シリーズ: 八ヶ岳思考

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インド/コルカタ
マザーハウスにて



《 村社会国家 》




歴史社会学者 / 小熊英二氏
”日本という村社会”
「単一民族神話の起源」
より

『 日本の集団観においては、まず個人があり、それが集まって集団ができるとはされない。  まず、<集団>があり、そこからの疎外現象として<個人>が析出されるのである。 そのため、集団の本流は常に中心のない<みんな>であり、<個人的意見>は、常に傍流とされる。 』 
・・・ 小熊英二

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作家 / 村上龍氏
MEN ARE EXPENDABLE.VOL – 6

” 日本という国 ”

『 個人の概念が未発達な国では、個人というのは集団から疎外されることによって際立つ。  たとえば、メディアの文脈などでは、個人が発達するのは、集団から疎外される場合に限られてる。 

個人的嗜好も集団の影響下にあることが多い。

これまで何度も書いてきたように、そもそも個人と言う概念が希薄だった。 日本では、個人と言う言葉そのものが、集団から疎外され、集団と対立するものとして始めて浮かび上がってくる。  それは、きっと異質な他者という存在を、歴史的に意識せずにすんできたということも大きいのだろう。 』
・・・ 村上龍

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作家/曽野綾子氏
書籍 ” 必ず柔らかな明日は来る ” から

日本は人々が現実ではなく理想でものを言う幸福な国である。
・・・ 曽野綾子



村社会:集団
個人 ・・・ ”異質の存在”
多様性とは?

異質な風貌や行為
”和を乱す” 或いは、害を与える/受けるからということで取り締まる。
戦時中は”隣組”、コロナ時は”自粛警察”などがいた。

下記の写真のような”訳の分からない存在 ”も異物として攻撃の対象になる。

特集:和を以て貴しとなす/リスボンの街
Lisboa/Portgal
”異質の存在”
そこから何が見えますか?
異質な存在!
インドでは当たり前

特集:和を以て貴しとなす/アントワープの街
Antwerpen /  Belgium
”異質の存在”
子供は興味津々
”異質の存在”
インドでは当たり前1
異質な存在
インドでは当たり前2


☆ ☆ ☆

特集:和を以て貴しとなす/リスボンの街
”異質の存在”
普通に街にいる

異質な存在
インドには、
こんな人もいる


多様性を認めよう!

☆ ☆ ☆

日本は人々が現実ではなく理想でものを言う幸福な国である。
・・・ 曽野綾子




 このページの続編として

文化・宗教・風習と差別

という ” 凡夫の独り言 ” がありますので興味のある方は、下線のある文字をクリックしてご覧下さい。

インドでの差別の実体験の紹介 ・ 建物の上棟式は日本だけでない宗教行事 などを記載しています。


END