” シリーズ:八ヶ岳思考 ”
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シュタイナー特集 No1 – ( B )
Geisteswissenschaft/Anthroposophie
精神科学/人智学 – 神秘学の礎編
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シュタイナー特集 No1( B )
精神科学/人智学 – 神秘学の礎
INDEX
◆ 精神科学/人智学 – 神秘学の礎
1・神秘主義 / 神秘思想とは
2・精神科学 / 人智学とは
3・学びの基本姿勢
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◆ 自然科学と精神科学
◆ 視点を変えてみる
◆ 自然科学者と精神科学者の言葉
◆ 何故、・・・
同じ方向に歩まないのだろうか?
◆ 物質☆心・精神
◇ 神秘学の礎 1 ◇
神秘主義 / 神秘思想とは
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ヨーロッパの中世及びルドルフ・シュタイナーの生きていた19世紀~20世紀初頭の頃は、欧米の多くの思想家・哲学者・心理学者などが、メガ宗教の古典主義や教条主義的な思考に物足りなさを感じ、新たな思想・思考を模索し、既存宗教の先にある”もの”を探っていた時代背景がありますので、 その頃のシュタイナー思想以外の「神秘主義的な流れの一つ」も参考に記載しておきます。
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神秘主義思想の対極に、《 ”身体”のみが現実で、”心”は”身体”に起因すると言う論理 》があります。
・・・ 唯心論に対する唯物論です
近代自然科学思想の祖「デカルト」が、精神や生命の問題を除外し、物質やエネルギーに焦点を当てた思想で、 近代自然科学思想のスタートラインになった思想です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
神秘主義の要点を簡単に言いますと、”神(天/自然)と人間”を非対称的関係で捉えている一神教の教義から踏み出して、合わせ鏡のように対称的関係で考えようとするものです。
しかし、東洋の仏教などは最初から”神(天/自然)と人間”は対称的関係で捉えています。
因みに、あらゆる存在は「空」であり、実体のないものとする大乗仏教の空理論を”唯識思想・唯識論”と称しています。
・・・参考までに!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
尚、中世のヨーロッパではキリスト教の種々の会派で神秘主義的思想が起こります。
一例を挙げると、フランスの神秘思想家はクレボーのベルナルドゥス ( ベルナール : ” 1090年~1153年 ” ) で、シトー会に入りシトー会を発展させ、クレボーの修道院(禁欲的厳格修道院)を造り、聖書研究や神秘的信仰による思想を確立している。
ある意味では、神秘主義が極端な方向に走り、”キリスト教の汚点”でもある”十字軍”を組織した一人ともされています。
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ドイツの神秘主義思想の代表は、ヨハネス・エックハルト(通称マイスター・エックハルト/ドイツ:1260~1326頃)で、 人は神の内に生き存在しているという思想を展開したドミニコ会説教師です。
キリスト教界からは異端者扱いされているが、後世の神秘主義思想に大きな影響を残しています。
著書には「神の慰め」があります。
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そして、ユダヤ教の神秘主義の一つには「カバラ」があり、ゲルショム・ゲルハルト・ショーレム(1897年~1982年)というユダヤ教の神秘主義思想者などが研究している。
彼はベルリンのユダヤ人家庭に生まれヘブライ大学の教授になっている。
著書には「カバラ書誌」や「ユダヤ神秘主義」などがある。
尚、「カバラ」などの思想は、「キリスト教神智学」の潮流とされています。
又、神智学は、1875年にインドで設立された「神智学協会」があり、のちに述べる”グノーシス派”も、人間の智・宇宙や自然(神の智)の叡智を理解し、宇宙の目的や起源を探ろうとするインド神秘主義・インド神智学的傾向があります。
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イスラム教の神秘主義の一つには「スーフィズム」があり、禁欲主義で神との合一を説いている。 名称は、この主義を信じる人達が羊毛(スーフ)の衣服を着ていたことから名づけられたらしい。
「スーフィズム」は、自我の意識から脱却して神と一体となることを説き、形式的なイスラーム法の遵守を主張する律法主義を批判することになって衰退していく。
スーフィーは、特定の宗派または教義の呼称ではありません。
最初は、隠遁生活をしながら個々人で神秘的修行を行っていたが、神との合一を謳う人達が集まり修行を行うようになり、スーフィー教団として組織化していくことになります。
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例えるならば、インドで言う、ガンガ沿いのサドゥが集まり組織化された集団を作ったようなものです。
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この集団は、イスラーム世界の傾向を基本にして精神を重視した集まりで、そのまわりに生まれた精神的共同体・教団の総称とされる。
尚、ムスリムの間ではその思想と結び付いた哲学・寓話・詩・音楽・舞踏などを指すこともある。
この思想については、フランス国立高等研究院教授(イスラム学者:東方神秘思想主義者)/アンリ・コルバン氏(1903年~1978年)の研究が有名です。
尚、一神教思想の盲点を突き、キリスト教会から異端とされた神秘主義思想 ( 2~3世紀のアリウス派 ・ 3~4世紀のネストリウス派等 )の中で、最大の異端は、”グノーシス派”ではないでしょうか。
グノーシス派は、1~2世紀に南ヨーロッパに広まった宗教思想で、既成の世界の秩序(キリスト教的秩序/当時の真・善・美等)を否定し、厳しい浄化の修行によって神の本質に辿り着くという自力救済を説いた思想で、先に述べたようにインド神秘主義・神智学的傾向があります。
それ故に、アジアの宗教思想からの強い影響を受けたグノーシス派の思想・集団を、正統キリスト教会側は激しく弾圧しています。
ユング(カール・グスタフ・ユング:1875年~1961年)も、この”グノーシス思想”に注目し、関心を示した。
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少し時代をさかのぼりますが、「神学」では、中世の代表的存在は、トマス・アクィナス(イタリア:1225~1274年)で、アリストテレス哲学を基礎に、理性と信仰の調和を説き、神の存在証明をしょうとしている。 彼はスコラ哲学の大成者で、著書には「神学大全」があります。
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19世紀神秘主義思想の大きなウネリは、シュタイナーの時代より少し前に成りますが、ラルフ・ワルド・エマーソン ( Ralph Waldo Emerson / USA 1803~1882)を中心に超越主義運動が、アメリカやヨーロッパで起こります。
超越主義 ( トランセンデンタリズム ) とは、19世紀はじめ、アメリカのニューイングランド地方で多かったユニテリアニズムの古典主義・合理主義的思考に飽き足らずに「永遠の魂・霊的世界」 を基軸に物事を考えようとする当時の新しい思想のことで、ロマン主義的でもありました。
1836年9月に同じ考えの人々がジョージ・リプリーの家に集まって哲学・宗教・文学など様々な問題を今までとは違う観点(霊的思考)で話しあいます。
これがトランセンデンタル・クラブ(ヘッジ・クラブ)となりました。
彼らの考えは、人間の”現状の判断力(作られた感覚)”による認識の限界を「超越」し、 今までの固定化された思想ではなく、自由な想像力と直感によって万物の根源である「霊」を基軸にした思考/世界に参入することを説いている神秘主義の一つです。
現在の「唯心論」が「超越的」という名称を得たのは、もともとはイマニュエル・カントがそういう表現を用いたことに由来します。
カントは、理知の中にはあらかじめ感覚が経験しなかったものは何一つないと主張するロックの懐疑論哲学に答えて、非常に重要な一群の理念や形式は、経験によって生じるのではなく反対にこれらによって経験が得られるので、 こういう理念や形式は精神そのものの直感だと説き、これを「超越的形式」と名付けました。
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≪参考≫ エラノス倫理会議
神秘主義の形態や宗教・東洋思想・哲学・心理学などに関心を持った人々が集まった会議です。
1933年のオランダ人のオルガ・カプティン女史が発起人になりユングなどが中心に始まった集まりで、現在も継承されているようです。
◇ 神秘学の礎 2 ◇
◆ 精神科学/人智学とは
シュタイナーの思考論理・思想は、自然科学の世界や物質的な思考では認識できない”人間の本質”に迫ろうとする概論で、霊的魂的観点からの宇宙進化/人間進化、”死”を どう捉えるか、 或いは”死後の世界”などの 一つの考え方を提示しています。
その上、物質に特化しているこの世の中で、” 自己の存在を確認し、自己が見聞きする世界 ” が、”真実 ”であるという根拠は?
・・・ という疑問も呈しています。
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シュタイナーは、自分自身が 霊的魂的洞察から導いた一つの理念/思考を、人々に広く伝えようとしていました。
それは、精神世界(霊的世界)をただ崇めるだけの宗教や霊媒的なプロセスを介しての心霊主義者のヴィジョンとは異なり、精神世界のありのままを認識することで、自らの思想/理念を ”Anthroposophie (人智学) ” と名づけ、その思考/思想は、哲学・宇宙や生命の進化・教育・医学・農業・芸術/建築・舞踏(Eurythmie:オイリュトミー) など幅広い分野に至っています。
シュタイナーは、Anthroposophie (人智学) の思想/理念を 、 精神世界のありのままを認識するという意味で、科学(Wissenschaft)なのだと述べています。
そして、現代では互いに離反してしまった 「科学」と「宗教」と「芸術」の統合を目指し、神秘主義の世界観を「心霊主義的思考」から「精神的諸現象の経験科学」へと導 いた人です。
所謂、霊的事象を彼の体験から科学/学問として捉え人々に伝えた方で、彼の教示する神秘学(精神科学/人智学)は、日常生活の中(人生)で「普遍的な私」を自覚し、その自覚から意識を変革していくきっかけを見出す流れをつくり、その流れが「普遍的な自己認識」にいたる大きな河となる大切さを説いています。
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人智学協会創設の流れ
シュタイナーは、先ず1902年10月に、インド系神秘学のアニー・ベサント(Annie Besant1847~1933年)の協力を得てベルリンに結成された神智学協会ドイツ支部の事務局長になります。
( 神智学協会:開設者 ヘレナ・ブラヴァツキー )
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その後・1913年1月に、神智学協会本部はジッドゥ・クリシュナムルティ(生誕:インド)をメシアの再来であるとする一派が力を増し、これをドイツ支部にも強要したものですから、シュタイナーは反対しました。
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ここでは詳細を省きますが、ジッドゥ・クリシュナムルティ は、特異な人生を送った人ですので、私には興味深いものがあります。
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その反対により神智学協会のドイツ支部が本部から除名されました。
そして、1913年年2月3日に神智学協会を離脱したシュタイナーは、最初の人智学協会(die Anthroposophische Gesellschaft)の総会を開き、この日から独自の神秘学の道を歩み始めます。
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概略説明ですが、・・・
これが、人智学/精神科学:Geisteswissenschaft です。
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《 言葉の ”所以” 》
Geisteswissenschaftは、ドイツ語の精神/霊を意味する Geistes と科学を意味する wissenschaft を合成した言葉です。
尚、Anthroposophie とは、オーストリアのヘルバルト学派ローベルト・ツィンマーマン(Robert Zimmermann 1824~1898年)が、著作「Anthroposophie (1882年)」で使用した、 ギリシャ語の anthropos (人間) と sophia (智恵) の合成造語で、神智学(Theosophie)は、ギリシャ語のtheos(神)とsophia(智恵)の合成語です。
又、シュタイナーの2度目の妻マリーが主体に広めたオイリュトミー(Eurhythmie)とは、ギリシャ語のeus (善い、美しい) と rhythmus ( リズム)の合成語です。
◇ 神秘学の礎 3 ◇
◆ 学びの基本姿勢
《 思惟的な学び 》
「謙虚・無批判・無裁き・無差別」や「真の自由・平等」が、人智学を実践する人にとっての基本のようです。
そのためには、魂の諸力の安定を基調にして「批判的感情」や「優越を求める心」を自分の内部から、少しずつ除去していくという努力や高次の進化を目指す為の修練が必要で、あらゆる事象に「畏敬」という基本的意向を持ちながら日常生活を過ごし、不測の出来事などにも動揺せずに、「不安・いらいら・怒り」の無い心を作る努力が大切のようです。
その集積から、実生活(人生)の中で、「不安・いらいら・怒り」や「差別」の虚しさを悟り、他者が自分を傷つけ、怒らせ、見下す態度や言葉などを発信しても、その情景や文言が魂に入る前に、浄化する事が出来るようになるそうです。
そして、幸・不幸も、人間が生きている世界の表象や進化と密接な関連があると考え、人間の間違えた認識による感情や願望が、魂(心)を疑惑や絶望へと導いてしまうので、人間は超感覚的世界の確かな諸事実に魂の目を向ける修練を試み、”自然”から与えられた能力と諸力を高め、 人間(魂・心)の認識を高次のものへと、覚醒させることが基本にあるようです。
そのような努力の積み重ねにより、あらゆる事象に動揺しない人間(心/魂)が培われるようです。
内面にかなり苦しい感情を呼び起こすようなことが、ある人の身に起きたとします。
☆ ☆ ☆
その人はそれに対して二通りの態度を取る事が出来ます。
その出来事を苦しい思いをするものとして体験し、苦しい感覚に没頭し、それどころか、ことによると苦しみの中に沈んでしまう可能性もあります。
しかし、別の態度を取る事も出来ます。
実際、私自身が前の人生で私の内部に私をこの出来事に遭わせる力を形成したのだ、私が自ら、私にこのような苦しみを与えたのだ、と言うことが出来る態度です。
そして、このような人は、更にそうした考えをもたらすあらゆる感情を、自分の内部に呼び起こす事が出来ます。
当然の事ですが、感覚や感情の活動がその様な状態になるためには、そうした考えをこの上なく真剣に、ありとあらゆる力で体験する必要があります。
Rudolf Steiner
◆ 自然科学と精神科学
自然科学と精神科学は、思考/模索する視点が異なるだけ。
・・・ と、思っています。
人智学の学びは、欠陥を非難する事によって学ぶのではなく、欠陥を理解する事によってのみ学ぶ事が出来ます。
しかし、理解する為に不満をすっかり排除しようとするならば、やはり進歩はないでしょう。
ここで重要なのは一面性ではなく、魂の諸力の安定とバランスなのです。
・・・ Rudolf Steiner
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
精神科学の学び!
社会通念の視点を変えてみる。
地球を包む宇宙、その宇宙を内包する”無”
・・・ 大きな視点から思考する。
◆ 視点を変えてみる
物質社会での殺伐とした空気!
・・・ 貧富の差・差別・紛争等々
そろそろ、視点を変えてモノゴトを考えてみることも必要な時期に来ているような気が致します。
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私的夢想
《 実態? 》
実態は、視点を変えても、どの方向から探っても蜃気楼のようなもので、見えるのですが無い/掴めないのかもしれません。
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このような考え方もできます。
実態が、何らかの形・方法で、映像化してこちらの世界に語りかけている。
蜃気楼のように、・・・
何のために?
人間の浅ましさを見せる。
エゴ、イザコザ・紛争などを映像化して、こちらの世界に見せているのではないか。
考えてみたい!
何のために見せているのかを
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
・・・と、
稚拙な思い(私的夢想)に耽る筆者の特集です。
自然科学と精神科学の融合
何故、・・・
同じ方向に歩まないのだろうか?
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
◆ 自然科学者の言葉 ◆
☆ 故・渡辺格(いたる)氏
1916年9月27日 ~ 2007年3月23日
医学博士・理学博士
東京大学医学部・京都大学医学部
慶応大学医学部教授を経て、
初代日本ウイルス学会会長
日本分子生物学会会長歴任
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著書『なぜ、死ぬか』から
自然科学には、
脳の働きによって、人間を納得させるような潜在的な力がある。
エネルギーや物質の問題にしても、アインシュタインの相対性理論や量子力学といった高度な理論はあるが、それは原則的に我々にもわかるはずのものなのだ。
知識が不十分でも、人間である以上は、それ相応の訓練さえ受ければわかるのである。
むしろ私にとっては、宗教のほうがわからない。
例えば死後の世界を信じろと言われても、どうしても納得できないのだ。
もちろん近世の自然科学者にも問題がない訳ではない。彼らは自然科学という限定された範囲の中でしか研究を続けようとはしなかった。
一方、哲学や思想を学ぶ人たちは、自然科学を念頭には置かなかった。
人間が死すべき者として何をすべきかという指針を提示するとき、私は、自然科学者が最も重要だと考えている。
自然科学者として、現在のように光に向かい、プラスの人間活動だけを重視する社会ではなく、常に影(死)を見つめ、同じ視線で人間の在り方を探っていく新しい方向を提示するべきだと思った。
そう考えた時、西欧で起こった近代以降の自然科学は、明らかに間違えていると思った。
【 デカルトの盲点 】
近代自然科学を物質やエネルギーの研究に向かわせた人物の一人が、デカルトだった。
「われ思う、ゆえにわれあり」 という言葉を残しながら、デカルトは実際には、精神の問題を除外した。
そこには宗教的な背景もあったようだ。
「精神の問題にはかかわりません。それは神にお任せします。」という逃げだ。
そのうえでデカルトは、生命の問題も除外した。
脱精神、脱生命を経て、物質の研究に向かった。
・・・ これが近代自然科学の出発点である。
もちろん、それはそれで評価すべきだろう。
当時の状況を考えた場合、初めから精神や生命の問題を含んだままで自然科学は成立しない。デカルトの選んだ方法は、それなりに正しかったのだ。
いうまでもなく、宇宙の始まりは人間ではない。
したがって、人間が造り上げた概念としての神も、宇宙には存在しない。
初めに神ありきではないのだ。宇宙に最初に存在したのは、物質やエネルギーの世界である。
しかし、デカルトの方法で辿り着いた物質やエネルギーの世界が、どこに向かったか。・・・ 生命世界を生みだし、そこから精神世界が生まれた。
物質は生命や精神の方向に向かってきたのだ。
その意味では、自然科学もまた、生命や精神の方向に向かわなくてはならない。私は、そう考えた。
現在なら常識的なこの考えも、当時は全く非常識なものだった。
物質世界と生命世界、さらに精神世界は、それぞれ別個だという考え方だった。
それに対して、基本的には物質の世界があって、そこから生命の世界が始まり、次に精神の世界、さらには未知の”X”の世界に向かっているというのが、私の予感だった。
それを自然科学的に明らかにすれば、文明自体も変わる。それこそが、自然科学の役割ではないかと思うのです。
・・・ 渡辺格
次に、
◆ 神秘学/精神科学者の言葉
☆ 神秘学は”科学”です。
自分達神秘学者は、自然科学の価値を誤って判断するつもりはなく、かえって自然科学者以上にその価値を認めようとしています。
・・・ Rudolf Steiner
自然科学と精神科学
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同じ方向に歩んでも良い時期に来ているのではないか。
物質☆心・精神
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
デカルトは、物質とエネルギーに焦点を当て、脱生命・精神の方向に舵を取り、近代自然科学の基礎を築いた。
その自然科学が、物質世界から生命世界、精神世界へと向かうべきだと述べる自然科学者が、前記/渡辺格氏のように最近多く出始めている。
生命とは何かを考え始めたのです。
人間の存在とは何か、心や精神と呼ばれるモノは何か、という疑問に向かい始めたが、自然科学的な認識の普遍妥当性には至らない。
肉体は、死ねば間違いなく消え去るが、精神は肉体の死と共に完全に消え去るものなのか、などはモヤモヤしていて客観的に認識できないから宗教に任せた。
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時が経ち、・・・・
物質や肉体と心や精神をデカルト的分割思考から一括思考に変化する時期が来ているようだが、多くの問題も抱えている。
認識の普遍妥当性!
それをどのように克服していくかです。
そのうえ、デカルトが思考から切断して神に委ねた生命・精神の課題が、その神から抜け出すのが難しいのです。
しかし、・・・・
自然科学と精神科学
同じ方向に歩んでも良い時期に来ているのではないか。
・・・ さてどうしたら良いのか?
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