■ シリーズ:八ヶ岳思考 ■
”八ヶ岳思考 ”とは
個人的な興味の範疇での”一人芝居”
いわゆる、
未熟な演技の旅芸人のコーナー
一人旅
世の中の片隅で生きてきた人間の”自己探求の旅の話”です。
個人的な自己探求日記のようなものを、ホームページで公開したのは、同時代に生きてきた人たちの中には、私の”自己探求の旅”に興味を持って頂ける方が一人くらいはいるような気がしてのことです。
☆ ☆ ☆
そして、
自己開示 / 自己満足的な ” 旅の話 ” ですが、最後まで読んで頂ける方がいましたら感謝の気持ちでいっぱいです。
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”旅の話”には、・・・
宇宙と生命誕生の話 / ヨガ・ヨガ瞑想概論 – 曼荼羅概論 / 生きる>文化・宗教・風習 / 世界の人々 – 写真集・スケッチ帳 / ルドルフ シュタイナー特集 / 哲学の旅:先達の名言 などがあります。
尚、この特集は、
アーユルヴェーダ施術などの商売には一切関係ありません。
私の趣味・体験を基にしたアーユルヴェーダ論です。
アーユルヴェーダ
ヒンドゥの人生訓/四住期
INDEX
■ アーユルヴェーダ
アーユルヴェーダ・まえがき
アーユルヴェーダ体験記
(印・パ紛争地での出来事)
アーユルヴェーダ体験記/後記
私の医学観とアーユルヴェーダ
(参考) カシミール紛争
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ウパニシャッド/उपनिषद्
アーユルヴェーダ/आयुर्वेद
ドーシャの性格分類
Sadhu & Ayurveda
■ ヒンドゥ教の人生訓/四住期
インドは、不思議な国です。
ヨガにしろ、ウパニシャッド・インド占星術/ホロスコープ・人々の預言書(アガスティアの葉)にしろ、彼らの生き方にしろ何とも不思議な国です。
アーユルヴェーダ/まえがき
その不思議な国の不思議・アーユルヴェーダの話です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アーユルヴェーダというものの範疇は膨大で、入口に近づいても簡単にはドアーを開けてはくれません。又、容易に理解できるものではないと思っています。
自然科学・西洋医学に慣らされた私たちの頭は、神秘的・東洋的な思考や事象を拒否してしまうようで、アーユルヴェーダにもどこかしっくりこない感覚を持ってしまいます。
所謂、神秘的/自然科学的でない思考で物事を捉えようとすると”変人”或いは、何かの宗教信者だと思われてしまいます。
確かに、現状はおかしな人たちが蔓延っています。
しかし、自然科学・西洋医学の在り方にも疑問があります。
その疑問を持っている”変人”或いは医学に素人の私が理解し得る範囲・考え方の根源論理を簡略化し、纏めています。
所謂、変人のアーユルヴェーダ概論です。
尚、1967年にインドのグジャラート州ジャムナガールにアーユルヴェーダの専科大学が設立されています。
そこでは、”この世界の存在は全てが一つの生命である”というアーユルヴェーダの根本原理を基に鉱物薬学を始めアーユルヴェーダに関する全てのことを学ぶことができます。
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参考に大学の住所を明記しておきます
Gujarat Ayurved University
Opposite Reliance Smart
near B Division, Jamnagar-Gujarat 361008/India
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先ずは、アーユルヴェーダ体験記
・・・ インドは、不思議な国です。
イギリス統治時代にはアーユルヴェーダは迷信とされ、西洋科学によって葬り去られようとしましたが静かに蘇り、前記の大学や付属する国立のアーユルヴェーダ研究所まで造っています。
上記の写真は、その不思議な国に魅せられて、一時・サドゥと共に生活していた変人の姿ですが、こんな生活をしていては病にもなります。
・・・ その時の体験談です
カシミール/スリナガール
印・パ(インド:パキスタン)紛争地での出来事
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異国での生活で疲れが出て、高熱で寝込んでしまった。
持参していた風邪薬(パブロン)を、数日間飲んでいたが効かない。
インドと言ってもスリナガールは、ヒマラヤ山脈の麓にありチベットの隣になるので猛烈に寒いので、震えも来ていた。
辛い状態が続いた!
そこで、お世話になっていたアーユルヴェーダを信奉している家族に見てもらった。
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ダライラマが亡命しているチベット医学・アーユルヴェーダの本拠地ダラムサラやヨガの聖地リシュケッシにも滞在していたが、そこではなく、それもムスリムの街でアーユルヴェーダ医学を体験するとは思いもしなかった。
症状がひどかったので、家族に紹介してもらった”仙人みたいなお爺ちゃん”に手当をしてもらうことになった。
そのお爺ちゃんに、
生年月日を聞かれたが、時間までは分からない。午前か午後かも分からなかったが良しとしてもらった。生まれた場所も聞かれたが、日本の東京としか分からなかったが良しとしてもらった。
又、何故か職業や住まいの状況まで聞かれた。
その他に”アストロジー”とか”ホロスコープ”とか言っていたが、ホロスコープは分かったが、アストロジーの意味が分からない。当然、自分のホロスコープなんてものも分かる訳がない。( 後で持参した辞書で”アストロジー”を調べてみたら、アストロロジーで”Astrology”=占星術/占星学の事だと分かりました。 )
当時は、ホロスコープなんてものは”星占いの一種”(占い)だと考えていたので、どちらかというと如何わしく・やばいな~ と思ってしまった。
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《 一服/脇道雑談 》
脇道にそれますが、
その頃のインドに行かれた方なら話が通じると思いますが、しょっちゅう”ヤバイこと”が続くので、知り合いだろうが何だろうが信じられなくなっていた。
そこにきて、この地は紛争地故に外国人(インド人以外)や観光者は殆どいなく、街を勝手にふらつくことは危険とされていた。
確かにデモや暴動が多く・”ヤバい人”が沢山いて、脅されたり紛争に巻き込まれたりで、命も二~三回ヤバイことがありました。
それ故に、疑い深くなっていましたので、一寸やばいな~ と感じながらの受診でした。
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その後、お爺ちゃんは呆れた顔でノートみたいなものを見ながら、意味不明なことをブツブツ言いながら(マントラか?)私の熱を測り、脈をとり、目とベロを見られた。
暫くすると、なにかを磨り潰し、甘酒みたいなモノと一緒に飲めという!
★ 迷ったが、やけくそで飲んでみた。
そして、椅子に座っている私の腰に毛布を巻き付け、その中(足元)に日本の火鉢のようなものに薬草らしきものを燃やして入れてくれた。・・・ 足と言うか腰から暖めるようだ。
私の拙い知識では、アーユルヴェーダは、すぐには結果が出ないという考えでしたので、半信半疑でお爺ちゃんの手当てに従っていました。
しかし、・・・
一時間ぐらいすると、凄い勢いで汗が出てきて体にも変化が出てきました。
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夜には体が熱ってビッショリと汗をかき、魘された。
しかし、次の朝
驚いたことに昨日の体が嘘のように爽快になっていた。
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それに、知人がセットしてくれたので、好意の範疇で無料だと思っていたが、”結構なお金”を要求された。ケチケチ・バックパッカーなので最初に、この金額を知っていれば施術は受けなかったと思う。
当時の安宿ですが、3~4泊できる金額です。
インド! 疑いながらの受診ですので、吹っ掛けられたと思いこんでしまった。
結構なお金?
今思うとケチ臭い話だが、
350Rs(当時のレート1Rs≒3,5円)で、当時の為替や物価等を考えると、日本で使った場合での金額/3~4000円位の感覚ではないでしょうか。ま~、妥当な金額かもしれないが、安宿代1泊100Rs以下、一日の食事代100Rs以下で生活していた身には高く感じた金額です。
アーユルヴェーダ体験記/後記
私には、アーユルヴェーダと”占星術やホロスコープ”の影響/関係を知る由もなく、私が受けた施術がアーユルヴェーダなのかも分かりません。
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”仙人みたいなお爺ちゃん”の言葉を通訳した家族が、一生懸命に説明してくれるのですが、難しくて訳の分からないことばかりでした。
私の拙い英語能力では、分からないことだらけでしたが、私なりに解釈すると、・・・ 生命のリズムは生まれた時、場所、星の位置によって、生命(アーユス)の真理(ヴェーダ)が異なるようなので、体液、病素のバランス・調和を正確に保つための浄化法、生薬の配合には、生命のリズムを知ることが必用不可欠だと説いていたようです。
又、しきりに言っていた言葉が、アーユルヴェーダのベースと言うか基本は、 「 生きていることに喜びを感じること 」 にあるようだ。
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この言葉で、
ただ漠然と生きている自分に気がつく。
これは、
アーユルヴェーダ云々というよりも人生訓ではないか。
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難しい言葉が沢山でてきたので、解釈を間違えているかもしれませんが、そのようなことを語っていました。正直に言うと、アーユスやヴェーダの論理、ホロスコープのことなどは、全くチンプンカンプンでした。
と言うか、頭がボ~としていて聞いていなかった。
尚、アーユルヴェーダの知識がない人が、母国語(日本語)で説明を受けても分からないことだらけだと思いますので、そのことを念頭に置いてお読み下さい。
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ということは、
”同じ病”でも、各個人により特性が異なるので処方や薬の配合も異なるということになる。それは、薬自体が違うものになるということでもあり、その人その人の薬・処方を作る・施すということでもある。
医学は、そうあるべきだと思うが、今の西洋医学では無理!
そんな理想的なこと・それを見分けたり生薬の微細な配合が出来る方がどのくらいいるのだろうか。
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・・・ あのお爺ちゃんは何者だったのだろうか?
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・・・ 私の医学観とアーユルヴェーダ
私は医者(西洋医学)嫌いで、インドフリークですので、どちらかというと”アーユルヴェーダ”などは信じてしまう方の人間です。しかし、今の私は、科学的な考え方に捉われているので、占いとは異なるようですが、占星術・ホロスコープ・そこに視点が向く”アーユルヴェーダ”も、正直なところ半信半疑のところがあります。
いや、・・・ ありました。
□ 現状の医学 □
■ 西洋医学
昨今の西洋医学の医師は、問診もせずに顔も見ないで、コンピューターの文字ばかりを見て偉そうに診断する。
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・・・病人の顔や体を見ない・触らない
無機的なコンピューター同様に無機的な医師になっている。
そのような医師が多い!
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データーも大切だが、それ以上に心を通わすことの大切さを西洋医学の医師は忘れているのではないかと思う。
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■ 私の体験した”施術”では
施術したお爺ちゃんは、私の生まれや食生活を聞き、それに直接熱を測り、脈をとり、目とベロを見られた。上記の西洋医学の医者とは大違いで、たったそれだけでも心が開き、治るような気がする。
・・・ そして、結果が良かった
★ ★ ★
上記のような体験から、この施術(アーユルヴェーダ)の研究を試みたいと思うようになりました。
現在ではマダマダ半信半疑ですが、私のできる範囲内 且つ、信じてみる方向で”アーユルヴェーダ”の研究をしてみようと考えました。
・・・ その拙い研究データーです。
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《 参考 》 カシミール紛争
<カシミール紛争の歴史>
インドとパキスタンが、イギリスからの分離独立を果たした1947年8月の時点では、イスラム教徒が大多数を占めるカシミール地方は、パキスタンに帰属することになると考えられていた。しかし、ヒンズー教徒だった当時のカシミール藩王はインドへの帰属を表明してしまった。
その結果、1947年の分離独立後、インドとパキスタンは何回も戦争を繰り返しています。地図上のX点の箇所は、その戦争が激しく起こる場所です。
そんな訳ですので、ある意味では領土争いというよりも宗教戦争になります。
★ ★ ★
地図上のアクサイ・チン及びその右側辺りが、中国が言うところのチベット自治区で、”スリナガルからレー”の上部辺りをヒマラヤ山脈が横切っています。地図の黄色い部分の下側にチベット/ダライラマの亡命地・インドのダラムサラがあります。
この地域は、
インド・パキスタン・中国の3国による紛争が絶えないところです。
特に、印パ紛争(戦争)は絶え間なく続いています。
ウパニシャッド
उपनिषद् upaniṣad
最初に、ヴェーダ哲学の終結思想を形成するウパニシャッドについての話を、アーユルヴェーダに近い部分を抜粋・簡略化して記載します。
◆ ◆ ◆
インド哲学研究者 前田専學氏の書籍参考
「ヴェーダとウパニシャッド」の項目
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ヴェーダ哲学は、宇宙の根本原理として純粋精神プルシャと、根本物質ブラクリティという二つの実体的原理の二元論からなります。
そして、宇宙の質料因である根本物質ブラクリティは、サットバァ(Sattva 純質)、ラジャス(Rajas 激質)、タマス(Tamas 暗質)という三つの構成要素 グナからなっています。
三つのグナは、色で言えば白・赤・黒に相当し、心理的にはそれぞれ 快・不快・無気力を本質とし、作用としては、それぞれ 明かり・活動・抑制の働きをなし、相互に依存し、支配しあう関係にあるとされ、根本物質は三つのグナを離れては存在することはなく、三つのグナの平衡状態以外の何物でもないとされています。
現象世界のいかなるものも、全てこの三つのグナから作られているという考え方で、そこから下記の現象界の微細な三元質へと思考は進みます。
☆ ☆ ☆
三元質
われわれが経験する現象界の一切の事物の各々は、次の三つの元質が変化したものです。
その三つの元質とは、食物・水・熱(火)です。
人間の場合に、三元質はどのように作用するか、
■ 食物は、食べられると三様に分けられる
もっとも粗い部分は便となり、中間のものは肉となり、最も微細な部分はこころ(意:思考器官)となる。
■ 水は、飲まれると三様に分けられる
もっとも粗い部分は尿となり、中間のものは血となり、最も微細な部分は気息(呼吸)となる。
■ 熱(燃焼性の食物:ごま油・バターなど)は、摂取されると三様に分けられる
もっとも粗い部分は骨となり、中間のものは髄となり、最も微細な部分は言葉となる。
じつに、こころ(意:思考器官)は”食べ物”からなり、気息(呼吸)は”水”からなり、ことば:言葉は”熱”からなっていると説いています。
☆
意(manas 思考作用)は、今日の常識では、おそらく精神的な存在であるとみなされていますが、ウパニシャッドでは三つの要素の結合したもの、すなわち物質的なものだとしています。
☆ ☆ ☆
人間の誕生と死について
純粋精神プルシャは、”この世”に生まれ、肉体を得るとき、”悪”と結合する。
それが”この世”を去り、死ぬときに諸悪を捨てることになる。
そして、今の身体を去った後、直ちにその人の”知識と業と前世”に関する記憶を伴って、微細な原理である心が執着しているところに赴き、その業の報いを得て、また再びかの世からこの世に行為をなすために還ってくる。
しかし、身体に宿っている欲望がすべて捨て去られると、ブラフマンに帰すことになる。
欲望を持たず、欲望から離れ、欲望を超越したものは、欲望がなければ行為は起こらず、”業”は蓄積されることもなく、輪廻に赴く原因が無くなり、輪廻から解放されブラフマンに帰す。
・・・ と、記されている。
◆ ◆ ◆
現代文明の生活に溺れていると、感性や価値観がおかしくなっている。
・・・ と、思ってしまう。
★ ”この世”をより良く生き抜く価値観!
優越を求め、有名になりたいと名誉や地位を欲し、お金や財を欲し、高価で旨いとするものを欲し、内面よりも見てくれを大切にする。
これらの全てを”悪”とは言えないが”欲望”には違いない。
ウパニシャッドでは、
この”欲望”を捨て去る努力をし、欲望から離れることがこの世に生まれてきた命題のようです。
★ この命題!
・・・ 凡夫にできるのだろうか?
■ ウパニシャッドのヴェーダ根本原理
人生の幸せを考えると意味深いことが述べられています。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アーユルヴェーダに入る前の参考にして下さい。
★ アーユルヴェーダ ★
आयुर्वेद/Āyurveda
アーユルヴェーダは、生命(アーユス)の真理(ヴェーダ)を説いているもので、その核心は生命真理の根源思想ということです。
又、生命真理の根源の考え方は、命は人間や動植物だけに宿るものではなく、宇宙や太陽・地球そして、山や川など万物に宿っているということです。
意識についても同様で、あらゆるモノや空間にも存在するというのが前提にあるようです。
しかし、科学的にはありえないとなりますので、どちらが正しという論理でなく思惟的に考えて下さい。ここでは、思考・論点の行き先を間違わないようにして読み進めて下さい。
そして、この辺の考え方は、アーユルヴェーダの研究者・実践者の中でも意見が分かれるようですが、・・・ 心の囁きを聞くということでは異論はないようです。
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アーユルヴェーダの考え方では、この世には、プルシャ(精神)とプラクリティ(原質)があり、そこからマハーン(思惟機能)が生まれアハンカーラ(自我意識)へと成長していきます。
そのアハンカーラ(自我意識)は、三つの属性を生みます。
一つはラジャス(激性)で、もう一つはサットバァ(浄性)であり、三つめがタマス(鈍性)です。
ラジャス(激性)は、自然界に動きをもたらすエネルギーで、タマス(鈍性)は、その動きをセーブする働きをし、サットバァ(浄性)は、この二つの属性に調和をもたらす働きをするとされています。
ラジャス(激性)とサットバァ(浄性)の組み合わせから、生命の五つの感覚器官(地・水・火・風・空)と五つの行為器官(聴覚・触覚・視覚・味覚・臭覚)が生じ、ラジャス(激性)とタマス(鈍性)の組み合わせからは、五つのエネルギー体(手・足・舌・排泄器官・生殖器官)が生じます。
このように自然界には、これらの五大元素、五つの感覚器官、五つの行為器官や意思を統御する存在が現れると考えています。
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アーユルヴェーダには、体液、病素のバランスが崩れると病気になるとの考えが根本にあり、先の五大元素、五つの感覚器官、五つの行為器官の調和の大切さを説いています。
その理論を基に病気の治療と予防だけでなく、生命真理の根源を知ることにより善い人生を目指すインドの伝統医学でもあります。
尚、アーユルヴェーダの療法には、脈診などの診断法や浄化法、生薬の配合と処方によるものがあります。
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そして、アーユルヴェーダは、生命のリズムを大切に考えています。
そのリズムは、人の一生や年ごとにも特異性を持ち、そのリズムは一日にもあります。
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アーユルヴェーダには、心と体の基本的な性質として三つの”ドーシャ(体質)”があり、※ ヴァータ、ピッタ、カファ(カパ)といいます。(凡例にて説明)
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一日の例では、AM6時からAM10時の間は、”カファ(カパ)”が優勢になる時間帯で、頭が鈍く・体が重い時間帯とされています。
その時間帯に体を動かすことは、鈍さ・重さを取り除くために良いこととされています。
AM10時からPM2時の間は、”ピッタ”が優勢となり生体に消化力を与えるとされています。
更に、PM2時からPM6時には”ヴァータ”が優勢になり生体の水分不足を補うために眠気が訪れてきます。
PM6時からPM10時には、再び”カファ(カパ)”が優勢になりますので、良い睡眠を得るためには、この時間帯に睡眠することが良いとされています。
この時間を過ぎると、再び”ピッタ”が優勢になり頭が冴えてくる現象が起こります。
昼の”ピッタ”が胃の消化をつかさどるとすれば、夜の10時から2時の間の”ピッタ”は、細胞レベルの消化、つまり代謝をつかさどります。
同じ”ピッタ”でも、時間により働きが異なります。
又、アーユルヴェーダでは、就寝の際には胃の中に消化されないモノがあってはならないと教えています。
それは、この時間に胃が働いて”ピッタ”が消耗されると、細胞レベルの代謝が十分に行えなくなるからです。
その結果、未消化物が残り、この未消化物は体内での行き場に困り、”ナディ(気の流れ)”を詰まらせてしまい生命の元の生成を妨げることになってしまうようです。
更に、人の一生では、幼年期には”カファ(カパ)”が優勢で、粘液性の疾患にかかりやすく、20歳を過ぎるころには徐々に”ピッタ”が優勢となって、この時期には知的・社会的な仕事に適した時期となります。
又、50代を過ぎるころには、”ヴァータ”が優勢になり、体内の水分が失われ乾燥肌・体になっていきます。
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このようにアーユルヴェーダでは、生命リズムを表現しています。
このリズムに従い療法が確立しています。
ただし、個人の特性を重視し、その個人にあった食事法や療法を思考しますので万人に共通するという療法の考えはしていないようです。
それゆえに、自分の体質や気質を知り・自分の考えを再確認することが大切なようです。
《 簡略凡例 ※ 》
”カファ(カパ)” = 重・鈍性、冷性を司る気質
”ピッタ” = 鋭性、熱性を司る気質
”ヴァータ” = 速性、乾性を司る気質
・・ ドーシャの性格分類 ・・
カファ(カパ)・タイプの性格は、
“のんびり”屋ですが、他方では変化を嫌い、怠け者という一面もあります。
ピッタ・タイプの性格は、
燃え上がるような“熱性・情熱”の人です。
ヴァータ・タイプの性格は、
”変化とスピード感”を好みます。
アーユルヴェーダ
素人が、重いドアーを何とか少しだけ開け、その隙間から覗いた風景を書いてみました。
見えた風景はほんの少しでしたので、上っ面だけの記述になっています。
・・・ その点・ご了解ください。
☆ ☆ ☆
Sadhu & Ayurveda
ところで、サドゥはどのような考えで・どのような生活をしているかというと、どうも・アーユルヴェーダ等は心中(しんちゅう)になく、” あるがままに・何も求めず ” という境地にいるようでした。
しかし、サドゥ自身が ・・・
下記に書いたように、ヒンドゥ教の四住期/人生訓(ヴェーダ哲学のウパニシャッド思想)で生きている訳ですので、それこそアーユルヴェーダなのかもしれません。
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何をやってもやらなくても、死ぬことからは逃げられないのだから、いつ・どのように死のうが宿命として受け止めようとしているようでした。
彼らの心中には、生まれてこなければ死はないとの考えがあり、その死など存在しない ” 生まれてこなければ ” というところに戻る準備・修練をしているようでした。
サドゥは、・・・
現世の雑事には興味がないようでした。
《註》
サドゥと言っても、色々な方がいます。
バラナシやハリドワール、リシュケッシ等の観光地/ガンガ沿いのサドゥ―は、お金を要求したり見世物的な行為をしている方もいます。
生きていかなくてはならないので仕方がないのですが、残念に思えました。
しかし、自分と同じで”欲や煩悩”に踊らされている姿を見ることになり、勉強になりました。
尚、現世の雑事には興味がなさそうなサドゥ―も本心はわかりません。
生きていくためには ・・・
喰わなければなりませんので!
しかし、”欲や煩悩”などと闘っている姿は勉強になりました。
・・・ 全てが勉強!
ヨガ・ヨガ瞑想 そして、アーユルヴェーダ―
人生訓(ヒンドゥーの四住期)
☆ ☆ ☆
インドには不思議があります。
インドには不思議がいっぱいある国です。
その不思議さに、三島由紀夫氏も虜になり「インドに行ける者と行けない者」という言葉を残し、『豊饒の海』を書きあげ、遠藤周作氏もインドに嵌り、晩年に大作『深い河』を書きあげています。
私も嵌ってしまった一人で、このようなリポートをつくってしまいました。
インド人・ヒンドゥ教の四住期/人生訓
インドの宗教的生き方
・ヒンドゥーの四住期・
《 学生期 》
真理を学ぶ時期
《 家住期 》
職業に専念する時期
《 林住期 》
社会的な義務を残し
隠遁生活を送る時期
《 遊行期(遁世期)》
あらゆる社会的義務
から解放された時期
一期/ニ期は、正しく学び・働き・遊び・失敗や成功を体験し、 そして、人生の悲哀も感じ、恋もし・楽しみ悲しむ。
時の経過と共に種々の喜怒哀楽を体験し、ニ期の終わり頃には”無常”などという言葉も浮かんでくる。
そして、三期に入り、社会的な行為や”物質主義”から少しずつ離れ、人里離れた山などに庵・居を移し、自己との対話を試みるようになる。
・・・・・・・ その頃になると、死と死後などを考えるようになり、無常などの言葉が理解できてくる。
四期には、精神的思考に入り、”死”を待ちながら、人生を省みて、次の”生”のための精神の浄化を試みながら生きるようにしています。
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・・・ 実際に!このような宗教的決まりごとに副って生きている方々が多くいるのがインドの魅力であり不思議・カオスを生みだし、ヨガの行などが生まれている訳です。
最後に!
”生”を見つめると同時に、誰にでも訪れる”死”をも見つめて、その先にあるかもしれない”何か”を探していくこと、それは生命( アーユス )の真理・知 (ヴェーダ )の探求や心身のバランス・調和を重視する /アーユルヴェーダ ≫ウパニシャッド にも繋がるモノではないかと思っています。
END
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