一日一緒にいれば友になり、三日いれば家族になる。

仏陀 ・・・ 人生は苦なり
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
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【 参考 : サドゥと死生観 】
サドゥを筆頭に”ヒンドゥ”の死生観は、死は終着/消滅ではなく、生まれる前に戻る/帰還になるらしい。その後、転生し再度会えると信じている。
ですので、聖地バラナシのガンガ(ガンジス河)のマニカルニカガート(火葬場)では、 ” さようなら ” ではなく ” 行ってらっしゃい ” という感じの、人生をまっとうできた祝い事のようでもある。
☆ ☆ ☆
サドゥの心中は、思惟的には生まれてこなければ死はないとの考えがあり、その死など存在しない ” 生まれてこなければ ” というところに戻る準備・修練をしているのです。
インド哲学研究者 前田専學 著
「ヴェーダとウパニシャッド」より
ヒンドゥの死生観
”人間の誕生と死について”
今の身体を去った後、直ちにその人の”知識と業と前世”に関する記憶を伴って、微細な原理である心が執着しているところに赴き、その業の報いを得て、また再びかの世からこの世に行為をなすために還ってくる。
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★ 自己責任のインド生活 ★
ー 宗教紛争地にて ー
人々を救うはずの宗教 ・・・
世界各地で、
その宗教が起こす紛争!

現実を知りたい!/宗教紛争と差別
・・・ 無謀なコトをしてしまった!
印パの宗教(ヒンドウ教とイスラム教)紛争地ゆえに、当時は渡航禁止及び退去指示区域【危険度最高位/レベル4】のカシミール!
今思うと、・・・
行き・帰り・寝食など、
”どうやって”の連続でした。
バツ印が紛争がよく起こる地域

知りたい!・・・ などとマトモナ理由をつけているが、軽度鬱病の為か、動物の本能の生きることに無頓着になっていた。 ある意味では、死に場所を探していたのかもしれない。
この病にかかった方なら分かって頂けると思うのですが、自分の意志とは別の行動をしてしまうのです。 所謂、身体と心が分離行動をするのです。
軽度でしたので、いつもは”普通”なんですが、ある時にフラっと現れ・現れたら厄介な症状なんです。
・・・ バカですね!
そんな情況で、毎回・抗うつ薬を飲みながらのインド行き!
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全くもって、無責任な男。
自己満足、恰好つけすぎのナルシスト!
足蹴にするか、笑っちゃうしかない。

宗教・紛争/貧困と差別
カシミール:スリナガール
何故に、同じだった国民が宗教によって分断しなくてはならなっかたのか、殺し合いなどしなくてはならないのか、宗教とは何なのか、人間とは何なのか?
世界中での紛争や戦争の多くは宗教に関わることが多い。その紛争/戦争による貧困・差別とはを考えながらその地で過ごしていた。
そして、
ヒマラヤ山地の景色の美しさとは裏腹に、人間の浅ましさや貧困・民族や宗教差別などの醜さを目の当たりにしてきた。・・・ しかし、何もできない!
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カシミール
宗教紛争地故にインド人(ムスリム)以外は見当たらない。
そこは、インドなのに朝晩コーランが流れる! 以前は、東洋のスイスとも呼ばれ、大きな湖(ダル湖)や8,000メートル級の山々(ヒマラヤ山脈)が連なる景色が目の前にある景勝地でカシミアの産地だが、その当時は殺伐とした人々と殺伐とした空気が流れていた。

1947年にイギリスから独立したインドだが、宗教によりパキスタン(当時:西と東パキスタン)とインドに分離独立となった経緯からの紛争が今も続いている。
☆ ☆ ☆ ☆

無認可のムスリム解放組織の学校の教師と生徒
平和な日本では考えられないが、非公認で紛争地故に、教師は機関銃式の自動小銃を携帯していた。
私の立場を理解してもらうまで銃を向けられていた!
・・・ 教育 > 恨みの連鎖!
☆ ☆ ☆ ☆
宗教と人間、民族と国境、そして戦い
そこに生まれる憎悪と差別!
恨みが、被害者の子供達に連鎖する。
・・・ 教育とは?
人間の愚かさや浅ましさを、考えるだけで良いのか?
・・・ そんな旅でした!
そして、
帰国後、物見遊山の旅をし、何もできない自分にマタマタ・自己嫌悪!
・・・ 再度、インド行きを決意する。
ー 筆者の自由と平等観 ー
☆ インドでの生活 NO2 ☆
” ハリジャンとの生活 ”

筆者・インドにて
筆者は、前記したように50代の十年間に自由というモノを考えてインドを彷徨った。
今回は、コルカタのマザーハウス(死を待つ人々の家)を経て、仏教の聖地:ブッダガヤ、チベット人:ダライラマの亡命地:ダラムシャラ、ヒンドゥ教の聖地:バラナシ・ハリドワール・インド北部 そして、チベット・ネパール/バクタプーなどを彷徨ってきた時の身分差別の体験記です。
☆ ☆ ☆ ☆
現存する宗教・出自からの差別と不平等
・・・ 驚く位に酷いもんです!
インドでの差別(カースト制度による身分差別)の実体験から”自由と平等”の大切さを身に染みて実感し、その後の人生は、この”自由と平等”をモットーにして生活をするようにしています。


俗にいう、”ハリジャン/ダリット”の子供達
《 カースト制度 》
正確にはヴァルナ・ジャーティ制度(四姓制度)と呼ばれるもので、「カースト」とはポルトガル語の血筋/血統を表す”casta(カスタ)”が語源になっていますが、基は、ラテン語の”castus(カストゥス)にあります。
又、ヴァルナ(梵: varṇa、वर्ण)とは色種を意味し、四層の種姓(身分)に分割した古代インド宗教のバラモン教の階級思想です。
《 カースト制度 》 は、下記の四つの階級に分かれています。
1・知識人(僧)階級
婆羅門/バラモン:ブラーフマナ
2・支配者階級(王・為政者)
刹帝利/セッテイリ:クシャトリァ
3・庶民階級
吠舎/ベイシャ:ヴアイシャ
4・肉体労働者階級
首陀羅/シュダラ:シュードラ
この階級外として ”ハリジャン/ダリット”が存在します。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ハリジャン・ダリット/不可触民(ふかしょくみん)
カースト制度(ヴァルナ・ジャーティ制)の外側にあって、インドのヒンドゥー教社会における被差別民で、総数は約2億人と推計されている。
現在、インドの人口は約13億人ですので、約7人に一人の割合の彼らは、アンタッチャブル、アウトカーストもしくはアヴァルナ或いはダリットと呼ばれる。
ガンジーは、その人たちをハリジャン(神の子)と呼びました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
下級カーストのインド人は言う。
差別あるカースト制度のおかしさを!
しかし、
その人が ”ハリジャン・ダリット”をひどく差別する。
ある意味では、人間として見ていない。
☆ ☆ ☆
腹をすかしたハリジャンの子供を、汚い大衆食堂に連れていくが、入れてもらえない。
彼らの見る目もゴミでも見るようだった。
私が喧嘩腰に文句を言ったら、裏の薄暗く汚いみたいなところに、床に転がっていた木材でテーブルとイスを作り、そこで食べろということでした。
店を出ようとも考えましたが、変な意地もありました。
又、己の得手勝手な良心で、飢えている子供に食べさせたいと思い、物置みたいな場所で子供と一緒に食べました。
子供は、喜んで私の分までガツガツと食べていた。
彼らからすると、ハリジャンの子供達・人々は、ゴミなんです。
一緒にいた私も同様にゴミなんです。
ゴミとみなされた日常では、
こんなことの連続でした。
☆ ☆ ☆
平等に自由 > 差別や不自由!
頭では理解し行動してきましたが、内側に入らなければ分からない”心の痛み・傷”があります。
人間ではなくゴミなんです!
確かに汚い恰好はしていたが、
そのこととは別問題の差別!
人間の尊厳が傷つく体験でした。
・・・ 悔しかったですね。
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人間の尊厳!
私も知らない間に/気が付かない形で・無意識的に彼らと同じようなことをしていなかったか?
気が付かない・無意識なので分かりえないが、自問自答を繰り返すしかない。


マザーハウス(死を待つ人々の家)にて
生前のマザーテレサ
笑っちゃうが、これぽっちのことで惨めになった!
それを思うと、
マザーテレサやガンジー、
どんなに悲惨なこと・惨めなことを体験し乗り越えたか!
・・・凄い人たちがいた

マザーハウス(死を待つ人々の家)にて
祈るシスター
この体験から人間の愚かさと、人間の尊厳! ”自由と平等”の大切さを実感しましたので、四十数年前から独自に学んでいるシュタイナー思想(精神科学/人智学)を掘り下げ、以前から開設していたシュタイナー特集のホームページに、私の思いを綴ってみようと考えました。
END